東京・吉祥寺の賃貸専門業者、Sさんと久しぶりにお目にかかった。知り合いに紹介され、かれこれ10年近くお付き合いしている彼は、駅前の小さなビルで、長く地元賃貸業者として頑張ってきた一人。吉祥寺の賃貸事情に詳しい。
Sさんは、すっかり真っ白くなった頭をかきつつ、老眼鏡の奥からギョロリと大きな目玉をのぞかせる。
「いやぁー、吉祥寺もリーマン以前は、1ルーム8万円は取れたのにねぇ」
昨秋のリーマンショック前後で賃貸物件の動きも、住む人の思考も、すっかり変わったそうだ。
まず、6畳間に満たないワンルームは、荷物が多く、家ごはん指向になった若者が敬遠気味。トイレと風呂が一緒、お湯をザバザバ浴びれないユニットバスもNGとか。
「景気のせいだけでなく、少子化で子どもの数も減ってきた。新築できれいなアパートを建てて、高い家賃を取ろうと、もくろむ大家さんも多いけどねぇ。借り手の給料が下がっている今、部屋探しの基準も変わってるんですよ」
Sさんは大きなため息をつきながら新築ワンルーム物件の図面を広げ、やれ空室だらけだ、やれこのご時世で8万円台前半の価格をつけるなんてと、ぼやく。
考えてみると、吉祥寺に限らず、人気の高い街は古いアパートやマンションが多い。特にメンテナンスしなくても、老朽物件でも需要があるから借り手はわんさか集まり、グルグル回転する。
ところが、このような人気エリアで新築を建てようと思ったら、そこそこの広さの土地だけで億近い価格になるから、家賃設定はバカ高い。よって借り手も着かず、結果さらし物件となってしまうのだ。
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これまで、いくつかの講演会やイベントで新刊「老朽マンションの奇跡」(新潮社)について話をすると、みなさんがとても興味を持って下さった。
住みたい街で常にNo.1となる吉祥寺に500万円で廃屋同然のマンションを買って、200万円(車一台分)で丸裸リフォームをしました。しかもロンドンで見たフラットです。すると、「私も同じことをしようとしていたんですよ」という声が続々上がり、びっくりする。
本書を書き終えた今も、私のもとには安くていい家が見つかったら、ぜひ教えて欲しいという依頼が続いている。
「まるで不動産屋みたいですね」と、周囲があきれるほど、カバンの中には常に「チラシ」が入っている。出物を見つけると「こんなのどう?」と、図面を見せて、自分がいいと思う理由を述べる。これが楽しくてたまらない。仕事ではなく世話焼きの範ちゅうだからなおさらだ。
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これまで私は、古くても、中が汚くても、住まいの価値はロケーションと窓からの眺望で決まると思ってきた。日本、イギリスに限らず、これは住まいにおける普遍の価値だ。
だとすれば、高齢化社会に突入し、不動産が底値という今、住みたかった街に理想の家を持つチャンスは、そこら中に溢れているといえる。
巷では、煩わしい老朽物件を売ることも貸すこともできない高齢者や、古い家(マンション)を相続によって譲り受けた家族が困り果てている。アメリカのように人口が増えるわけでもなく、少子化社会日本で、家はこれからも余り続ける。
だからこそ、イギリス人のように、古い住宅で理想の住まいを作る技術やセンスがあれば、私たちの生活不安から「住」の部分を取り除くことができるのではないかと思うのだ。
耐震や設備の問題も多々あるものの、古い住宅の最大の魅力は「安さ」にある。
住宅ローンを貸し出す銀行は、大手施工の新築物件に依然こだわっている。だが、年収×6倍を最大の融資枠と見れば、2000万円台の住宅が最も無理がない。月々の返済額もアパート並だ。
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家は人生の土台。日々の暮らしが満足できるか否かは、当然だが、家との出会いが決め手になると思う。リーズナブルに購入した、好きだ、と愛着のわく家に暮らす感動は、そこで生活する限りずっと続く。
逆に、どんなに素晴らしい物件であっても、背負うローンが大き過ぎたり、何となくしっくりこなかったりすると、「いつか買い換える家」だと、どこか落ち着かない。
あの時、周りの意見に流されず、もっと探せばよかった。もっと別の、もっと違うカタチの、もっと安い価格の……考え始めると、わが家でありながら、永遠に自分のものではない空しさがわき起こる。
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18歳から何度も引っ越しをした私とて、同様の苦い思いは何度か経験した。だから「安い」こと、リフォームによって、自分好みに家を替えることの必要性を痛感している。
バーゲンで欲しい物を安く手に入れた時の満足感を思い出して欲しい。高額な家を羨む人はいなくても、安くて良い家なら皆、口惜しがるはずだ。こうなれば、家づくりの苦労とて、愛しい武勇伝となる。
お金を出せば住環境の素晴らしい、見事な家に住めるのは当然のこと。これからはバーゲン価格で家を買い、信頼できる業者と共に再生する。そんな人がもっと増えるはずだ。
すると20代、30代のカップルや独身女性にも、「家を持つ」ことは、ずっと身近になってくる。家具やファブリックにこだわれば、服・靴・バッグより食器や照明にも目がいくし、持ち物の整理もしたくなる。
家にまつわるあらゆることへの興味は、おしゃれや食べ歩きより、もっと骨太で普遍的な気がする。そんな事を整理するように筆を進めた。
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少し話が逸れるが、去る10月の井形慶子ツアーに参加された方の中に、
「なぜ井形さんのスタッフは、喜々としてこんなおばさんたちの相手をしてくれるの? 荷物持ってくれたり、通訳してくれたり」
と、嬉しい言葉を頂いた。
あまり書くと手前ミソを通り越すからほどほどにするが、「家探し」も「旅のお供」も、全ては自分が知り得る良い情報を紹介したいという思いゆえだ。
10月の阪急百貨店うめだ本店の「英国フェア」でも、カンブリアン・ウーレンミルのブランケットはよく売れた。私と猛獣上司とヒカルがウェールズの果てまで、時たま発狂する珍ドライバー、ニックと一緒に探し当てた幻の織物工場。そこで作り出されるブランケットを知った時の感動。
クリスマスの暖炉をイメージさせる暖色系のチェック、ラベンダー色の砂糖菓子のような薄い紫色など、
「200年間、細々と続いた英国一小さな村の工場から取り寄せました。素晴らしい配色です!」
と、お客様に説明しながらも恍惚となる。何ときれいな色、手触りだろうと、見入ってしまう。
大判のテーブルクロスやブランケットは、デパートなどの広い売り場でどんなに広げて確認しても、周囲の空間や喧噪に吸収されて、個性がぼやける。けれど、ひとたびわが家に持ち帰り、日常の家具に組み合わせると、品質の良いものは際立ってくる。ベッドの上に敷くとベッドカバーにもなり、激寒の夜もお布団の暖かさが逃げない。
阪急百貨店の椙岡会長ご夫妻も売場に来られ、2枚お買いあげ下さった。
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その後、椙岡会長にお目にかかった折、
「井形さん、きちんとお客様とコミュニケーションをとっていましたね。あれが大切なんですよ」
と褒められ、有頂天になった私。
そう言えばと、ロンドンの鈍色フラットを思い返した。
20代でなけなし貧乏旅行者の私は、歴史的建造物・古い住宅群の外観に、私ごときが泊まれるのだろうかと、恐れおののいた。が、いったんドアを開け、部屋に案内されれば、スプリングがいかれたベッドの上に無造作にウールの毛布がかけてあるのみ。シミだらけの白い壁同様、方々汚れ、穴の開いたみすぼらしい毛布。コイン式ガスストーブが切れた後、それを体に巻き付けるようにして眠った。
天に伸びるジョージアンスタイルの建物。6畳ほどの狭い部屋だが、天井だけは吹き抜けのように高い。そんなうら寂しい部屋に無理矢理馴染むと、この年季の入った毛布までが似合っていると感じた。
当時、
「この建物はうんと高いのよ。狭い部屋に不満のようだけど、3億円出しても買えないのよ」
と、オーナーのパキスタン人老婆に自慢され、このホラ吹きと、鼻白んだ。だが、彼女の言葉は本当だったと、最近やっと分かった。
あの頃、古い住宅をどうするでもなく、薄汚れた毛布とともに貸し出していた老婆。そこで私は毎晩、高い天井を見つめていた。
もし、あれがホリディ・インなどの一般ホテルだったら、私は今と違う人生を歩いていたかもしれない。ついでに暖をとるブランケットに、さしたる執着もなかっただろう。
全ては持てないことから始まった。持たない人の切実なる夢。
そんな思いが老朽マンションで起きた奇跡に集約されている。
この階段の向こうにささやかな夢があった。
1979. LONDON
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