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連載エッセイ「大丈夫!」と言ってくれ 


「日本人の背中」に込めた思い

就活への疑問

  先日、新聞の社説を読むうち、首をかしげ、次第に腹が立ってきた。
 その内容は、「就職が決まらない。この言葉が明けても暮れても心の中に住みついて離れない」「内定が取れないと、学内でも負け組扱い。就職するために大学に入ったんじゃない」という若者の悲鳴が、毎週のように寄せられるというもの。
 就活という長距離レースに、大学教育が大きく浸食されているというのだ。
 企業は採用を絞り込み、勝ち組争いは激烈になる一方で、今春の大卒者のうち、進学も就職もしなかった人は8万7千人、前年の28%増といい、卒業時の就職の機会を逃すと、正社員への道はぐんと狭まると憂う。
 人物や即戦力といったあいまいな基準で落とされ、何十通もの断りのメールで若者は自信を失い、将来に影を落とすという。
 これに対し、菅政権が先月、「新卒者雇用・特命チーム」を立ち上げた。大卒後3年以内の若者を企業が採用すれば奨励金を出し、未就職者へのセーフティーネットも拡充するというもの。
 約4割の学生が、将来の就職に関連し「授業経験は役立っていない」と答えたそうだ。

 だが、日本には本当に仕事が、就職先がないのだろうか。
 22年にわたって出版社を経営してきた拙い経験から見ても、大卒の学生は働くという気構えが脆弱だ。「挨拶」「礼儀」「社会常識」に著しく欠き、自意識ばかり大きくなっている感がある。
 社員50人以内の経営者と話せば、大卒より、どこかで基本を叩き込まれた中途採用が一番楽だ、30代半ばで家庭があれば働く動機も明解で、仕事に没頭してくれるという。

 新卒は注意しづらい、我が強い、一兵卒として学ぶとはいうものの、泥仕合に弱く、困難にぶつかると、もたない。挙げ句、「自分のやりたかったことは別にある」「嫌になれば他がある」と、あっさり方向転換し、職を変える。
 同じ大卒でも就活で他社を落ちまくり、どん底の苦渋を舐めた人なら構えも違う。やっと仕事にありつけたという喜びと、もう二度とあんな思いはしたくないという危機感がある。たまたま、何かが欠如して何度受けてもうまくいかなかった若者を歓迎する冷静な見方も、企業に根強いのは確かだ。
 新卒の就活といえば、大手・有名企業への偏りはぬぐえず、人手不足の99.2%を占める中小・零細企業では、募集を出しても人材が集まらず、働き手が見つからないのも一因だろう。
 公務員人気は不景気な時代だからこそ高止まりのままだが、そもそも就職するとは、働いて賃金を得る行為だ。人も羨むわずか0.8%の大手・有名企業や人気職に就いて自己実現を果たすことに価値があるのではない。

 人手不足の工場が、何度募集しても日本の若者が集まらないから(もしくは、ばっくれるから)、熱心に働く外国人を雇用したという類の話もよく報道される。
 アジアから来た若者の、仕事に取り組む真摯な姿勢には胸を打たれる。「技術を自国に持ち帰る」「家族に仕送りをする」など、来日した理由は様々だが、途中で物も言わず職場を立ち去るフリーターや就職難民の甘さはない。
 日本の競争力が国際社会で問われている今でも、働くことを稼ぐことと位置付けない、若者の甘さにはうんざりさせられる。十人十色、人生で追うべき夢はあるだろうが、家賃やローンを支払い、食べて、家族を養う、あるいは夢に向かってお金を備蓄する。その繰り返しの日々にキャリアや判断力や管理力は養われていく。
 そんな働くことの深さは、短期間のインターンシップなどで見えるはずもない。

中国は伸び盛り?

  この夏、イギリスのあちこちに中国人集団がいきなり増えたことに驚いたが、語学学校の現場でも中国人の勤勉さに日本人学生は圧倒されていると聞く。寝食を惜しむように、何が何でも英語をものにするという姿勢は、やることが見つかるまで、とりあえず海外で、という遊学とは異なる。
 この気迫の差は一体どこからくるのかを考えるより、友だちが見つからないからせっかく入った大学を辞めるなど、ここにきて露呈した日本の大学生の質の変化を、関係者はぜひ再考してほしい。
 しかも、就活の勝ち負けは、日本国内の競争だ。
 さらに枠を広げ、世界の若者と同じ土俵に立った時、未来の日本人の何割が世界と渡り合っていけるのか。
 韓国、中国はおろか、インド、ロシアなど、新興国で熾烈な戦いをくぐり抜けた若者たちと比べて。

 何が何でも仕事を見つけ、稼ぎたいという若者であれば、不況にさらされた今、小さな企業は諸手を挙げるはずだ。ただし、躾のイロハを教えている余裕はない。勤労意欲を高める手助けや、働く意義を説く時間も惜しい。
 偏差値で評価を得ても、実社会で抜擢させる人材とは稼げる人だ。向上心やユーモアのセンスなど荒削りでも、人としてのバランスも欠かせない。
 そういう点では、今の教育や大学のあり方は現実社会にリンクしていない。血税を投入してセーフティーネットを作るというが、大人が寄ってたかって働く意味を曖昧にしてはいないか。もう一度、検証する必要がある。

吉祥寺の駅ビル開発と
消えたかけ声

 こんなことがあった。9月21日敬老の日に、新装オープンした吉祥寺の駅ビル「アトレ吉祥寺」を見に行った。ものすごい人出をかき分けるように、目指したのは私のみならず、武蔵野市民が待ちこがれていた生鮮3店。八百屋、肉屋、魚屋が本当に戻ってきたのかどうか、この目で確かめるまでは生きた心地がしなかった。
 非常にローカルな話で恐縮だが、吉祥寺が住みたい街ナンバーワンの地位を堅持してきた背景には、ますます画一化してきた駅ビルの中に古さとダサさを残し、昭和の市場文化を垣間見せてくれた生鮮店が超一等地でスーパーに押されることなく、盛況を極める姿にあった。
 昨年、伊勢丹が幕を閉じ、ユザワヤが縮小され、丸井が田舎の商業ビルと化した際、駅ビルの経営陣は何を思ったか、改装の際、この生鮮3店を葬り去ろうとした。が、文士魂に溢れた市民は、これに猛反発し、抗議の電話が殺到。「市場を返せ、『ロンロン』を返せ」と、駅ビル「ロンロン」閉店前はその抗議が過熱し、関係者は対応にてんやわんやだったと聞いた。
 たかが生鮮店と思われるだろうが、この中の八百屋には、朝から晩まで棚にせっせと野菜を並べ、「いらっしゃいませー、いらっしゃい」と、少し哀愁を帯びた震えるかけ声を発しながら、働き続けるおじさんがいた。雨の日も雪の日も、猛暑の中でも、この働きぶりは微動だに変わることはなかった。吉祥寺で打ち合わせやインタビューを行った後、疲れ果てた脳みそに、声高なかけ声はしっかり届いた。淋しくなって街を歩けば、吸い寄せられるように、市場に向かった。
「いらっしゃいませー、いらっしゃい、いらっしゃいませー、いらっしゃい」
 その声に昨日まであったものが今日もある、誰が見るでもないのに、真面目に働く人がいると、自分も頑張ろうと思えた。
 一日中声を張り上げて疲れないのか。いや、働くとはこういうことだ。
 驚くことに同じ思いを抱いていた人が山のようにいたらしく、閉店の知らせに市民の怒りは治まらず、アトレ側では改札口に小さいながらも生鮮3店の仮設店を設けた。喜び勇んで、おじさんはいるのだろうかと仮設店を訪ねてみると、「おたくで5人目です。今日もお客様の問い合わせが途絶えない」と、販売員が苦笑した。おじさんは他店に回ったそうだ。
 彼はいつ戻ってくるのか、誰もが気が気でない。
 この人は社会的地位もなく、ただ、声を張り上げ、野菜を売っていただけだ。けれど、多くの人はその姿に打たれ、励まされていた。新卒の就活と対照的な話である。おそらく私も含めみんなは、おじさんの背中しか見ていなかった。

 文庫になった「日本人の背中」には、欧米人の目に映る日本人の姿をいくつも書いた。書きながらおじさんの背中を想った。国際競争力とは聞こえがいいが、特別なサービスもせず、野菜を売ってこれだけ人の心を動かせる人は、世界のどんな市場でも必ず認められるはずだ。

 

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連載エッセイ「大丈夫!」と言ってくれ 


ロンドンに行けば

8月某日

 父と甥っ子らと過ごした楽しくも、あわただしい夏が過ぎた。今日からロンドン。成田行きのバスで爆睡する。
 空港のロイヤルホストで父と母に手紙を書く。取材に同行するTは頭痛薬を買いに。私はひたすら書く。
 成田の時間は大好きだ。Tがユニクロの長袖シャツを買ってくる。ロンドンは寒いとか。
 それにしてもお盆で人の多いこと。新品の靴とポシェット斜めがけの人たちは、皆どこに行くのかといつも思う。

 飛行機の12時間はあっという間。気が付けばサンクトペテルブルク上空。昔はひどく疲れてイヤだったのに、今は何もせず、読書(文庫2冊)&食事(再び質が下がる)&睡眠がとれる有り難さ。
 ヒースローでキャブの出迎え。なぜタクシーよりキャブは安いのかと毎回不思議。
 ドライバーのケータイに妻から早く帰れ、ゴールダーズ・グリーンでスイカを買ってこいと何度もTELがあり、そのたびにため息。何と一日に10回とか! でも知的な人だった。こういう職種の人が知的というのはひどくホッとする。
 6月以来のロンドン
 隠れ家のテーブルには花束とフルーツボックスが。嬉しい。NW3のドンからだ。ミモザとオレンジのバラのブーケは本当にきれい。細長い花瓶に合わないことが残念だが、キッチンで生ける。

8月某日

 久々の夕食を坂道レストランでスパゲッティにする。
 それにしても、イギリスのレストランは人々のささやくような声と食器のカチャカチャ響く音のみ。個人経営の小さなレストランは静かな所が多くてホッとする。
 日本でレストラン、カフェ、喫茶店に入るたび、何度、耳が悪いので音を下げてくださいと頼んだことか。うるさい音楽だと、人はそれに負けない大声で喋る。それが仕事の後となれば拷問のよう。やかましい音楽が客サービスのつもりなのかと腹が立つ。
 こんな私は、爆音のようなロックと人でもみくちゃの荒くれパブなど近寄ることもできない。

8月某日

 夜中3時に起きた。時差ボケだ。夜明けまでとっておきの読書。
 今朝はNW3のドン、Mr.アルカポーネのところに行く。なぜこの人は、私たちに時間を提供してくれるのか。
 尊敬の眼差しで仕事の話を聞く。話は面白く、秘書嬢を交え1時間ほど話す。ドンの会社に行く時は緊張するが、彼らがいなくなることは考えられない。
 その後、書類手続きで役所に出向く。新任黒人男性の怖いこと。書類の書き方、英語の説明が不明だったが、 Tは理解できたという。
 すごいなぁ。彼は英語を勉強中。いつかイギリスに住みたいと、おそろしくマジで語る。昼は学校、夜は国際電話で日本に営業し、会社は辞めないと。

 ボンドストリート駅で降りると、にわか雨。Tは本屋さん2軒へ挨拶回り。ロンドンでも大阪でもやる事は同じ。パリの店舗もマネージメントするJPブックスタツザト氏と販売戦略、その他を話したTと喜びを分かつ。
 その後セルフリッジ、M&S(マークス&スペンサー)で家庭用品物色。人混みと排気ガスでクラクラ。セールも終わり、大した収穫なし。
 夜、Tがテスコから玉ネギを買ってきて、恒例の「辛ラーメン」玉ネギ入りを食べる。部屋には皆で買い貯めた「辛ラーメン」のストックが山ほどある。
 2日目も資料も読めず爆睡。
 明日、ドンに時間をとってもらうためには、原稿を再読しなければ。が、椅子に座っただけで居眠り状態。翌朝6時起きすることに。
 東京での疲労が一気に吹き出して、泥のように眠る。再び3時に目が覚めて、フリーマガジンを読み、原稿書く。時差ボケ。

8月某日

 インタビュー2回目。秘書嬢からは10時か12時でと言われたが、10時はムリで、12時目指すも、ドンに1時半にしてと言われホッとする。何とか質問をまとめ、1時間仮眠。その後、Tと時間まで撮影。
 この日は週末だったが、ドンは土曜日も日曜日も一人、オフィスに出ているらしい。会社のトップが人一倍働き者で、人一倍向上心に溢れている。
 駅前が工事のため、バス運休。タクシーで向かう。ドンは新聞の切り抜きをたくさんくれた。
 約1時間、話したのち、焼きたてクロワッサンをあげると「気を遣わないで」と困り顔をされ、「これ持って行け」と、上等なシャンパンをもらった。クロワッサンVS高級シャンパン
 Tがお腹空いたとしつこいので、「Gコテージ」でダック・オン・ザ・ライスとブロッコリーのオイスターソース炒め、コーンスープを1つずつ、2人でシェア。ドンの好物を私たちも大好きになった。

8月某日

 ハイゲイトビレッジへ。丘の上の村は、画家Pに会って以来、憧れだった。
 またも、にわか雨。街はどこかの片田舎のようで、通りの向こうに大ロンドンが見渡せる。
 小さな商店街。walterという雑貨店の店主が店番そっちのけで幼い娘と本気で遊んでいた。売ってる物がとても少ないのに、ほとんどセール価格。
 NESSの長靴を10ポンドで買う! 紺色ベース、ピンクのチェックのデザイン。足にぴったりの1足のみが売ってある。今日のピクニックコンサートはこれで行こう。
 子どもの頃の日曜日を思い出す。切なく、淋しい風景。マルクスの墓があるハイゲイト。ここのビレッジは人里離れてる感が強い。なぜだろうと考える。

 さて、ケンウッドピクニックコンサートは入口にも警備員がたくさん。皆、ハンパーバスケットやブランケットを持って、会場へそぞろ歩いている。長靴、ブーツを履いてる人も多し。雨上がりで道がぬかるみ、NESSの長靴が大活躍。
 写真で何度も見ていた初めてのケンウッドハウスに感激する。(「ノッティングヒルの恋人」でもお馴染みの白亜の建物です)
 なだらかな丘陵を下りたところに屋外ステージあり。背後は湖。それを取り囲む大勢の人々。夏を楽しむイギリス人の情熱が燃えたぎっている。
 Tは場内を練り歩き、皆のピクニックディナーを撮影。
 雨は上がり、ヒースを抜ける風は水のようにひんやりとしている。
 たくさんの仮設トイレにはトイレットペーパーもあり。そのきれいなことに驚く。ゴミ箱もたくさん設置されている。日本の公園と違う、設備の充実。
 高そうな服を着た、ロンドンの金持ちがやってきても耐えうる野外コンサートはこうでなければ。基本的設備やイベントの力の違いは、人生を楽しみつくす能力の差だ。
 いわば、遊び上手な人と遊ぶことに興味のない人では、「何かせよ」となっても、発想そのものが違うのではないか。あるいは、屋外を楽しむ西洋人のDNAか。
 公園を中心にした四季折々の風物詩的イベント。そこに絡むアーティストの収益、そして捻出されるケンウッドなど文化財の維持費。みんな一つの輪になって、幸せなお金が社会でクルクル循環している。

 終了前に会場を出る。ヒースを抜けて帰ろうと提案するが、真っ暗で迷うと、警備員にも反対される。結局、バスでゴールダーズ・グリーンに出て、そこからタクシー。
 疲労困憊。夕食をあきらめ、早朝撮影に備え休む。12時。

8月某日

 最終日。マーケット開店前にカムデンに行き、ヘンプの専門店撮影。セールで5ポンドの服は中国製だった。オーガニックコットン、本当かなと改めて商品を見る。
 チョークファーム駅に抜けようとステイブルズ・マーケットを歩くと中国人につかまり、4ポンドの中華詰め合わせランチ食べることに。
 カムデンの日曜日、皆の表情は楽し気。いつか甥を連れてきたいと思った。こんな美しい夏の日を親にも見せたかった。
 その後、通風で足が痛むTを励まし地下鉄で隠れ家に戻る。あわてて部屋の片付けをしつつ、せめて掃除機をかけたかったと後悔する。
 ロンドンでの夏が終わる。

 帰路ヒースローでTAXリファウンド(免税)の手続きをしようとしたら、長蛇の列が建物の外にまで続いていた。中国人の団体だ。2時間くらいかかりそう。これではTAX FREEの意味がない。
 ロンドンのいたるところで、中国人のツアーグループが出没した。中国マネーに物を言わせ、アラブのドラ息子のようにセルフリッジでスーパーブランドの時計やバッグを何個も買っていた。すごい光景だ。ところが、彼らは手続きに慣れていない。係員は声を枯らし、「住所は番地まで書いて! 今朝から何人の中国人に教えたと思うの!」と髪をふり乱していた。チェックインして、免税店内で手続きするも、現金受け取りに並ぶ。またも中国人の団体。
 ヒースローの入国審査と免税手続きはいつも疑問。係官をなぜ増やさないのか。五輪に向けて増やすのか。
 サービス改善はイギリスの大きな課題だ。
 飛行機に乗るとどっと眠くなった。今やロンドンは大阪くらいの距離感。それが嬉しい。

イギリスにて
現在新作執筆中。ロンドンのお話です。(ケンウッドハウス)



連載エッセイ「大丈夫!」と言ってくれ 


夏の忘れられないおもてない

○ サンドイッチのごちそう

 好きでもないし、嫌いでもない。もともとあまり興味がないのがサンドイッチです。イギリスにいるとおにぎりは無性に食べたくなるのですが、たとえばティータイムに登場するきゅうりのサンドイッチを「食べたい!」とは思わないのです。せわしないイギリス取材中、電車に飛び乗る時、仕方なく買うのが高くてまずい売店のサンドイッチ。その印象がこびりついたせいでしょうか。

 ヨークシャー、デント村に暮らすミドルエイジのニッター、ソフィーさんを訪ねた折のこと。
「お昼はサンドイッチを用意していますから」
と事前に連絡をいただき、恐縮したものの、正直、村のパブでのランチも捨て難いと思ったものです。
 紅茶を味わうアフタヌーンティーなら、取材を兼ねてあちこちでいただいてますし。
 ところが、彼女がランチの場にと設定したのはかつての村の教会。それも小川をのぞむ裏庭でした。ふかふかの芝生に小鳥のさえずりが響きわたる、それは美しい場所でした。学生時代に夢中になったトレイシー・ハイドとマーク・レスターの「小さな恋のメロディ」で、2人が最初にデートする墓地を思い出しました。てっきり自宅に招かれると思っていた私は、何と粋な計らいだろうと嬉しくなりました。

 まもなく、大きなトレイをしずしずと運ぶ10代の息子さんが現れました。大皿にはソフィーさんの作った、玉子とクレソン、ハムとタマネギのピクルスにチェダーチーズを挟んだ2種類のサンドイッチと野菜チップスが乗っています。
 白い器には、山盛りの摘み立てベリーがこんもりと盛られているのです。ルビー色のみずみずしい果実に見とれてしまいました。
 息子さんの後ろにはソフィーさんのご主人が、陽の光にキラキラ光るエルダーフラワー水の入ったガラスの水差しとグラスを、ぶつ切りしたレモンと共に、藤製のかごに入れて差し出してくれました。
 2人で丘の上の自宅からゆっくり、ゆっくり歩いて運んできたのでしょう。ソフィーさんはベンチにトレイを置くと、
「さあ、食べたいものを好きなだけ小皿に取って」
と薦めます。あとはめいめいの好きな場所に腰掛けていただけばいいのです。
 高台に立つ教会の裏庭からは、ヨークシャーの山並みが眺められ、そよぐ風は草木のいい香りに満ちています。何とリラックスできるおもてなしだろうと感心しました。

 気になるサンドイッチの味は、私も含めたスタッフが我先に手を伸ばしたほど。ミミが固めの白パンに、マーガリンをたっぷり塗るのがミソのようです。
 摘み立てのクレソンは、マヨネーズで和えた玉子とよく合うし、オニオンピクルスの酸味がハムの旨味を引き立てていました。紅茶ではなく、キリッと冷えたエルダーフラワー水をゴクゴク飲むと、食欲は増すばかり。イギリスの具だくさんサンドイッチは、日本のおにぎりに匹敵するんだと、今更ながら気付いたのです。
 中座したご主人が、「僕のサンドイッチは」と戻ってきた時には、野菜チップスとベリーが少々残っているだけ。客人の私達の横でソフィーさんも息子さんと話をしながら頬ばっていましたから。
 ご主人の落胆したような顔に申し訳ないと思いつつも、こんな美味しいサンドイッチを生まれて初めて味わったと、すっかり満たされてしまいました。

 感動したことはもう1つ。食べ終わった食器をどうするのだろうと思っていたら、彼女は教会の中にある小さなキッチンに運び込みました。大皿、小皿、グラスなどここできれいに洗った後、歩いて5分程の自宅に持ち帰るのです。家の近所にこんな場所があったなら、誰が何人やってこようと片づけ、大掃除など気にせず、人をもてなすことができます。
 家でもなく、カフェやレストランでもない建物。趣があり、自然も楽しめるような。
 日本でこれに匹敵する場所を考えてみたのですが、教会もお寺も好きに出入りすることはできません。まさか、鉄筋コンクリートのコミュニティセンターや自治体の集会場でおもてなしもないでしょう。

 実はこの教会、一人の女性とデント村の人々の努力によって、老朽化した無人チャペルを買い取って、長い年月とひとかどの費用をかけて、皆が瞑想したり、集まったりできる場に再生されました。
 人里離れた集落だから成り立つ話でしょうか。もし、ロンドンやリーズといった都市部なら、バックパッカーかスクウォッターの巣窟になっていたかもしれません。
 管理しているのは、ロンドン出身のミドルエイジの女性です。瞑想の先生でもある彼女が、この美しい村に流れ着いて、なし得たことが、この教会を蘇らせることだったのです。
 ソフィーさんと彼女を見ていると、歳を重ねた女性が持つ大らかな生き方に共感するのです。自分のやりたいことを極めるのはもちろんのこと、料理や人付き合いなど、気負わない工夫が彩る暮らし。
 それは知恵と呼ぶには重すぎる、もっと日常的なもの。歳とともに出来上がる自分の顔のようなものでしょうか。
 こんな出来事をたくさん積み上げられる人生は、何と素晴らしいものか。すっかり好物になった玉子とハムのサンドイッチを作るたび思い出すのです。

○ 民主党に思う

 どっちもどっちという選択肢は、どちらに決めても罪悪感と後悔が残ります。選ばない道もあるけれど、放棄するのはもっと後味が悪い。こういう時は初心に帰ることにしています。
 まず、民主党を選んだ時に、日本がこれで良くなると、本気で皆が信じたのでしょうか。山あり谷ありかも知れないが、もう1つの道も必要だと、育て、見守る責任を感じた人などいなかったのでしょうか。
 結論を出すのが早すぎる。これではどんな組織も育たない。攻撃よりどうすればいいか考えて。かねがね、中間管理職に言っている言葉を政治の世界に重ねてみます。
 NHKスペシャルで小沢一郎をキーマンにして、政権交代を伝えていたのは、つい、この前のこと。皆が新しい時代に期待を寄せていた頃の一端です。
 性急さ、マスコミのこき降ろしに煽られ、どこに行っていいかわからない人達が右往左往する。自信が持てず悲観的になる。
 欧州から日本はそんな社会に見えるそうです。だから新しいものが生まれない。アグレッシブな中国に先を越されてしまうと。
 動かすこと以上に育てることは力が要ります。アスリートも俳優も政治家も、本気で見る人達がいてこそ、本物に育っていくと思うのです。

○ 毎朝5時に目が覚めて

 娘と2人、レディースクリニックに通い始めて2年が経ちます。まだ更年期障害を経験していない私は、定期的にホルモンバランスのチェックを受けています。友人、知人の中には、更年期障害から「滝のような発汗」「軽い鬱」「不眠症」を経験し、本当に辛いのよと、聞かされ、内心自分にいつそんな症状が起きるのか、不安もありました。
 この1ヶ月、毎朝5時前後に目が覚めるので、いよいよ来たかと覚悟を決めました。いったん起きると、ふたたび寝入ることはできません。そんな時は、無理に寝ようとせず、10年日記を枕元から取り出し、鳥のさえずりを聞きながら昨日の出来事を数行書くのです。または、ニュースをつけてBGM代わりに。寝よう、寝ようと焦らないようにしています。
 友人の一人が寝る前と起き抜けに水を一杯飲むといいよと、教えてくれたので、これも実行しています。こんな水は宝水と呼ばれ、血液がサラサラになるそうです。
 妙に体が火照ったり、動悸がするときには、慣れない手つきで携帯メールを打ちます。
「暑いけど元気? 今度の週末、ごはん食べられますか」
 この程度の文章なのに時間のかかること。相手は働いている娘です。
 日常のこんなすき間時間は、身近な人に言葉をかけるのにうってつけ。体調の変化もこんなふうに工夫しながらやり過ごしてみる。そう決めていたのですが、かかりつけの医師から、まだまだ元気です。更年期障害は当分やってこないでしょう、と言われ、拍子抜けしてしまいました。
「転ばぬ先の」と気を付けたつもりですが、目が覚める時間だけはどんどん早くなっているので、もっか、私の一日もうんと長くなっています。

イギリスにて
デントの元教会・裏庭にて。ソフィーさんの息子さんと。




連載エッセイ「大丈夫!」と言ってくれ 番外編


イギリスの思い出

文=熊谷祥延、野村光
 イギリス取材を終え、原稿や写真の仕分けで現在、喧々諤々の編集部。そこに、ある読者の方から「素顔の井形慶子さんをもっと知りたい」という一通の手紙が届いた。今回は、このページを借りて、現場の私たちが見た井形慶子の一面を、イギリスでのエピソードとともに伝えてみたい。

 エディンバラ――リンカン 
 車中にて 

 恒例の6月英国取材。それはイギリス滞在10日目のことだった。朝一番の飛行機でハイランドの首都インヴァネス空港からスコットランド北部の小島オークニー・カークウォール空港へ飛び、そこからエディンバラ空港へ戻り、タクシーを飛ばしイギリス中部の街リンカンに向かう電車に飛び乗った、超せわしないある日の出来事だ。
 この日の夕方、ホーリーアイランドを取材するヒカルとはエディンバラ駅で別れ、残ったのは編集長と上司T、それから僕。上司Tは飛行機などでは常に編集長の隣に座り、この取材期間中ずっと彼女と行動していた。
 がしかし、この電車だけは違った。気がつくとなぜか僕の隣には編集長が……。上司Tは僕らを背にして反対の斜め向かいの席にひとり陣取っていた。リンカンまで約5時間。普段から顔を合わせ、取材も一緒にしているとはいえ、この会社に入ってから、これだけの長時間を彼女と二人きりになるという設定はなかった。彼女が社長ということもあり、緊張する僕。到着するまで永遠に、今回のイギリス取材の小言が始まるのでは……とちぢこまっていくココロ。
 そんな僕の緊張をよそに、編集長が言う。
「ハンバーガー食べなさいよ。クマガイ君が太っていくと私嬉しいの」(ここ1年で7キロも痩せた僕)。
 彼女の心境は声のトーンを聞けばわかる。怒っている時は、ドスの利いた声で「クマッ」と言い、穏やかな時はその3オクターブ上の声を出す。
 その高いトーンに安堵し、1時間前に駅で購入した、冷えきったハンバーガーにスーパーで買った干涸びたレタスを挟み込み、ポテトと一緒にガツガツ頬張る(上司Tはダイエットのためか、全く口にしない)。そんな僕をよそに、編集長がさらに話を続ける。
「クマガイ君はケニアに行ったことがあるらしいけど、なんでケニアだったの? 怖くなかったの」
 と僕の過去を聞いてきた。正直、僕は過去を語るのは好きではなく、あまり聞かれたくないという性癖がある。しかし、20年以上にわたるインタビュー歴、またラジオパーソナリティーを務める経験からか、優しい物腰で相手のココロの奥底をのぞき込もうとする彼女は、実に引き出すのがうまい。絶妙のタイミングで相づちを打ち、さらに質問をポンポン投げかけてくる。僕自身がインタビューされているような錯覚に陥る。
 話下手の僕も、ケニアでのボランティアのこと、山賊に襲われるのではとビビりながら行ったエチオピアの国境越えやホームレスは生きるために靴磨きをし、街にはとても活気があり、ただ物乞いするだけのイギリスのホームレスとは違うということなど、今までに話したことのないことをベラベラとしゃべり続けた。

 こんな上司と部下との関係はいい。上司は仕事の話以外でも、部下のなんでもない話を聞くべきだ。部下はちょっとした話から、上司と分かり合えたのではないかと思うものだから。上司とは聞き上手であるべきであるというのが、この時の結論だった。

 はじめの不安はどこへやら。残り1時間で目的地リンカン駅へ。話の尽きない僕をよそに、聞き疲れたのか、編集長はうとうとし始めた。上司Tはというと、いびきをかいて爆睡状態。それもそのはず、時計はすでに23時を迎えようとしている。時差ボケに、ハードな取材スケジュール、疲労困憊。宿には零時までに到着しろといわれている。それから部屋を撮影しなければいけない(いつも必ず部屋に入る前のきれいな状態を撮影している)と考えると、体を休めておきたい。堅くなったハンバーガーのかけらを食べた。
 僕もまた、アフリカの思い出と共に目を閉じる。あの時、僕は25歳。4年たった今、息子も生まれ、こうしてイギリスを走り回っている。
「we arrived at lincoln station」到着のアナウンスが取材再開の合図を告げる。僕の束の間の安らぎのひとときは終わりを告げた。
(くまがい・よしのぶ)

 A Pair of Shoes 

  5月末日、いよいよロンドンの隠れ家を拠点に、編集部は、編集長を含む4人で合宿生活突入した。
「これ、誰の靴下? クマガイ君、タオル干したの? ヒカル、食器洗っといてー」
 こうした編集長の声が、毎朝のように石造りの家にこだまする。
 普段はB&Bを主な拠点に置いている僕らだが、寝食を共にすると朝の会話も違ってくる。洗濯機を使い、自分たちで食器を洗う……。まるで、合宿のような生活が一週間近く続いた。毎朝、出かける時はゴミ捨てもするほど、僕たちはロンドンの住人然として過ごした。
「ヒカル、その靴どうするの? 捨てていくのなら、その袋に入れて」
 帰国当日の朝、編集長が、泥だらけでボロボロになった靴を見て、僕に命令した。僕は一瞬ためらったが、
「そうですね。ほとんど履き潰してしまったし、もう泥だらけだし、スーツケースに入れても、資料とかを汚すだけになるので、捨てます」
 僕は一足の靴を捨てた。
 取材先で集めた本やパンフが多すぎて、靴が入るスペースがなくなってしまったためだ。他にも、使い古したタオルや、簡単な洗面用具なども一緒に捨てた。お土産を買った分のスペースも含めて、スーツケースの上に乗っかって閉めたほど、荷物は満杯になっていた。
 ボロボロになった靴は、数々の取材先を歩き通して擦り切れていた上、前日の取材で人里離れた海岸部の湿地帯を長時間歩いたため、泥にまみれて固くなり、潮くさくなっている。
「まぁ、資料が汚れるんじゃあ、仕方ないわね。捨てるなら捨ててきなさいよ」
 彼女はさも関心なさ気につぶやいて、自分の部屋に戻り、帰り支度を始める。少し申し訳ないと思ったが、イギリスの土に還るのだからと、ゴミ袋に入れた。
 この靴は、2年ほど前に取材で立ち寄ったブラッドフォードの靴屋で贈られた物だった。当時もやはりボロボロの靴を履いていたので靴屋を見つけて買おうとしたのだが、クリスマスの時期ということで、編集長がプレゼントしてくれた。僕は同じようなアイテムをいくつも持たないので、ビジネスシューズが必要でないときは、ほとんど、この靴が一張羅だった。ヨークシャーでは嵐が丘を歩き、ロンドン中のマーケットを歩き尽くし、関東では12カ所ある骨董市を歩き、そして最後は、この靴でイギリス本島からリンディスファーン島(ホーリーアイランド)まで歩いて渡った。
 近いうちに新調するつもりだったものの、このタイミングで捨てることになるとは。
 その時はちょっと沈んだムードになったものの、帰りのタクシーでは彼女は気にした様子もなく、車内から新たな取材先を見つけては、「あれ、面白そうだからメモしておいて、写真は撮った!?」と、いつもの様子。
 ボロボロになった靴の代わりに、スーツケースには満杯の資料がある。写真もある。未練があるはずもなかった。今度は、その靴の代わりを「ビル・バード・シューズ」で買おうか。それくらいの身軽さがなくては。
 僕たちは、今月も新しいイギリスを紹介している。
(のむら・ひかる)

イギリスにて



連載エッセイ「大丈夫!」と言ってくれ 


お金と幸せと隠れ家と

5月某日

 円高ポンド安の旨味を受けてか、日本在住のイギリス人たちは、ここぞとばかり大きな買い物をして、円高の恩恵を受けている。
 知人は家具や建築資材など家造りに必要な建築部材を、輸送コストをかけて日本に取り寄せている。
 人気のコッツウォルズやロンドンのサルベージショップ(解体現場の部材を扱う)には、現金をどっさり持ったイギリス人、日本人がわんさかやって来るらしい。蜂蜜色のハニーストーンや日本で購入すると高価なドア、ステンドグラスをありったけ買い取っていくという。
 かつて世界の投機マネーが押し寄せた英国経済は、先の国政選挙もカンフル剤にならず、キャメロン首相を頭にしても、相変わらずパッとしない。それどころか、欧州経済は破綻寸前の渦に巻き込まれ、1ポンドが120円台になる日も出るほどだ。円で稼ぎ、英国へ飛び立つ私にとってはいいことばかりだが。
 そういえば映画「シンドラーのリスト」の中で、シンドラーがゲットーで暮らすユダヤ人商人やナチの幹部に「こんな時代はいずれ持ち歩ける財産が必要になる」と、ささやく印象的な場面がある。シンドラーが机の上に転がすダイヤモンドは、何度見ても魅惑的だ。
「持ち歩ける財産」という言葉は、在日英国人がせっせと値打ち品を買い付ける姿を彷彿させる。
 つまりは、どのタイミングで何にお金を使うか――この技量が迷走の時代だからこそ試されているのだ。そう思えば不安も消えるというもの。

5月某日

  老後のために貯蓄に励むか、将来に必要なインフラ――例えば、住まいや住宅設備にお金をかけるかは大きな分岐点だ。友人知人でお金を出し合って、プチ老人ホームの準備をする人もいる。
 40歳になった編集スタッフは、ロシアに習った週末別荘ダーチャが欲しいと、三浦半島や多摩の奥地で廃墟を探している。予算500万円以内で、食糧危機が我が身を襲っても、食べることだけには困らないように野菜を作るのだという。大地震が発生し、都心がグチャグチャになった時の避難所にもなるし、と――。
 のどかな家庭菜園が、いつの間にか自給自足という切羽詰まった目的に変わる。
 不思議なことに、こんな計画を練る人たちは、なぜかお金でつまずくことがない。彼らは大金持ちにはなれないだろうが、普通の生活を保つことはできる。
 経済的にも、暮らし向きも、普通が一番難しい。普通をずっと続けていくことは、もっと大変だ。
 普通とは「富」「貧」のやじろべえがシーソーのように上下せず平行に留まっていることか。

5月某日

  尊敬するある人と食事をした折、人生は幸せと同時にしわ寄せもやってくるのよと教えられた。
「なるほど……」と感心すると、彼女は
「だってそうよ。日本の高等教育機関は集団詐欺師を養成しているみたい。大学卒のホワイトカラーなんてその最たるもので、銀行や証券会社、不動産会社の営業マンは、いかにしてお客さんからお金を巻き上げるかというテクニックばかり磨いているじゃない」
と、言う。
 彼らを教育しているのは一流大学、そして有名企業。みんなと分かち合うのではなく、自分だけ得をしようという技術をたたき込む。
「あの人たちは年収も高くて、社会的にも認められてるでしょ。たちが悪いことに、日本の大学生はそこに入社しようと血眼になっているんだから」と語気を荒げる。
 彼女はいつも社会の源流を見ている。最近、こんな人が少なくなった。

5月某日

 彼女の言葉を思い出すにつれ、家造り・リフォームにおいても、日本では常に「騙す」「騙される」がまとわりつくと改めて感じる。
 昔気質の人の良さ、体一つで10代から職人の道を歩んできた大工、ペンキ屋、左官屋、電気技師などは、ホワイトカラーの人たちが慣れ親しんでいる「契約行為」に弱い。発注元が破綻したり、親会社の倒産によって泣き寝入りするケースもあまたある。金銭トラブルに陥るのは施主だけではない。
 不動産ブローカーが物件転がしで利益を上げる場合、下職を叩いて稼ごうとする。安くて見栄えよくリフォームさせて、再販するために。
 うちの近所に看板を出す「○×電気店」「○×畳店」などは、世にこれだけのリフォーム需要があるのに仕事がないと、せっかくの技能を発揮できず、店を閉めてしまった。
 だからだろうか、「社団法人日本建築家協会」のシンポジウムでお会いした建築家の方々は、メジャー路線を歩んでいるインテリだと思った。雑誌に掲載される憧れのマイホーム、リノベーションの陰に、下請け、孫請けが連なって、建築家の建てた作品の舞台を作っている。
 これって、洗剤を押しつける、しつこい販売員がいないと、朝日、読売新聞が成り立たないのと同じ? 記者様と自転車に乗った販売員の社会的評価はまったく違うけど、彼らが無理矢理契約を取らなければ、新聞社はつぶれる。
 ユニクロの良質な素材を中国で監督する繊維の師匠をTVで見た。彼らは「匠(たくみ)」と呼ばれ、現地の縫子を前に、製品の質を落とさぬよう、指導している。
 住宅業界も、忘れ去られていく職人の仕事を、もっと違う形で活用できないだろうか。
 日だまりで地べたに座って缶コーヒーで談笑する職人たちを見るたびに、そんなことを強く思う。

5月某日

 金融アドバイス・ウェブサイト「lovemoney.com」が英国人3千人を対象に行った調査結果によると、英国人が経済的に満足するためには、約57万ポンド(約8千万円)の持ち家に住み、4万ポンド(約560万円)の年収、約2万ポンド(約280万円)の貯金や株や債券が必要らしい。
 恐ろしく高い住宅価格に対して、貯蓄残高が少ない気がするが、理想とは裏腹に、半数以上のイギリス人が、どうにかこうにか生活を送っている現実がある。
 これまで私は「イギリスの若者は18歳になると家を出て一人暮らしを始める」と、著書で書いてきた。だが、最近では18歳から30代半ばまでの5人に1人が、経済的な事情から実家に居候しているらしい。それが恋人を作り、交際することもままならない原因になっているとか。こうなると、欧米人の必殺住まい術、ルームシェアも功を成さない。
 イギリスでは求職者数は256万人を超え、1994年以来、最悪の失業率をマークしている。2012年のロンドン五輪に向けて、一体イギリスはどうなっていくのだろうか。10年単位で考えれば、いつの時代も何とかしてきた実績がある国だ。きっとどうにか立て直せるだろうと思う。
 日本の10年後は、依然迷走しているのだろうか。

6月某日

 「井形慶子とともに行く美しいコッツウォルズ地方の家々と寝台列車で行くスコットランド」ツアーでイギリスへ飛び立つ。読者の方々が満足して下さる旅になるかしらと、心配もあるけれど。
 それにしても、3週間前にロンドンから戻ったばかりなのに、とんぼ帰りのよう。今回は、葉加瀬太郎氏フォートナム&メイソンで開くコンサートにもお招きいただいた。奥さま高田万由子さんとも再び向こうでお目にかかる予定。NW3のドン、ミスター・アルカポーネ氏や、隠れ家近くのギャラリーで奮発して買った一生ものの絵を描く画家Pのアトリエものぞかせてもらう。
 あれこれ欲張ったせいか、クマから手渡されたスケジュール表は朝から晩まで予定がびっしり。なのに淋しい気分になるのはなぜか。
 前回は70代の両親が、この隠れ家にやって来た。二人をあちこち案内しようと張り切っていたが、あいにく外はみぞれ混じりの冷たい雨。リビングのテーブルで父は番茶をすすり、母は一人でクロスワードパズルを解いていた。
 二人の背後にはビクトリアン様式の家々が建ち並ぶ。せっかくロンドンまで来たのに。もっと見せたいもの、連れて行きたい場所はあったのにと、切なくなった。
 親子の関係って、これでよしというラインはない。いつも何かをやり残した感じ、言い残した感じを引きずって別れてゆく。
 その残像に胸がつまるのだ。
 まだ時間はたっぷりある。そう言い聞かせつつ、早、季節は夏になる。

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イギリスはこれから一番美しい季節を迎えます。


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連載エッセイ「大丈夫!」と言ってくれ 


行けども、生けども

4月某日

 ポーランド政府専用機墜落事故に続き、アイスランド・エイヤフィヤトラヨークトル氷河にある火山の噴火で欧州全域の空港閉鎖。連日嫌なニュースが報道されている。海外旅行に付きものの不測の事態、足止めに頭を抱える日本人の様子が映し出されるたび、ゴールデンウィークの渡英をどうするべきか、悩む。
 過去のアイスランド火山の大規模な噴火は、アイスランド南部・ラキ火山近郊で1783年から1785年に起きている。噴火の影響は、その後数年にわたってヨーロッパに異常気象をもたらし、フランスでは数年間連続で食糧不足となり、その5年後には大きな嵐も発生、農作物が大被害を受けた。その結果生まれた貧困と飢餓が、フランス革命の引き金になったという。
 ヨーロッパ発の航空関連ニュースをもっと見たいのに、TVをつければうろたえる鳩山さんと、勝算のない新党のお爺ちゃまばかりが、空しくこぶしを振り上げている。アイスランドの街の様子や、ヒースローで待機する旅客の現状を把握したいのに。上海万博盗作ソングより、弾圧されるウイグル族、チベット族が多く暮らす中国の辺境、中国青海省地震がどうなったかも分からない。
 日本の情報鎖国に辟易しつつ、BBCニュースを拾い集めている。
 それにしても、一連の現象を見ていると、地球が反乱を起こしているようにも思える。
 昨年は新型インフルで、今年は火山の噴火。このままヨーロッパへの途が途絶えると、GWにかき入れ時の旅行会社の損失はいかばかりか。
 事故やトラブルに巻き込まれないためには、家でじっとしておいた方がいいという人もいる。けれど、そう考え始めると一事が万事、一歩を踏み出す気運が揺らぐ。そういえば昨年の今頃もインフル感染が怖くて、老朽マンションリフォームのフィナーレを飾るグアム・ホームセンター行きを躊躇していたっけ。はっきりしない自分と迫り来る出発日に追いつめられた日々。
「もう、いいじゃん。マスクしてれば大丈夫だよ」
 娘の一言でやけくその旅立ち。結果、成田に足止めされるどころか、グアムではホームセンターめぐりの途中に立ち寄った地元レストランRのパンケーキと、深夜営業の靴屋にすっかりハマった。「おいしい」「安い」「きれい」と五感が冴え渡り、麦わら帽をかぶったまま島を走り回った。タイルやドアノブなどの部材の他、「老朽マンションの奇跡」でも紹介したアメリカ製のノスタルジックなプリント生地までたくさん仕入れて、すんなり帰国。行って良かったと心から思った。
 まだ少し肌寒い5月の旅は、終わってみればいつも切ない。
 夏休みという本格的ホリデーが来る前の小休止。涼やかなGWは、障害があってもいたたまれないほど旅に出たくなる。

4月某日

 リフォーム工事の予定変更が相次ぎ、仕事にならない日々が続く。現場に行けば行き違いや手配ミスが重なり、3歩進んで2歩下がる状況に怒りは頂点に達す。仕込み場となった部屋では、東西南北開け放した窓から吹き抜ける、雪混じりの突風をものともせず、黙々と大工さんが作業を続けている。こんなことでヤケになってはいけない。
 ところが、数日間立て続けに凍り付くような現場に立っていたせいか、ついに悪寒に襲われる。帰宅後、熱いお風呂に入り、ソファでテレビを見ていると、そのままの体勢で死んだように眠り込んだ。夢の中でも鼓膜に貼り付いた音が消えない。
 ギュワーン、ギュワーン。
 ガンガンガンガンガンガン。
 絶え間ない金属系の音。いつ終わるか分からない小さな作業の積み重ね。英国不動産購入のようなどんでん返し、ガザンピングが起きそうな、ただならぬ予感。
 ストレスや疲労を伴わないでリフォーム工事を完結しようと思ったら、自分で一からやるしかないのか。だから、主張と個性の強いイギリス人は、自分で木工仕事やペンキ塗りをやるのだと思う。
 大工の人件費(レイバー)の相場は、首都圏で一日2万円といわれる。若い頃から苛酷な現場で働いてきた大工さんの、屈強な体力と粘り強さとの対価とすれば相応だ。
 現場に出向いた日は、指先まで凍えて、編集部に戻ってもほとんど仕事にならないほど疲れ果てている。シベリアに抑留された人々が、永久凍土の過酷な極東で、飢えや衰弱と戦い、建物を建て、鉄道を引いたことを思う。
 とんでもないことを考えているな、私は。
 再び夢を実現すべく工事を始めたくせに。文句を言えばバチが当たる。けれど、個人旅行と添乗員付きパックツアーぐらいの差を、今回の工事で感じている。システム化された大手業者に丸投げせず、こだわりの家づくりを施主がコントロールするには、相当な精神力と意志がなければいけない。何を今さらと言われそうだけど。
 思い描いた家ができるかどうかは、山登り八合目で決まる。頂上は未だ見えず。詳しくは、いずれまた、皆様にお伝えします。
 とにかくウサギのように青菜をたくさん食べて、絶対に乗り切らなければ。

4月某日

 新刊「イギリス式農家の整理術 カントリーサイドの節約12ヶ月」(宝島社)の色校が出る。表紙の帯が思ったより弱く、急遽変更。というか、元の案に戻す。
 それにしてもページをめくるたび、イギリスの清々しい田園の風が吹き抜けるよう。見知らぬ村に迷い込んだ時、カメラを持って駆け出したくなる高揚感が、人々の暮らしぶりと笑顔に集約されている。
 ていねいに暮らすことが、実は最大の節約だったと、名もない村を訪ねるほどわかってきた。その時、本の目次が浮かんだ。
 日中は外出ばかりで、ゲラに向かうのは、全て落ち着いた夜6時以降。お腹がすいたとガマンしつつ、じゃがいも料理の数々を校正していると、早く向こうに行って食べたいなぁと恨めしくなる。
 積み上げた石が苔むして、夕闇に浮かぶ遺跡のような村のパブ。オレンジ色のランプの下で農夫らしき男性がラガーをあおり、その隅のテーブルで静かに食事をする夫婦。大皿には湯気の立つマッシュポテトと、太くて鮮やかな旬のグリーンアスパラ、ぶ厚いハムがのっていた。自家製という言葉は、まさにステーキのようなハムのことを指すのだと、同じものを注文した私は、夢中になってグレイビーのかかったマッシュポテトとハムをほおばった。そのおいしいこと。
 20数年に渡って「お金をかけず」をキーワードに英国の豊かな暮らし方を書き続けてきた。
 イギリスの村に行くと、棚板一枚渡しただけの食器棚や裾のほつれたリネンすら、アイロンをかければ美しいテーブルデコレーションとなり、安普請の家具がエレガントに変わると知る。
 カントリースタイルとは、ファッションではなく、形でもない。楚々とした暮らしで、私たちが見向きもしなかったものを当然のように使い切り、それを誇りに思う営みなのだ。
 この本は、5月19日(水)発売とのこと。すでにたくさんのご予約をいただいています。村の人々の明るさと自信に満ちた表情。撮り下ろした写真と共に最も伝えたかったことを、最後にしたためた。
 日頃の雑事はどこまでもまとわりついてくるけど、この本をながめていると、自分が目指すものにゆっくり立ち返れる気がする。

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連載エッセイ「大丈夫!」と言ってくれ 


深夜の愉しみ

3月某日

  気付いたら、私のホームページ、トップの写真が雪景色のまま。何とかせねばと思いつつ、毎日がビュンビュン過ぎていく。桜も咲きほころんでいるというのに、年末年始の挨拶はないだろうと、この場を借りてお詫び申し上げます。このエッセイが出る頃には、更新する予定です。
 スタッフのTが
「これじゃ、ホームページの意味ないですよ」
と、あきれ顔。わかっちゃいるけど、どうにもできない。
 昨年の今頃もそうだったが、この数年、時間の速度に追いついていけない自分を感じている。本の執筆、TVや雑誌のインタビュー、年度末に必ずやってくる決算、その他もろもろ。
 それに加えて、何と、再び老朽物件のリフォームを引き受けた。すでに本を読んで下さった方は想像つくと思いますが、またもやガス管や筋交いと格闘する日々。詳細はいずれまたということで、ここでは伏せますが、このところ、どっぷり住宅漬けとなっているのは確か。
 「セオリー」(講談社)でスタートした連載のタイトルが、「井形慶子不動産〈吉祥寺本店〉“お宝マンション”を手に入れる知恵」と、また強烈。知り合いの不動産業者は、新聞の宣伝を見て「ついに業界参入ですか!」と、興奮して電話をかけてきた。驚くことに、(財)住宅リフォーム・紛争処理支援センターによる「第27回 住まいのリフォームコンクール」審査委員会委員にも就任した。つらつら書いているだけで目が回りそうだ。

3月某日

 お会いする方に「いつ休んでいらっしゃるんですか?」と、問われ、娘には「ママっていつも元気だね」と、からかわれる。
 今や休息の時は夜眠る前の1時間。深夜1時を過ぎると、TVをつけても知らないタレントが出ているバラエティーか、意味の分からないマンガぐらい。そんな失望を払拭してくれるのが、TVショッピング番組だ。日本の双璧は「QVC」「ショップチャンネル」でしょう。知り合いも結構出演しているこの全国放送、疲れとストレスでモヤモヤする夜に見始めると、止まらない。
 女性とは不思議なもので、心身共にヘトヘトになると小さな喜びが欲しくなるものだ。
 ノルマの厳しい出版社で、営業職の女性が閉店間際の店に飛び込んで、服やバッグを衝動買いする話を聞いた。こんな女性をひとくくりに「買い物依存症」と呼び捨てるのは、買うことによる癒しを理解しない男性たちだ。酒やパチンコで満たされる欲望と、一枚数千円のチュニックに喜ぶ心理は紙一重。
 阪急阪神百貨店の椙岡会長とお話した折、
「デパートの閉店時間が11時だったら、毎日デパートに行きますのに」
と、買い物できない働く女性の窮状を訴えた。すると、会長は
「井形さん、百貨店を1時間開けるのに、どれだけ経費がかかるか知ってますか」
と、言われた。
 考えたこともなかったが、確かに女性の励まし買いに付き合うほど、百貨店もゆとりがない昨今だ。
 だからだろうか。真夜中のバッタ屋、ショッピング番組がますます元気になったような気がする。

3月某日

 ある夜、何気にチャンネルを回すと、ストレッチパンツを紹介していた。
「お客様ぁー、見て下さい。こーんなに伸びるんですよぉー」(キャスト)
「縦にも横にも伸びて、キックバック抜群なんです」(メーカーの男性)
「ついでに、ニットもいかがでしょうか。これもすごーく伸びますねぇー」(キャスト)
「この伸びが二の腕もカバーしてくれるんです」(メーカーの男性)

と、いう具合にキャストとメーカーの男性二人が、交互にパンツやセーターを引っ張り合っている。なぜ、伸びることをこんなに強調するのだろうか。あんなに引っ張ってセーターは型崩れしないのだろうか。破れないんだろうか。
 不思議な思いで画面を食い入るように見る私。たかが普通のパンツとセーター。ちょっとラインストーンが付いているし、フリルもあしらっているけれど、「ユニクロ」に行けば、もっと今風のラインの服が1000円と少しで手に入るのに。冷静になれと、自分に言い聞かせつつ、催眠術にかかったように電話をかけて注文してしまった。
 恐るべし「QVC」「ショップチャンネル」。洗脳されてダイヤルする自分の意志は、スタジオで服を引っ張り合いながら絶叫する出演者に吸い込まれていく。
 取り寄せてみれば、ごく普通の服なのに。イギリスに行けば、もっと素晴らしい服が、もっと安く買えるのに。なぜ、深夜TVで見る服や靴の数々は、あんなにも魅惑的で手に入れたくなるのだろう。
 デパートは眺めるだけで済む。けれど、ショッピング番組の商品を手元に引き寄せて見てみたいという思いは止められない。
 こんなことを久々お会いする行政書士(女性)に話したところ、私の病気が彼女にも移ったらしく、事務所で残業が続くと、ついTVをつけてしまうのだとか。
「たまにいいものが出てくるんですよね。私は『ショップチャンネル』が好きですが、井形さんは『QVC』派ですよね」と。
 はたから見れば、いい歳をした女性二人、くだらないことを話していると思われるでしょう。思うに、最近はネット通販をはじめ、どこからでもモノが買えてしまう。ショップの数も増えすぎて、おまけにモールやデパートも乱立気味でしぼりきれず、女同士買い物武勇伝を話す楽しみが半減している感じなのだ。
 そんな折、深夜でも早朝でもTVをつければ、気合いを入れてモノを売っている「QVC」「ショップチャンネル」は奇特だ。この頃は、視聴率が良いのか、有名女優やモデルまで登場している。

3月某日

 興味はチャンスを呼び込むというが、何と、私のもとにも「番組、やりませんか」というお誘いが、双璧の一つから来た。信じられない夢のようなオファーだ。私は、見る側から売る側へ立つのか。これぞ、人生の転機かもしれない。
「願ったり叶ったりですね」と、嘲笑気味のスタッフを尻目に、一日中はしゃぎまわり、その夜は一段と真剣に、声をかけて下さったほうの番組を見た。ああ、この番組に出演した暁には、私はいったい何を売るんだろう。考えるだけでワクワクする。
 興奮覚めやらぬまま、御祝儀買いしてもいいかなと、低周波治療機能が付いた電気マット・セミダブルサイズを注文。ちょうど冬の寒さがこたえていた時期だっただけに、寝るだけで肩こりも取れ、大満足であった。

4月某日

 昨年出版したフォトエッセイの第二弾「イギリス式農家の整理術 カントリーサイドの節約12ヶ月」(宝島社)の入稿作業でこの数週間、終電コースが続いている。広く読まれた前作以上のものをお届けしたいと、膨大な写真をかき分け、改稿を繰り返す。
クマはふてくされ、編集補助のヒカルは何か問うても「たぶん」と言い、どこかに去ってしまう。発狂寸前の私に、いつもお茶を入れてくれるUさんは、泣きそうな顔をしていた。そんなスタッフと私に挟まれたライターのKさんは、気を遣ってか、時々くず餅やあんパンを差し入れてくれた。
 こんな舞台裏からは想像も出来ない程、目次のラインナップはゆったりしている。イギリスに行くたび、もし、英国の村がなくなったら、そしてロンドンバーミンガムのような規模の都市が膨張していったら、イギリスの良さはなくなってしまうと思っていた。
 村の持つ素晴らしさ、楽しさ、情緒を知ったのは、イタリアでもフランスでもない。そこで昔ながらの家政学を知り、素朴な家庭料理に出会い、狭い家に暮らす工夫を学んだ。今回の本は30年来、名もない村を訪ね歩いた私が、ずっと溜め込んできた「節約」「整理」、衣食住の手引きを説いた書き下ろし。早く皆様にも読んでいただきたいと思っています。

 数日後、何とか入稿はひと区切り。心なしかクマの顔は少しほころび、ヒカルは来たる英国の総選挙についてキビキビ意見を求めてきた。
 若者に春は来るか。日はまた昇るのか。頑張れみんな。負けるな自分。
 深夜手に入れたパジャマに袖を通し、今宵もTVの向こうの絶叫に癒されている。

写真
山梨・講演会後のサイン会。
美しく、センスの良い皆様の装いに
へぇーっと、見とれていました。お手紙などありがとう


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連載エッセイ「大丈夫!」と言ってくれ 


梅春―才能を出し惜しまず

2月某日

  オリンピックはいつでもスターを生み出す。アスリートの苦難やスランプの克服、そして輝かしい栄華を。
 冬季の見どころは、やっぱり女子フィギュアだろう。不調報道が続いた浅田真央が、ハチャトゥリアンの曲と共にどん底から立ち上がったすがすがしさは、私たちを釘付けにした。キム・ヨナとうりふたつの顔、同い年の真央ちゃんを日本外国特派員協会での会見で間近に見た時の印象は、「細い」「勝ち気」「髪がきれい」だった。
 氷上のお姫様と形容したくなる高潔さは、自らが築いてきた実績に裏打ちされているのか。ブレザー姿の彼女の横に座っていたスポークスマン氏は、世界の舞台で強豪と渡り合える選手を育成するには、相当の資金がかかると言っていた。
 ロシアや北米での合宿費用、メダリストを輩出したコーチのギャラ、選手を支える一流スタッフも奉仕では動くまい。一瞬の輝きを私たちはTVにかじりついて堪能するが、その対価はいかばかりか。選手の努力ばかりがフィーチャーされるが、バンクーバー五輪を機に専門家によるコスト公開をしてはどうか。
 すると、事業仕分けでも政治家が目安にできる。スポーツ、文化を世界水準に引き上げるためにかかる費用は、ぜひ知りたい。

2月某日

 マイケル・ジャクソン(以下M・J)の『THIS IS IT』を購入した。1週間限定の映画を見損ねて以来、ずっと心待ちにしていたDVD。個人的にはM・Jにはさほど関心もなく、むしろ整形で仮面のように変貌する顔や、幼児虐待などのスキャンダラスな報道にネガティブな印象を持っていた。
 そんな私だが、このDVDを見て、彼の才能に放心状態となった。当然、遺作となるわけだから、制作チームの「見せたいマイケル像」というものはあるのだろうが、どのリハーサルシーンにも彼の協調性やリーダーシップ性がいかんなく現れていた。M・Jファンなら、たまらないドキュメンタリーだろう。
 「地球」とか「愛」という広域のスローガンは、いかにもアメリカ的で鼻白む場面もある。けれど、自分の思想を類い希なる音楽的才能で表現し続けてきた純粋さに、最後は涙が出た。死の直前と思って見ていると、この時も、この時も、相当に具合が悪かっただろうにと胸が痛んだ。
 各ジャンルで「格好満点、中身0点」の見かけ倒しパフォーマーが増えている昨今、自分自身を使いきるとはこういうことだと、突きつけられる。
 葬儀の時、M・Jとは似つかぬ、あまりに純朴な愛娘の「お父さんはわたしたちが生まれたときから今まで、ずっと最高のお父さんでした……パパ愛してる」と泣きじゃくっていた姿が、やっと腑に落ちた。愛情深き父親という資質も、スーパースターの確かな一面だったのだ。

2月某日

 またまたロンドンに行ってきた。昨年に引き続き、「定期券が必要ですよ」と、スタッフに皮肉られている。いかに仕事とはいえ、週末型英国出張の疲れがそろそろMAXに達しそう。
 2月に入ってからも、『老朽マンションの奇跡』(新潮社)のインタビューが平行して続いている。「この期間はロンドンに行くので、無理なんです」と、メディアの方々にお伝えすると、「また行くんですか」と苦笑される。
 もう何回目の渡英か、数えられないです。ヒースローのターミナルを出ると、皆がタバコを吸う一角があるんですが、その敷石の様子まで頭に入っているんですよ――と、私。
 こんな話は自慢にもならないが、ゴルフのラウンドに匹敵するかと思われる成田&ヒースローの長い空港内コンコースすら、お馴染みの風景となった。
 英国では日本の新幹線をマンチェスターまで走らせるというが、ロシアと手を組んでシベリア大陸を横断し、ユーロスターの路線に乗り入れる、超高速寝台列車を極東から走らせてくれないだろうか。そんなことを真剣に考える。
 いいだろうな、針葉樹の森をかいくぐり、バイカル湖やウラル山脈、東欧を堪能しながら、わずか一泊でロンドンに着けたら。食堂車ではボルシチからうどんまでが食べられ、そこそこのシャワー室も完備。ついでにネットも使えて、デューティーフリーまであったら、飛行機恐怖症の人も大助かりだ。
 インタビュー中にもかかわらず、そんな空想にふけっている。
 人生半分生きてみて、この50年間の科学技術の発達を見せつけられた昭和生まれの私は、大抵の望むことは数十年で現実になるかもと、信じられるのだ。

3月某日

 毎日、土鍋で武蔵野産直の白菜や大根をたっぷり、昆布で煮込んで食べている。血圧にも注意して、調味料は庭のレモンやゆずをぶつ切りに目一杯絞る。炊きたてホカホカの「信州白土センロク屋」のお米は、しそ昆布とともに。これがおいしいのなんの。さらば、時差ボケ。戻れ、バランス。外食のマイナス要因もこんな食事を数日続ければ、身体から消えてしまう。
 それにしても、本の波及力はすさまじい。『老朽マンションの奇跡』に出てくる中古リフォームの達人、宇野社長のもとには、昨年来連日、今の住まいを何とかしたい読者の方々から問い合わせが続いているとか。
 ほとんどの方が、明星ハイツを一目みたいとおっしゃるそうだ。ごめんなさい、皆さん。現在、本に登場したハヤト君は、第二の人生に踏み出せるか否かの瀬戸際に立っています。できれば、そっと見守っていたいと思う親心をご理解下さい(まるで、交際宣言をした芸能人の事務所のようで、片腹痛いが)。
 意外だったのは、出版後、中高年の読者の方々に混じって、公的機関や国土交通省住宅局の官僚の方々からもご連絡いただいたこと。どちらかといえば、貧困にあえぐ若年層や若手サラリーマン家庭の共感を得られるか、と思っていただけに驚く。
 所得が高いことで知られる上級の公務員が、車一台分で購入したボロ家改造劇にこれほど夢中になってくれるとは。聞けば、日本の住宅業界もスクラップ&ビルドの呪縛から何とかして逃れたいと、新しい利益追求の道を模索しているらしい。
 新築住宅が以前ほど売れない、マンションもしかりだ。すると、一体どうやって住宅産業を支えていくのか、どこにポイントを絞って経営戦略を立て直せばいいのか。そのヒントを探りたいのだろう。
 私はこれまでの得た一般人としての見識から、3つのことを提案した。うまくいけば、住宅業界はもとより、日本に外貨が流れ込む壮大かつ単純な考えを。国交省のおじさま方は、細かく手帳に書いておられた。メモの行く末はいかに。

3月某日

 何としても、住宅から日本を変えて欲しい。これは長年私が思ってきたことだ。
『老朽マンションの奇跡』では、日本の住宅政策の遅れを随所に指摘した。欧州に比べ階級格差が緩やかな日本では、無理なく国民が住めるシステムづくりが、戦後もなかなか整備できなかった。裏を返せば、日本人は打たれ強いというか、諦めが早いというか、役人にとっては御しやすい気質を持っているのだろう。
 つい先頃、ロンドン北部の高級住宅街セント・ジョーンズ・ウッド駅近く、ビートルズにゆかりの深いアビィ・ロード・スタジオを、所有する英EMIグループが売却すると報道した。「えっ、嘘でしょ」と、あのスタジオ前で取材したことを思い出した。
 観光客はもとより、前を通るたび、こんな目立たない場所でビートルズが仕事をしていたんだなと、アレコレ思いを馳せた。世界的不況に致し方ないのかと、歯がゆい思いでいたところ、あっという間に売却計画は中止された。
 計画が発表されるや「売らないで」と、ビートルズファンを中心に大騒ぎになったからだ。
 落書きだらけの古い建物は、その歴史性に加え、公道に面し不動産価値も高い。売ればどれだけ利益が補てんできるか。それを思いとどまらせた民衆の力。イギリス人は、個人の声を束ねて方向性を修正することに臆さない。
 ひとり一人の考えは、企業や国から見れば小さいものだ。反論されても適当に蹴散らして代替え案をまぶしておけば、じきに忘れるだろう。こんな発想を経営者や役人に植え付けた私たち日本人と大きく違うのは、イギリス人「ノー」のパワーだ。
 草食系と褒めそやされ、控えめでおとなしい性質をアピールするあまり、意志まで風になびく草のようになってはいけない。物事を軌道修正させるには、肉食的な激しさを伴うこともある。
 それをアピールできる力もまた、人の一生を支える才能だと思う。

写真
ロンドン、アビィ・ロード・スタジオ前にて。


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連載エッセイ「大丈夫!」と言ってくれ 


2月―Snow on the Heath

1月某日

 4日は仕事始め。にもかかわらず、「老朽マンション」のインタビューを明星ハイツで受ける。撮影にいささか緊張気味。日本が抱える住宅問題を話しながらも、年末年始の渡英について思い返している。

 ヒースローに到着したその日は、私の誕生日だったのだが、アップグレードされたビジネスクラスで飽食三昧。すっかり緊張感がなくなった私は、ぼんやりとイミグレーション(入国審査)の長蛇の列に並んで自分の順番を待っていた。
 毎度のことながら、この入国審査で待つ時間というのは、歯ぎしりするほど無駄に思える。グズグズ審査する係官をにらみつけるように、なぜイギリスは自国の玄関口にテキパキさばける人員を配備しないのか、憤る。
 小一時間並んだ後、「Next」と、呼ばれ、私とスタッフの番が来る。早く空港から出たい。思うことはそればかり。審査官の黒人女性は、私のパスポートをめくり、注意深くスタンプを目で追っている。いつもながらやましいこともないのに、緊張する。
 ふせ目がちに立っていると、大きな声で「Happy birthday」と。一瞬、何のことかわからず顔を上げると、「Congratulations!」と、再び。ああ、今日は私の誕生日だった。忘れていたと、つぶやく私に、彼女はそう、誕生日ですよと、満面の笑顔でバンバンとスタンプを押す。不意を突かれたようで、「ありがとう」を、繰り返しつつ頭がボーッとなる。

 イギリスに来たんだなと、しみじみ思う。携帯をONにすると、編集部よりメールが届く。
「クロワッサン・プレミアムよりインタビュー依頼あり。ようこそ50代というテーマで」
 ふたたび誕生日に。何と、奇遇な出来事が続くのか。そうか、今日はおめでたい日なんだ。
 いつもの隠れ家へ直行すると、NW3のドン、ミスター・アル・カポーネの秘書嬢が、誕生日を祝うべくきれいなお花を持って待っていてくれた。チョコレートとともに。厳寒のロンドンで、ボイラーに支障がないか心配してくれたよう。異国の地ではこういう気遣いが身に染みるほどありがたい。
 スタッフと共に近所のレストランへ夕食に出かける。皆、旅の疲れと時差ボケで、初日特有のけだるい感じ。明日からのスケジュールを打ち合わせた後、サラダとパスタで今日は早く休もうと話した。
 私が
「ちょっと、外の空気を吸ってくる」
と、席を立とうとすると、店主が飛んできた。
「座って下さい。今、立たれては困る」

ハッピーバースデー 彼の真剣な表情にポカンとしていると、カウンターの奥からロウソクを立てたティラミスをウェイターが二人、うやうやしく運んできた。彼らは歌を口ずさみ、私に向けてほうらと、ハッピーバースデイと書かれたプレートを見せた。
 うわぁと歓声を上げる私に、火を吹き消せとマネージャーが言う。思えばこの一年、皆がモメた時、取材がうまくいった時、キャブを呼んで欲しい時、何度もこの店に飛び込んだ。彼らは私たちを休暇で来ている日本人と思っているようだ。なぜ、しょっちゅうこの辺の住宅地をうろついているのか、詳細も聞かない。ただ、何となく顔見知りになった。
「今日は編集長の誕生日だと一言言っただけなのに」と、驚くスタッフ。
 ささいなことの積み重ねだが、後にも先にもイギリスでこんな歓待を受けることはないだろう。そんな感慨も、「これ、チャージされるんですかね」というスタッフの言葉で冷え上がる。海外に出るとサービスと金の問題は付いて回る。親切の影に請求ありと、何度落胆させられたことだろうか。
 ところが、現実的な彼らの心配も明細を見た瞬間、杞憂に終わった。あれは当店からのプレゼントですと、マネージャーは私たちの肩を叩き、ほがらかに笑ったのだ。
 隠れ家での初めての冬。30年間イギリスに通い続けて、クリスマスをこの国で過ごすこともすっかり習慣となった私だ。滞在者から生活者へ微妙に切り替わる瞬間、こういった出来事の一つひとつが、自分の立ち位置の確認になる。受け入れられた実感こそ、忘れられない誕生日の贈り物だ。

1月某日

  日本海沿岸で大雪とのニュース。今年は世界的に大寒波かもしれない。

 暮れのイギリスは本当に寒かった。ハイランド・インバネスでは氷点下20度を経験した。ロンドンも連日マイナス気温で、大雪にも見舞われた。道路は雪が凍り付き、地肌の出たところでは、スケートリンクのような氷に覆われている。
 隠れ家近くのカフェで、朝、撮影をしていると、買い物かごを持ったおばあさんが、私たちの前で激しく転び、地面に腰を打ちつけ、しばらく起き上がれずにいた。
 手を差し出すにもソロソロと近寄らなくてはこちらもツルンと滑ってしまう。おばあさんのかごから飛び散った財布や小銭を拾い集め、男二人がかりで起こしてあげるも、転んだショックから彼女は、「そこの郵便局に行こうとしてたのよ」と繰り返すばかり。少し離れたところから、郵便局に向かうおばあさんを見守る。
 このことを境に、雪道でもころばない歩き方を改めて研究した。
 シャーベット状の、ず黒い雪の上がもっとも安全。めったに車が来ない住宅街では、後ろを振り向きつつ、車道を歩くこと。狭路では車が来たら、住宅の外壁にへばりつきスリップ&追突に備える。
 たいてい、私たちは大きなカメラバッグや買い物袋を抱えていたため、数日後には坂道だらけの住宅街を歩くことに疲れ果てた。

 スコットランドで共に雪山をウォーキングしたイギリス人にそんなことを話すと、それは靴が悪いのだと笑われた。その人はバラ色のラバーブーツを履いている。聞けば1856年の創業以来、150年の歴史を持つ「ハンター(Hunter)」の長靴らしい。同社の長靴は、28種類ものパーツを手作りで構成した後、丸ごと液体天然ゴムに浸けて形成するため継ぎ目がなく、高い防水性と耐久性を持っているという。その美しい長靴で果敢に雪を踏みしめて歩く姿を見るうち、スニーカーで四苦八苦する自分がバカバカしく思えてきた。

 ロンドンに戻っても考えるのは長靴のことばかり。ある朝、隠れ家の前の敷石につまづき、氷の歩道で尻餅をついた。もうだめだ。私は長靴を買うのだ。その後、ハイストリートに続く道すがら、「ハンター」を履いた3人の女性とすれ違った。薄いピンク色のそれをシフォンスカートからのぞかせる女性。「バーヴァー(Barbour)」のコートをはおり、ブーツインでチョコレート色の「ハンター」を履きこなすミセス。相変わらず自分はといえば、恐る恐る壁づたいにカニ歩きしている。
 駅に続く路地を曲がると、一軒のガーデニングショップがあった。「sale」という文字に引き込まれ、店内に入ると、壁一面にずらりと色とりどりの「ハンター」が並んでいるではないか。求めよ、さらば与えられん。聖書の一節を思い出す。
 私は履いては鏡を見てを繰り返したあげく、ハイランドで見たバラ色の「ハンター」を買った。同行したスタッフも「イギリスの冬を快適に過ごしたいなら、これを履かなきゃ。このままボンドストリートを歩いてごらんなさい。超クール、うらやましがられますよ」と、女主人に背中を押され、1万円近い長靴を一生モノと購入。
 私たちはまるでブランド小僧のように、雪の残るロンドンを長靴で闊歩する。この歩きやすいことといったらない。

 その日以来、食事に行くときも長靴姿で通した私。ついでに知人に頼んで縫ってもらった万能クラシカルエプロンもかけっぱなしで。
「まるで魚屋のおばちゃんみたいですよ」
 彼らに笑われようと、公園やフットパスまで濡れることなく踏み込んで行ける自由さは、何物にも代え難い。
 子どもの頃、欲しくてたまらなかったものが手に入ると、枕元に並べて眠っていた。アトムのお茶碗、セルロイドの筆箱、歩くたびに音が出るつっかけ。あの時のように、帰国する日までバラ色の長靴をベッドサイドに置いて眠った。
 ファッションとしての「レインブーツ」を手に入れたのではない。どんな日も安全に、快適に、自由に動き回る。二つの足で大地を踏みしめ、楽しく歩いてゆく。
 そういう価値観が根付いた社会の片隅に、ようやく自分がいる。


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連載エッセイ「大丈夫!」と言ってくれ 


渡英前夜

12月某日 朝

 カーテンを開けて晴天だと得した気分になる。洗濯物を早く冬の陽に干したいと、たいてい夜に洗濯しておくのも、すっかり習慣となった。
 それにしても、冬の洗濯物の多さは洗っても洗っても終わらない。長袖のヒートテック、トレンカ、レギンス、フリースと何枚も着込んでいるせいか。これが成長期の子どものいる家庭なら殺人的量となるはず。
 セーターなど、ウール製品やブラウスは汚さないよう着ている。アイロン掛けも減らしたい。せっかくの休みが洗濯→たたむ、もしくは、アイロンがけで終わるのを避けるため。やり始めれば楽しい仕事だが、「好きなことをする時間」が、いつも2時間足らずで終わってしまう。
 イギリスのワーキングカップルの平均的余暇の時間も、確か2時間程度だった。仕事を持つ人が多忙なのは、スローライフの根付いたイギリスも同じこと。

12月某日

 それにしても、私は何枚ユニクロを持っているか分からなくなった。限定価格になる週末にちょっとのぞくと運のツキ。自分のものばかりか家族や友人の分まで、安い! 丈夫だ! と買い込んでしまう。
 引き出しの中はユニクロで爆発状態。服は「順番に着て洗う」を繰り返さないと干からびてしまうのに。
 かねがね、娘に「いくら気に入ってるからって、同じ服ばかり着ちゃダメよ」と言うくせに、黒のヒートテック一枚探すのに、引き出しを引っかき回している時間のロスは何だ!
 ユニクロの功罪。安くて丈夫だと、同社のフリースやシャツを長年大切に着続ける人がいるのだろうか。新製品が出れば、引き込まれるように何やかや買ってしまうのではないか。
 中古ユニクロは、同社のリサイクルシステムで世界の貧困地域に届けられると聞くものの、日本人の服への愛着と管理能力はぐんぐん低下している。
 だから、冬の晴れた日に服を干す時は、4月初めまでタンスの冬物を何回ずつ着れるのか、服ローテーションを見直すいい機会。
 すると、なるべくクリーニングに出さずにすむよう、洗えるニットや起毛インナーに出番が集中し、ヘビーローテーションになっていた。
 気が付くと、ロンドン・セルフリッジのセールで買った「よそいき」がクローゼットの隅っこにずんずん押しやられている。
 使い捨てにはならないが、確実に服ローテーションからはじかれているおしゃれな服たちが気の毒。

12月某日 昼すぎ

 渡英まであと10日。準備はほとんど手つかず。
 というのも、『老朽マンションの奇跡』(新潮社)へのインタビューや取材が相次いでいるから。MPの編集チェック、財務、人事、原稿書きもろもろも停滞気味。日に何度も手帳を見ては、予定を組み直す。
 こうなると、1分前に思いついた事が次の瞬間消えるクセがひどくなる。(といっても病気ではありません)移動中など、メモが取れない瞬間に、フッと仕事や本の企画がよぎるので、紙とペンとケータイは手放せない。面倒くさがりでメールオンチの私が、物忘れ防止にスタッフに送るメールは意味不明。
 ある朝、カオリ嬢に「ソーセージとパン」とだけメールした。私の幼少時代の食についてのキーワードを原稿にしようと。勘のいい彼女は、それをメモに書いて机の上に貼っておいてくれた。
 ところが、似たようなメールをK君に送ると、深読みする彼は「今すぐ結婚したい」という私からのメッセージをどう処理すべきか分からず、悩み続けたらしい。これは本のタイトル案だったのだが、申し訳ないことをした。
 長文メールを秒速でこなす若い女の子を電車で見るたび、アナログでいいと、強がるのは自分だけか。

12月某日

 MPで連載中の星野正興先生が、NHKラジオ深夜便『こころの時代』に出演した時の放送をCDに落として社員に配った。星野先生が語った「牧師への道、農業への道」について、皆が提出してきた感想文を読んでびっくりした。
「キリスト教」「信仰」「農業」「目に見えないもの」「教育」など、2日間に渡って語ったテーマを驚くほど皆が理解していたのだ。
 奇跡的に伝わっている。本もろくに読まないような若者までが、真摯に生きる氏の生き様を吸収している。
 平易な語り言葉。
 滑舌の良さ。
 星野先生は一拍おくところ、ゆっくり話す言葉を考えぬいた末、人々に語りかけると言っていた。
 最近、長年おつき合いのある方から、私のインタビューに答える口調が早過ぎると人づてに指摘され、あっと思った。
 どうりで、社員や外部の方々が時たま取り違えをするのか。大切なことは、ゆっくり静かに話さなくては。自分が本で書いたくせに、夢中になって、熱くなって一気喋りになっていた。
 両氏にはすんでのところで気付かされ、助けられた感じ。有難い。

12月某日

  イギリスに発つ日が近づいている。このわずかな期間で来年の大まかなスケジュールを組み立てるのも毎年のこと。出版社の方々、講演会、イベントの依頼、井形慶子ツアーの日程を調整するも、あっという間に一日が終わる。
 某社に来年出版する本の企画案を出すが、今ひとつしっくりいかない。会食の席で相手方の反応を見ていても、向こうが望むものと、自分が書きたいもの、その真ん中にある企画案がちぐはぐな感じ。にも関わらず、このままタラタラ進んでいく予感。
 修正するなら今しかないと、一晩かかって企画案を作り直す。とりあえず決まったものに水を差すようで気が引けるが、再び連絡して担当者とお目にかかることに。
 私がそっとテーブルに出した企画書をチラ見するなり、担当者は
「これいいじゃないですか! これ、これを待っていたんですよ」
と、大喜び。
 えっ、でも全部見てないのにと言うと、「これは他の人じゃ書けない。面白い」ときっぱり。話はわずか1分で終了。
 呆気にとられていると、
「実は僕もあれでいいのか気になっていたんですよ、どうだろうかって」
と言われた。
 何と、人は同じことを思うのだ。とても喜んでもらえてホッとしつつも考えた。
 そういえば、企画書を作り直していた昨夜、私の背後にしのびよってきた社員Aも「面白そう、この本絶対読みたい」と言ってくれた。なぜ全部を見ないでそう思うのか問うと、
「パワーがある。一つずつ目次の言葉が訴えかけてくるんです」
と言う。
 皆にウケるものはないかもしれない。けれど、皆が立ち止まり、面白そうと思うものは、何かしら共通点がある。それが何かをいつも考えている。

12月某日

 しばらく日本を留守にするので、冷蔵庫の野菜やチーズや肉を残らず使い切るごった煮が続く。
 私はストアで野菜を買わない。武蔵野のはずれの農家・直売場に出向き、採れたて野菜を毎週買っている。
 顔なじみの奥さんは、いつも「持っていって」と、残り野菜を詰めてくれる。時には、とうがらしや菊など、農家の庭先で採れたものもくれる。大袋2つ、3つの新鮮野菜が、1000円少々なのも嬉しい。
 今は人参、白菜、ブロッコリーの収穫期。包丁で切ると、採れたて大根からは水がじわっと染み出る。一週間冷蔵庫に入れっ放しでも鮮度が落ちず、シャキっとしているのも畑から直行の野菜だからだ。この持久力の違い。
同じ野菜が続いても食べ飽きることはない。むしろ自分は東京に住み、忙しく働いているのに、農家の人から直接野菜を買っている。
 料理するたび、私は何と恵まれているんだろうと深く満たされる。
 洗ったまま弱火にかけると、自らの水分でほっこり茹で上がる甘い人参。大げさだが、これを食べると、自分は世界一の幸せ者だと思う。
 都会に暮らして田舎暮らしの贅を極める。
 きっとロンドンでも同じ暮らしを探すんだろうな。そう思いつつ、干し上がった洗濯物をスーツケースに詰めている。


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連載エッセイ「大丈夫!」と言ってくれ 


師走日記 もう少しこのままで

12月某日

 久しぶりの長崎。今回は長崎「佐世保南ロータリークラブ」の方々にお招きいただいての講演会だった。
 大村(長崎)空港に降り立つと、東京よりずっと寒いのにびっくり。会場の「長崎県立佐世保青少年の天地」までレンタカーで1時間以上走る。長崎市内からは両親に加え、友人も駆けつけてくれた。
 70代半ばの親を見ると、いずれ郷里に戻っても迎えてくれる人がいなくなるのではと、切なくなる。会うたび二人の老いを突きつけられる感じ。
 もう時間がない。ちょくちょく会っては、現在進行形でいろんなことをしていかなくてはいけない。いたわりより、親孝行よりも。
 そんな考えも束の間、講演会で真剣に聞いて下さる若い方々の眼差しに引き込まれ、たちまち仕事モードになる。
 講演後、取材も兼ねた私共は、長崎・丸山町にて卓袱(しっぽく)料理をいただくことに。昔、遊郭があったという、怪しげで風情ある丸山は大好きな町。2週間先まで予約が取れない「花月」の代わりに、皆で過ごした料亭では、円卓を囲み、長崎ならではの甘い煮物、角煮、おしるこをいただく。
 同行した社員に「こんなご馳走、一生に一度の経験よ」と最初から最後まで恩着せがましくガミガミ言う私。けれど馬耳東風の彼らは、マイペースでおかっつぁま(女将)の話に耳を傾けて料理を堪能している。私はさらにしつこく「絶対に最後の一口まで残さないでよ」と釘を差す。
 そんな様子をじっと見ていた友人は、
「本当にあんたって、中学生の頃から変わらないわね。一生この調子なんだろうね」
と、ほとほと呆れ果て、社員をねぎらう。
 翌日は、彼らと共に長崎の原爆資料館、日本二十六聖人記念館、孔子廟(こうしびょう)、坂本龍馬像除幕式を駆け回る。その隙に両親は荷佐山(いなさやま)のふもとまで揚げかまぼこを買いに車を飛ばす。皆に持たせるおみやげをと。
 あっという間の一泊二日だった。
 長崎空港で私を見送った父親は、同行した友人に「慶子にあともう一日いられたら、血圧が上がってぶっ倒れてたよ」と、言ったとか。
 羽田に到着したら、すぐさま友人よりメールで知った。
「何よ失礼ね」と文句を言いつつ、さっき飛び立ったばかりの長崎の景色を懐かしむ。
 彼らがいなくなったら、私はまた一つ基盤を喪失する。だから今を最大に楽しんで生きなければいけない。東京と地方、離れて暮らす老親や友人は常に変わることなく、人生にいてくれるのだから。
 毎度のことだが、仕事の場面にひょっこり顔を出す親や友人と、MP社員は気楽に付き合ってくれる。彼らにも頭が下がることしきり。
 我が社は家族経営ではないものの、編集部には時たま社員の子どももアルバイトにやって来る。小学生の息子を連れてきたK次長は、作業台で我が子に切手の貼り方を教えていた。
 昔の日本式カイシャの良さ。社員旅行や忘年会はなくても、日々働く中で手助けしてくれる社員の家族もかけがえのない存在だ。

長崎・丸山の後は、ユースホステルに泊まったスタッフ一同。
長崎・丸山の後は、ユースホステルに泊まったスタッフ一同。

12月某日

 朝のインタビュー前に立ち寄る吉祥寺スタバ、外のデッキにて。
 冷たい風の吹きすさぶ中、ピンヒールブーツが似合う若い母親が、同じくフェラガモノのエナメル靴を履くオシャレな母親と立ち話をしている。
「ママ、おうちに帰ろうよ」とレザーコートの裾をひっぱる子ども。上の子を幼稚園に送ったあと、スタバに集い、よもやま話に花を咲かせる彼女たちは女子大生のようだ。
 巷では待機児童の数が増え、仕事に出たくても出られない母親が急増中。横たわる格差。富と貧の境界線はこんな朝の光景にも感じる。
 先日、ニュースで住宅ローンが払えない父親が、「失業した今、生活は妻のパート代5万円でやりくりしている」と訴えていた。一家4人、このままでは1200万円の住宅ローンが返せず、自宅を手放すしかないという。
 父親は年の頃30代。一方ではブランドに身を包む若い母親が朝のコーヒーを楽しんでいる。どこで人生の分岐点は始まるのか。両親によってか、嫁ぎ先か。もし私が今、失業したら、どうするか。
 とりあえず、アルバイトの掛け持ちをしつつ、家財道具、服などイギリスで集めた身の回りの物を売り払うだろうな。
「ころんでも金を離すな」は、広告代理店D通の社訓。我が社もD通の真似をして、創設時は同じ社訓を掲げたっけ。どんな不景気でも、稼ぐ道は無限にあるはずだ。
 いろいろなことが頭をよぎる。

12月某日

 子どもを抱えて走り回った20代。預け先を探して、探して、働きつないだフリー編集者時代を思う。
 子どもは社会の宝と言いつつ、仕事を始めたい母親にとって、子を預けられない現実は最大のネックだ。
 イギリスの人々の細切れに働くワークシェアリングは「イギリス式 年収200万円でゆたかに暮らす」(講談社)などで何度か紹介した。
 思えば、彼女たちは子育てを終えた中高年だった。彼女達は庭仕事、掃除などヘルパー的仕事をしては小銭を得ていた。
 ならば、社会経験豊富な子育てを終えた日本の女性も、待機児童や高齢者の面倒を見て賃金を得るしくみは作れないのか。
 責任の重い仕事だけに煩わしさも伴うだろう。けれど、世の中の需要と供給をうまくつなげば、必ずお金は流れるはずだ。
 人材が適材適所に流れないがための格差増大。人手が余っているのに人材不足の業界は、空き家があるのに家のない人々を彷彿させる。

12月某日

 新刊「老朽マンションの奇跡」(新潮社)へのインタビューが続いている。新宿の編集部と吉祥寺の「明星ハイツ」を行き来する私のもとに社員の「ハヤト君」から連絡が入る。私がスタジオで育てていた白バラが枯れそうだという。栄養剤を入れたが効かないのだそう。
 1年前、足の踏み場もなく散らかった部屋の住人だった彼は、アパートに帰るたび「早くどこかに出かけたい」と、落ち着かなかったとか。今では週末の朝、ベランダから走る中央線を眺めつつ、コーヒーを飲むのが楽しみだという。本当に良かった。これからも機会があれば、住む楽しさに満たされる家を造ろう。
 アパート経営に行き詰まっているオーナー様方や不動産業者様からもメールやお電話をいただいている。リフォームのご相談は想像以上に多く、てんてこまい。担当編集者の秋山氏より連絡が入り、増刷が決まったと聞く。嬉しい。
 読者様のメールはプリントアウトして、お手紙は専用の引き出しにとっておく。あとで読み返すと、企画のヒントにつながるし、へこたれた時元気が出るから。

12月某日

 ここ数ヶ月、明け方になると目が覚める。ついに更年期障害が始まったかと、行きつけのレディスクリニックで相談したが、ホルモンのバランスは問題なし。つけっ放しのテレビ、もしくは読書ライトのせいだろうか。
 目覚めて再び眠れればいいのだけど、徐々に頭は冴え始め、心配事や煩わしいことばかりが亡霊のように浮かび、考え始めると眠れなくなる。昼間、せかされている時は無我夢中だが、明け方一人で考え出すと悲観的になるのはなぜだろう。
 たとえば政権交代で驚くばかりの政官癒着が引きはがされようとしているのに、鳩山資金疑惑が浮上した。細川政権の二の舞にならぬよう、どうかしばらくは生かしてほしい。ここまで役人の暴利が暴露された以上、昔に戻るのは絶対に嫌だ。
 ぐっすり眠っていい時にあえて案件を並べたてて、不安の種をまき散らす自分。そんな時は、枕元に積み上げた読みかけの本の中から、気分に合うものを引っ張り出し、数ページ読んでみる。
 通勤電車での覚醒した読書は最高の愉しみだが、明け方のもうろう読書は、自分の心細さを封じ込める最高の一手だ。
 最近では「早わかり近現代史」(PHP研究所)、「詩人たちのロンドン」パディ・キッチン著(朝日新聞社)に加え、自分の著作も拾い読みしている。
 私の場合、時間が経つと書いた文章がほとんど頭から消えるため、自著でも一読者として楽しめる。
 音楽のサビを繰り返し聴くように、好きなパーツは何度も読む。そうするうちに暗闇が少しずつ白々と明るくなる。鳥のさえずりが聞こえ始め、読書による安らぎと布団の暖かさですっかり落ち着いてくる。
 外は刺すような冷気に違いない。すると別な事が気になってくる。こんな瞬間、路上に暮らす人たちはどうやって暖を取っているのだろうか。ここまでくると、今度はこのぬくもりを申し訳なく思う。多くの労働者に炊き出しを続ける山谷教会(伝道所)、失業した人々を支えるもやいの会、年末にはまた米を届けなければと、自分ができるいくつかのことを数え上げて一日の始まりを迎える。
 もうすぐメリークリスマス。そしてハッピーニューイヤーだ。
 今年一年も、良き仕事ができました。MPや著作を読んで下さった方々に支えられました。ありがとうございます。そして、皆様の来たる1年にたくさんの幸せが詰まっていますように。

中島啓江さんとラジオスタジオで


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2009年  2008年  政治と暮らし