タイセイ・エンジニアリング 株式会社 代表取締役
山口琢磨氏
1925年生まれ。旧制松江中学校から旧制松江高等学校を経て、1946年東京大学第一工学部船舶工学科を卒業、大学院に進むが、結核のため6年に及ぶ療養生活を余儀なくされるも、その間に英語、仏語、独語、露語、瑞語を学ぶ。1953年、防衛庁の警備艦の設計に携わりプロジェクト解散後の1958年に『タイセイ・エンジニアリング』を設立。
山口琢磨氏
1925年生まれ。旧制松江中学校から旧制松江高等学校を経て、1946年東京大学第一工学部船舶工学科を卒業、大学院に進むが、結核のため6年に及ぶ療養生活を余儀なくされるも、その間に英語、仏語、独語、露語、瑞語を学ぶ。1953年、防衛庁の警備艦の設計に携わりプロジェクト解散後の1958年に『タイセイ・エンジニアリング』を設立。
■参考資料 『プッシャー・バージに関するワークショップ』於広島大学レジメ「プッシャー・バージについて」『山口琢磨先輩の偉業に学ぶ』西村二郎
艀と押船を使った輸送で
世界的な技術開発を実現
世界的な技術開発を実現
港湾で船舶が岸壁・桟橋に着岸・離岸するのを補助したり、河川や運河で艀(はしけ)などを動かしたりするために使われるタグボートだが、船舶や艀を引く場合は曳船(ひきぶね)、押す場合は押船(おしぶね)と呼ばれる。動力部のタグボートと搬送用の艀などが分かれているのは、艀の荷物の積みおろしの間に、それまで合体していたタグボートが分離して別の艀の輸送にかかれるため、スピーディーで効率的な輸送が可能となるからだ。また、作業をトータルに見れば人手が少なくてすむということもある。
この艀と押船を使った輸送手段は、元々アメリカで始まった。第二次世界大戦末期には数十隻の艀を繋いでまとめ、一隻の押船で押す大規模なものに発展、鉄道などの輸送手段より低コストということもあり、大規模河川輸送の主役となり、穀倉地帯からの穀物輸送などを低コストで行っている。
日本に艀と押船を使った輸送手段が導入されたのは1963年、神戸港内の人工島「ポートアイランド」工事への導入が始まりだ。しかし、港湾から波の荒い外海では艀と押船を使った輸送手段を使うことは不可能だった。この限界に挑戦したのが、現『タイセイ・エンジニアリング』の山口社長だ。
「それまではロープで繋いでなんとか波高3mくらいには対応できたのですが、港湾の外ではどうしても荒波でロープが切れてしまったのです。そこでロープを使う方式に見切りをつけて、連結には機械的な連結装置が必要だと開発を始めたのです」
その、他の追随を許さない製品が世界初の『押航船団連結装置アーティカップル』だ。これは2点支持による蝶番動作で荒波にも負けない対航性、かつ高い経済性と安全性を実現し、これまでロープ連結のみに頼っていた押船航団の世界に新時代を開くこととなった。
「連結装置には、まず日本の港湾内の工事というニーズに応える為に、連結を解かなくても荷下ろしができるタイプを開発し、次に外洋航行が可能な多段式組み合わせの連結装置を開発しました。この蝶番動作の応力計算には当時の最先端コンピュータで1晩かかりました。今ならパソコンを使って10秒で終わるのですが」
この外洋航行が可能な『アーティカップル』は、国内での実用化から3年後にはインドネシア定期航路に進出し、輸出とともに原木の輸入に多いに寄与した。『アーティカップル』は、こうした実績が認められアメリカやロシア、ブラジル、北欧諸国と世界的なニーズに応えることになった。
さらに『タイセイ・エンジニアリング』では、3点支持式の連結装置「トリオフィクス」を開発イタリア鉄鋼公社に採用された。そしてこれら二系統六機種のタイプの連結装置は顧客のニーズのほとんどをカバーするものなった。
「この『押航船団連結装置』のシリーズは、世界各国に採用されていますが、世界を相手にメンテナンスの担当は数人。ですから手間のかからないものを作らなければならないのですね。でなければ各国に出荷したものを面倒見切れません」
そして2010年、山口社長の『押航船団連結装置』開発の業績に対し、アメリカのエルマー・スペリー賞が受賞された。この賞はジャイロコンパスを発明したエルマー・スペリー氏にちなみ創設された賞で世界的な運輸技術のイノベーションに対して与えられるもの。日本人としては、1966年の東海道新幹線建設に対して旧国鉄の技師長であった島秀雄氏を始めとした3名への授与に次いで2組目となる。
『タイセイ・エンジニアリング』は、決して大きいとはいえない設計を手がける会社だ。しかし、そのイノベーションが与えた影響は世界的。
「結果的に『押航船団連結装置』開発で世界的に圧倒的なシェアを獲得し、栄誉ある賞が頂けました。なぜこれだけのことができたのか。この艀と押船を使った輸送手段という分野は守備範囲が狭いわけですね。その狭い範囲にはライバルがあまり入ってこない。弊社では先駆けてそこの市場に独占を作るということをやったわけです。最初に作った人間がその分野を一番良く知っているわけですから、結果的に私たちが作ったものをしのぐものが出てこなかった。それで実績を積んで行けば、他の会社が何を作っても絶対に勝てるのです。そういう製品を作ってしまえば、少人数でも会社はやって行けるのです」
資源に乏しい日本。しかしそんな国であっても、知恵と技術をもってすれば世界を出し抜き、市場を席巻できるのだ。山口社長の人生の軌跡はそれを教えてくれた。
(ライター/本名広男)
この艀と押船を使った輸送手段は、元々アメリカで始まった。第二次世界大戦末期には数十隻の艀を繋いでまとめ、一隻の押船で押す大規模なものに発展、鉄道などの輸送手段より低コストということもあり、大規模河川輸送の主役となり、穀倉地帯からの穀物輸送などを低コストで行っている。
日本に艀と押船を使った輸送手段が導入されたのは1963年、神戸港内の人工島「ポートアイランド」工事への導入が始まりだ。しかし、港湾から波の荒い外海では艀と押船を使った輸送手段を使うことは不可能だった。この限界に挑戦したのが、現『タイセイ・エンジニアリング』の山口社長だ。
「それまではロープで繋いでなんとか波高3mくらいには対応できたのですが、港湾の外ではどうしても荒波でロープが切れてしまったのです。そこでロープを使う方式に見切りをつけて、連結には機械的な連結装置が必要だと開発を始めたのです」
その、他の追随を許さない製品が世界初の『押航船団連結装置アーティカップル』だ。これは2点支持による蝶番動作で荒波にも負けない対航性、かつ高い経済性と安全性を実現し、これまでロープ連結のみに頼っていた押船航団の世界に新時代を開くこととなった。
「連結装置には、まず日本の港湾内の工事というニーズに応える為に、連結を解かなくても荷下ろしができるタイプを開発し、次に外洋航行が可能な多段式組み合わせの連結装置を開発しました。この蝶番動作の応力計算には当時の最先端コンピュータで1晩かかりました。今ならパソコンを使って10秒で終わるのですが」
この外洋航行が可能な『アーティカップル』は、国内での実用化から3年後にはインドネシア定期航路に進出し、輸出とともに原木の輸入に多いに寄与した。『アーティカップル』は、こうした実績が認められアメリカやロシア、ブラジル、北欧諸国と世界的なニーズに応えることになった。
さらに『タイセイ・エンジニアリング』では、3点支持式の連結装置「トリオフィクス」を開発イタリア鉄鋼公社に採用された。そしてこれら二系統六機種のタイプの連結装置は顧客のニーズのほとんどをカバーするものなった。
「この『押航船団連結装置』のシリーズは、世界各国に採用されていますが、世界を相手にメンテナンスの担当は数人。ですから手間のかからないものを作らなければならないのですね。でなければ各国に出荷したものを面倒見切れません」
そして2010年、山口社長の『押航船団連結装置』開発の業績に対し、アメリカのエルマー・スペリー賞が受賞された。この賞はジャイロコンパスを発明したエルマー・スペリー氏にちなみ創設された賞で世界的な運輸技術のイノベーションに対して与えられるもの。日本人としては、1966年の東海道新幹線建設に対して旧国鉄の技師長であった島秀雄氏を始めとした3名への授与に次いで2組目となる。
『タイセイ・エンジニアリング』は、決して大きいとはいえない設計を手がける会社だ。しかし、そのイノベーションが与えた影響は世界的。
「結果的に『押航船団連結装置』開発で世界的に圧倒的なシェアを獲得し、栄誉ある賞が頂けました。なぜこれだけのことができたのか。この艀と押船を使った輸送手段という分野は守備範囲が狭いわけですね。その狭い範囲にはライバルがあまり入ってこない。弊社では先駆けてそこの市場に独占を作るということをやったわけです。最初に作った人間がその分野を一番良く知っているわけですから、結果的に私たちが作ったものをしのぐものが出てこなかった。それで実績を積んで行けば、他の会社が何を作っても絶対に勝てるのです。そういう製品を作ってしまえば、少人数でも会社はやって行けるのです」
資源に乏しい日本。しかしそんな国であっても、知恵と技術をもってすれば世界を出し抜き、市場を席巻できるのだ。山口社長の人生の軌跡はそれを教えてくれた。
(ライター/本名広男)
タイセイ・エンジニアリング 株式会社
TEL:03-3667-6633 FAX:03-3667-6925 Eメール:articouple@taiseng.co.jp
ホームページ http://www.articouple.com/
株式会社 チューブ 代表取締役
青木禎斉氏
東京都出身。学生時代、写真を勉強、アメリカにも留学。学業修了後、間仕切りのメーカーに就職し、スペースデザイン事業部で営業職に従事。その後、オーストラリアに本社を置く家具メーカーの日本法人に転職。10年間勤務する中でセールスマネージャーから副社長に昇進。2009年にチューブを設立。
青木禎斉氏
東京都出身。学生時代、写真を勉強、アメリカにも留学。学業修了後、間仕切りのメーカーに就職し、スペースデザイン事業部で営業職に従事。その後、オーストラリアに本社を置く家具メーカーの日本法人に転職。10年間勤務する中でセールスマネージャーから副社長に昇進。2009年にチューブを設立。
「外資系会社に勤めた経験を活かし彼我のビジネスの違いを紹介しながら、グローバルに立ち向かう企業をサポートしたい。幸い仲間やパートナーがいるので、助けてもらいながら事業を進めています」
コミュニケーションに見出す力
実行促す提案で企業をサポート
実行促す提案で企業をサポート
企業戦略コンサルティング会社『チューブ』は、英語で表記すると「C-HUB」。「The Communication Hub」を略した造語だという。Hubは車輪の中心部、中枢の意味。青木禎斉社長は、数多くの経験を通じて、組織の活力、社員の向上心を引き出す最も重要なポイントはコミュニケーションと確信し、その思いを社名に込めたという。
「100人規模のベンチャー企業でコンサルティングをした時の事ですが、どれだけ社長の思いが伝わっているかを社員全員にアンケート調査しました。複数ある質問の中には『会社のビジョンを知っているか』という質問項目もありましたが、ほとんどのスタッフは『何となく知っている』という答えでした。社長の目指す方向性を知らなくては、社員の向上心やモチベーションは上がらない。そこで、社長が目指しているのは何で、それを達成させる為にしなければならないアクションをブレークダウンして理解してもらう施策を実行した結果、その企業の業績は上がっていきました。コミュニケーションが大事である事を示す好例です」
青木社長は留学経験の持ち主。「英語を身に着けるというより、自分自身を成長させたいというのが目的でした。英語が話せない中で、どう生きていくか試したい気持ちがあり、言葉の通じない世界に飛び込んだのです」
例えば、ファーストフード店でフライドポテトを買うのにジェスチャーでコミュニケーションをとったというのは愉快な思い出話だが、コミュニケーションを意識する気持ちは、渡米時にすでに芽生えていたと思えるエピソードだ。
留学したアメリカの大学では、アート系でカメラを専攻し卒業。帰国後、1000人規模の間仕切メーカーにてスペースデザインに関する提案業務に従事。「空間を有効に使いながら、インテリアを作り上げる手法は、白いキャンバスに絵を描くのと同じでアート的エッセンスが必要。大きなプロジェクトにも多数関わっていました」
その後、豪州トップ家具メーカーの日本法人から誘いの声がかかる。
「新天地では通常、『一からのスタート』ですが、転職した会社は出入り禁止状態の取引先や長期間クレームの出ているプロジェクトばかりで、マイナスからのスタートといった感じでした」先ず不満を持たれている部分は何なのか、クレームの内容は何であるのかをヒアリングして、満足して貰える解決策を各取引先に提示し続けた結果、7年後には不信感が信頼に変わり、業界内でもその企業のブランド力は浸透したという。「ある時、取引先の社長から『お前の会社はどうやってそんなに変わったんだ?』と聞かれた事がありましたが、正直答えに困りました。単に当たり前の事を、しただけなので(笑)」青木社長の言う当たり前とはいったい何なのだろうか?
会社の年商の7割を青木社長が成果として残していく中で最終的には副社長というポストに昇進したが、自らの理想に向かい2009年に独立し『チュープ』を立ち上げる。「依頼主企業のメリットの為に仕事をしていましたが、こんなご時世、客先が撤退や解散したりするのを見て、ハード面だけでなくソフト面でも業績を上げる手伝いが出来ないかと考え、会社を立ち上げました。コミュニケーションをキーワードに様々なサービスを提供して企業をサポートする会社です」
青木社長が最も重視しているのが人材育成。「社員が組織の歯車として働いているか、原動力となって働いているかによって成果は大きく変わります。受動態でなく、自らの考えで能動的に行動する事が重要です。一人一人の仕事の質を向上させる為にも、会社のビジョンやコンセプトを理解する事で行動パターンは変わります。情報伝達は一方向ですが、コミュニケーションは双方向です。業績UPの為にコミュニケーションの仕掛けを作っていく事が仕事です」
人と人の間のコミュニケーションの様式をデザインすることをコミュニケーションデザインという。青木社長が目下目指しているのは、この言葉を自分流に定義し、トータルなコミュニケーションを設計する事だという。「会社と社員、会社と会社、会社と社会をどう繋ぐか、日々精進しているところです。当社のスローガンである『すべての〝Story〟は今からはじまる』を、これからもクライアントの為に実行していきます」
(ライター/斎藤紘)
「100人規模のベンチャー企業でコンサルティングをした時の事ですが、どれだけ社長の思いが伝わっているかを社員全員にアンケート調査しました。複数ある質問の中には『会社のビジョンを知っているか』という質問項目もありましたが、ほとんどのスタッフは『何となく知っている』という答えでした。社長の目指す方向性を知らなくては、社員の向上心やモチベーションは上がらない。そこで、社長が目指しているのは何で、それを達成させる為にしなければならないアクションをブレークダウンして理解してもらう施策を実行した結果、その企業の業績は上がっていきました。コミュニケーションが大事である事を示す好例です」
青木社長は留学経験の持ち主。「英語を身に着けるというより、自分自身を成長させたいというのが目的でした。英語が話せない中で、どう生きていくか試したい気持ちがあり、言葉の通じない世界に飛び込んだのです」
例えば、ファーストフード店でフライドポテトを買うのにジェスチャーでコミュニケーションをとったというのは愉快な思い出話だが、コミュニケーションを意識する気持ちは、渡米時にすでに芽生えていたと思えるエピソードだ。
留学したアメリカの大学では、アート系でカメラを専攻し卒業。帰国後、1000人規模の間仕切メーカーにてスペースデザインに関する提案業務に従事。「空間を有効に使いながら、インテリアを作り上げる手法は、白いキャンバスに絵を描くのと同じでアート的エッセンスが必要。大きなプロジェクトにも多数関わっていました」
その後、豪州トップ家具メーカーの日本法人から誘いの声がかかる。
「新天地では通常、『一からのスタート』ですが、転職した会社は出入り禁止状態の取引先や長期間クレームの出ているプロジェクトばかりで、マイナスからのスタートといった感じでした」先ず不満を持たれている部分は何なのか、クレームの内容は何であるのかをヒアリングして、満足して貰える解決策を各取引先に提示し続けた結果、7年後には不信感が信頼に変わり、業界内でもその企業のブランド力は浸透したという。「ある時、取引先の社長から『お前の会社はどうやってそんなに変わったんだ?』と聞かれた事がありましたが、正直答えに困りました。単に当たり前の事を、しただけなので(笑)」青木社長の言う当たり前とはいったい何なのだろうか?
会社の年商の7割を青木社長が成果として残していく中で最終的には副社長というポストに昇進したが、自らの理想に向かい2009年に独立し『チュープ』を立ち上げる。「依頼主企業のメリットの為に仕事をしていましたが、こんなご時世、客先が撤退や解散したりするのを見て、ハード面だけでなくソフト面でも業績を上げる手伝いが出来ないかと考え、会社を立ち上げました。コミュニケーションをキーワードに様々なサービスを提供して企業をサポートする会社です」
青木社長が最も重視しているのが人材育成。「社員が組織の歯車として働いているか、原動力となって働いているかによって成果は大きく変わります。受動態でなく、自らの考えで能動的に行動する事が重要です。一人一人の仕事の質を向上させる為にも、会社のビジョンやコンセプトを理解する事で行動パターンは変わります。情報伝達は一方向ですが、コミュニケーションは双方向です。業績UPの為にコミュニケーションの仕掛けを作っていく事が仕事です」
人と人の間のコミュニケーションの様式をデザインすることをコミュニケーションデザインという。青木社長が目下目指しているのは、この言葉を自分流に定義し、トータルなコミュニケーションを設計する事だという。「会社と社員、会社と会社、会社と社会をどう繋ぐか、日々精進しているところです。当社のスローガンである『すべての〝Story〟は今からはじまる』を、これからもクライアントの為に実行していきます」
(ライター/斎藤紘)
株式会社 チューブ
TEL:03-3261-4020 FAX:03-3261-4030 Eメール:info@c-hub.jp
株式会社 アルシス 代表取締役社長
高根沢喜美一氏
20歳から電気工事の仕事に従事。「2004年高根沢電気」を創業、2007年株式会社化。2010年『株式会社アルシス』に社名変更。2013年東京支店開設。太陽光発電設備、オール電化設備の施工、一般電気工事などで実績を積み重ねる。1級電気施工管理技士。職人革命会会長。日本PVプランナー協会会員。建設業許可、みなし電気工業登録。
高根沢喜美一氏
20歳から電気工事の仕事に従事。「2004年高根沢電気」を創業、2007年株式会社化。2010年『株式会社アルシス』に社名変更。2013年東京支店開設。太陽光発電設備、オール電化設備の施工、一般電気工事などで実績を積み重ねる。1級電気施工管理技士。職人革命会会長。日本PVプランナー協会会員。建設業許可、みなし電気工業登録。
アルシス本社前に太陽光発電所。
確かな施工の技術と挑戦心で
自然エネルギーに未来を託す
自然エネルギーに未来を託す
高根沢社長は家業の酪農に携わるのと並行して、20歳から電気工事の仕事にも従事し始める、その後30歳代に入り真に自分の目指すものは何かを考え抜いて、電気工事で独立する道を選択したという。
「16年間、商業施設やリゾートホテル、官庁関係などの電気工事の仕事をやりながら技術を習得し、その中で電気工事への楽しさ、未来、理想が見え始めてきたのです。丁度その頃家業の酪農では過大な設備投資の必要性や乳価の下落などから今後を見据えた時、非常に先行き見えない産業と思えてきた時期でした。そんな時電気工事の仕事の中で太陽光発電が普及し始めたのです。そしてこの産業でなら将来やって行けると自分を奮い立たせ37歳の時、独立開業、自分の夢を追う一歩を歩み始めたのです」
最初に手掛けたのは、住宅向けの太陽光発電設備の施工。国や地方行政が住宅用太陽光発電の普及促進の為に補助金を出すようになったが、曲折もあった。
「工事の職人なので営業は全くの素人、販売店から仕事を頂いて住宅に設置することから始めました。しかし、地元だけでは仕事は増えず、東日本を中心に東北、北海道まで販売店を開拓して廻り業績を伸ばしました。その後太陽光発電の設置価格も下がり始め、行政からの補助金制度も廃止の一途をたどり始めた時、大きな転換の期を迎えたのです。
電力会社などが挙って推進を始めたのをきっかけに、オール電化や深夜機器などへの生活体系へと時代が流れるに沿って、主力工事をオール電化主体の工事へと大きくウエイトを移した結果、仕事の量も増えました」
その後、開業から7年がたち、開業当時一人で始めた時の小さなプレハブ事務所では手狭になり、しっかりと地元に根付く為にと、お客様からの信頼を得られるよう本社をしっかりとした社屋に移転し業務拡大の体制を整えました。
しかし、半年後3月11日東日本大震災、福島第一原発の事故がおきる。
「業績が完全に覆されました、安全、安心、家計にも優しいと宣伝されていてこれからという時期に、電気に対する世間の風向きが大きく変わったのです。その後半年くらい仕事が殆どなくなり何をやっても上手くいかない。本気で会社を閉めようかとさえ思い始め、本当辛い時期を味わった時です」
その苦しい時期を懸命に耐え忍び、〝電気は買う時代から作る時代へ〟への潮流を見据えながら、再度、原点回帰、オール電化から太陽光発電に軸足を移していったという。そして2012年7月1日再生可能エネルギーの固定買い取り制度がスタート、逆風が順風に変わった。
「早い段階で新しい制度についての情報を入手し、開始半年前から準備を始め、資材調達、設計、施工まで一貫して出来る体制を整えて迎えました。資材は国内国外のメーカーから仕入れ、それをコーディネートして施工するのですが、固定買い取り制度は20年同額で売電出来る制度ですから、最低でも20年間は持たせなければならない。太陽電池は世界に何百社とあります、その中から信頼を置ける商品を見つけ出す為にドイツ、アメリカ、韓国、台湾、中国、国内と数多くの工場を直接出向き選定してきました。
現在はその中からしっかりとした目利きをした商材を扱う事となります、お客様が安心、安全でしっかりと発電出来る資材を調達し、しっかりとした技術で施工する、この基本は揺るぎません」
しっかりした施工をする上でも大切な施工技術を向上させる為に、私達が作り上げた「職人革命会」という団体がある。エコ、省エネの時代のライフスタイルを支える優れた職人が誇りを持って働ける環境づくりを目指し、互いに協力し合う団体だ。太陽光発電やオール電化の販売や施工に携わる全国の販売店、施工店約100社が参加している。そのまとめ役となって会長も務めているのが『株式会社アルシス』の高根沢社長だ。
「太陽光発電システムの施工は建設業界の部類に入り、今までの流れは大手などが受注し小企業の施工店はその3次、4次、5次と下請けでの作業が当たり前の世界にありました。当然仕事の歩合も悪く厳しい環境の中にあり、この状態を克服するにためには自分たちが元請になる事ですが、それを実現するためには大きな難関があります、それを横の繋がりを持って地盤作りをする事により大手に負けない組織作りをしたのです。小さな会社が集まって職人革命会を組織し、情報交換をしたり仕事を融通し合ったりしながら小さな工事店でも大きな工事を受注することを可能にしました。また、太陽光発電設備を設置するにあたって全て同じ条件で設置できるとは限りません、それぞれの地域で設置環境が異なります。豪雪地帯や海沿い、山沿いと様々です、それを見極めるようにと毎月月例会を開催し、色々な地域からの情報を集めるため各地で開催しております。東京を拠点とし名古屋、大阪、福岡でしたが、今後、熊本、高知、仙台と地域を広げて知見を高めて行く会となっており毎回数多くの参加者で盛り上がっております」
今までしてきた事は全て、お客様の為に「私達は物を届けるのではなく心を届ける」、形無いものを形にし、その事で「ありがとう」素晴らしい物が出来たよ、と言われる為に日々努力と勉強を積んできました。
現在22名の社員を抱え、毎日の現場に日々奮闘している。まだまだ自然エネルギーの普及はこれからの時代です。「太陽光発電を始め今後は風力発電にも取り組みを始めています、風力に関しては海外からの調達や国からの認定の収得など数多くの壁がありますが、私達の夢は自然エネルギーだけで補える数件から数十件単位のコミュニティを作り、その仕組みを基盤に今後、電気で困っている海外の無電源地帯へも普及促進出来る活動を目指している」
「今後もチャレンジ精神は衰えを知らない。さらにその先に大きな夢を描きながら明日への挑戦として奮闘しています。」
(ライター/斎藤紘)
「16年間、商業施設やリゾートホテル、官庁関係などの電気工事の仕事をやりながら技術を習得し、その中で電気工事への楽しさ、未来、理想が見え始めてきたのです。丁度その頃家業の酪農では過大な設備投資の必要性や乳価の下落などから今後を見据えた時、非常に先行き見えない産業と思えてきた時期でした。そんな時電気工事の仕事の中で太陽光発電が普及し始めたのです。そしてこの産業でなら将来やって行けると自分を奮い立たせ37歳の時、独立開業、自分の夢を追う一歩を歩み始めたのです」
最初に手掛けたのは、住宅向けの太陽光発電設備の施工。国や地方行政が住宅用太陽光発電の普及促進の為に補助金を出すようになったが、曲折もあった。
「工事の職人なので営業は全くの素人、販売店から仕事を頂いて住宅に設置することから始めました。しかし、地元だけでは仕事は増えず、東日本を中心に東北、北海道まで販売店を開拓して廻り業績を伸ばしました。その後太陽光発電の設置価格も下がり始め、行政からの補助金制度も廃止の一途をたどり始めた時、大きな転換の期を迎えたのです。
電力会社などが挙って推進を始めたのをきっかけに、オール電化や深夜機器などへの生活体系へと時代が流れるに沿って、主力工事をオール電化主体の工事へと大きくウエイトを移した結果、仕事の量も増えました」
その後、開業から7年がたち、開業当時一人で始めた時の小さなプレハブ事務所では手狭になり、しっかりと地元に根付く為にと、お客様からの信頼を得られるよう本社をしっかりとした社屋に移転し業務拡大の体制を整えました。
しかし、半年後3月11日東日本大震災、福島第一原発の事故がおきる。
「業績が完全に覆されました、安全、安心、家計にも優しいと宣伝されていてこれからという時期に、電気に対する世間の風向きが大きく変わったのです。その後半年くらい仕事が殆どなくなり何をやっても上手くいかない。本気で会社を閉めようかとさえ思い始め、本当辛い時期を味わった時です」
その苦しい時期を懸命に耐え忍び、〝電気は買う時代から作る時代へ〟への潮流を見据えながら、再度、原点回帰、オール電化から太陽光発電に軸足を移していったという。そして2012年7月1日再生可能エネルギーの固定買い取り制度がスタート、逆風が順風に変わった。
「早い段階で新しい制度についての情報を入手し、開始半年前から準備を始め、資材調達、設計、施工まで一貫して出来る体制を整えて迎えました。資材は国内国外のメーカーから仕入れ、それをコーディネートして施工するのですが、固定買い取り制度は20年同額で売電出来る制度ですから、最低でも20年間は持たせなければならない。太陽電池は世界に何百社とあります、その中から信頼を置ける商品を見つけ出す為にドイツ、アメリカ、韓国、台湾、中国、国内と数多くの工場を直接出向き選定してきました。
現在はその中からしっかりとした目利きをした商材を扱う事となります、お客様が安心、安全でしっかりと発電出来る資材を調達し、しっかりとした技術で施工する、この基本は揺るぎません」
しっかりした施工をする上でも大切な施工技術を向上させる為に、私達が作り上げた「職人革命会」という団体がある。エコ、省エネの時代のライフスタイルを支える優れた職人が誇りを持って働ける環境づくりを目指し、互いに協力し合う団体だ。太陽光発電やオール電化の販売や施工に携わる全国の販売店、施工店約100社が参加している。そのまとめ役となって会長も務めているのが『株式会社アルシス』の高根沢社長だ。
「太陽光発電システムの施工は建設業界の部類に入り、今までの流れは大手などが受注し小企業の施工店はその3次、4次、5次と下請けでの作業が当たり前の世界にありました。当然仕事の歩合も悪く厳しい環境の中にあり、この状態を克服するにためには自分たちが元請になる事ですが、それを実現するためには大きな難関があります、それを横の繋がりを持って地盤作りをする事により大手に負けない組織作りをしたのです。小さな会社が集まって職人革命会を組織し、情報交換をしたり仕事を融通し合ったりしながら小さな工事店でも大きな工事を受注することを可能にしました。また、太陽光発電設備を設置するにあたって全て同じ条件で設置できるとは限りません、それぞれの地域で設置環境が異なります。豪雪地帯や海沿い、山沿いと様々です、それを見極めるようにと毎月月例会を開催し、色々な地域からの情報を集めるため各地で開催しております。東京を拠点とし名古屋、大阪、福岡でしたが、今後、熊本、高知、仙台と地域を広げて知見を高めて行く会となっており毎回数多くの参加者で盛り上がっております」
今までしてきた事は全て、お客様の為に「私達は物を届けるのではなく心を届ける」、形無いものを形にし、その事で「ありがとう」素晴らしい物が出来たよ、と言われる為に日々努力と勉強を積んできました。
現在22名の社員を抱え、毎日の現場に日々奮闘している。まだまだ自然エネルギーの普及はこれからの時代です。「太陽光発電を始め今後は風力発電にも取り組みを始めています、風力に関しては海外からの調達や国からの認定の収得など数多くの壁がありますが、私達の夢は自然エネルギーだけで補える数件から数十件単位のコミュニティを作り、その仕組みを基盤に今後、電気で困っている海外の無電源地帯へも普及促進出来る活動を目指している」
「今後もチャレンジ精神は衰えを知らない。さらにその先に大きな夢を描きながら明日への挑戦として奮闘しています。」
(ライター/斎藤紘)
株式会社 アルシス
<本社>TEL:0287-67-2224 FAX:0287-67-1444 <東京支店>TEL:03-5577-3070
Eメール:web@al-sys.jp
Eメール:web@al-sys.jp
ホームページ http://al-sys.jp
広島堆肥プラント 株式会社 代表取締役会長
植村浩明氏
広島県江田島出身。造船会社に勤める父の勧めで同じ会社に入社するが、自ら自分の道を求めて上京する。その後帰郷し、ダンプカーの運転手、建設残土の埋め立て地を探す仕事に就くが、環境保全に繋がる事業に将来性を見出し、1994年『広島堆肥プラント』を設立。独自の研究をもとに確立した技術で特許も取得している。
植村浩明氏
広島県江田島出身。造船会社に勤める父の勧めで同じ会社に入社するが、自ら自分の道を求めて上京する。その後帰郷し、ダンプカーの運転手、建設残土の埋め立て地を探す仕事に就くが、環境保全に繋がる事業に将来性を見出し、1994年『広島堆肥プラント』を設立。独自の研究をもとに確立した技術で特許も取得している。
無公害プラントから生まれる有機発酵肥料。化学肥料には真似のできない有機物が多く含まれている。これらの有機物が植物の生育と深い関わりがある土壌の改善に大きな効果を発揮する。
産業廃棄物をリサイクル、そして自然
エネルギーを利用した発電方法の開発へ
エネルギーを利用した発電方法の開発へ
現代社会は、大量の資源を使い、大量生産した物を大量消費し、大量の廃棄物を廃出することで経済活動が成り立っている。経済が拡大し続ける一方、吐き出される大量の「ゴミ」で、私たちの生活基盤である環境が徐々に損なわれてきている。今やテレビや新聞でエコ、環境という言葉を見聞きしない日はない。
「廃棄物を焼却して灰にしたり、安易に埋め立てすることでは、環境に悪影響を及ぼすばかりで廃棄物は消滅しません。廃棄物は、固体から液体、液体から気体へと形を変化させ、消えることなく私たちの地球上に存在しつづけているのです」と語るのは、広島でリサイクル事業を営む『広島堆肥プラント株式会社』の代表取締役会長植村浩明氏。
同社は、産業廃棄物の収集、運搬および処分と堆肥の製造などを手がけている。産業廃棄物は、おからやパン屑、野菜などの食品廃棄物を中心に、主に官公庁や大手食品メーカーから回収している。堆肥の製造は、回収・処分を行った食品廃棄物を微生物により発酵させ有機肥料としてリサイクルするもので、豆腐やおから・味噌、ソースなどの原料残渣、ビールや清酒、乳製品などの製造残渣、野菜・果物やハム・魚などの残渣をバランスよく配合し、2ヵ月以上発酵させて製造している。製品は有機肥料として農家や果樹園、ホームセンターなどに納入され、農業や林業、造園、ゴルフ場などで土壌改良に用いられ、生態系の維持に貢献している。近年は中国へも輸出され好評を博している。また、製造プラントは地域環境を考え、排水処理施設や脱臭装置を備える画期的な無公害処理施設となっている。
さらに近年取り組んでいる新しい事業について植村会長は語る。「大量の産業廃棄物が排出される現代社会で、環境保全型の社会を実現させることが重要と考え1994年に会社を設立し、産業廃棄物を再生させる事業に取り組んできました。そして2013年には『太陽光熱と太陽光熱以外の熱を併用する発電方法』という名称で特許を取得し、発電事業に着手しました。現在申請中の技術と組み合わせるとより効力の高い発電を実現できるようになります」
きっかけは2011年の東日本大震災だった。
「旅行が趣味の私たち夫婦は、その日スペインにいました。訪問先のテレビに映し出された津波の映像に息を呑み、言葉が出ませんでした。そして東京電力福島第二発電所の事故に端を発する全国的な電力不足。この大きな課題にどのように向き合っていくのかを私なりに考え、微力ながら少しでもできることをしたいと思い発電事業に着手しました」
植村会長はほぼ独学で、産業廃棄物再生システムのみならず、再生可能エネルギーの発電システムを考案している。
「50年前、東京オリンピックが開催された年、東京から帰郷した私は鉄工所に勤めていました。毎日家と会社を往復するだけの退屈な生活に我慢ができませんでした。その頃、唯一心が落ち着き、夢を見られる場所が図書館だったのです。図書館で様々な本を貪るように読み、勉強し、研究してきました。
私は、宇宙の誕生の謎を解き明かすとされるビッグバン理論に反対で、独自に研究してきました。現象が起きてからでなければ証明はできないと考えているからです。
ちょっと難しい話ですが、無限空間をマイナスの世界とすると、そこにプラスの要因が入ることで回転が起きます。ちょうど磁石の異なる極は引き合い、同じ極は反発しあうのと似ています。そのプラスとマイナスの性質を活かした回転によってエネルギーが発生し、発電機が回り電力が発生します。物理現象が起きなければ、エネルギーは発生しません。そこから電子や素粒子が生まれ、大きくなって星ができると考えています。その延長線上に当社の発電事業があります。」
環境にやさしい自然エネルギーを利用した安全な発電方法、はたして実現可能なのだろうか。
「簡単に言うと、太陽光熱とそれ以外の熱源、地熱や火力熱を併用して温められた温水を沸騰させ蒸気タービンを回して発電するものです。原子力発電に替わる発電方法として確立することを目指して取り組んでいますが、まだ解決しなければならない課題がたくさんあります。しかし、これは私の使命だと思っています。人は誰でも自分のできることで、世のため人のために役立てる何かしらの力を持っています。私にとっては、この新しい発電システムを実用化させることが、私に与えられた使命と思い取り組んでいます」と語る植村会長の決意が改めて伝わってきた。今後の植村会長と同社の動向から目が離せない。
(ライター/後藤宏幸)
「廃棄物を焼却して灰にしたり、安易に埋め立てすることでは、環境に悪影響を及ぼすばかりで廃棄物は消滅しません。廃棄物は、固体から液体、液体から気体へと形を変化させ、消えることなく私たちの地球上に存在しつづけているのです」と語るのは、広島でリサイクル事業を営む『広島堆肥プラント株式会社』の代表取締役会長植村浩明氏。
同社は、産業廃棄物の収集、運搬および処分と堆肥の製造などを手がけている。産業廃棄物は、おからやパン屑、野菜などの食品廃棄物を中心に、主に官公庁や大手食品メーカーから回収している。堆肥の製造は、回収・処分を行った食品廃棄物を微生物により発酵させ有機肥料としてリサイクルするもので、豆腐やおから・味噌、ソースなどの原料残渣、ビールや清酒、乳製品などの製造残渣、野菜・果物やハム・魚などの残渣をバランスよく配合し、2ヵ月以上発酵させて製造している。製品は有機肥料として農家や果樹園、ホームセンターなどに納入され、農業や林業、造園、ゴルフ場などで土壌改良に用いられ、生態系の維持に貢献している。近年は中国へも輸出され好評を博している。また、製造プラントは地域環境を考え、排水処理施設や脱臭装置を備える画期的な無公害処理施設となっている。
さらに近年取り組んでいる新しい事業について植村会長は語る。「大量の産業廃棄物が排出される現代社会で、環境保全型の社会を実現させることが重要と考え1994年に会社を設立し、産業廃棄物を再生させる事業に取り組んできました。そして2013年には『太陽光熱と太陽光熱以外の熱を併用する発電方法』という名称で特許を取得し、発電事業に着手しました。現在申請中の技術と組み合わせるとより効力の高い発電を実現できるようになります」
きっかけは2011年の東日本大震災だった。
「旅行が趣味の私たち夫婦は、その日スペインにいました。訪問先のテレビに映し出された津波の映像に息を呑み、言葉が出ませんでした。そして東京電力福島第二発電所の事故に端を発する全国的な電力不足。この大きな課題にどのように向き合っていくのかを私なりに考え、微力ながら少しでもできることをしたいと思い発電事業に着手しました」
植村会長はほぼ独学で、産業廃棄物再生システムのみならず、再生可能エネルギーの発電システムを考案している。
「50年前、東京オリンピックが開催された年、東京から帰郷した私は鉄工所に勤めていました。毎日家と会社を往復するだけの退屈な生活に我慢ができませんでした。その頃、唯一心が落ち着き、夢を見られる場所が図書館だったのです。図書館で様々な本を貪るように読み、勉強し、研究してきました。
私は、宇宙の誕生の謎を解き明かすとされるビッグバン理論に反対で、独自に研究してきました。現象が起きてからでなければ証明はできないと考えているからです。
ちょっと難しい話ですが、無限空間をマイナスの世界とすると、そこにプラスの要因が入ることで回転が起きます。ちょうど磁石の異なる極は引き合い、同じ極は反発しあうのと似ています。そのプラスとマイナスの性質を活かした回転によってエネルギーが発生し、発電機が回り電力が発生します。物理現象が起きなければ、エネルギーは発生しません。そこから電子や素粒子が生まれ、大きくなって星ができると考えています。その延長線上に当社の発電事業があります。」
環境にやさしい自然エネルギーを利用した安全な発電方法、はたして実現可能なのだろうか。
「簡単に言うと、太陽光熱とそれ以外の熱源、地熱や火力熱を併用して温められた温水を沸騰させ蒸気タービンを回して発電するものです。原子力発電に替わる発電方法として確立することを目指して取り組んでいますが、まだ解決しなければならない課題がたくさんあります。しかし、これは私の使命だと思っています。人は誰でも自分のできることで、世のため人のために役立てる何かしらの力を持っています。私にとっては、この新しい発電システムを実用化させることが、私に与えられた使命と思い取り組んでいます」と語る植村会長の決意が改めて伝わってきた。今後の植村会長と同社の動向から目が離せない。
(ライター/後藤宏幸)
広島堆肥プラント 株式会社
TEL:0829-72-2410 FAX:0829-72-2445 Eメール:info@htaihiplant.jp
ホームページ http://www.htaihiplant.jp/
BMBバランス療法士会
健康と美と若返りサロン 音彩 理事長
長谷川基裕氏
日本成人病予防協会(内閣府認証)健康管理士一般指導員、BMBバランス療法士、チューナー美容セラピスト、バランス療法開発、メンタル心理カウンセラーとして、うつ、不安・イライラ、不眠、肩こり、腰痛、人間関係の改善、不登校、開運などの改善を行う。
健康と美と若返りサロン 音彩 理事長
長谷川基裕氏
日本成人病予防協会(内閣府認証)健康管理士一般指導員、BMBバランス療法士、チューナー美容セラピスト、バランス療法開発、メンタル心理カウンセラーとして、うつ、不安・イライラ、不眠、肩こり、腰痛、人間関係の改善、不登校、開運などの改善を行う。
「お客様には、考え方や行動のすべてに力を抜きましょう。
がんばるなと言っています」と長谷川氏は言う。
がんばるなと言っています」と長谷川氏は言う。
天から授かった持ち前の潜在能力を目覚めさせ
魂・心・体のバランスを整え文明病を改善する
魂・心・体のバランスを整え文明病を改善する
現代人は「文明病」を背負ってしまったと『BMBバランス療法士会 サロン音彩(ねいろ)』の理事長長谷川基裕氏は言う。
「文明や科学が発達し、人間は教育や環境によって不必要な知恵がついた。悪い姿勢や過剰な思い込む癖は頭痛や肩こりの原因になり、『〜でなければならない。〜であるべきだ』という観念は、神経障害やうつ病の原因になる。また、心配や不安は自律神経のバランスを狂わせ、不眠やイライラの原因になる。そして孤独感や疎外感は、過食症や拒食症、不登校やいじめの原因になっている。これらへの正しい対処法を知る人は少なく、また間違って覚えている」と長谷川氏は続ける。
人間は誰も天から授かったすばらしい能力(脳力)を潜在的に持っているが、それを忘れていたり、気がついていない場合が多い。さらに、誤って身につけた知識による思い込みが、これらの脳力を妨げていることが多い。
「これらを解決することは実はとてもシンプルなことなのです。先にも述べたように環境や勉強によって人間は間違った想念を持っています。私はこれらを『癖』と呼んでいます。この癖を取り除くことが私の仕事です。人間関係のトラブル、病気や不幸なことの原因は、人の心にあるのではなく、その人の持つ思想や理念の奥にある潜在意識、想念のあり方にあります。例えば怒りっぽい、愚痴を言うというのは癖です。不安になる、細かいことが気になるのも癖です。この癖を変えていくことで人生が良い方へ変わっていく。人間には生まれ持った潜在能力があり、それに気づき、脳力を発揮することで変わることができるのです」と長谷川氏は言う。
そのために長谷川氏がまず勧めるのは力を抜くこと。現代は競争社会で誰もが必要以上に余計な力を入れている。その余計な力を抜くことで、リラックスして十分な力を発揮できるのだという。
シンプルな行動を提唱する長谷川氏の施術はシンプルである。「姿勢の善し悪しが、呼吸にも、気の流れにも大きな影響を与え、中でも鎖骨の少し下、肩胛骨、丹田の状態が極めて重要です」と長谷川氏は指摘する。まず全体的にマイナスイオン、音と振動でほぐし、エネルギーの流れを整える。
次に、独自のツボ療法、BMBバランス療法で75ヵ所のツボを押していく。力を入れて押すのでは効果が半減するため、軽く気を入れる程度で充分だという。
後半は、相談者自身が自分で症状を改善する方法、日常生活や運動、ツボの押し方などを伝授する。長谷川氏の施術はこちらがメインで、サロンに来なくても一人で改善できるようにすることがゴールだという。だから回数券も出さないし、お得意様も作らない。
長谷川氏は20年程前、劇症肝炎に罹った。初めは重篤な状態だったが、次第にウィルスが自然に消えてなくなり無事退院することができた。この現代の医学や科学では解明できない現象を目の当たりにし、目には見えない大きな力に導かれ、生かされていると思うようになる。
さらにその後、脊柱管狭窄症に襲われる。マッサージが良いといわれ整体院や病院に通うが症状が一向に改善しなかった。その時、目には見えない大きな力に導かれ、生かされているんだという思いが脳裏に浮かび、整体院や病院へ通うことを止め、日々の生活の中で「五業ー笑顔、感謝、謝る、誉める、認める」を実践するようになる。いつも笑顔で、すべてに感謝する。たとえ不運な目にあっても感謝を忘れない。ケガをしたり、病気になったら自分の体に謝る。自分も周りも誉め、あらゆることを認める。これを自分に課すことで、体調は驚くほど回復していった。さらにいくつかのトラブルも改善していったという。「本来、人間は自ら治ろうとする力を授かっており、『五業』はその力に働きかけ元の状態に戻す力があるように思います。身をもって体験することで実証できました。家庭や仕事、人間関係など様々な問題を解決するための糸口は、すべて心の奥にある潜在意識や想念の転換にあることもわかりました。さらに護身術から導き出された意識の方向性、意識圧と最近話題になってきた528Hzの音と振動による相乗効果が大いに期待できます」と長谷川氏。
現在は五業に、責めず、裁かず、恕す(ゆるす)の三業を足し、しあわせを引き寄せる八業として実践している。
「自分自信を救うために積み上げてきたノウハウを、同じように苦悩する人たちのために伝え、力を抜いて、ゆったりと生きることってすばらしい、人として生まれてきて良かったと思っていただけるような水先案内人が私の使命だと思っています」と長谷川氏は穏やかに語った。
(ライター/後藤宏幸)
「文明や科学が発達し、人間は教育や環境によって不必要な知恵がついた。悪い姿勢や過剰な思い込む癖は頭痛や肩こりの原因になり、『〜でなければならない。〜であるべきだ』という観念は、神経障害やうつ病の原因になる。また、心配や不安は自律神経のバランスを狂わせ、不眠やイライラの原因になる。そして孤独感や疎外感は、過食症や拒食症、不登校やいじめの原因になっている。これらへの正しい対処法を知る人は少なく、また間違って覚えている」と長谷川氏は続ける。
人間は誰も天から授かったすばらしい能力(脳力)を潜在的に持っているが、それを忘れていたり、気がついていない場合が多い。さらに、誤って身につけた知識による思い込みが、これらの脳力を妨げていることが多い。
「これらを解決することは実はとてもシンプルなことなのです。先にも述べたように環境や勉強によって人間は間違った想念を持っています。私はこれらを『癖』と呼んでいます。この癖を取り除くことが私の仕事です。人間関係のトラブル、病気や不幸なことの原因は、人の心にあるのではなく、その人の持つ思想や理念の奥にある潜在意識、想念のあり方にあります。例えば怒りっぽい、愚痴を言うというのは癖です。不安になる、細かいことが気になるのも癖です。この癖を変えていくことで人生が良い方へ変わっていく。人間には生まれ持った潜在能力があり、それに気づき、脳力を発揮することで変わることができるのです」と長谷川氏は言う。
そのために長谷川氏がまず勧めるのは力を抜くこと。現代は競争社会で誰もが必要以上に余計な力を入れている。その余計な力を抜くことで、リラックスして十分な力を発揮できるのだという。
シンプルな行動を提唱する長谷川氏の施術はシンプルである。「姿勢の善し悪しが、呼吸にも、気の流れにも大きな影響を与え、中でも鎖骨の少し下、肩胛骨、丹田の状態が極めて重要です」と長谷川氏は指摘する。まず全体的にマイナスイオン、音と振動でほぐし、エネルギーの流れを整える。
次に、独自のツボ療法、BMBバランス療法で75ヵ所のツボを押していく。力を入れて押すのでは効果が半減するため、軽く気を入れる程度で充分だという。
後半は、相談者自身が自分で症状を改善する方法、日常生活や運動、ツボの押し方などを伝授する。長谷川氏の施術はこちらがメインで、サロンに来なくても一人で改善できるようにすることがゴールだという。だから回数券も出さないし、お得意様も作らない。
長谷川氏は20年程前、劇症肝炎に罹った。初めは重篤な状態だったが、次第にウィルスが自然に消えてなくなり無事退院することができた。この現代の医学や科学では解明できない現象を目の当たりにし、目には見えない大きな力に導かれ、生かされていると思うようになる。
さらにその後、脊柱管狭窄症に襲われる。マッサージが良いといわれ整体院や病院に通うが症状が一向に改善しなかった。その時、目には見えない大きな力に導かれ、生かされているんだという思いが脳裏に浮かび、整体院や病院へ通うことを止め、日々の生活の中で「五業ー笑顔、感謝、謝る、誉める、認める」を実践するようになる。いつも笑顔で、すべてに感謝する。たとえ不運な目にあっても感謝を忘れない。ケガをしたり、病気になったら自分の体に謝る。自分も周りも誉め、あらゆることを認める。これを自分に課すことで、体調は驚くほど回復していった。さらにいくつかのトラブルも改善していったという。「本来、人間は自ら治ろうとする力を授かっており、『五業』はその力に働きかけ元の状態に戻す力があるように思います。身をもって体験することで実証できました。家庭や仕事、人間関係など様々な問題を解決するための糸口は、すべて心の奥にある潜在意識や想念の転換にあることもわかりました。さらに護身術から導き出された意識の方向性、意識圧と最近話題になってきた528Hzの音と振動による相乗効果が大いに期待できます」と長谷川氏。
現在は五業に、責めず、裁かず、恕す(ゆるす)の三業を足し、しあわせを引き寄せる八業として実践している。
「自分自信を救うために積み上げてきたノウハウを、同じように苦悩する人たちのために伝え、力を抜いて、ゆったりと生きることってすばらしい、人として生まれてきて良かったと思っていただけるような水先案内人が私の使命だと思っています」と長谷川氏は穏やかに語った。
(ライター/後藤宏幸)
BMBバランス療法士会 健康と美と若返りサロン 音彩(ねいろ)
TEL:052-451-7293 FAX:052-452-4991 Eメール:motobalance@gmail.com
徳島県議会議員
西沢貴朗氏
1950年徳島県海部郡海陽町生まれ。岡山理科大学・理学部応用物理学科卒。卒業後、「有限会社西沢生コン」入社。1991年徳島県議会議員に初当選、以後6期連続当選、現在にいたる。2009年(1年間)県議会議長。現在、「有限会社西沢建材センター」代表取締役社長。
西沢貴朗氏
1950年徳島県海部郡海陽町生まれ。岡山理科大学・理学部応用物理学科卒。卒業後、「有限会社西沢生コン」入社。1991年徳島県議会議員に初当選、以後6期連続当選、現在にいたる。2009年(1年間)県議会議長。現在、「有限会社西沢建材センター」代表取締役社長。
企業、地域を越え
国レベルのBCPを提唱
国レベルのBCPを提唱
徳島県議会・防災対策特別委員会の「西沢貴朗委員長」(2013年度)は、緊急時でも事業を継続する計画(BCP)について、企業の枠から踏み出す思考の大転換が必要、との提言で注目される防災のスペシャリストだ。
「東日本大震災で炎上する光景を見て、20年以上前の初当選以来、地震発生時、地震動の次に津波が、そして被災地や避難所にも火がせまる、と言い続けてきたことが現実となった、というのが正直な思い」だと話す。
今企業BCPが広まりつつあるが「一企業にできることには限度があり、地域を生かして企業が生き残る『地域BCP』こそ、企業も考えるべきである。しかし、大都市に於いては、その遂行も不可能になる大規模災害となる事態も想定されるため、企業、地域の枠を超えたBCPをも考えなくてはならない。
次の四国沖の南海トラフ三連動地震がせまる中『次の地震は大きなまわり』と予想されております。
国はその経済的被害額を220兆円と想定していますが、例えばその中には『株の被害』が含まれておらず、大暴落が起これば、多くの企業が継続どころか、存続すらもできなくなる。
そうした事態も想定したBCPの在り方を研究する体制づくりに、国を挙げて一刻も早く取り組むべきです」と話す。
1991年の初当選以来、防災に関する提言は400を超えるとのことだが、例えば
(1992年)地震、津波により流出されたプロパンガスボンベによる火災を防ぐため「自動ガス漏れ防止器」を全戸へ設置を。
(2001年)同じ災害で被災しない地区との応援協定の締結を。(徳島県と鳥取県)
(2003年)高速道路等の緊急出入口の整備を。
(2011年)フェリーや大型自衛艦を利用し、避難所や臨時病院船、対策本部にもなる救助船の検討を。
などを提言。
「徳島のそして世の中の悲しい地震災害の歴史、少しでもその歴史を払拭するため、これからも全力で頑張ってまいります」
(ライター/斎藤紘)
「東日本大震災で炎上する光景を見て、20年以上前の初当選以来、地震発生時、地震動の次に津波が、そして被災地や避難所にも火がせまる、と言い続けてきたことが現実となった、というのが正直な思い」だと話す。
今企業BCPが広まりつつあるが「一企業にできることには限度があり、地域を生かして企業が生き残る『地域BCP』こそ、企業も考えるべきである。しかし、大都市に於いては、その遂行も不可能になる大規模災害となる事態も想定されるため、企業、地域の枠を超えたBCPをも考えなくてはならない。
次の四国沖の南海トラフ三連動地震がせまる中『次の地震は大きなまわり』と予想されております。
国はその経済的被害額を220兆円と想定していますが、例えばその中には『株の被害』が含まれておらず、大暴落が起これば、多くの企業が継続どころか、存続すらもできなくなる。
そうした事態も想定したBCPの在り方を研究する体制づくりに、国を挙げて一刻も早く取り組むべきです」と話す。
1991年の初当選以来、防災に関する提言は400を超えるとのことだが、例えば
(1992年)地震、津波により流出されたプロパンガスボンベによる火災を防ぐため「自動ガス漏れ防止器」を全戸へ設置を。
(2001年)同じ災害で被災しない地区との応援協定の締結を。(徳島県と鳥取県)
(2003年)高速道路等の緊急出入口の整備を。
(2011年)フェリーや大型自衛艦を利用し、避難所や臨時病院船、対策本部にもなる救助船の検討を。
などを提言。
「徳島のそして世の中の悲しい地震災害の歴史、少しでもその歴史を払拭するため、これからも全力で頑張ってまいります」
(ライター/斎藤紘)
西沢貴朗
TEL:0884-72-2987 FAX:0884-72-2987
岐勝愛山 協同組合 代表理事
勝山義広氏
岐阜市出身。国家公務員試験に合格し、検察庁に奉職し、その後法務省入省。刑事局や副大臣付秘書係長、最高検察庁などで立法事務、国会対応など様々な分野を担当。2005年に退官後、故郷の岐阜に戻り、大手会計事務所で所長補佐として勤務後、市議選に出て落選。2011年に『岐勝愛山協同組合』を立ち上げ、現在に至る。
勝山義広氏
岐阜市出身。国家公務員試験に合格し、検察庁に奉職し、その後法務省入省。刑事局や副大臣付秘書係長、最高検察庁などで立法事務、国会対応など様々な分野を担当。2005年に退官後、故郷の岐阜に戻り、大手会計事務所で所長補佐として勤務後、市議選に出て落選。2011年に『岐勝愛山協同組合』を立ち上げ、現在に至る。
故郷を想う気持ちが支える
外国人実習生受け入れ支援
外国人実習生受け入れ支援
零細な事業所の外国人技能実習生の受け入れをサポートしている岐阜市の『岐勝愛山(ぎしょうあいさん)協同組合』の代表理事勝山義広さんが、事業に取り組む気持ちの根底には、地場の零細事業者が抱く深刻な危機感の共有がある。
「岐阜は古くから繊維産業が盛んなのですが、縫製技術者が高齢化していて、新しい人材を確保できない状況が続いています。そこで、海外から労働力を確保しようという動きが始まったのです」
国家公務員として法務省、最高検察庁を含む検察庁で勤務後、岐阜に戻り、「地べたに根を張り、本拠を構えることが重要」と、法務省勤務で得た知見を岐阜の産業の窮状打開に役立つ実習生の受け入れの支援に乗り出したという。外国人技能実習生の受け入れは、自由に行えるわけではない。出入国管理及び難民認定法を所管する法務省のガイドラインがある。
「かつては日本人 二十人に対して、技能実習生は 一人しか受け入れることができませんでした。しかし、それでは零細な事業所は外国人を確保できません。そこで緩和措置ができ、組合であれば、一年間に実習生の受け入れが日本人三人につき三人まで受け入れることができるようになりました。協同組合の形態にしたのはそのためです」
現在、縫製と寝具製造関係の事業所三十社を組合員として抱え、事業所からの要望に基づき、海外での求職者の募集、技能試験、健康診断、採用の可否、在留認定申請の手続きなどを行っている。これまでに中国から実習生延べ百人を受け入れたという。
「今後は、中国以外にも、カンボジア、ベトナム、ミャンマーなどの国にも目を向け、支援する業種も建設、プラスチック加工、金属加工、機械プレス、印刷などにも広げていこうと思っています」
郷土を想う気持ちが橋渡し役の真摯な努力を支えている。
(ライター/斎藤紘)
「岐阜は古くから繊維産業が盛んなのですが、縫製技術者が高齢化していて、新しい人材を確保できない状況が続いています。そこで、海外から労働力を確保しようという動きが始まったのです」
国家公務員として法務省、最高検察庁を含む検察庁で勤務後、岐阜に戻り、「地べたに根を張り、本拠を構えることが重要」と、法務省勤務で得た知見を岐阜の産業の窮状打開に役立つ実習生の受け入れの支援に乗り出したという。外国人技能実習生の受け入れは、自由に行えるわけではない。出入国管理及び難民認定法を所管する法務省のガイドラインがある。
「かつては日本人 二十人に対して、技能実習生は 一人しか受け入れることができませんでした。しかし、それでは零細な事業所は外国人を確保できません。そこで緩和措置ができ、組合であれば、一年間に実習生の受け入れが日本人三人につき三人まで受け入れることができるようになりました。協同組合の形態にしたのはそのためです」
現在、縫製と寝具製造関係の事業所三十社を組合員として抱え、事業所からの要望に基づき、海外での求職者の募集、技能試験、健康診断、採用の可否、在留認定申請の手続きなどを行っている。これまでに中国から実習生延べ百人を受け入れたという。
「今後は、中国以外にも、カンボジア、ベトナム、ミャンマーなどの国にも目を向け、支援する業種も建設、プラスチック加工、金属加工、機械プレス、印刷などにも広げていこうと思っています」
郷土を想う気持ちが橋渡し役の真摯な努力を支えている。
(ライター/斎藤紘)
岐勝愛山 協同組合
TEL:058-245-7121 FAX:058-245-7121
株式会社 リフォル 代表取締役
内田千代氏
グラフィックデザイン・住宅設計・インテリアなど携わり、1991年『有限会社リフォル』を設立。2003年『株式会社リフォル』に組織変更。各企業へ講師として講演を行うなど、上・質・空・間・創・造をコンセプトに心地良い空間を提供している。詳しくは、ホームページ「福岡社長TV」、「福岡商工会議所"けいえいonらいん"」をご覧下さい。
内田千代氏
グラフィックデザイン・住宅設計・インテリアなど携わり、1991年『有限会社リフォル』を設立。2003年『株式会社リフォル』に組織変更。各企業へ講師として講演を行うなど、上・質・空・間・創・造をコンセプトに心地良い空間を提供している。詳しくは、ホームページ「福岡社長TV」、「福岡商工会議所"けいえいonらいん"」をご覧下さい。
マンション販売における上質で
魅力的なモデルルーム企画のシステム化
魅力的なモデルルーム企画のシステム化
インテリアコンサルティングの『リフォル』は、マンション販売における「モデルルーム企画」と購入者への「コンサルティング」「作図」のサービスを提供している。インテリアコンサルティングは、インテリアコーディネートより奥深く、デザイン、コンサルティング、コーディネートも含めた業務。『リフォル』では上質で魅力的なモデルルームの企画と、年間500戸以上のインテリアコンサルティングを実施している。このノウハウを活かし、マンションデベロッパーに向けて、顧客要望実現のシステムを確立。マンションは日々進化し、仕様、設計は複雑になっている。購入者の要望も複雑かつ高度になっており、プラン変更や仕様決定にはプロが必要だ。「短時間でより正確に要望を実現する」ためにシステム化を進めてきた。このリフォルシステムで、市場調査・コンセプト作成・色彩計画・デザイン・買付・セッティングまで正確な作業で、常に魅力的なモデルルームを提案する。2003年には品質マネジメントシステムの国際基準である『ISO 9001:2008』の認証を取得し、確かな信頼を得ている。
さらに特徴的なのが、『リフォル』は、代表取締役の内田千代さんをはじめ、20代から60代まで様々な経験を持った女性スタッフで運営していることだ。インテリアコンサルティング業務においては専門性の高い知識と経験、高いコミュニケーション能力が求められるが、それにプラスして女性としての感性を活かし、より快適で上質な空間になるように提案している。モデルルームの企画を行い、購入者の要望をうかがう、という生活空間を扱うなかで、CAD技術や仕事に必要な資格のほかに、家事という生活体験が役に立つことも数多く存在する。多様化、個性化した要望に対して一つひとつ丁寧に対応し、未来を切り拓いていこうという企業理念のもと、女性としての強みも遺憾なく発揮されているのだ。
(ライター/水落千寿子)
さらに特徴的なのが、『リフォル』は、代表取締役の内田千代さんをはじめ、20代から60代まで様々な経験を持った女性スタッフで運営していることだ。インテリアコンサルティング業務においては専門性の高い知識と経験、高いコミュニケーション能力が求められるが、それにプラスして女性としての感性を活かし、より快適で上質な空間になるように提案している。モデルルームの企画を行い、購入者の要望をうかがう、という生活空間を扱うなかで、CAD技術や仕事に必要な資格のほかに、家事という生活体験が役に立つことも数多く存在する。多様化、個性化した要望に対して一つひとつ丁寧に対応し、未来を切り拓いていこうという企業理念のもと、女性としての強みも遺憾なく発揮されているのだ。
(ライター/水落千寿子)
株式会社 リフォル
<本社>TEL:093-621-7323 FAX:093-621-7324
<福岡支社>TEL:092-645-0181 FAX:092-645-0182
Eメール:info@refol.com
<福岡支社>TEL:092-645-0181 FAX:092-645-0182
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ホームページ http://refol.com/