日本が誇るビジネス大賞 2016


イギリス生活情報誌 
月刊
ミスター・パートナー
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TEL.03-3352-8107
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代表 桃井信弥さん
秋田県出身。1979年、歯科技工士の国家資格取得。歯科医院勤務を経て 1992年、川口市に精密義歯、オールセラミック、ジルコニア、インプラント上部構造などを製作する歯科技工所「ファーストファイン」開設。2005年より技術向上の為、臨床面での活動を開始。2008年からBPS®認定歯科技工所としてBPS®デンチャー製作開始。2009年、蕨市にラボを移転。
QLOの向上に資する義歯の製作に注力
咬合力、審美性を叶える先端技術を追求

アンチエイジング効果を強調
高齢者の肺炎予防意識し製作


 QOL、クオリティ・オブ・ライフ、生活の質。人が心身の健康や幸福感などどれだけ人間らしい生活を見出しているかの尺度を表す。歯科技工所『ファーストファイン』の代表桃井信弥さんは、歯がしっかり噛むことができる状態を実現して生活の質を向上させることを命題に、先端技術で義歯や補綴物、矯正装置などを形成している歯科技工士だ。
「歯を失っても、きちんとした入れ歯であれば、口元がきれいになりますし、心理的にも安定します。顎の位置がしっかりするので、自然と姿勢もよくなって、全体として若返ってみえるようになります。きちんとした義歯はアンチエイジングにも通じているのです。入れ歯の製作に当たっては、歯科医師とよく話し合い、指示書に書かれない細かなことまで頭に入れてから製作に取り掛かるようにしています」
 桃井さんは歯科技工界の動向に注意を向け、より良い義歯の製作に資すると判断すれば、新しい技術の修得に励み、機器も積極的に取り入れてきた。今、力を入れているのが『BPS®デンチャー』。リヒテンシュタインに本社があるイボクラール・ビバデント社が開発した生体機能的補綴システムによって製作する義歯のことだ。欧州や米国の歯科大学でも教育カリキュラムに取り入れられているシステムだという。
『BPS®デンチャー』システムは機能性、審美性を兼ね備えた超精密義歯を製作するシステムです。『BPS®デンチャー』は自分の歯のように噛めるのが最大の特徴です。これまでインプラントでしか実現できなかった、しっかり噛める咬合力、自分の歯のように見える審美性が入れ歯でも可能になります。BPS®の研修コースを受講し、トレーニングを重ねて認定された歯科技工士のみが製作を許されています」
 歯科技工士の国家資格を取得したのは1979年、以来、「噛むことは生きること」と胸に刻み、仕事に取り組んできた。高齢化が進む中で、今、心を砕いているのが「噛む」力が弱った高齢者の健康だ。
「日本人の死亡原因の3位は肺炎。肺炎で亡くなる方の9割以上が75歳以上の高齢者で、その多くは食べ物をうまく飲み込めず、細菌が唾液などとともに肺に流れ込んで生じる誤嚥(ごえん)性肺炎が原因といわれています。よく噛んで飲み込めれば発症リスクは抑えられるのです。認知症や高血圧、糖尿病の予防にも歯の健康は関与しています。患者様のQOLに寄与する入れ歯を製作し、医療費削減に貢献したいと思っています」

ファーストファイン
TEL:048-420-9224 FAX:048-420-9224 Eメール:info@first-fine.com
ホームページ http://www.first-fine.com/

株式会社 GNR
代表取締役 千田明氏
学業修了後、電気通信事業者工事の大手「株式会社東電通」(後の「株式会社ミライト」)に入社。通信工事の施工管理に従事。東営業所所長、EGW工事部長、取締役などの役職を歴任。退職後、2011年5月に電気工事業、電気通信工事業を業務とする『株式会社GNR』を設立し、事業を牽引している。
東海道五十七次の歴史を辿る旅・枚方〜伏見
電気通信工事のプロの飽くなき探求心

 大阪府枚方市で電気通信設備工事業を手掛ける『株式会社GNR』の代表千田明さんは、歴史への造詣が深く、中でも以前勤務していた大阪市中央区北浜の「ミライト」社の支店近くに、東海道五十七次の起点とされる高麗橋があったことから、その道程をエンジニアらしい探究心で詳細に辿っている。東海道五十七次とは、江戸時代西国の大名は京都を通過することを禁止され、大阪・京橋から京都を迂回して大津に抜ける道程をとっていたことに由来する。今回は枚方から伏見への道程を辿る。
「大阪以外の人は『枚方』をなかなか『ひらかた』と読めません。さて街道は、三栗(めぐり)を越え村中を通り、阪今池を迂回するように続きますが、崩壊した神社の鳥居を右折し、穂谷川に出ると垂仁天皇(すいにんてんのう)の命により、出雲より呼び出され当麻蹴速(たいまのけはや)と相撲をとり勝った野見宿禰(のみのすくね)が勧請したと言われる片埜(かたの)神社①に出ます。片埜神社は豊臣秀頼の時、片桐勝元に命じ鬼門神社として修復され一時は国宝でしたが、花火の火で火災となり、現在は重文であります。また末社として菅原道真公の乗馬がここに葬られ藁草が供えられたことから瘡神(皮膚病の神)とした瘡(くさがみ)神社②と天孫降臨の際、瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)の道案内をしたという猿田彦大神(さるたひこのおおかみ)を祀っている朝原神社③があります。また近くに、枚方市民が選んだ枚方八景のひとつ牧野の桜④の広場があります。桜の季節には市民が夜桜を楽しんでおります。そのまま京阪牧野駅の踏切を超え右折すると街道に戻ります。府道13号線(旧国道1号線)を京に向かって進むと左に淀川を挟んで、羽柴秀吉と明智光秀が戦った山崎の遠望に心を馳せ、右折と左折を繰り返し進むと旧街道らしくなります。次の辻を逸れて東の方に進み突き当たると交野(かたの)神社⑤に出ます。交野神社は桓武天皇が父、弘仁天皇を祀ったのが始まりとされ、本殿は重要文化財です。その右手の森⑥の中を行くと右手に小高い丘に貴船神社が鎮座します。やはりこの付近も水に悩まされた人々の祈願により勧請されたと思いますが、ここは「506年に継体天皇が即位した樟葉の宮跡⑦」の伝承の地でもあります。現在の天皇家の始祖と思われ、応神・仁徳の河内王朝が武烈天皇の時、後継者を次々と殺害したため、皇位継承者が居らず皇位継承権があるのは天皇五世の孫までなのでぎりぎり応神天皇の五代の孫、出身は近江の三尾(父方)・越、現在の福井県丸岡 (母方)で成長した男大迹(おほど)が大伴金村に迎えられ、最終的に武烈天皇の姉である手白香(たしらかのいつらめ)の婿入りのような形で20年程かけ奈良に入りました。また、交野の杜の南には平安貴族が月を映して鑑賞したと思われる鏡伝池(きょうでんいけ)⑧があり、今も時代を超えて鑑賞してみたいような気になります。さて街道に戻り、久親園寺をへて幕末に鳥羽伏見の戦いで、最終決戦の場である楠葉砲台跡⑨に出ます。外国船襲来から京を守るため設置されたものですが、対岸の討幕軍に向けられました。さて街道は久修園院(くしゅうおんいん)⑩を経て橋本⑪に出ます。町はずれに柳谷の渡しの碑があり対岸の島本町に渡っていたようです。しばらく道なりに行くと右に八幡市駅・石清水八幡宮(源義家がこの地で元服して八幡太郎と名乗りました。また、エジソンの発明した電球のフィラメントに八幡の竹が使用されたことでも有名)を後方に見ながら左折し御幸橋⑫を渡ると背割り堤があります。背割り堤は、木津川・宇治川・桂川が合流して淀川となりますが、いきなり合流させて洪水のもととならないよう合流位置をずらした堤⑬であり、春の桜の季節には250本の桜見物に善男善女が集まります。京滋バイバスを潜り、次の交差点を右折して旧街道に戻ると美豆(みず)に出ます。美豆は木津川に面した納屋(江戸時代に建てられた商業用の倉庫)浜納屋⑭の建物が今にも崩壊しそうな状態で残っています。石段から直接船に積み荷を上げ下ろししていたようで、今にも階段を登ってくるような活気のあった昔を感じます。元に戻り街道を行くと京都競馬場に突き当ります。左折して淀城⑮に向かいます。淀君の淀城でなく江戸時代に木津川・宇治川・桂川の合流点に建てられた淀城で、春日局の夫である稲葉家が淀藩の藩主として廃藩置県まで150年程藩主を勤めたところです。ここから先伏見まで見どころはあまりありませんが、淀藩が淀城を開放しなかったため幕府軍が総崩れになった鳥羽伏見の戦いの激戦地でもあり、戌辰激戦地の碑があります。今も花が絶えず供えられ、時代に奔流された人々は勝っても負けてもいつの時代も悲しいものです。ここから先は宇治川に沿って伏見に入り歴史的な場所が増えてきますが、またの機会に紹介したいと思います」。

株式会社 GNR
TEL:06-6910-0600 FAX:06-6910-0601
ホームページ http://www.gnr-a.co.jp/


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