今の大ヒットはこれだ!! 2017


イギリス生活情報誌 
月刊
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理事長 井﨑和夫さん
病後児を預けられる貴重な保育園
医師の理事長だからこその厚い信頼

地域になくてはならない保育園
その秘密は理事長にあり

 理事長が外科医師の保育園が横浜市に3つある。「あおぞら保育園」「あおぞら第2保育園」「あおぞら谷津保育園」は、いずれも『社会福祉法人あおぞら』によって運営されている人気保育園。特に「あおぞら第2保育園」には、病後児保育室「あおぞら病後児保育室さくらんぼ」が併設されている。理事長井﨑和夫さんの医療分野での経験と知識の賜物だ。50年前から病児、病後児保育の必要性を感じていたという。理事長が医師であるということで、何かあればすぐに適切な処理を行ってもらえ、アドバイスももらえるとして病後児保育室は働く両親たちから大絶賛。「この保育園があって良かった」といわれることが何よりもの喜びだ」と語る井﨑さんの理念は「保育は教育なり」。医学部の教養課程で学術的教養を学んでいた頃から頭にあった考えだそうだ。外科医として活躍する中、我が子を預けていた保育園の嘱託医を引き受け、保育園と関わるようになったところ、その抜群の指導力や親切な人柄が評価され理事長に。今ではかつての卒園生が成長し、結婚後、「『あおぞら』に子どもを預けたいから」と地元に戻ってくる人もいるほど人気で2018年にはさらに、市立保育園が民間移管される。また、「あおぞら第2保育園」には、近年増加している、子育てに悩む親御さんをサポートする「地域子育て支援センターいちご畑」も併設し、地域の幸せな親子関係を力強く支えている。

社会福祉法人 あおぞら
TEL:045-481-0875 FAX:045-481-0820
あおぞら保育園 TEL:045-481-0875
あおぞら第2保育園 TEL:045-413-1114
あおぞら谷津保育園 TEL:045-784-0540
ホームページ http://www.yokohama-aozora.com/

よか・スパ!
代表 熊谷知実 氏
宮城県仙台市出身。2011年、脱サラして鍼灸師になる決意を固め、福岡天神医療リハビリ専門学校で学び、2015年、はり師、きゅう師の資格を取得し、医薬品登録販売者試験にも合格。2016年、『よか・スパ!』開業。特殊な金属電極を使う低周波ツボ刺激療法「SSP療法」で治療実績重ねる。
夏の過度の冷えに注意喚起
東洋医学的療法で体調改善

冷えは全ての病気の原因
ツボを刺激し血行を促進

「東洋医学では、冷えをあらゆる病気の原因と考えます」
 東洋医学を学び、鍼灸師の国家資格を持つ鍼灸院『よか・スパ!』の代表熊谷知実さんは、冷房や冷たいものの飲食による夏の「冷え」に注意を促す。
「冷房も適切に行えばいいのですが、ついつい冷えすぎという状態におちいります。冷たいものの摂りすぎも同様、冷えが体に一番よくないのです。冷えにより血管が収縮し、血行不良になると、やがて血液がドロドロになり、体の組織に老廃物がたまり、さらに排泄、分泌力が低下して、あらゆる病気の原因になるのです。低酸素、低体温は、体の細胞、組織を破壊して、炎症性の疾患の原因にもなります」
 金属電極を使う鍼で過度の体温低下も治療してきた熊谷さん。
「夏場の冷えによる不調は、東洋医学的には体をあたためるツボにお灸をする、鍼で副交感神経を亢進させて、血流を良くする、手足のツボを刺激することで、本来の体の状態に戻すことが可能です」

よか・スパ!
TEL:092-406-9155 FAX:092-406-9155 Eメール:info@yoka-spa.com
ホームページ http://www.yoka-spa.com/

株式会社 GNR
代表取締役 千田明氏
「株式会社ミライト」で通信工事の施工管理に従事。東営業所所長、EGW工事部長、取締役などの役職を歴任。退職後、2011年5月に電気工事業、電気通信工事業を業務とする『株式会社GNR』を設立し、事業を牽引している。
大阪の橋を訪ねて −前編−

 今回は、大阪の橋を紹介したいと思います。大阪と言えば母なる川、淀川は滋賀県の琵琶湖を源流とする宇治川・三重県青山を源流とする木津川・京都府美里を源流とする桂川(保津川下りで有名)が八幡の背割り付近で合流して淀川となり、大阪湾に流れこんでいます。しかし、母なる川も一旦、怒ると周囲に大きな災害をもたらします。明治18年、枚方・大阪に大洪水をもたらしました。大阪市内の井戸水は、塩分を含み飲料水に適さず淀川上流の水を買っており、水害の被害に増してコレラが発生して、被害が増大しました。その時、大阪のほとんどの木橋は流失してしまいました。事後、三川の改修はもちろん大阪市内を通過させず新淀川を開削するとともに、鉄製の橋に架け替えるとともに上水道事業の整備が行われ、約130年間にわたり大きな被害もなく現在に至っております。さて本論に戻り、大阪はイタリアのベニスとも比較されるぐらい、水の都と言われ、堀川があり往時は水運により、商業が発展しました。明治に大阪駅が出来た時でも堀川が駅前まで引かれたと言うぐらい水路が発達しておりましたが、時代の流れとともに、堀川も殆ど埋め立てられ、江戸の八百八町に比べ八百八橋と言われた水運も陸上輸送に変ってしまいました。実際は江戸の橋の方が多かったようですが。江戸時代は大阪の固定資産税に当たる租税が免除された代わりに橋の架替や補修は公儀橋(大阪は12橋のみ)と言えども、付近の住民が人夫出し費用を拠出しなければならず、大阪の食い倒れは食べ物ではなく補修に必要な杭から、杭倒れとも言われて来たようです。それでは新淀川の毛馬の閘門で水量調整された大川(旧淀川)に架かる橋からご紹介したいと思います。上流から毛馬橋・都島橋・桜の宮橋(通称、銀橋と言われ国道1号線に架かり、付近に桜の宮神社はもちろん造幣局・明治天皇が命名された泉布館があります。)・川崎橋(吊り橋で歩行者専用でそのまま南へ下れば京橋で夜の照明に輝く橋は見ものです。)・浪華の三大名橋でもあり公儀橋でありました天満橋・天神橋・難波橋があります。後者の天満橋・天神橋は名前の通り、大阪天満宮の管理の橋であり補修の為、通行料を取っておりましたが、江戸時代に公儀橋となりました。天満橋は地下鉄・京阪電車の交点でもあり、橋の北側は天満橋筋、南側は谷町筋(大阪は南北の通りは筋、東西は通り)と言われ交通の要所でもあり、交通量緩和の為、橋の上に橋を作ると言う、建設当時は珍しい橋でもありました。また、桜の季節には大川ベリは桜の宮まで桜の名所であり、造幣局の通り抜け・日本三大祭りのひとつでもある天神祭りの陸渡御・船渡御・花火大会には凄い人出が出ます。本来、天満橋は渡辺橋だと思われますが、南北朝時代、生野の戦いで勝利した楠正行氏が、山名・細川氏を追尾していたおり、橋より川に落ちた500人程の敵が溺れかけているのを助け手厚く京都に帰しました。この美談により日本が国際赤十字に加盟する機会を得た場所でもあります。
(つづく)

株式会社 GNR
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