「書においては、技術と精神が大切であり、現代では技術だけが先行して精神的なものが欠けている」といい『書心書道院』では「上手い下手の以前に、肉筆の文字には伝わる心がある。若い人たちにも書を通じて心を学んで欲しい」と、院長の清水正尚氏(号 鐘眼)。
|
手ではなく、心で書く真心の一筆
日本の歴史ある"書の精神"を後世に伝える
日常生活において筆を握る機会は減少しているが、それでも筆を手にすると気持ちが引き締まり、心が静まるという人も多いのではないだろうか? 『書心書道院』の清水正尚院長に、"心を学び、心で書く"書道の真髄を伺った。
世田谷区の『書心書道院』では、書道を通して大切な日本の精神と技術である〝書の心〟を後世に伝え続けている。院長の清水正尚氏(号鐘眼)は、陸軍士官学校を卒業し、少尉任官後15日で終戦を迎えたそうだ。激動の時代を生き抜く中、勤務していた帝人三原工場より、正規将校たりし故の追放解除と共に書道教師を委嘱され、導かれるように書道の道へと進んだ。戦後来し方の殆どは、私の意志というより戴いた御縁と神仏や先祖・父母・兄妹その他の御加護による御蔭だと語ってくれた。
時代の移り変わりと共に、日本の教育も明治・大正・昭和・平成と様々な変遷を辿ってきた。明治より長らく続いた、小学校低学年から筆を握って勉強する慣わしが、時代の流れによって鉛筆やペンへと移行し、現代では筆を持つ機会は学校でも確実に減少した。その結果、筆で文字を書く手先の技術だけでなく、日本人の伝統的な〝書の心〟も忘れ去られようとしているのは、大変遺憾なことだと言えるだろう。
書が〝心画〟と呼ばれるように、筆の跡にはその人自身の性格や生き方が表れる。筆を通して〝心を書き〟、神仏を念じながら〝心で書き〟、真心込めて書く姿勢を同院では指導しているそうだ。
近頃では、年賀状や手紙など、あらゆる文章に活字が用いられ、文字としては読みやすくなった。しかし、心のこもった肉筆の手紙に勝るものはないと清水氏は語る。技術面も勿論大切であるが、〝書道〟、つまり神かけて誠実な〝道〟、書の精神こそ私達が学ぶべきことだろう。
(ライター/下田美保)
|