エッセイ2008年
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連載エッセイ「大丈夫!」と言ってくれ 


晩秋つれづれ日誌

10月某日
 深まりゆく秋の日暮れ時というのは、ひときわ感傷的になる。車で東小金井駅のそばを走っていた時、たまらなくなつかしい気持があふれて、いてもたってもいられなくなった。
 武蔵野らしい大木や、昔の商家を思わせる街道沿いの日本家屋が群青色に染まって、虫がリーンリーンと鳴いている。
 何度か訪ねた林望先生の事務所もこのあたりだった。偶然、私の家のすぐ近くまでバスが走っていたので、インタビューが終わると一人バスに乗り、車窓に額をはりつけるように窓の外をながめながら帰路についた。
 それはいつも秋だった。
 作家と呼ばれる方々がこのあたりに多く住んでいるのは、畑道や雑木林や上水路がかもし出す田舎風情にひかれるせいだろうか。それは「緑が多い」「自然が残る」という表現とはかけ離れた、たき火の煙に込められた深い日本情緒なのだ。
 20代の頃、「住むなら湘南と多摩とどっちかいい?」と、人によく尋ねた。海がある湘南は絶対的な魅力がある。それはリゾート気分に満ちて明るく、若々しい。けれど、多摩には集落とか里山のわびしい面影が残る。それがどれほどの価値があるかは住んでみなければ分からない。
 吉祥寺行きのバスに揺られてたくさんのことを考えた。林望先生に見せてもらった英国田園のスケッチが余りに上手く、その世界観に興奮していたせいかもしれない。

10月某日
 雑誌『クロワッサン』の美容特集で、体験取材を依頼された。某メーカーの美容液を7週間使って、私の顔がどのくらいリフトアップできるのか、頑張っている。
 私の肌は無添加自然化粧品でさえ、ある成分に拒絶反応を示す。それが何か、いまだに分からない。以前、同じような雑誌の美容企画で、いただいた化粧品を使ったところ、2日目に顔がかゆくなり、皮膚が真っ赤になった。
お肌の手入れ 今回は、クロワッサン編集部の方が定期的に連絡を下さるので、使い始めの頃はかぶれたり発疹が出たらどうしようとハラハラしたが、まったく問題なし。
 朝晩、両手で頬をはさみ込んで、クイッとこめかみに向かって美容液をすり込む。
 一カ月前に特殊な機械で撮影したビフォー写真はまるでお岩さんのよう。まぶたは腫れぼったく、恐るべきほうれい線も写っている。これが自分の顔なのかと呆然とした。
 そういえば50代の秋吉久美子さんとお会いした時、インタビューを忘れ、彼女の肌のキメ細かさ、全く小ジワのない顔に「なんてきれいなのか!」と釘付けになった。
「女優だから、ぜったいブラセンタ注射か専門医の施術を受けているのよ」とその道の友人、知人は言う。だが、玄米を食べ、スピリチュアルな感性を持つ秋吉さんに限ってはそうとも思えなかった。では、なぜ50代の彼女がきれいなのか。
 その辺りの事情を『女性の向上心』〈PHP新書〉に書いた。
 女性の場合、内面と見た目は両輪。だが、40を過ぎた女性は早急に見た目を何とかしなければならない。どんなに素晴らしい人でも、傷んだ髪、手入れされてない肌では、他人に割り引いて見られる。
 齢をとるほど良い点よりアラを探そうと、減点方式でチェックされてしまう。特に何かを持っていそうな女性に対しては、周囲の観察眼も厳しくなる。
 大人になることは自分を守る術を体得すること。
 撮影まであと数日、鏡を前に『クロワッサン』にはいい機会を与えていただいたと、せっせと肌を「上げて」いる。

10月某日
 T医大に通っていた頃、とてもお世話になった婦人科の医師が、レディスクリニックを開業された。娘と二人、定期的に検診に行っている。
 乳がん、子宮がん、ホルモンのバランスのチェック、生理不順、不眠対策など、数ヶ月に一度、気になることは何でも尋ねる。
 O先生は大学病院で責任職をされていた。緊急の時は時間外でも話ができた。患者の訴えをよく聞いて下さり、一度など、他の医師が帰そうとした患者を「今すぐベッドをあけなさい」と緊急入院させた。
 それは、私の友人で激しい腹痛を訴えたものの、他院で便秘と誤診されて激痛のあまり自宅で転げ回っていた。私は病院を通じてO先生に電話して事情を話した。すぐに診てもらったところ、卵巣に水がたまり肥大していると分かった。友人は緊急手術を受け、難をまぬがれた。
 大学病院の勤務医が激減しているというニュースを見るたび、O先生のような熱心な医師に患者が集中し、絶え間なく働き続けていたのだろうかと思う。
 レディスクリニックの帰りは、娘とお昼を食べながら医師に何と言われたか互いに報告し合う。この日だけは娘が私を気遣ってか「荷物を持ってあげようか」といたわってくれるので嬉しい。
 両手にバッグを持って早足で歩く彼女の後をついていく自分も、この日ばかりは殊勝になる。

10月某日
 講談社の担当、津田さんより大きな封筒が届く。中に彼女の描いたイラストが入っていた。私の新刊『イギリス式 年収200万円でゆたかに暮らす』のエピソードから発想したいくつかのシーンがセリフ付きで再現されていた。
 とても嬉しくなり、編集部の若者たちを呼んで見せた。
「上手いっすねぇ」「津田さん、マンガ家なんですか」と多才な編集者に驚いた様子。
「セントキルダ島」の本を書いた時も、津田さんは地方にある某書店の店長宛に、なぜ著者がこのような本を書いたのか手紙を書いて下さった。「これは節約もののように、すぐに何かの役に立つものではないけど、キルダで起きた出来事は、読者の胸を打つ深い意味を持っています」そのような本だからよろしく頼みますと、くくっていた。
 書き手にとって、自分の世界をバックアップしてくれる編集者の存在は大きな支えだ。
 さっそくデザイナーが、このイラストをもとに活字を組んだ。どうなったかは、私のホームページをぜひご覧下さい。
 イギリスの新聞や雑誌に載っているような、マンガのように単純でユーモラスな絵。これまで津田さんのイラスト付きFAXが手元に届くたび、どれだけ元気になったかしれない。言葉だけが全てじゃないんだ。私も誰かに絵を描き送りたくなった。

10月某日
 日曜日の午前0時を回り、早や月曜日の早朝4時である。私はまだこの原稿を書いている。
 先ごろ、千葉の漁村に編集部の若者3人と取材に行った折り、民宿のご主人が同郷長崎・雲仙出身の人と知り、子どもの頃の長崎の様子を語り合った。眼鏡橋、大浦天主堂、雲仙の温泉。懐かしがる私たちの会話に、若者たちは入れなかった。
 18歳で上京したご主人は、今60代となり、少しずつ現役を退いている。奥さんの実家である銚子の民宿を継いで婿養子となったものの、漁師と民宿の兼業は並大抵ではなかったとか。
「俺は銚子にあるこの家の墓に入るが、死んだら長崎に帰ります」
 その言葉に、ご主人がどんな思いで異郷で生きてきたかが分かり、切なくなった。
 耳を澄ませば、燈台目がけて不気味な海風が吹きつけている。ドクドクと波打つ黒い大海原に帯状に広がる白波は、音もなく、湧き立っては砕け散る。
「漁火すら見えない太平洋は長崎の海とは違う。それでも長崎に似た海辺の街は、東京よりずっといい。俺は田舎もんだから、こういう漁村にしか暮らせない」
 若者3人は朝5時から取材をしてクタクタというのに、ご主人が話し出すとメモを取ったり、空のグラスにビールを注いであげたりしていた。
 彼らの明るい笑い声につられ、ご主人も饒舌になった。長崎に帰りたい、親はもういないが、兄弟も親戚もまだいるしなぁ。

 民宿のただっ広い板張りの食堂をヒューッ、ヒューッと太平洋の風が吹き抜ける。ご主人の心はすでに生まれ故郷の長崎と銚子の海を行ったり来たりしているのかもしれない。
 ふと、武蔵野の雑木林が懐かしくなり、東京に帰ったら、もう一度玉川上水のそばを歩きたいと思ったことだった。

 


長崎県人会で久しぶり美味しい竹輪と皿うどんをいただきました。




連載エッセイ「大丈夫!」と言ってくれ 


この一票は4千万円分の価値がある

 テレビをつけると5人組が神妙な顔をして出演していたのも今は昔。霞ヶ関の「霞」のように消え入る福田氏の後を継ぐ自民党総裁に立候補した面々だ。この号が出る頃には、麻生氏自民党のリーダーになって総選挙の音頭を取っているのだろうが、どこまでいっても観る側の視線は冷たく、「静観」という言葉が気持ちからはがれない。5人組もそれを感じてか、情熱に訴えることも、理詰めで説くこともせずにいた。
 片やテレビを賑わせているのが、オバマVSマケインの一騎打ちのアメリカ大統領選挙の真剣さ、切迫感だ。新リーダーと共にアメリカを建て直すのだという国民を動員した熱さと比べると、5人組は、どこか舞台の袖でヒソヒソ話しをしている雰囲気がぬぐえなかった。
 良くも悪くも、今回ばかりはテレビの露出度に惑わされてはいけない。もう私たちは十分待ち、耐え難きを耐え、忍び難きを忍んだ。
 政治不信と、日本人としての生真面目さの狭間で、ストライキもデモも起こさず、物言わぬ国民と世界から冷笑されながらも、戦後変わらぬ官僚主導、一党独裁政治に添ってきた。
 けれど、役所のずさんな仕事ぶりから、年金、食など、暮らしの基本までが粉砕されている。世の中のあらゆるシステムにミシミシと太い亀裂が走り、そこにアメリカ発、金融不況がさらなる打撃を加えようとしている。
 もはや、事態は待ったなしだ。

 これまで多くの著作で、自浄作用を失った日本がバランスをとるためには、健全な競争が必要だと書いた。それは、民主党共和党を持つアメリカや、労働党(ニューレイバー)と保守党(コンサバティヴ)を持つイギリスのように強力な2つの政党を日本が持つことだ。
 2年前から、MPでは「政治と暮らし」という、私と政治家の方々の対談シリーズを紙面で連載してきた。
 鳩山由紀夫氏、岡田克也氏、渡部恒三氏、馬淵澄夫氏、亀井静香氏、福島みずほ氏、加藤紘一氏、平沢勝栄氏、石原慎太郎氏他、テレビなどで顔なじみの方々にお会いし、彼らの生活感覚――夫婦ゲンカや、今読んでいる本や、時には服をどこで買うか、小遣いは妻にもらうのかまで伺って、日本の政治家の素の姿をあぶり出そうとした。
 「妻とは略奪愛で一緒になった」と語る鳩山氏をはじめ、ほとんどの人がメディアでは自分の生活ぶりや考え方を話すチャンスがない。聞かれるのは政策のことばかりだと訴えていたことも印象に残っている。
 一人ひとり、身を粉にして日本をどうにかしたいのに、いったん議員になり、政治の世界に飛び込んでみれば、エベレストのように立ちはだかる「闇のドグマ」が足をすくうのだと、話を聞くほどに、彼らが置かれている苛酷さも分かった。
 ある自民党の上層部の方が「もうこれは、過去から蓄積されてきた巨大な構図。道路、ダム、天下りという流れに歯止めをかけようとしても複雑に入り組んで、一筋縄ではいかない」と吐露した本音に、全てを野放しにしてなあなあにしてきた、日本社会の深淵を見た思いだった。

 私はかつて一度だけ、ひょんなことから「この国が本当に変わるかもしれない」と情熱をたぎらせたことがある。
 自民を飛び出した羽田孜氏、小沢一郎氏らが自民を惨敗させ、細川内閣を樹立した時だ。このあたりのことは「女性の向上心」(PHP新書)に書いたので、ぜひご一読下さい。羽田元首相(現・民主党)との出会いは、MPにとっても大いなるドラマだった。あれから15年近くの年が流れ、今度こそ、日本に本物の民主主義が根付くかもしれないと思っている。
 今のままではダメだと思えば、投票によって、もう一つの政党を選び、自分の意志を示す。政権を交代させる。これが唯一の正義だとイギリスで聞いた。ところが、日本は自民党に取って代わる政権担当能力のある政党がなかった。
 これが不幸の始まり。私たちは何度裏切られても、怠慢を見せつけられてもNGを出せなかった。その結果、どうせ投票しても何も変わらないと、アンダー40の若年層は、選挙に行かない。そうして、中高年中心の保守的な選挙から抜け出せずにきた。
 「おらが村に道路を作ってくれる偉い先生」に一票を投じる。所属する組織が決めた人に集団で投票する。いずれのやり方も、5割前後の投票率だったからこそ結果が出せたのかもしれない。
 ところがもし、有権者といわれる20代そこそこのフリーターや大学生、「どーせ、何も変わらない」と投票用紙すらチラシに紛らせ、ポストに入れっぱなしの独身サラリーマンまでが投票所に足を運べば、選挙のカタチまでもが、ガラリと変わるだろう。理念が全く違う党同士が合体する選挙協力という矛盾すら淘汰されるかもしれない。
「憎いあんちくしょうの対抗馬だから」
「毎朝、駅前に立ち、頑張って演説していた人だから」
「女性で真面目そうだから」
「今度こそ政権とらせたいから」

 もうそれは、どんな理由からでもいい。
 自分が信じる人、政党に今の思いを託すことをやめてはいけない。

 私たちはかつて戦争への道を経験した。大戦までの不穏な動きを止められなかった。世界を見わたしても、独裁者や軍隊が支配する国の末路は惨憺たるものだ。
 『男たちの大和』(ハルキ文庫)を書いた、本誌でも登場した作家、辺見じゅん氏は、今の日本は戦前よりひどい状態と言った。
 よく考えてほしい。
 政権放り出し総理、選挙放り投げの国民を「都合良し」とほくそ笑んでいる者たちがいないだろうか。見えないものの影が、少しずつ日本を、とんでもない方向に引っ張っているのではないか。
 もし仮に私たちの社会が、北朝鮮ミャンマーのようになったなら、たかだか2人の総理が立て続けに責任を放棄しても、それが選挙に行かない理由にはならないはずだ。
 手元の一票はあなたの将来そのものだから。

 大手保険会社の試算では、人が一生生きるのに8千万円かかるらしい。
 私は現在、折り返し地点にいるから、単純計算で残りの人生は4千万円の経費がかかることになる。すると、この一票には私の行く末が重なり、その価値は4千万円に匹敵する。
 もしあなたが20代なら、6千万円分の証券と同じ価値ともいえる。
 プレスクラブでイギリス人ジャーナリストに言われた。

「これまでの日本を見ていると、たとえば、SMAPのメンバーが全員出馬したなら、どの党から出ようが全員受かる。日本の選挙を支配する三大悪はムード、知名度、付き合いなのだ」

 その悪に今回飲まれれば、後はないと、誰もが肝に銘じるべきだ。 投票でいつでも私たちが与党を変えられる。総理や大臣すら最終的にはクビにできる。アメリカ、イギリスに並ぶ本当の民主主義を、今度こそ手に入れなければいけない。
 けれど、結局、行きつくところは自分自身かもしれない。
 そう、景気拡大より確実に豊かになる道は自分の中にある。働き方も、いくつまで仕事をするかも人それぞれだ。
 それでいい。それがいい。みんながそれぞれの歩調で好きな方向へ進めば、軍隊の行進のような日本人のワンパターン思考も変わるはずだ。それこそが成熟社会の始まりだと思う。
 10月の新刊『イギリス式 年収200万円でゆたかに暮らす』(講談社刊)のゲラを読みつつ、70代老齢のバックパッカーを思い出した。
 この夏、ボスニアですれ違ったたくましいおじいちゃんとおばあちゃん。ボロボロの「ロンリープラネット」(英語版地球の歩き方)を手に、アドリア海の蚊が飛び交う民宿を転々としているとか。彼らを貧乏と呼ぶ人はいまい。バックベルトがすり切れた年季の入ったホーキンスのサンダル。カッコ良くて、夢があって、見とれてしまった。


民主党の鳩山由紀夫氏と私の番組
『ウエスト・エンド・トーク』にて。





連載エッセイ「大丈夫!」と言ってくれ 


貧乏を愉しむ減収時代がやってきた

 のっけから気の重い話だが、4〜6月期の国内総生産(GDP)がマイナス成長と発表された。政府は8月の月例経済報告で、景気が後退局面に入ったことを事実上認め、「いざなぎ景気」を抜く戦後最長の景気拡大は、すでに途切れたという。
 景気の拡大により生産力が追いつかなくなると、その予兆として賃金の上昇が始まり、家計がうるおってくる。だが、誰もそれを実感できないまま、不景気になるというのだ。正直、良くなっても悪くなってもピンとこない。けれど、これが一番危険で不気味なことだ。

 そもそも、行き過ぎた不況や景気の過熱は、時間をかければいつか正常な水準に回帰するもの。だが、今回は国の調整するスピードがあまりにも遅かったために、好況に到達するまでに時間がかかったらしい。
 その原因が、国内のデフレだというからフクザツだ。安さバンザイ! 100円ショップユニクロも大好きな日本人はどうすればいいのだ。

 そうして原油や食料品など主に輸入品の価格が高騰し、経営のつじつまを合わせるために、企業は人件費を削るだけ削る。正社員の賃金は下げにくい上、解雇も簡単にできない。その結果、新規採用を絞り、アルバイトや派遣を雇ってコストを下げようとする。
 「それがなぜ悪いのだ!」
と、吉祥寺のある飲み屋で息巻くオヤジらがいた。どうも東京・城西地区の工場主のようだった。
 経費対策をするのは企業の常。原価が上がれば人件費を削り、つじつまを合わせようとする経営者の気持ちも痛いほど分かる。
 企業への規制をいくら強めても、問題は解決しないというが、またもや民間にツケを押しつけるつもりかと政治に腹が立つ。雇用を促進して、賃金未払いの末、自分たちがひっくり返っては元も子もない。経営陣も崖っぷち。みんな生き抜くために必死なのだ。

 しかも、こんなことが続けば、ビンボー予備軍が若い世代から続々と生まれるだけ。
モノは売れず、国内の業務はさらに縮小され、職そのものもなくなってしまうだけだ。
 こうなれば、嫌われがちなインフレを見直すしかない。国内で作られる製品の価格上昇は、経済の調整を加速し、雇用を回復させる。
 メイド・イン・ジャパンこそ残された私たちの命綱なのだ。
 たとえば、私は日本のものなら、デ・プレ(トゥモローランド)の服が大好きだ。
同社の服をひっくり返してラベルを見ると、日本製と書いてあるものが圧倒的。
 アパレル業界に籍を置いたことのない私は、日本製の服がどこでどんなふうに作られているかは分からない。ただ縫製の良さ、パターンの美しさに加えて、この服の後ろにあまたの日本人の手が加わり、同胞が働いているのだと思えば、自国投資という意味でも愛着がわいてくる。

 消費だけではない。
 余暇も燃油サーチャージの影響を受け、国内旅行に人気が集まっている。
 私は従来リゾートという作りものの箱は苦手な方。特に、日本各地のテーマパークやリゾートは、一部を除いて今一つ風格に欠けて感動できない。それよりビニール袋にタオルとTシャツを入れて、徒歩やバスで行ける近くの海や川で泳いで楽しむ方がいい。法外な入場料も取られず、うんざりする人混みもない、その辺にある水辺。神奈川県津久井の川や、木曽の山奥を流れるコバルトブルーの清流は、プライベートリバーで、大好き。
 今回のハムステッド・ヒース特集では、Tシャツにレギンス姿の私が池で泳ぐシーンが掲載されているが、あれも本当に素晴らしかった。

 昭和30年代、子どもだった私は、つぎはぎの服を着て、口やかましい近所のおじさんや親戚の目をかいくぐるように、そこら中を走り回って遊んでいた。
 教会の聖堂、寺の境内、商店の軒先、眼鏡橋の下に流れる川など。
 近所で遊ぶあの感覚をイギリスの同世代の大人たちが持ち続けていることを知るにつけ、やっぱりこの線でいいのだと胸をなでおろす。
 「ロハス」「エコ」「シンプルライフ」という言葉もなかった昭和のあの頃。自然に根ざした自給自足(自休自則)は、当たり前のものとして日本人に活力と楽しさをもたらせていた。
 ただ、あの頃に戻ればいいだけだ。お金や贅沢と無縁だったあの頃に。
 政府の体たらくに失望するたびに、自分が貧しい時代に育ったことを、ある種のスキルのように感じるのは私だけか。

 大切にしよう。
 物価がグングン上がろうとも、貧(子ども時代)―富(バブル期)―中(今)―そして貧(老後)となっても失われることのない財産が、私にはある。
 たとえば、身に付いた英語で喋る楽しみ、書く楽しみはこの先もなくなることはない。
 日本が窮屈と思えば、パスポートを持って気心の知れた人たちと大好きなイギリスへ、そして世界へ出かけて行って、小さな冒険を楽しむ。昔と違って世界はますます狭く、ボーダレスになっている。九州や北海道に出かける感覚で、どこにでも行けるではないか。
 ちなみに、中国国際航空など、お盆ピーク初日に成田発でヨーロッパまで9万円だった。空席もパラパラ。航空業界こそブランドイメージに左右されるのか。
 後半人生は、やわらかなTシャツと軽いコート、パンツ、そして履きやすくて軽量の靴があればそれで充分。
 工夫で楽しい時間をつむいだ子どもの頃を思い返せば、食事も、オシャレも、今あるもので、この先は存分に楽しめる。

 けれど、結局、行きつくところは自分自身かもしれない。
 そう、景気拡大より確実に豊かになる道は自分の中にある。働き方も、いくつまで仕事をするかも人それぞれだ。
 それでいい。それがいい。みんながそれぞれの歩調で好きな方向へ進めば、軍隊の行進のような日本人のワンパターン思考も変わるはずだ。それこそが成熟社会の始まりだと思う。
 10月の新刊『イギリス式 年収200万円でゆたかにくらす』(講談社刊)のゲラを読みつつ、70代老齢のバックパッカーを思い出した。
 この夏、ボスニアですれ違ったたくましいおじいちゃんとおばあちゃん。ボロボロの「ロンリープラネット」(英語版地球の歩き方)を手に、アドリア海の蚊が飛び交う民宿を転々としているとか。彼らを貧乏と呼ぶ人はいまい。バックベルトがすり切れた年季の入ったホーキンスのサンダル。カッコ良くて、夢があって、見とれてしまった。


ヨーロッパの高齢者のエレガンスは
本当にお金がかかっていないと思います。ナショナルトラストのガーデンにて。




連載エッセイ「大丈夫!」と言ってくれ 番外編


カメラと20周年と井形慶子

カメラ編

「あれ、あれいいわね〜」
「ちょっと! ボサッとしてないで撮って撮って撮って!」
「ほらもう行くわよ、走って走って走って!」

 ドタバタガチャガチャ、編集長・井形慶子がイングランドに現れたなら要注意。大きなカメラを携えた数人のスタッフたちと、台風みたいに街を闊歩する。

 「Hello, how are you?」なんて声にうっかり笑顔を見せたら最後、後ろからバシャバシャと複数のカメラのシャッターが切られ、次の瞬間には忽然といなくなる。現地の人々の生の生活風景を直接写真に収めるため、街の取材の多くは突撃取材。端から見ると本当にアヤシい集団だ。だからこそ、「なんだこいつら」と思われる前にシャッターを切るわけで、撮り終わるとやっぱり「なんだこいつら」と思われるのである。

 私がそんなシャッター・スコールの一団に混ざる羽目になったのは、2007年の初夏、ナショナル・トラストのクルーズに参加してからのこと。それから、今年はコッツウォルズ、ウェールズ、グラストンベリーの取材に同行した。

 海外取材というのは、現地の人々との出会いの場はもちろん、編集長との「出会いの場」でもある。前述を読めばお分かりのように、彼女は極度のせっかち症で、頭がコロコロと切り替わる上に、あちこちせわしなく動き回る。雑貨屋の撮影をしている間にチャリティーショップに消える、取材先へ向かう途中の街のマーケット取材を突然始める、そして、そこで特集を企画するなど、次々と「読めない」行動を繰り広げる彼女と歩くことは、彼女が「新しさ」に出会う瞬間に立ち会うことでもあり、そして、その瞬間の彼女を「被写体」にすることでもある。そこでの悩み事は、せわしなく動き回る彼女の表情と特集ネタをバシッと一発で捉えることだ。

 正直に言うと、現地の人を撮るよりも、彼女の決まった表情を撮るほうが難しかったりするのである。身体は止まっていても、せわしなく周囲を見渡したり、何かしらぶつぶつしゃべったりするので、カメラ目線の絵を撮るのは至難の業だ。とにかく、「止まらない」のが彼女なのだ。

 グラストンベリーでは、レイキヒーリングに尻込みするスタッフを尻目に、率先して「イヤーキャンドリング」に挑戦し、ハムステッドの宿で耳にした泳げる池に、ザプンといきなり飛び込んだりする。私たちはその都度、彼女の視点を共有し、彼女の目とシンクロし、彼女と同じレンズを日本に持ち帰り、『ミスター・パートナー』の制作に取りかかるのである。

(のむら・ひかる)

20周年編

 とうとう今月号で『ミスター・パートナー』創刊20周年を迎えた。20年前の私は7歳、何も考えずただひたすら遊びに没頭していた、そんな中創刊された雑誌だ。青年から大人へ、きっと編集長はそんな親心でこの記念すべき号を見ているのだろう。

 28歳で『ミスター・パートナー』を立ち上げた編集長、よくよく考えてみれば、今の私の年齢ぐらいでこの出版社を起業したことになる。果たして、今の私にはそんなことが可能なのか。はっきりいって、現時点では無理だろう。某有名出版社ですら潰れるこのご時世、いかに経営が難しいか編集長を見ていればわかる。

 社長の顔のときの彼女は、常に社員に目を向け、一人ひとりの行動を見ている。社員のなかに具合悪そうな人がいれば、誰よりも早く気づく。その対応は時として、救急車を呼ぶなどギョッとすることもあるが結果的にはいい方向へ向っている。とてつもなく忙しいのに、一体いつ社員を見ているのか。まるで隠しカメラで一人ひとり見ているようだ。まぁ、隠しカメラなんかないのだが。
 そして、業績が悪いとその姿も一変する。普段は温厚だが、そのときばかりは鬼になる。その怒鳴り散らす姿を見ていると、本当に会社の経営は難しいのだなぁ、と思う。そうやって私たちの生活を支えているのもまた事実。彼女なくして私の生活もない。

 私がいうのもなんだが、編集長を一言で表すなら「子供」だと思う。感情を内に込めず、素直に表に出す。そのありあまるエネルギーを取材、執筆、経営とすべてにぶつける。そして、何にでも興味を持つ探究心。

 つい先日、昭和の古くさい白黒DVD(まぼろし探偵/昭和34年スタートした特撮テレビ番組)を全巻買ってきて「これ、面白い特集になるわよ」と。ストーリーは、まぼろし探偵(赤い帽子に黒いマスク、黄色いマフラーの少年探偵)が難事件を解決していく。始めはさっぱり編集長の言っている「面白い」ということが分からなかったが、DVDを見てみると、確かに特集を組んだらアフレコ的作りがウケそうなのだ。そもそも、あのDVDのどこからそんな事を思いついたのだろう。
「特集になるわよ」そう語る編集長の目は、いつもまるで少女のように輝いている。きっと編集長は仕事という一つのツールを使い、遊んでいるのだろう。また、そのスタンスが読者の心を間違いなく捉えている。

 やはり、仕事も楽しめなければ何も意味がないと私は思う。人生、やはりすべてを楽しまなければ。『ミスター・パートナー』も成人を迎えたけれど、ただの大人にならず、子供心を忘れない、そんな雑誌であってほしいと思う。

(くまがい・よしのぶ)

井形慶子編

 多様な仕事を、彼女独自のスタイルで軽やかに、というか周りの人々&社員を巻き込み困惑させながら突き進む。というスタイルが勇ましい井形慶子編集長ではあるが、ふと見れば、何か書いている。
 ネット時代が到来し、猫も杓子もパソコンのご時世に、彼女は原稿用紙にペンを握り、渾身の一筆を書き連ねていくアナログ派なのだ。私は、他の作家先生の執筆風景を知らないが、編集長は毎日会社にきちんと出勤し、時には社長室で一人静かに執筆し、時には社員と同じフロアで執筆するのだが、弊社はとにかく喧騒な会社であり、狭い社内には営業と編集と経理と販売と……。とにかく、全員が集まり、各々声の限りわーわーわーわーと業務をこなすのである。

 編集長の机の周りでは営業チームが走り回り、締め日ともなると、わーわーがやがやドタドタ運動会状態の社内なのだが、ふと、編集長を見ると、そんな砂ぼこり吹き荒れる喧々諤々な社内でも、一人黙々と執筆に励んでいて、その集中力には感服させられる。

 そんな、タフな集中力の持ち主である彼女の小道具の一つが持ち運び可能なCDプレーヤーなのだが、執筆時にはかならず彼女のCDプレーヤーから同じ曲が延々リピートされる。聞けば
「ひとつのテーマについて書いている時は、同じ曲を聴いてないと駄目なのよ」
とのこと。大抵が、ヒーリング音楽の様な当たり障りないものなのだが、延々朝から晩まで同じ曲をリピートされると正直キツい。

 荒川静香選手トリノのエキシビションで使用してからというもの、編集長の音楽ストックの中に『you raise me up』(ユーレイズミーアップ)が追加された。先日も、一日中編集長のスピーカーからは『you raise me up』がエンドレスで流れていた、編集長がその事も忘れ、社長室に戻っていってしまうと、感動的且つ情熱的な男性オペラ歌手の「ユーレイズミーアーップ〜!」という絶叫と、営業チームのわーわーといった声が混ざり合いなんともシュールなグルーブを生み出す。

 編集部の人間は、もういい加減一日中強制的に聴かされた『you raise me up』に心底うんざりしているので、スピーカーをオフにしたいが、編集長が戻って来るかもしれないと思うとそれもできない。結局、諦めてテープ起こしを始める者や、別の場所に移動し作業する者など逃げの姿勢に走る者が目立つ。なんとかその場で踏ん張って業務を行っていた私も、段々『you raise me up』の曲に脳内が麻痺し、一日中必死こいて歌うオペラ歌手の陶酔の表情と、般若の様な顔つきで数字を追う営業マンの顔が重なり合い、一人妙におかしくなり、ヘラヘラと薄ら笑いを浮かべる始末だ。

(てづか・まゆみ)


2度目の英国取材。ブリストル郊外にて。井形撮影