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照天神社 神主
金子雄貴氏
國學院大学文学部神道学科を卒業後、幾つかの神社に務めるが、その形骸化した悪体質に嫌気がさし、職を辞して『照天神社』の神主に。参拝者の悩みを対話式で聞くなど、独自性を打ち出し、人気の神社に仕立て上げた。次代のニーズをとらえたお神酒「幸運のワイン」なども柔軟な発想から生まれたもの。 |
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心の豊かさを失った我が国の犠牲者
自殺や孤独死した方を供養したい
日本では今、年間で自殺者が3万、孤独死する人が1万5千を超えている。
こんな国だからこそ、『照天神社』の金子雄貴神主のもとには、
自殺・孤独死現場の供養・お祓いの依頼が引きも切らないという。
金子神主が孤独死や自殺現場の供養を始めたのは10年ほど前のこと。孤独死の遺体が半年ほど放置された部屋が最初の現場だった。依頼主は、方々をたらい回された末に、金子神主のところにやってきたという。なぜなら、その現場の惨状が凄すぎたから。
「そこに入ったら着ている着物はもう二度と使えない、それほどの臭気でした」と金子神主は当時を振り返る。しかし、金子神主はひるまず供養・お祓いを行った。
迷わず行動を起こせたのは、それまでの経歴が物を言っていた。大学卒業後、願い通りに神社に奉職できたが、そこで酒に酔った神主の虐めや早朝から深夜まで強いられる過労、権力者に媚びを売る人々、そんな陰湿なものを見せられ、独自の神社を作り上げることを決意。元は2坪ほどの訪れる者も少ない小さな『照天神社』から始め、自分の理想の神職の姿を追い求めてきた。
お祓いだけではない、悩みや相談をじっくり対話しながら聞く独自のスタイルが評判を呼び、10年もする頃には多くの参拝客が訪れるように。そんな時に受けた前述の依頼。
頼られているのに損得で考え断るような神職ではいけない。「自殺も孤独死も、国の悪い歪みによってもたらされた悲劇、その被害者のためにもなる」と考え、最初の依頼から4年後には、自殺と孤独死現場供養の専用ホームページを立ち上げた。世の需要が増していることもあり、テレビ番組で取り上げられることもしばしばだという。本来なら、こうした依頼は少なくなった方がいい、しかしながら誰かがやらなければいけない、それが金子神主の仕事である。
(ライター/庄司興治)
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Model : Kana Photograph : Toshinao Fujita