令和のベストヒット大賞 2019


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HGF作用のしくみ
HGFは、肝臓の細胞を増やす因子として1984年に日本で発見されました。 最初は、肝臓の病気の治療薬として研究されていましたが、HGFの遺伝子を投与することで血管を新しく増やす治療法が1995年に大阪大学の森下竜一教授らの研究チームにより発見。血管が詰まり血流が悪くなっている虚血性疾患に対し「血管を新生する」というこれまでにない作用を有する治療です。


注射によるHGF遺伝子治療
(末梢性血管疾患)
2019年3月、重症虚血肢を対象としたHGF遺伝子治療用製品の条件及び期限付製造販売承認を取得。これは、標準的な薬物治療の効果が不十分で血行再建術の施行が困難な慢性動脈閉塞症における潰瘍の改善を効能、効果又は性能とするもので、国内では初の遺伝子治療用製品となります。

教授
森下竜一 さん
大阪大学大学院医学系研究科
臨床遺伝子治療学 教授
NPO法人血管医学研究推進機構 理事
大阪大学医学部卒業、米スタンフォード大学循環器科客員講師
内閣府規制改革推進会議委員・健康医療戦略本部 戦略参与
2025大阪・関西万博具体化検討会委員などを兼任
遺伝子の力で血管を作り出し重症虚血肢を治療
国内初の遺伝子治療薬が登場。厚労省が有効性認める

内皮細胞増殖因子に鍵
阪大での研究がベース


 2019年3月、血管医学が新たな段階に入ったことを示す動きがあった。高齢化に伴って増える閉塞性動脈硬化症やバージャー病など重症虚血肢に対する国内初の遺伝子治療用注射剤が厚生労働省薬事・食品衛生審議会再生医療等製品・生物由来技術部会で条件及び期限付製造販売承認が了承されたのだ。
 この治療薬の開発ベースになったのが、『特定非営利活動法人血管医学研究推進機構』の理事を務める大阪大学大学院医学系研究科臨床遺伝子治療学寄附講座の森下竜一教授などの研究。血管を新生して治す治療、いわゆる再生医療を目指したもので、これまでの療法や術式では治療や改善が困難な症例にも効果が期待でき、かつ患者に対して痛みも少ない低侵襲、そんな夢の治療が大きく前進、実現する。
 重症下肢虚血は、血管の閉塞により下肢の筋肉に血液が適切に供給されず、下肢の血行が悪くなる病気で高齢化や糖尿病、慢性腎臓病の増加に伴って右肩上がりで増えている。下肢の血行が悪くなると、安静時に痛みが出たり、進行すると治癒困難な皮膚潰瘍や感染症から壊疽になったりすることもあり、最悪の場合は下肢の部分的切断または全切断が必要になる。年間の発生率は、10万人に50人から100人といわれる。重症虚血肢患者の20%は、既存の療法に反応せず、下肢切断を余儀なくされ、生活の質QOLが著しく低下する。さらに、膝下切断患者の場合、5年生存率が50%との報告もある。
 この疾患に対し、遺伝子を使って治療する注射剤は「HGF遺伝子治療薬コラテジェン(ベペルミノゲンペルプラスミド)」といい、大阪大学発のバイオベンチャー、「アンジェス株式会社」(大阪府茨木市)が開発した。HGF(hepatocyte growth factor)は、肝細胞増殖因子と訳される肝細胞の増殖を強く促進する因子で1980年代に日本で発見された。このHGFの遺伝子を投与することで血管を新しく増やすいわゆる毛細血管が作られ、閉塞している血管の周囲をバイパスするといったイメージの治療法を森下教授などの研究チームが開発、「HGF遺伝子治療薬」の実現へとつながっていく。
 遺伝子導入に関する研究で森下教授は、米国に渡り、スタンフォード大学循環器科の研究員として、糖尿病や高血圧で足が腐ろうとしている末期閉塞性動脈硬化症の治療法を研究。血管を風船療法で広げた時に再度詰まる現象の治療や薬剤溶出ステントによる治療と並行して、血管の再狭窄を防ぐ為に遺伝子を使う研究も行った。この過程で血管の詰まった状態を広げるだけではなく、血管そのものを作れないかといった考えにたどり着く。再び大阪大学に戻った森下教授は、研究グループと共にさらに研究を重ね、HGFに着目した。HGFは、クリングルファミリーという特殊な構造の遺伝子で、発見当初は肝細胞に特異的な増殖因子として考えられていたが、血管を形成する血管内皮細胞や腎尿細管上皮細胞、皮膚ケラチノサイト、肺胞上皮細胞、胃粘膜上皮細胞など多くの細胞の増殖を促進することもわかり、これを利用し血管を新生して重症虚血肢を治す治療法の開発に取り組んだ。そして数年後バイオベンチャーを立ち上げ、「HGF遺伝子からなる医薬品」で特許を取得した。
 その後、(研究者の間では死の谷と言われる)長きに渡る臨床研究を実施、閉塞性動脈硬化症とバージャー病患者にヒトHGFプラスミドDNAを超音波下で4週~8週直接筋肉内投与した結果、潰瘍サイズが大幅に縮小するなどの改善を確認。重篤な有害事象や異常な血管増勢も確認されず、ヒトHGF遺伝子を用いた血管再生の遺伝子治療は安全で有用と判断され、実用化への研究に弾みをつけた。
「末梢性血管疾患や虚血性心疾患の治療は、薬物療法や血行再建術の進歩によって劇的に進歩しましたが、血行再建術がもはや不可能なほどの重症例が増加してきたことも事実です。これらに対しては、決定的に有効な治療法がこれまではなく、対症療法が中心となっているのが現状です。これらに対する新たな治療法として我々が研究を進めてきたのが遺伝子治療を用いた血管新生療法です。HGFは、内皮細胞増殖作用や血管新生作用を持ち、さらにその増殖作用は、内皮細胞に特異的であるため、動脈硬化性疾患への治療効果が期待できます」と森下教授。
「アンジェス」社は、今後5年以内を期限に、重症化した慢性動脈閉塞症に関する十分な知識や治療経験を持つ医師のもとで「HGF遺伝子治療薬」を使用治療開始し、評価を行う。「HGF遺伝子治療薬」の販売に関しては、田辺三菱製薬と国内及び米国における独占的販売契約を締結し、同社が販売を担当する。
 森下教授が理事を務める『血管医学研究推進機構』は、不特定多数の一般市民に向けた特定非営利活動法人。一般市民だけでなく医師、研究者に対しても、積極的に血管新生、再生治療、がん血管新生抑制治療に関する情報提供活動、普及啓発、相談などに関する事業を行う健康・福祉の増進に寄与することを目的に設立されたNPO法人。閉塞性動脈硬化症やバージャー病など重症虚血肢と闘っている人たちを対象に「運動療法や薬物療法など様々な治療をしても、足の痛みや潰瘍が思うようによくならない。そんな慢性重症下肢虚血の患者さんのために血管再生療法という先進医療の研究が進められています」と日々啓発を深め、情報を発信し、相談の専用ダイヤルも設けている。
(ライター/斎藤紘)

特定非営利活動法人 血管医学研究推進機構
専用コールセンター/03-6625-4490
ホームページ https://www.angio.jp/

院長
姜 良勲 さん
三重大学医学部卒。大阪市大整形外科入局。2013年、『きょう整形外科・神経外科クリニック』開設。日本脊椎脊髄病学会指導医、日本整形外科学会認定脊椎脊髄病医、日本整形外科学会専門医。
新時代の医療「脊椎手術における
個別化医療(パーソナライズド メディシン)」

テーラーメイドの
最小侵襲脊椎手術
 兵庫県・阪神尼崎駅の駅前にある『きょう整形外科・神経外科クリニック』は、入院ベッド8床の有床診療所で最小侵襲脊椎手術専門の医療機関として有名だ。開院5年を過ぎ、開院以来の脊椎手術件数は1250件を超えた。日本全国から手術希望患者が集まり、アメリカからも手術を受けに来る患者さんがいる。また、世界各国から最小侵襲脊椎手術分野の専門医が手術見学、研修に訪れている。とりわけ、「腰椎変性すべり症」・「腰椎分離すべり症」・「腰椎変性側弯症」に対する内視鏡を用いた腰椎前方固定術は国際学会での招待講演依頼が続いており、世界の専門家の称賛を浴びている。本年度は、最小侵襲脊椎外科の国際学会であるACMISSTのBest Oral Presentation Awardも受賞した。
 クリニックは手術室、MRI装置、CT装置、DXA(デキサ)X線骨密度測定装置を備え、何より脊椎内視鏡分野の専門性の高い手術器具が数多くあり、日本でこのクリニックにしかない特殊な医療器械もある。スイスから取り寄せて薬機法認可した器械や、院長が開発して薬機法認可した器械などがある。
 手術は、薬機法認可している器械のみを用いて、保険診療の範囲内で工夫を凝らした最小侵襲手術から、薬機法で認められていない器械を使っての自由診療対応の最新手術まで行っているが、保険診療内で対応できる場合がほとんどだそうだ。
 現在の医療陣は、院長の姜 良勲(きょう よしのり)先生と脊椎外科医長の石井啓介先生の2名が常勤脊椎外科医として、さらには、それぞれの病院で脊椎センター長として活躍している脊椎脊髄外科指導医2名が非常勤医の立場で勤務し、エキスパート4名での脊椎手術を行っている。麻酔を担当する医師もそれぞれの大学麻酔科講座の現職の准教授、現職の教授が定期的に麻酔を担当しているのをはじめ、エキスパートで構成されている。

 このようにハイレベルの医療を提供している『きょう整形外科・神経外科クリニック』院長の姜 良勲先生に、令和の幕開けに際して、新時代の脊椎外科医療に向けてどのような取り組みを行っているか伺ったところ、次のようなお話を頂いた。
「これからの医療を語るにあたり、『パーソナライズド メディシン』という言葉があります。患者個人個人の病気の状態、体の性質を知り、最大の治療効果と最小の副作用(合併症)を目指す計画的医療です。我々の専門分野である脊椎手術においては、様々な合併症が報告されています。合併症の中には患者の状態からすれば、避け難いやむを得ない合併症から、避けることが出来たのではないかという合併症まで色々なケースが含まれているとは思います。手術というものは、人の体に行うものであり、完全に保証して出来るものではありません。決まりきった機械のメンテナンスとは、根本的にわけが違います。医療法に基づき、厚生労働省が示しているガイドラインにおいても、『絶対安全な手術等は医学上あり得ない』と明記されています。そして、我々、医師は『インフォームド・コンセント』を行っています。『インフォームド・コンセント』とはわかりやすく言えば『説明と同意』のことであり、手術前に必ず行います。患者さんの状態、治療方法の一般的な説明だけでなく、重要事項や通常よりリスクがあると考える場合は作成した同意書において、アンダーラインや、枠囲みをしてその箇所を強調して説明します。さらなる追記を行うこともあります。そういう中、できるだけ、合併症が生じないように対策を講じる必要があるわけです。当院では『パーソナライズド メディシン』を追求し、最大の治療効果と最小の合併症率を目指す計画的医療を行っています。具体例として当院で行っている『パーソナライズド メディシン』の最前線を二つ御紹介致します。一つは、内視鏡下腰椎前方椎体間固定術における術前3D CT/MRI合成画像(図1)、もうひとつは腰椎後方椎弓根スクリュー固定術における患者適合型手術支援ガイド(図2)です。術前3D CT/MRI合成画像の脊椎手術への臨床応用はパナソニックと共同開発を開始し、現在はコニカミノルタジャパンと開発を進めています。造影剤を使うことなく3次元的に神経、血管、尿管などを描出し患者個人個人の術前解剖学的評価を行うものです。ビジュアル的に分かりやすく、より安全な場所から内視鏡を挿入して腰椎前方椎体間固定術(図3)を行うのを支援します。また、患者適合型手術支援ガイドは患者自身の腰椎3Dモデル及びガイドを術前に作成(図2)し、安全にスクリュー固定を行うものです。変性側弯症(図4)では椎体が著しく回旋し、スクリュー固定の向きが術中、非常に分かりにくい場合があり、そのような例には有用です。術中の放射線チェックの必要性も少なく、被曝量も軽減します。石井医長が中心となって取り組んでいます」

 日本では『パーソナライズド メディシン』と言うより、『テーラーメイド医療』『オーダーメイド医療』といわれることが多い。『パーソナライズド メディソン』という言葉も含めて、いずれも同じ意味合いの言葉だ。新時代の医療として遺伝子治療分野でのテーラーメイド医療開発が注目を浴びているが、脊椎手術分野において『きょう整形外科・神経外科クリニック』医療陣の『パーソナライズド メディシン』の取り組みは、令和時代のエキスパートにまさにふさわしい。
(ライター/渡辺唯)

きょう整形外科・神経外科クリニック
TEL/06-6411-0714
ホームページ http://kyoh-clinic.com/

約200種類以上の生薬・漢方の中から、患者さんにあわせて調合する。
店主
西口一志 さん
和漢薬の大学として知られる富山医科薬科大学(現富山大)薬学部卒。薬剤師の国家資格を取得し、漢方専門の会社、薬局に勤める。その間、中国人医師の下で漢方(中医学)を学ぶ。2003年『相談薬局太海堂漢方』開局。
がん治療の課題と対策を提示
HPで情報発信し注意を喚起

漢方薬剤師の知見示す
がん治療について助言


 秋田市で『相談薬局太海堂漢方』を営む薬剤師の西口一志さんが、HPで発信する情報量は膨大だ。特に、生涯で日本人の2人に1人がかかるがんについての情報は、中国の伝統医学に依拠する漢方の利点からがんの三大治療法といわれる手術治療、抗がん剤治療、放射線治療の実情や副作用、病院での治療を生かす方法、食事療法、がんと向き合う心構え、海外の現状まで幅広く、深い知見と長年の経験に裏打ちされた語り口はがんに苦しむ人の道しるべともいえるものだ。
『相談薬局太海堂漢方』では、がん専門相談を業務の柱に掲げ、治療中の人や予防に関心を持つ人などを対象に、症状や経過、体質などを詳しく聞いた上で、弁証といわれる漢方独自の診断で相談者の身体がどんな状態にあるのかを診てアドバイスし、漢方薬の処方も行う。
 こうした丁寧なステップを踏む西口さんに、発信した情報を参考にしながら、がん治療の現状などについてお聞きした。

―がん治療の現状についてどうお考えですか。

「がんの治療法には抗がん剤、放射線、手術の標準治療、免疫療法やワクチン療法、陽子線治療や重粒子治療、ダビンチ手術や腹腔鏡手術、民間療法や漢方薬、食事療法などが存在しますが、そのほとんどが治療する側の都合で、こっちの治療が良い、あっちの治療は良くないなどといっていて、患者さん側の今の状況に対してどれをどのように進めていくのがベストかは考慮されていないのが実情です」

―三大治療法の中で抗がん剤治療に注意を促していますね。

「新薬、新薬と目先を変えて、すべてのがん患者さんに抗がん剤治療をどんどん行っていますが、国民の誰もが薄々気づいてきているのではないでしょうか。抗がん剤治療はあまり効かないのではないか、命を縮めるのではなどと。例え、徹底的に抗がん剤治療をして耐えたとしても、がん細胞をゼロにすることは不可能です。抗がん剤のほとんどは、細胞分裂の速いものを攻撃するように造られています。がんの増殖が落ち着いているときに徹底して抗がん剤治療をしていくことは避けるべきです。正常な細胞のほうが壊れてしまうし、がん幹細胞が耐性を獲得してしまいます。がん細胞が多少体内にあっても、最終的には自身の免疫に応答してもらうしかないのです。ただ、がん細胞が暴れだし、勢いが強くどんなことをしても免疫細胞ではどうにもならないこともあります。この時は、抗がん剤の力をかりましょう」

―病院のがん治療を無駄にしないようにとも説いていますね。

「病院のがん治療は進歩し、治療効果も良くなってきています。しかし、その病院のがん治療だけになってしまうと、たとえ新薬や最先端の治療でがんを小さくしたり、一時的にがんを消したりすることができても、そのほとんどがまた再発、転移しています。実際のデータでもがんの転移。再発率は悪化し、治療期間は長期化し、体力や免疫の低下で多くの方が間質性肺炎、多臓器不全などで亡くなっています。そこで、体の根本の免疫システムや細胞代謝の正常化を促すことが、がんの再発、転移を防ぐために一番必要なことです。そのために、漢方の考えや、天然生薬、正しい食事、運動などの働きを総動員して、病院の治療が無駄にならないようにサポートしていきます」

―がんになった時の正しい食事についてもアドバイスしていますね。

「がんの治療中で食欲や体重が落ちている場合、糖質をとって良いのか迷って悩んでいる方がほとんどではないでしょうか。がんに糖を与えないということばかりに目を奪われていると、違う要因で良くない場合もあります。一方向からの狭い視野の考えにこだわりすぎると良くないこともあります。その辺の微妙な理解がとても大切なのです」

―アメリカでは、がんによる死亡率が低下しているそうですね。

「がんや遺伝子の基礎、臨床研究を長年されている岡野哲郎先生によりますと、アメリカでは10年間位でがんの死亡率を22%も減らしているそうです。その大きな要因のひとつに、今まで第一選択だった標準治療ではなく、中国医学やインド伝承医学、天然生薬などの伝承医療を積極的に国レベルで推し進めていることが挙げられています。岡野先生も、天然生薬によるがん治療の可能性、信頼性を確かなデータとしてバックアップするためにご尽力されています。今のがんの標準治療一辺倒では、良い方向には行かないということも治療に携わるだれもが解り始めています。身体にダメージを与える無駄な治療は減らし、立て直す活力になることは積極的に取り入れることを願っています」

―がんで亡くなった俳優の樹木希林さんの例を挙げて、がんとの理想的な付き合い方にも言及なさっています。

「樹木希林さんのがんとの付き合い方、亡くなり方は、これから増々急増するがん世界へ大切なメッセージを残したと思います。乳がんで全摘手術、全身へ転移し、がんが発症してトータル14年間仕事し、最後の最後までお元気で、家族ともお別れの時間をつくり、息を引きとる。樹木希林さんは、病院の治療を全く拒むわけでもなく、かと言って現代医療にさほど期待しすぎず、今の自分のからだに負担になりすぎない治療だけ施し、あとは自然に任せる。痛みをとる治療や一部に放射線治療だけ施す。すべてのがん細胞を消し去ろうとしない。薬物療法はいっさいやらない。こんな姿勢から学べるものが多くあります」

 国民の皆さんは、はたしてがんに対しての正しい情報・現状を得られているだろうか?
「新しい治療、新しい抗ガン剤ばかりに目を向けられてしまい、『ほんとうにがんを治していくにはどのようにしたら良いのか』の情報には程遠い気がしてなりません。がん細胞は、もともと自身の細胞が代謝異常起こし発生したものです。がんの原因は、強いストレスや血流悪化で萎縮・虚血(酸欠)を招き、その状況下でも細胞が生き延びようと遺伝子発現を起こしがん化していくのです。がん細胞が一時的にできたとしても免疫細胞が応答し、気がつかないうちに治っているケースも多々あります。しかし、この原因が改善されないままだと免疫細胞もやがてがんに操られるようになり、組織にがんが発生します。この原因改善をおろそかにしたまま、病院の治療だけ強く推し進めることが、一番身体を苦しめ、怖いことだと思います。この原因に目を向けながら治療を進めることがとても大切です。この原因改善に効果が確認されている天然生薬や食事など積極的に実行してほしいと思います。どんなに新しい治療、新しい抗ガン剤も、がんを一時的に減らすためにうまく利用すべきもので、この原因改善に作用するものではないことを理解して、転移・再発防止のきっかけにしてほしいと思います」
(ライター/斎藤紘)

相談薬局 太海堂漢方
TEL/018-836-4970 Eメール/info@taikaidou.com
ホームページ http://www.taikaidou.com/

『リンカーン記念平和財団ワールド・ピース・グランド・プライズ』
整術院長
アストラ―ル禮子 さん
東京医療福祉専門学校卒。あん摩マッサージ指圧師の国家資格取得。国際学士院大学で学ぶ。自然医学食養士、東洋医学博士。『アストラールREIKO治療院』開業。リンカーン記念平和財団ワールド・ピース・グランド・プライズ受賞。国際文化推進協議会の社会文化功労賞受賞。
オーラの力で施術する心霊治療
言葉が心癒す心霊カウンセラー

元気を回復した感謝の声
社会貢献でも数々の功績


「身体に軽く手を触れるだけ。患部を強く押したり、もんだりはしません。自然に手からオーラ、極光が出まして、相手の身体を温かくし、血の流れを良くするのです。殆どあらゆる症状を軽減できます」
『アストラールREIKO治療院』の院長アストラール禮子さんは、あん摩マッサージ指圧師という医療系の国家資格を持つ施術家でありながら、その特異な施術法から心霊治療家の異名を持つ。その評判がさざ波のように広がり、現代医学では手に負えない難治療の疾患に苦しむ人たちが救いを求めて遠方からも訪れる。
「難病といわれる心臓病を患い、近代医学ではどうにもならなかった小学6年生が施術で順調に体調が快復したときのことは今でも鮮明に覚えています。原因不明の病がCT検査で奇跡的に好転していると判断された方、血液透析の必要がなくなり普通の日常生活を送ることができるようになった方など元気を回復した人たちからの感謝の声に接するのが私の喜びです」
 施術の不思議な感覚について、肩と背中に激しい痛みを訴えて施術を受け、リピーターになったという女性は「パウダーでもつけているのかと思うようなすべすべする絹のような感じで,身体に軽く手を触れているだけ。不思議に思いながら10分程度の治療が終わりました。少々期待はずれと思いながら治療院を後にしましたところ、胸の中心がスースーする感覚がどんどん広がって、何かが浄化された感じがしました」と述懐している。
 心霊カウンセラーとして、施術後にアストラール禮子さんが語りかける言葉が人生や社会生活の道しるべのように響くという。
「人には情けが必要です。人の心は水の流れのよう。あなたはそれを汲んであげなさい。一杯の水にすべてが含まれているから」「自分も相手も心地よく、いい気持ちになるのが本当の意味での思いやることだと思うの。苦しみのはてに幸せがくるなんて間違いよ」
 アストラール禮子さんは、3歳ぐらいのときに自身の不思議な力に気づいたという。
「夜中に人影を見て怯えていたと母から聞きました。家の中に誰かがいると私は泣くのですが、家族には見えなかったようです。他人を見ると、普通の人には見えない何かが見えたのですが、幼い頃はそれが何かわからず、とても怖い思いをしました。また、身体の悪い方を見ると、自然に患部に手が伸び、そして私が触れると痛みが消えるという、不思議なことが起こっていたのです。そのうちに、両親が経営していた店に来られるお客様から、ついでに治してと声をかけられるようになりました。喘息に苦しんでいたお子さんの身体に私が触ると、喘息の発作を起こさなくなるといったようなことが続きました」
 成長していくにつれ、この不思議な能力を「神様からの授かりもの」と考えるようになったアストラール禮子さんは、人生の進路を決めるに当たって治療家の道に進むことを選んだ。東京医療福祉専門学校で中国伝統の中医学や東洋医学、手技による治療法を学び、あん摩マッサージ指圧師の取得しただけでなく、カイロプラクティックの技術、自然食の勉強も重ね、不思議な力と幅広い知識、技術を持つカリスマ的な施術家になっていった。
「不思議な力で癒しを行う方は私以外にもおられますし、中には宗教家になられる方もいらっしゃいます。しかし、私は宗教に馴染めなかったため、治療家の道を選んだのです。神から授かった力を生かし、様々な症状に悩む方の治癒をお手伝いしたい、その一念から選んだ道です。私が神から授かった力が特に生きるのは、近代医学では回復が見込めない症状です。私は現代医療を否定しているわけでもなければ、拒絶するつもりもありません。神から授かった力を生かして治癒のお手伝いしたいだけです」
 院内での施術だけでなく、遠隔施術も行う。
「時には入院中の方に対し、遠隔施術を行うこともあります。私の力は光であり、光は地球上のどこにでも届きます。実際に、イギリス在住の方の施術をさせていただいたこともありますし、電話越しにお話を伺うだけでもイメージが浮かびますから、遠く離れていたとしても、お力になれます」
 アストラール禮子さんは、社会貢献意欲が人一倍強い施術家でもある。赤十字の「人の命を尊重し、苦しみの中にいる者は、区別なく救う」という精神に共感し、日本赤十字社の活動に様々な角度から協力、その功績で銀色有功章や金色有功章、2016年には紺綬褒章を受章した。また、国際文化推進協議会の社会文化功労賞も受賞、厚生労働大臣感謝状も6回授与されている。また国際文化推進協議会終身特別名誉会員の称号も持つ。さらに第16代米国大統領アブラハム・リンカーンの事跡を賞賛、記念してつくられた米国財団法人リンカーン記念平和財団が民間の生活に直結し役立つ福祉活動などに携わり成果をあげている人物を顕彰するワールド・ピース・グランド・プライズも受賞している。
「私の施術家としての人生も長くなりましたが、ここを最後の砦として頼って来られる方たちのことを考えると、不思議と力が湧いてくるのです。新しい時代にも、この身が続く限り、もうひと頑張りしていきたいと思っています。私と来院される方たちとの出会いは縁です。縁あって出会ったすべての方を苦しみから救ってさしあげられるよう、今後も力の限り尽くしていきたいと思います」
 令和元年のアストラール禮子さんの新たな決意だ。
(ライター/斎藤紘)

アストラールREIKO治療院
TEL/045-573-7999
営業時間/火・金・土曜日 午前8:00〜9:30
<施術> 10:00〜13:00(要予約) <相談> 13:00〜14:00(要予約)
定休日/月・水・木・日曜日・祝日
アクセス/JR鶴見駅西口バス乗車口10番より「北寺尾」バス停下車、または車で約10分

1段目:京都の不思議三鳥居の一つ。蚕の社内の三角鳥居。
京都の不思議な三鳥居ひとつ、伴氏社の台石の上の亀腹に蓮の鱗片が飾られています。
京都の不思議三鳥居の一つ、笠石が唐風である京都御苑内の九条家の平清盛公が母祇園女御のために厳島神社を京に勧請した宗像三女神を祭る。
2段目:京都不思議な鳥居の一つ、伴氏社の鳥木に神額が食込んでいる。
また、道真公が亡くなったおり、高貴の方は都まで遺骸を送らなければなかったが、その際に牛が伏せて動かなくなった所に遺骸を安置した所が現在の大宰府天満宮です。
道真公は大宰権帥に左遷される時馬は使ってはならないと通達され牛車に乗っていた所刺客に襲われそうになったおり、牛が伏せて動かなくなり、事前に災を防げたとする。
3段目:北野天満宮拝殿。
伴氏社 道真公の母の大伴氏の祖廟もと五輪の塔があったが明治の神仏分離により東向観音寺に移設された。
左手は道真公が好んだ梅の梅林、右手は豊臣秀吉公が北野の大茶会を開いた松林。
北野天満宮一の鳥居。
4段目:北野天満宮本殿。
北野天満宮三光門。
飛梅(道真公大宰府左遷のおり、飛んで行ったと言われる梅)。
北野天満宮絵馬所1607年再建。
5段目:文子天満宮。道真公が幼き頃遊んだ北野の地に祀るよう文子と言う巫女にご神託が下り、北野の地に祀られる切っ掛けとなる。
紙屋川方面より、お土居を眺める。8mはあり、秀吉公が神域を大事にして、土塁だけでなく石垣築いた。
お土居下部の紙屋川に架かる橋より、青紅葉をみる。
長五郎餅。
6段目:北野天満宮東門(出ると北野天満宮建設当時余った木材で建てたといわれる上七軒の花街があります)。北野天満宮東門(出ると北野天満宮建設当時余った木材で建てたといわれる上七軒の花街があります)。
上七軒 室町時代北野天満宮を再建した時余った木材で作ったとされる花街。
上七軒屋の風情。付近に西陣があり、花街として栄えた。現在春になると上七軒歌舞練場で「北野をどり」が開催されています。
上七軒歌舞練場。
1段目:千本釈迦堂。
千本釈迦堂本堂。
千本釈迦堂(大報恩寺)門前。
2段目:瑞応山大報恩寺
千本釈迦堂、1221年藤原秀郷の孫義空上人が猫間中納言光隆の家卒岸高より寄進を受けたのが始まり。堂塔伽藍も揃っていたが応仁の乱などの火災にあい堂宇を失ったが、唯一本堂のみ残る。京都市に残る最古の室町建築遺構であり、国宝に指定されています。
おかめ像と高次が立てたといわれる宝篋印塔(供養塔)。
千本釈迦堂の升組。
太子堂(経王堂、明治の神仏分離政策により北野天満宮にあった経王堂が破却されたおり、一切経等が千本釈迦堂で保管された)。

代表取締役
千田明 さん
「株式会社ミライト」退職後、2011年5月に電気工事業、電気通信工事業を業務とする『株式会社GNR』を設立し、事業を牽引している。
3段目:千本閻魔堂。
4段目:石像寺本堂(釘抜地蔵)
千本閻魔堂鐘楼堂(迎え・送り鐘つき堂)
石像寺門前(釘抜地蔵))
北野天満宮から千本閻魔堂まで
物語から知る情念の旅

京都を訪ねて 第8話

 今回は、学問の神様であり、国家鎮護の神である菅原道真公の北野天満宮を訪ねました。
 33歳で文章博士(もんじょう)になるも妬む学者の策謀で讃岐守に転任させられましたが良政をしいたため、新しい政治体制の確立を目指す宇多天皇の元で右大臣となり、貴族にとっては好ましくない政治体制を施行しようとしたため、醍醐天皇の代になり、脅威を抱いた藤原時平(左大臣)の策動により、901年太宰権帥(だざいごんのそつ)に左遷され、903年に冤罪をそそぐことなく病没しました。当時は、他国で亡くなった高官の遺骨は、都に送る習慣でしたが「自分の骨は故郷に帰すことは願わぬ」と遺言したため、葬場にうつすことになったが、四堂というところで牛が動かなくなったため、道真公の霊告であろうとその地に埋葬したのが、現在の大宰府天満宮です。
 埋葬したころ京では、洪水・旱魃・疫病などの天災にみまわれ、死後6年後には時平も亡くなり、時平の妹の生んだ皇太子も亡くなったため、朝廷は正二位を送り、年号も改めましたが、凶変は収まらず、新たな皇太子も幼く亡くなり、有名な清涼殿の落雷事件が起こり、5名が死傷し、それが原因で醍醐天皇も病気となり譲位後、崩御されました。このような凶変に、道真公の怨霊に恐怖が増すばかりでしたが、多治比文子という巫女に「在世の頃、しばしば遊んだ右近の馬場に祠を建てよ」との託宣が下りましたが、かなわず、5年後に近江の国の禰宜の子に神託が下り、東向観音寺最鎮と藤原師輔により社殿が造営され、現在の北野天満宮となりました。御霊信仰と豊作を約束する雷神が習合して天神となった道真公は、王城鎮護の神、学問の神とし昇華しました。それでは、一の鳥居を潜ると左側は梅林、右側は北野の大茶会が開かれた松林、誰が参加しても良いが参加しなければ事後、茶会を開くことがかなわずと令を出したそうですが、10日の予定を1日で取りやめるなど、天下人の身勝手さが垣間見ることができます。
 少し進むと、左手には、伴氏社(道真公の母の五輪塔があったそうですが、明治の神仏分離で東向観音寺に移設)があり、京都の不思議な鳥居(足元の亀腹が蓮の花びらになっており、蚕の社・京都御苑の九条家の厳島神社の鳥居とともに京の不思議な三鳥居のひとつ)があります。さらに進むと三光門があり日光東照宮の彫刻を感じられます。
 三光門を潜ると拝殿があり、右近の飛梅(道真公が左遷されるとき「東風吹かば匂いをこせよ梅の花あるじなしとて春な忘れそ」と歌を詠んだところ、大宰府まで飛んで行った梅に因んでいる)と左近の松があります。
 道真公にお参りして、青もみじの季節なので豊臣秀吉が京都の防御と洪水から都を護るため、築いたお土居と青もみじを鑑賞しましょう。お土居は、本来土盛ですが天満宮の神域でもあるので神社側は石垣で築かれ、紙屋川側は8mくらいの堤となっており、もみじの群生地で東福寺のもみじ以上かなとも思われました、雨上がりのもみじの青さと空気に感動しながらお土居を後にして、秀吉公が北野の茶会に出された饅頭に名前を付けられたという長五郎餅を買って、東門を出て室町時代に天満宮の再建のおり、余った木材で作られたという上七軒の花街を訪ね、「北野をどり」で有名な上七軒歌舞練場を後にして、千本釈迦堂(大報恩寺)を訪ねました。
 応仁の乱の折にも火災を受けなかった本堂(国宝)は、長井飛騨の守高次を棟梁として建築中、四本の本柱の一本を誤って短く切ってしまい、同じような柱を探したがみつからず、失意の折、妻の阿亀が「残りの柱も短く揃え斗組を置けば」と助言。高次は取り入れ、無事上棟式を迎えることができましたが、女の助言で棟梁の責任を果たしたことが世間に知られては夫の名誉に傷がつくと自殺してしまいました。高次は、阿亀の名に因んだ福面を扇御幣につけて棟札につけ、妻の冥福と本堂の無事完成を祈ったそうで、現在も上棟式で三枚の扇を組合せ、阿亀の面を付けた御幣が棟上げの儀式に用いられ、工事の安全・厄除け・家内安全・繁栄を祈願しているのはここから始まっています。境内には、阿亀の五輪の塔と大きな阿亀像があります(おかめは、お多福ともいい、突き出た額は上ばかり見ず満ちたることを知りいつも感謝の気持ちを絶やさず、膨らんだ頬は両親で自我を張らず父母を大切に、小さな口は災いは口から生まれることが多いので多弁を慎む徳といわれています)。また、西側には教王堂があり、元は天満宮の敷地にありましたが、明治の神仏分離政策により当地に移設縮小されたもので、足利義満が山名氏清の乱後、戦没者を悼んで法華経を一万部読誦する万部経会に由来します。
 それでは、千本焔魔堂を訪ねる前に千本通りの由来をお話ししたいと思います。千本通りの名は、大極殿の前の大通りである朱雀大路(平安京の中心の通りであり、九条通の羅城門まで大通りで約82mの幅員がありました)が、吉野の如意輪寺を開基した真言密教の僧日蔵(朱雀天皇の落胤とも言われる)が、夢で地獄で苦しむ醍醐天皇と出会い、「地獄の苦しみ救うため千本の塔婆(仏像1体に相当すると閻魔大王が小野篁に述べたとされる)を立ててほしい」と訴えられ、千本の塔婆を立てたことに由来します。千本焔魔堂は、小野篁(平安時代の貴族でありながら、現世と冥途を行き来きできる神通力を持つといわれており、ある時亡者の中で閻魔王に呼び出され、帰り行く者を見て不思議に思い、閻魔王に問うたところあの者の遺族が回向のため塔婆を捧げてくれ、清い心で追善供養を営めば地獄に落ちている亡者でも極楽に往生できると聴き、閻魔王より塔婆供養の秘法を授かり、祠をたて自ら閻魔王の像を刻み安置した所です)ここより先は、蓮台野といわれ、化野・鳥辺野・西院河原・華頂山とともに往時は風葬の地であったが、埋葬を進め、地蔵菩薩を勧請されたのも小野篁であります。
 地獄の話まで行きついたので、今回はこれで終わりたいと思いますが、興味を持たれた方は是非お尋ねください。
 最後に、空海が開いたとされる釘抜地蔵(苦を抜くが訛って釘抜となったとも、ある商人が両手に激痛を感じ治療をしても治らないので、7日の願かけをしたところ前世において人を恨み呪いの人形に釘を打ち込んだことにあると告げられ夢から覚めると痛みは無くなり、地蔵菩薩の前に血の付いた釘があったところからとか諸説あり)を訪ね、苦を抜いて貰って筆を置かせて頂きます。

株式会社 GNR
TEL/06-6910-0600
ホームページ http://www.gnr-a.co.jp/

新刊
『明るい保育は未来を明るくする—「積極的保育」のススメ—』
幻冬舎刊 800円+税
「大切なことはみんな保育園で学ぶ~よい保育の場を求めPart Ⅱ~」(DVD付)
フォーラム・A刊 1,852円+税
「よい保育の場を求めて~大切なことはみんな保育園で学ぶ~」
出版文化社刊 1,429円+税
「子どもたちの輝く未来のために子どもの力を伸ばす積極的保育のすすめ」
現代書林刊 1,200円+税
理事長 兼 園長
山本良一 さん
関西学院大社会学部社会福祉・社会学コース卒。大阪市中央児童相談所で児童福祉司として活躍。1976年、「社会福祉法人弘法会」理事長、「大東わかば保育園」園長。大東市児童福祉審議会委員、花園大学非常勤講師などを歴任。
子どもたちの未来を見据え
未来を明るくする保育を追求

新著で社会環境に警鐘
積極的保育実践例紹介


 待機児童問題、保育無償化、事業所内保育事業、保育園騒音訴訟、保育園新設断念、保育士離職、保育園児の列に車…。保育という言葉が見出しになるニュースがメディアを賑わす中、保育園をめぐる社会環境に警鐘を鳴らし、保育園のあるべき姿を示した本が2019年6月に幻冬舎から出版された。幼保連携型認定こども園『大東わかば保育園』の園長山本良一さんの「明るい保育は未来を明るくする『積極的保育』のススメ」。確固たる保育理論の下、約40年間にわたり保育の質を追求し続けてきた教育者人生の集大成ともいえる著書だ。
「日本が直面する最大の課題は、少子高齢化。子育て世代への投資のため、子育て世帯の負担を軽減し、すべての子どもたちが質の高い教育を受けられるようにしたい」
 保育無償化の方針を示した際、安部首相はこう述べたが、山本さんの4冊目となる新著は、111ページの新書版で、副題に「保育はおもしろい! 安心・信頼・感動の3つのキーワードを保育理念に掲げ、40年間園長をつとめた著者が贈る 将来の保育士へのエール!」と掲げ、積極的保育理論に立脚した質の高い教育の実践例が手に取るようにわかる構成だ。
 山本さんは、独自の保育理論「積極的保育」について「現実的な諸問題にとらわれずに、子どもの力を信じて伸ばしていくことを第一に考えて、保育に取り組む姿勢のこと」と説明する。その目的は「自分で考え、意欲的に自分を伸ばすことに取り組み、人の気持ちを思いやることができる子どもに育てること」だが、それを難しくする課題が保育園には山積している現状への懸念がこの理論の背景にあることを暗示している。
「私たちは、どのような時代に生きているのか。例えば、テレビでは、私たちの気持ちを心配や不安にさせるような事柄が繰り返し繰り返し報道されています。新聞でもそうです。私たちの気持ちは、本当によいものをどんどんと押し込められています。人を信頼する気持ちを失っています。そのような現代の私たちが生きている時代にあって、深まるということがないと、我々は人間性をますます貧弱にしていくように思います」
「ニュースになるような事件が起こると、新間やテレビではマニュアルがあったかどうだったかが間題になる。そのことを受けて、行政は現場にマニュア作成を促すとともに、細部にわたって指導をしようとする動きが起こっています。しかし、その運用の実際にまではマスコミも行政もほとんど立ち入って検証しようとする意欲も力も持っていないのが現実です。保護者や市民の大部分は問題が起こっていても、行政やマスコミの姿勢と同一化してしまっていて深く考えようとしないように思えるのです。マニュアルどおりにしないと必ずと言っていいほど保護者、職員のごく少数の人から学校に苦情が寄せられます」
「行政への書類提出、インターネットやメールでの報告、回答が増え各種審議会や保育団体、経営協などからの文書、アンケートなどの事務が増え、現場はその対応に追われ、余裕を失くしている状況がますます進んで来ています。社会福祉法の改革、第三者評価や苦情解決制度の他、諸々の制度が現場に押し寄せて来ているのです。それに加えて、人材確保の困難な状況はますます進み、キャリアアップ研修などの対応が職員をまきこんだかたちで現場にせまって来ているのです」
「地域社会に近いところの市町村レベルの行政組織は、おしなべて市民や保護者からの苦情・問題提起に対して敏感に反応します。市民・保護者の権利擁護、安全性の追求という名の下にすべてが進展するという現実がもたらされています。焼きいも大会はダイオキシン問題やホコリを訴える住民に配慮する。餅つきはO157やノロウイルスが心配という名の下に取り止める。そして、あらゆる苦情に対しては反論しないで聴くことに徹する、という指導が組織的に行われています。たしかに、個々の内容については、子供のために、あるいは住民のためには賛成できる内容もありますが、結局は職員にとって楽である、生活を守るためにうやむやな状態で進展します」
 保育園をめぐるこうした問題を直視しながら、山本さんは強い心を持って職員と強い信頼感で連携して現実的な諸問題を乗り越えて積極的保育を実践してきた。その象徴が「自由遊びの時間」。年齢ごとにクラス分けした保育とは別に、午前8時半~9時半、午後4時前~4時半の2回、1歳児から5歳児までが一緒に遊ぶ。昼食後も1、2歳児、3~5歳児の順に園庭に出て思い思いに遊び回る。1、2歳児が給食後に園庭に出て遊ぶ保育園は公立、民間ともほとんどないという。年齢の異なる子どもたちが合同で運動や劇あそびに取り組んだり、生活発表会、いもほり、星まつり、ハロウィン、登山などの行事を楽しんだりするのも積極的保育の一環と位置付ける。
「子どもだけで家の外で遊ばせることに社会全体が消極的になっている時代、子どもたちが気持ちの向くままに遊ぶ時間を持つことは大切だと考え、導入したのが自由遊び時間です。友達との遊び方を学んだり、危険を察知して避ける力を身に付けたりして、自分を伸ばすことに意欲的な子どもが育っていくのがわかります」
 山本さんは、福祉の道を志して大学に進み、大阪市中央児童相談所の児童福祉士として福祉の世界に踏み出した。多くの書籍から学び、人間としての軸と視座を形成。中でも山本さんの心を動かしたのは私淑する思想家中村天風氏の言葉だ。
「およそ人間として完全な活き方をするには、本当に心を積極的にしなければいけない」
 この言葉を糧に保育に取り組んできた人生の軌跡が新著に凝縮されている。
(ライター/斎藤紘)

社会福祉法人 弘法会 認定こども園 大東わかば保育園
TEL/072-878-4121

園長
山本勇伍 さん
別府市の明豊高校卒。2004年の第86回全国高校野球選手権大会に出場。社会に出て営業マンとして活動後、不動産業に移る。2014年、『合同会社SURIARU』設立、「タンポポ保育園」を運営。2018年、「オハナ保育園」開園。両園の園長。
保育園への不満から園長に転身
世相見つめ独自の保育理念確立

保育指針に人生観投影
我が子同然に向き合う


「子ども達が物事の困難や人と関わることで心を磨き、成長の中で身に付ける人としての誇りを伝統とし未来に繋げたい」
 福岡県春日市で『オハナ保育園』を運営する『合同会社SURIARU』の代表社員で園長も務める山本勇伍さんが打ち立てた保育の理念だ。不動性業界の営業職から異次元の保育の世界に転進、保育の知識ゼロからのスタートだったが、コンピュータへの依存で人間関係が気薄になり、個が重視される冷たい社会に傾いていくと評される時代に何が重要かを考えた末の結論だ。
 この理念を具体化させるために、「一人ひとりの個性、人格を尊重し、将来を考え自立心、協調性に重きをおき、あいさつから人との関わり方など、社会に必要な基礎を育む」ことを保育目標にも掲げた。
 加えて、「子どもの思いをしっかり受け止め、安心した日々の生活が送れるように見守る。また、スキンシップを心がけ、人との信頼や感情を感じ、思いやりや協調の心を育てる」「成長段階に合わせた関わりや環境に配慮し、自立心を大切にしながら、必要に応じて補助をし、基礎的な生活習慣を身につける」「挨拶や礼儀など、当たり前のことを当たり前にできるように教育する」「子ども自ら興味を持ち、活動にじっくりと取り組める環境を整え、適切に補助することにより満足感や達成感を体験し、豊かな完成、創造力、思考力を育てる」「集団行動を覚え、日々の保育や催事などで友達とのコミュニケーションをとることにより能力が高まる。将来へも大きく役立つよう意識を高め関わる」ことを保育方針とした。
 さらに、5大保育指針として、人生の基本である「挨拶」、他人が身内になる絶対要因となる「礼儀」、世間が自分の器を評価する物差しである「行儀」、得を得る最大の武器となる「愛嬌」、人生が大きく変わる要因となる「コミュニケーション」が当たり前にできるようになるようを繰り返し教える。この指針は、山本さんが甲子園で活躍した元高校球児で、礼儀礼節の大切さなどを学んだ経験が投影されている。
 もう一つ、山本さんが大事にしているのが「我が子のように」子どもたちと向き合う姿勢だ。
「一人ひとりの子について、自分の子であったらどう思い、どう動き、どう声をかけるのか。どう接し、どういう愛情を注ぐのかを常に考え、保育を行っています。実は私は、幼少期に家庭環境が複雑で、寂しい思いや悲しい思いをしたことがありました。だからこそ、当園の子どもたちには自分と同じ思いは絶対にさせたくない。子どもたちと常に密につながっていたいのです。そこが原動力です」
『オハナ保育園』は、就学前の生後6ヵ月から6歳児までを預かり、定員は39人。設備は、乳幼児室1室、ほふく室1室、保育室3室に調理室、医務室、トイレ3室を備え、広い園庭で子どもたちがのびのびと遊ぶ。行事も充実し、毎月の避難訓練、身体測定、随時行っている体験教室や動物園での動物との触れ合い、スイミングのほか、5月は2歳~5歳児の春の遠足、7月は3歳~5歳児の泊り保育、8月は全園児の夕涼み会、9月は敬老の日・老人ホーム訪問、10月はハロウィンパーティー、11月は運動会、12月はクリスマス会、1月はもちつき大会、2月は節分豆まき、そして3月には卒園祭が組まれている。 
 山本さんは、社会に出てから営業マンとして数種の業界で働いた後、不動産業界に身を置き、数千万円の物件を扱う仕事に携わると同時に個人事業も起こし、一時期多額の負債を抱えながらも従業員の生活を守ってきた。その山本さんが保育の道に進んだきっかけは、保育園に対する不満だった。
「自分の子どもが通っている保育園に対して、妻が不満を持っている様子だったことで、保育に興味を持つようになったのです。たとえば息子がケガをした時にも、園の対応は決して満足いくものではありませんでした。そうした経験から、私のほうが良い園をつくれると思うようになったのです。当時私は保育に関しては素人でしたが、親目線で子どものことを第一に考えられるという自信と情熱だけはありました」
 保育園の運営について真剣に考え始めたとき、春日市の『タンポポ保育園』の売却話が持ち込まれた。しかし、園児が10人ほどいて、引き継ぐには準備が必要と一度は断り、数ヵ月かけて勉強しながら準備を整え、話を受ける決断をし、『タンポポ保育園』を継いだのが保育の世界に踏み出した第一歩だ。2014年9月、山本さんが26歳のときのことだ。
「そこで初めに取り組んだのが運動会の開催。当時は、運動会を行っていなかったので、11月の運動会開催を提案したのです。当然のように、まずは現場に慣れるべし、準備が間に合わないなどと反対の声がありましたが、それは運営側の都合。親御さんや子どもの目線で見た時、もし運動会が閉催されたら絶対に嬉しいはずとのの確信がありました。反対を押し切って急ピッチで準備を進めて、何とか無事に運動会を開くことができたのです。子どもたちは楽しんでくれましたし、親御さんたちもすごく喜んで下さいました。そこから信用していただけるようになったと感じます」
 園児が増え、『タンポポ保育園』がいっぱいになったことから、2018年、2園目の『オハナ保育園』を開園、さらに3つ目の保育園開園の話も進んでいるという。
「私のように無資格で保育を始めても、子どもたちに対する強い思いがあれば、こうして皆と一緒に歩んでいけるのです。親御さんたちとの触れ合いも大切にし、コミュニケーションを取って私自身のことをよく知っていただくことで、親御さんも安心して子どもたちを預けられると思いますし、一緒に子どもを育てていくというイメージを共有してもらえると思います。何よりも子どもたちに対する愛情を大切に、良い園をつくりたいという熱意を持ち、うちの子をここに預けて良かったと心から思って頂けるよう、保育者として経営者として、そして人として成長し続けていきたいと思っています
」
(ライター/斎藤紘)

合同会社 SURIARU
TEL/092-985-4207
オハナ保育園 TEL/092-985-4207 https://www.ohana-suriaru.com/
タンポポ保育園 TEL/092-575-1287 http://ohana-tanpopoen.com/
オハナ保育園 長住園
ホームページ https://www.ohana-suriaru.com/

「ハローワーク美濃加茂」より認定通知書を受け取る。
左下:カンボジア日本技術大学開校式 2018年9月1日 プノンペン
石郡英一 学長
内科、外科、整形外科、小児科、肛門科、呼吸器科、消化器科、循環器科、脳神経外科、眼科、皮膚科、泌尿器科、リハビリテーション科、歯科、透析センター、薬剤科、放射線科、臨床検査科、栄養科などチーム医療で構成。

理事長・院長
野尻眞 さん
1975年関西医科大学卒。岐阜大学医学部附属病院や公立病院で勤務医を経験後、父親が創立した『白川病院』に入職。1980年に理事長、1982年に院長に就任。日本外科学会専門医、日本消化器外科学会、日本温泉気候物理医学会認定温泉医、日本東洋医学会専門医、日本園芸療法学会副理事長。
スタッフのやりがい・生きがい・働きがい
ユースエール認定取得

医療・福祉のユートピア
人材を重視する理事長


「働いて良かったと思える職場を目指し、より良い仕組みをつくっていきたい」
 超高齢社会のモデルといわれる岐阜県白川町に包括的な医療・福祉のユートピアを目指す『しらとぴあ』を形成して73年の歴史を刻む『白川病院』の理事長で院長の野尻眞さんの信念だ。特に若者が働きやすい職場環境づくりに力を注ぎ、2019年、青少年の雇用の推進等に関する法律に基づいて厚生労働省が認定するユースエール認定企業に岐阜県全企業で8番目、東海3県の医療法人で初認定された。
 ユースエール認定制度は、少子高齢化に伴う労働力の減少や若者の離職率の高さを背景に設けられた制度で、従業員が300人以下の企業を対象に、若者の採用や人材育成に積極的に取り組んでいることや正社員として雇用した人の離職率が20%以下であること、有給休暇の年間取得率が平均70%以上であること、女性労働者の育児休業等取得率が75%以上であることなど12の要件を満たしている場合に認定する。
『しらとぴあ』は、眼科・歯科も含め13の診療科と一般病床59床、医療療養病床65床の124床ケアミックス白川病院を中心に、ヘルパーステーション、地域包括支援センター、在宅介護支援センター、デイケアセンター、高齢者住宅などで形成、医師、薬剤師、看護師、介護福祉士、理学療法士(PT)、作業療法士(OT)、言語聴覚士(ST)、ケアマネジャー、社会福祉士、保健師など181人のスタッフが住民の健康と幸せのために働いている。
 その職場から浮かび上がった「正社員の月平均所定外労働時間2・5時間」「有給休暇の平均取得日数12・0日」「直近の3事業年度で女性労働者の育児休業等の取得率が100%」「直近 3事業年度の新卒者などの正社員として就職した人の離職率18・18%」などの労働実態で、ユースエール認定要件をすべて満たしていた。
 3月に同病院でハローワーク美濃加茂の山下保所長からユースエール認定通知書を手渡された野尻さんは、「スタッフ一人ひとりが働き方を工夫して努力した結果」と喜びを表現した。
「『しらとぴあ』の医療・福祉を支えるのは、スタッフの献身的な働きです。良いサービスのためには、スタッフが働きやすく、働きがいのある職場環境をつくることが重要と考え、院内研修や新人指導、福利厚生を充実させてきた。その努力が実り、スタッフはお互いに助け合い、いつも新しいことにチャレンジする気概に燃えています」
 同病院の起点は、野尻さんの父、故元廣氏が無医村だった故郷の旅館の一室で1946年に開業した白水館医院。55年前に早世した父親の後を継いだ野尻さんは着々と地域包括ケアの先端を行く医療・福祉体制を築いてきた。
(ライター/斎藤紘)

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