代表取締役 迫 幸治氏
家賃保証業界の先駆者として業界の健全な発展と普及に尽力している。
スポーツで作る活気ある社会
『全保連株式会社』がユニフォームパートナー契約を締結しているプロバスケットボールチームの「琉球ゴールデンキングス」。「沖縄をもっと元気に!」を活動理念に、沖縄県内でバスケットボール教室の開催、児童福祉施設への訪問や試合への招待、学校での講演会などを行っている。
暮らしを支える家賃保証
暮らしに価値をプラス
「家賃保証」とは、家賃の支払いが滞ってしまった場合などに入居者に代わり、家主や管理会社に未払い賃料の立替払いを行うシステムのこと。高齢化・少子化・核家族化などの社会状況により部屋を借りる際の連帯保証人を依頼するのが困難になりつつある中、『全保連株式会社』はスムーズな賃貸借契約をサポート。多くの人々が快適なアパート・マンションライフを実現できるように、賃貸ライフの頼れるパートナーとして入居者を支えている。
「保証内容とサービスの質ではどこにも負けない自信があります。貸す方と借りる方、それぞれの「安心」を支えることが使命です」そう語るのは迫社長。その言葉の通り同社では家賃滞納があった場合、代位弁済請求書受領の翌日から3営業日後の入金という圧倒的なスピードでオーナーの安定的な収入と資金運用を実現。保証内容も充実、保証期間も入居日から退去明渡し日までカバーしてくれる。さらに、インターフェイスをWeb上で管理する新しいシステムを構築中。貸し手の事務省力化を狙う画期的な構想だ。
「来る民法改正に伴い、業務の流れや審査の基準など対応の遅れがないように準備を進めています。賃貸契約もインターネットでの契約が可能になると考えていますので、変革のときに備えたいですね」とこれからの業界を見据えて迫社長は語る。
設立から14年、沖縄・東京の2本社を中心に、北海道から沖縄まで18拠点を展開。経済・社会情勢の変化に柔軟に対応できる体制を構築した背景にあるのは、確固たる経営基盤だ。
また、同社ではクレーム対応を最重要視している。「クレームゼロ」を目指し、コンプライアンス統括部を設置し内部管理体制の強化と法令遵守の厳正化を図っている。
賃貸ライフに「安心」を提供する同社にとって、「SMBCファイナンスサービス」と業務連携し、スタートした収納代行業務は顧客のより高い信用に繋がっている。市場の拡大への期待感を迫社長は次のように語る。
「同業他社が増えれば市場は大きくなりますが、当然競合も多くなります。ただ、視点を変えればチャンスでもあります。当社と比べる機会が増えれば、必然的に信用度は向上します」
また、一般社団法人全国賃貸保証業協会の会長として賃貸保証制度の健全な発展と普及にも力を注いでいる。
さらに、難病患者に対して相談、就労支援を行い経済的自立への道を切り開く「NPO法人 アンビシャス」を設立し理事長を務めている。
「アンビシャスはすべての難病を持つ方のQOL(生活の質)を高めていける社会を目指し「夢をあきらめず、志を高く、あせらず、一歩一歩着実に前進、自立していく」このような決意のもと難病患者を支援する団体として発足しました」
同団体は沖縄県初の認定NPO法人として認められ、就労の場を確保する為の情報を発信している。
さらに、同社でも沖縄県の障がい者雇用に積極的だ。印刷室を設けて取り組みやすい業務を集約、雇用率を2・9%に押し上げ、沖縄県労働局長からもモデルケースとして訪問を受けたほどである。
雇用面でも体制づくりに余念が無い。まだ6社しか認定されていない「沖縄県人材育成企業認証制度」(人材育成に優れた企業を県が認証)にチャレンジ中。雇用の質を高め意欲ある若者に活躍してほしいとの熱意を感じる。
「常に新たな発想を求めていますが、特に移動中は私の夢の源です。思いついたままではなく、現状に照らし合わせ、落とし込めるものだけを経営に生かしています」
沖縄においては、ラジオ、TVコマーシャル、番組出演、新聞記事掲載など広報活動も活発に行っている。創業20周年を迎える2021年に向けて迫幸治社長から目が離せない。
(ライター/馬場紀衣)
宇仁龍一氏
大手の織物会社の工場で織機を動かしてきたエンジニアとして44年間勤務。退職後、1999年に『宇仁繊維』を設立。社員全員が商品を企画して販売するのが経営コンセプトであり、自らも年間2億円を売る。自社の事業を商業ではなくあくまで工業と考え、次々と新しい手を打って成長を続けている。
国産にこだわる「機屋」
「たしかにコストは、中国産などに比べれば高くなりますが、お客様が求めるものを作っているのだから売れる。自社工場で作るので、国産品ではおそらく当社が一番安いはず」と、同社の宇仁龍一社長はこともなげに言う。同社の生地を買うのは、薄物生地を使うブラウスなどの婦人服メーカーだけではない。フォーマル、メンズカジュアル、バッグ、靴、和風小物などの企画・製造・販売をする会社でその数3000社。近年では、インナー(下着)メーカーからの引き合いも増えている。同社が、基準の厳しい国際規格「エコテックス規格100」の認証を多くの品目で取得したことが、その業績アップを後押しした。肌に触れる繊維だから体に悪い材料や製法を採用しないで作らねばならない。
こうした製品の企画、デザイン、販売を社員たちが自分でこなす。社員は約170名だが、「服が好きで、アイデアをカタチにしたがっている社員ばかり集まっている」ことも同社の強みだろう。開発した製品のサンプルは数万種レベルだ。だが、本当の強みは「機屋(はたや)」という事業の核をブレさせないこと。石川県にある工場の機械はノンストップで生地を織り続けているから顧客からの注文にも即応できる。「100反、200反とまとまったロットでも3日で出荷できる。500反の実績もあります。もちろん1反からでも注文を承っています。プリントものならさらに3日、縫製に3日かかったとしても1週間で納入できます。これ以上時間がかかるようではお客様が待ってくれません」
海外生産でこのスピードや小ロット・多品種注文に対抗するのは無理だろう。また、国産品に求められるのはこうした対応の迅速さだけではない。やはり「メイド・イン・ジャパン」ならではの品質やデザインだろうが、その点でも同社はニーズに応えている。昔ながらの、江戸小紋のような柄や和風テイストのもの、あるいはチリメンのような手触り感をうまく取り込んだオリジナルブランド『江戸小紋』シリーズを立ち上げて好評を得ている。その種類だけでも3万種を超えた。大阪だけでなく東京や名古屋に設けたショールームや展示会で顧客に披露する。
こうした企業努力のすべては、宇仁社長が常々言う「見て『ハッ!』とし、着て心地良く、わくわくする服地を、より早くお客様に提供するため」だ。そして、とうとう海外への進出も軌道に乗せた。中国の上海と北京に「小紋貿易有限公司」の店を出し、展示会も開催するようになった。もちろん「小ロット・多品種・短納期」という要望に応える仕組みは国内の場合と同じ。加えて品質やデザインでも評価される日本ブランドのファブリックを、海外のテキスタイルメーカーやアパレルが買う時代を再来させたともいえる。「日本で売れるものなら、海外でも売れる」という宇仁社長の信念が実を結んでいる。
成熟したかに見える市場が、実は常に新陳代謝している市場であり、量から質、質からセンスやブランド力で競争するステージに入っている。『宇仁繊維』の終わらない挑戦が、「もの作りニッポン」の戦略は、こうした成熟市場への再挑戦にあるのではないかと思わせてくれる。
(ライター/左門恵)
早瀬實氏
1940年、愛知県名古屋市長良町生まれ。1959年に工業高校卒業後、プレス会社に就職するが、金型製作の必要性を上申。同時に米国開発の通信教育を受講して科学的な金型製作の技術を学ぶ。1979年に『株式会社 ナガラ』を設立。翌年、社屋新設して操業開始。大手メーカーとの直接取引、海外技術協力、新工場建設と積極的に事業を進め、バッテリー再生など新分野へも進出している。
金型で産業を支えるプロ
早瀬氏が手がけてきた金型は多岐にわたる。ミシン、織機、タイプライター、冷凍機、エアコン、石油ストーブ、洗濯機、厨房機器。工作機械そして自動車。産業用機械から身近な家電品まで、素材も各種金属からプラスチックまで。もし、これらの部品を金型なしで作っていたら膨大な時間とコスト、複雑な技術が必要になり、製品の品質もバラつく。金型がモノ作り産業を支えるといわれるゆえんだ。
『ナガラ』は、金型中心だが製品も事業も多様化している。「金型にはプレスなどで加圧して成型するもの、溶かした金属やプラスチックを流し込んで固める射出成型、叩いてカタチを出して行く鍛造成型などがありますが、金型を取り付けて動かすマシン側に問題があっては、せっかく精度の高い型を作っても不良品が出てしまう。どうすればきちんと成型できるかを知っているのは私たちだから、そのための装置や機械、検査具なども次々に開発してメーカーに納入してきました。もちろん当社でも使います。大切なことは、メーカーの相談に乗れるだけの知識と技術と設備を持っていることです。新しい部品を作るのに、コストも納期も作業手順も考えて、どういう金型にすべきかを提案できなければいけない。いくつの金型をどう組み合わせれば望むカタチになるか、シミュレーションで検証もします。すべては問題解決のための技術です。リバースエンジニアリング事業もそんな問題解決技術のひとつとして生まれたものです」と早瀬氏は説明する。
同社のリバースエンジニアリングは、作成時のデータが残っていないとか、手修正を加えて変形した金型の再現、修理あるいはスペア作りの技術である。そのスグレものが「非接触3次元測定」装置で、プロジェクターから投影されるパターンをCCDで立体撮影してデータ化する。大型部品でもミクロン精度で計測できる。しかもどこにでも出かけて測定できる。
『ナガラ』では、こうした業務の拡大に伴い、工場の増改築を段階的に進めている。本社工場はこの8月に北工場が増設される。また大型用の三重工場は5期にまたがっての増築工事が進んでいる。食堂付き、屋上緑化の建物になる。新工場には「システムエンジニアルーム」が設けられ、取引先メーカーの若い担当者たちの技術習得の場にする構想だ。そこには早瀬氏の〝思い〟がある。
「設備と技術が目の前にあってモノ作りが基礎から勉強できる。メーカーでは、こうした施設を作れないのが現状で、私たちがやるしかない。人を育てることは自分も育つこと。切磋琢磨が私たちにも刺激になる。そして人材、人脈が本当の財産になることは私の経験からも言えます」
他にも、バッテリー再生や海外との技術協力など、『ナガラ』を語る話題はたくさんあるが、それはまた別の機会にしよう。
(ライター/土谷晴)
宮井茂氏
埼玉県三郷市出身。学業修了後、大手自動車ディーラーに就職。父親が体調を崩したことから、家業の「三郷プロント」に就職。製造現場で10年の経験を積んだ後、代替わりを果たし会社を経営。
上質なスニーカー
学校卒業時の宮井氏は、『三郷プロント』を創業した父親の家業を継がずに大手自動車ディーラーに就職。営業として3年勤めたころに、父親に声をかけられたことを契機に家業に入る事を決断したという。しかし、靴の製造経験がなかったため当初は苦労の連続だった。
「小さいころに少し手伝った程度でほとんど知識はありませんでしたから、まずは現場の仕事を覚えることから始めました。ただ、家業に入ってからは給料がディーラー時代の半分以下になってしまいました。それでこれでは難しいという話をしたら「靴をつくるにはいくつかの工程がある。一つひとつずつ覚えていけば、給料は上げていく」と言われました。ですから、早く仕事を覚えようと懸命に励みました。朝早く工場に行って夜遅くまで作業をする繰り返しでした。10年は現場にいて、紳士用の革靴を製造する技術は完璧に身に着けましたね」
作られた製品は大手メーカーに納入し、あるメーカーからの増産依頼に応えるために新しい工場に移転。しばらくは順調に増産していたものの、受注は徐々に減産し、最終的には安定していた頃の半分にまで激減。窮地に立たされた宮井代表は父親と共に営業に奔走し、様々な仕事を請け負ってきた。そんな中、「自分の靴を作りたい」という気持ちから、宮井氏は、忙しい仕事の合間を縫って試作品を製作。試行錯誤を経て完成した自社ブランドのスニーカーは、辛い時期に生き残りを図って生まれた自信作だ。
「靴が売れなくなっているこの時代に、今のままでは淘汰されてしまうと感じたことから、自分たちで何かを発信していこうと考えて自社ブランドを立ち上げたんです。3年前に発売して以来、かなりの手応えを感じていますね」
自社ブランド『PRONTO』は、宮井氏のこだわりが随所に感じられる上質なスニーカーだ。しかし、本革・革底使用の靴は高価だったことから、商品企画の方向性を見直すことを検討。知人の紹介で出会ったのがイタリアの有名な「ビブラム」社のソールだった。
「デザインが珍しく、一目で気に入りました。オープンながらこのソールを使っているブランドは無く、これを使ってレザースニーカーを製作することに決めました」
同ソールは耐久性・機能性に優れ、軽くて安全性が高く、長持ちするラバーソールが特長でスポーツやトレッキング、ミリタリーなど幅広い場面で使用されている。このソールの加工には高い技術が求められるが、同社の高いノウハウで実現を可能にした。スニーカーには国産レザーを贅沢に使用し、中敷にはラテックススポンジを起用することで履き心地を追求。また、作り手の負担軽減に配慮し、縫製方法にも工夫が施されている。開発から生産までの工程を国内自社で行う一貫体制で高い品質を維持。オパンケ製法で1足1足、丁寧に仕上げたレザースニーカーは皮製品でありながら赤・青・黄色と豊富なバリエーションを用意。優しい色合いのスニーカーは足に馴染み、歩きやすいだけでなく、毎日のコーディネートをぐっと引き立ててくれる。
「私が社長職を引き継いだのは特に難しい時期でした。でも、それを悪いことだと感じるかどうかは考え方ひとつだと思うんです。それに、自社ブランドに着手できたのも厳しい時期だったからこそなんです。以前は本当に色々な仕事を請け負っており、そのおかげであらゆる靴の製法を習得することができました。当時培った経験により、自社ブランドのスニーカーの開発も可能になるなど、今に生きているんです」と宮井代表は語る。
現在、『三郷プロント』は海外での展開も視野に入れている。その一つが中国だ。
「中国・大連でショーケースに『PRONTO』を並べてもらっています。中国では今、ステータスになるからと富裕層に高い靴が売れる時代で、これはチャンスだと思いましてね。先日大連に足を運んでオーダー会を開催したところ、25足の注文がとれました。足を採寸してのオーダーメイドのような形ですので、自分だけの靴というのがまたステータスになります」
メイド・イン・ジャパンの名に恥じない上質なスニーカーは中国だけでなく、東南アジアやアメリカなど各国で高い評価を得ている。
「将来的には、現地に置いてあるスタッフに採寸してもらい、データをPDFで送ってもらって中国に出向かなくても製造できる体制を整えたいですね。中国だけでなく、世界中の色々な国に展開していきたいと考えています」
世界市場をターゲットに、国内外を問わずグローバルな展開を見せる『三郷プロント』の今後に注目だ。
(ライター/馬場紀衣)
稲垣宏一氏
三重大学医学部卒業。卒業後、京都大学附属病院や浜松労災病院で勤務医として経験を積む。その後、スタンフォード大学に留学し心筋梗塞の治療薬の開発に携る。帰国後は心筋梗塞をはじめ緊急性の高い治療に従事。
心・脳梗塞
突然発症し、命を奪うこともある「心筋梗塞」「脳梗塞」。命が助かったとしても、適切な治療を早急に行わなければ麻痺などが残り、不自由な体での生活を強いられてしまう恐ろしい病だ。病気の原因となる動脈硬化は本人に病気としての自覚がないため、普段から認識を高めておく必要がある。そのために注意したいのが、糖尿病や高血圧、脂質異常症などの生活習慣病だ。
人々の長寿と生活の質の維持を目標に、心筋梗塞と脳梗塞のない地域づくりを目指す『いながきハートクリニック』の稲垣宏一院長に、心筋梗塞と脳梗塞から大事な体を守るための予防方法を伺った。
同院では、生活習慣病の治療と管理、禁煙指導などにより心・脳血管疾患の予防と老化予防に力を入れている。予防策について、稲垣院長は次のように語る。
「普段の生活習慣病に気を遣っていれば動脈硬化にならず、心筋梗塞・脳梗塞の予防になります。ですから、それは非常に重要です」
動脈硬化を防止するには、食事や運動などの生活習慣を見直し、良好な健康状態を維持していくのが有効だ。しかし、生活習慣病に関しては多くの人が誤解していると稲垣院長は指摘する。
「血圧が高いので薬を飲みなさいというと、『薬は怖いから飲みたくない』と言われる方がいるんですね。薬を一回飲むとずっと飲み続ければならないんじゃないかとの迷信があるからです。問題なのは、血圧が高いことであって、薬はしょうがなく入れるという感じです。血圧が高い状態が続くと物理的に血管を壊してしまいます。血圧を高いままにしておくことは非常に危険なことなのです」
それは、ちょうど水道のホースに高い水圧を長く与え続けて壊れてしまうのと同じこと。そのため、きちんと圧を下げてあげるのが重要だという。
「最近は非常に良い薬が出ていますので、それぞれの患者さんに合わせて的確に適正に調整することができます。不要なときはきちんと止めればいいですし、ずっと飲み続けるわけではありません。まずはご自身の生活習慣を見直してください。太っている人ならば、体重を減らす。食事は塩分を減らす。定期的な運動も重要です。生活習慣の改善により血圧の薬が不要になることもあります。毎日血圧測定をして、定期的に医師の診察を受けることも重要です」
コレストロール・血圧が上がりやすい、糖尿病を発症しやすいなど生活習慣病は遺伝性が強いので、血の繫がった人がそのような病気を抱えている場合は特に注意が必要だ。
糖尿病と脂質異常症に関して、食べ物と運動に気をつけることが非常に重要であると稲垣院長は語る。
「血液中に糖やコレステロールが増えすぎると、直接血管を痛め動脈硬化を来たします。定期的に血液検査を受けて、血液中の血糖値、コレステロール値を確認してください。血糖やコレステロールが高い場合は、まずは食事制限、適度な運動による生活習慣の改善に心がけてください。必要ならば薬による治療も受けてください。特にコレステロールを下げる薬は、寿命を延ばすことが証明されており副作用も少ないので、嫌がらず医師の指示に従って治療していってほしいですね」
血圧やコレストロールが高くなり、糖尿病になっていても症状が出にくいので、なによりも症状の早期発見が必要だと稲垣院長は語る。体に問題がなくても、定期的に健康診断を受けるべきだろう。
「重症になってしまうと当然入院しなければなりませんが、同院ではそうなる前に、心・脳梗塞になりにくい状態を維持することを目標としています」
地域の循環器を守るための設備を整えるため『いながきハートクリニック』では、専門性の高い最新機器を導入している。「心臓・動脈硬化ドッグ」はぜひ定期的に検査を受けて欲しい。
また、心臓・動脈硬化予防だけでなく、老化による肌のシミ、しわ、肌荒れを防ぐエイジング点滴も行っており、疲労回復ニンニク注射や滋養強壮ニンニク注射、プラセンタなども手掛けている。老化を遅らせることができれば、心血管疾患の発症を予防できるとの考えからだ。
「生活習慣病を予防するとアンチエイジングにもなります。アンチエイジングの向こうに心筋梗塞・脳梗塞を予防するというのがあります。血管が年をとると、臓器が悪くなり心・脳梗塞を引き起こします。ですから、血管をキレイにすることが大事です。血管の寿命が人間の寿命なんです」
常日頃から問題がなくても定期的に病院に相談するなど患者自ら症状にコミットしていく姿勢が大切だ。注意すべき点について稲垣院長は次のように指摘する。
「まずは太らないように体重を維持すること。煙草を吸わずに、適度な運動をすること。この3つを守れば生活習慣病になりにくくアンチエイジングもできます。そして、夜はしっかり眠ること。眠らないと血圧も上がりますし、身体的な疲労が取れないと負担がかかります」
不調を感じた場合は早めに病院へ。正しい知識が、健康に長生きできる体を作り上げてくれるはずだ。
「ストレスのない健康的で規則正しい生活をする。定期的に検査を受けて、早期発見・早期治療をする。これにより、相当な確率で心筋梗塞・脳梗塞を減らすことができます。生活習慣に気をつければ、いつまでも若々しくいることができます」
(ライター/馬場紀衣)
影山敦子氏
27歳で保険会社のセールスレディになり、営業所の支部を3ヵ所に増やす業績に貢献、所長を務めた後、55歳で退職。元請け会社の撤退で独立を模索していた建築板金職人の夫と2006年に『あいわ』を設立、社長に就任。財団法人中小建設業特別教育協会が「安全教育活動を積極的に行っている企業」と紹介。
建築職人の夫とコラボ奏功
影山さんが、夫で建築板金職人の正氏を会長に会社を立ち上げたのは2006年。新築、増改築、リフォーム、内外装工事の設計施工で信頼を得てきた一般総合建築会社だが、最大の特長は、影山社長が女性の心遣いと目線で営業を担っていることだ。建設業界で女性が営業で活躍するのは極めて珍しいといい、夫婦二人三脚ぶりが異彩を放つ。
「私は27歳から55歳まで保険会社のセールスレディをしていました。本当は 60歳の定年まで勤め上げるつもりでしたが、夫の元請け会社が撤退したのを機に独立の話が持ち上がり、セールスレディの経験を営業で生かせると思い、二人で会社を立ち上げたのです」
保険会社のセールスレディ時代、影山さんが勤めていた営業所は最初3人ほどの規模だったが、業績を伸ばして、退職するころには支部が3カ所に増え、所長まで務めた実績が自信の土台になっている。しかし、会社設立当初は景気低迷の逆風に立ち向かう努力の日々だったという。
「設立した数年後にリーマンショックがあり、仕事も資金も充分ではない大変な時期を過ごしましたが、営業のノウハウには自信がありましたし、飛び込み営業から始めて、地道にお客様を増やしたことと、お客様の希望を叶える確かな施工技術で乗り切ることができました」
今では従業員を13人抱えるまでに会社は成長したが、営業努力に加え、業績伸張を牽引したのが、施主、特に家事を担う女性の潜在的ニーズを把握する社長の洞察力と会長の技術力のコラボレーションだ。
(ライター/斎藤紘)
上村允郎氏
鹿児島県・屋久島出身。高校まで屋久島で過ごし、大学進学のために大阪に移る。卒御後、大阪の建築事務所に就職。転職を経て大規模修繕工事の仕事で経験を積み、2012年に独立、『株式会社K15建築設計事務所」を設立。マンション管理設計セミナーなど講演も行う。
危険性をプロから警告
タイル貼りは、まずコンクリート面に数㎜厚の樹脂モルタルを塗って平滑にし、その上に目地材を塗り、タイルに圧力を加えながら貼っていく。最後にタイル間の隙間に目地材を詰めて仕上げる。剥離・落下の原因はこの工程が適切に進められずに起こる。例えば、①コンクリート打ち放し面の下地処理が不適切。つるつるした表面に下地材を塗ると、経年と共に大きな面で剥がれやすくなる。大半の現象はこれだ。コンクリート面の高圧洗浄や目荒らしを行って付着力を高める必要性がある。②貼るまでに時間をかけ過ぎる。目地材を塗った後、通常は1時間以内に貼らないと目地材が乾燥固化する。③タイルを貼る際の圧力不足や④職人の技術不足も原因になることがある。
タイルの浮きや亀裂を調査する方法としては、①打診棒での打診調査。浮いている箇所のタイルは打撃音がカランカランと軽い音がする。②タイル引張り試験。専用の試験器を用いてタイルを引っ張る。国交省の仕様書では0・4N/㎡以上が必要だが、下回れば健全に見えてもいずれ落下の恐れがある。③赤外線カメラでの診断。タイルに浮きがあるとコンクリート面との間に隙間が生じ、その温度が高いので周囲とは色が変わって表示される。
ともかく、不安がある場合は、詳しい知識と経験を持つ専門家に調査依頼すること。診断から修繕の費用や工期の計画を立てて早めに取りかることが肝心だ。
(ライター/土谷晴)
坂東一英氏
北海道生まれの千葉育ち。20歳の時に父親の実家がある大阪へ移り、 自動車関係の仕事や飲食店経営を経て建設業界に入る。2014年2月に独立して『泉建設』を設立。東日本大震災の復興に役立ちたいと従業員と東北で現場作業に従事。社員旅行で従業員を沖縄に連れて行き、みんなで楽しむのが夢。
信用を支える現場作業能力
「建設業界で働いた後、取引先の後押しを受けて2014年2月に独立し、建設事業を始めましたが、仕事を探す中で、東日本大震災の復興事業の一環として福島で焼却炉をつくる仕事を紹介されたのです。復興の役に立ちたいと考えていましたから、すぐにアクションを起こし、仕事が正式に決まって、2週間後には福島に乗り込みました」
仕事の現場で坂東氏が最も大事にしているのが信用だ。
「自分がしたことは全て自分の糧になります。後悔しないよう自分の精一杯を大切にしてほしいと従業員にも言っています。与えられた仕事には精一杯取り組み、その上で後悔するようなことになれば、それを次に生かす、それが信用につながっていくと思っています」
坂東氏は現場に入ると、まず全体を見渡して先々の段取りを考え、必要な手を予め打っておいてから、作業にかかる。この手法が円滑な作業を支え、5人の作業員が必要な現場でも坂東氏ともう1人いれば対応できるほどの現場作業能力と評価されるようになった。
こうした姿勢は、独立前に働いていた建築現場で、バケツなどの道具を放ったらかしにして、工事部長から「道具も大事にできない奴は、一人前に仕事ができるようにはならん」と強く叱咤されたことを機に、仕事と向き合う心構えを変え、奮起したのが原点。「今後も、志を同じくする仲間を増やし、育てて、東北にも営業所を置きたいと考えています」。東北の復興に寄せる坂東氏の思いは熱くなる一方だ。
(ライター/斎藤紘)