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イギリス生活情報誌 
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富山県高岡市で個別指導塾「チェリーブロッサム」を主宰する櫻井真弓さん。大学を卒業後、中高一貫校の国語科教諭となり、その後も数々の高校や予備校、専門学校でも教鞭を取りながら、授業だけでなく様々な場面で学生たちと関わって来た。「勉強以外にも生徒一人ひとりの心の栄養、人生の糧になるような良い影響を与えられる場を作りたい」という彼女。保護者と共に問題に取り組むことも多くなり、少しでも多くの人の力になればと、2017年の9月には「しあわせる〜む」という相談室も開設。性別、年齢を問わず、気軽に相談、おしゃべりができる「学校の保健室」のような場所を設けた。そんな櫻井さんの思いを伺った。


どこまで行っても私は母親を貫き通したい


─もともと高岡ご出身ではないのですね。

1歳の時。
櫻井 ええ。生まれも育ちも大阪です。市内の生まれで、幼少期は市内で過ごしましたが、小学校二年のときに、ベッドタウンである、京都寄りの茨木市に引っ越しました。初めての女の子の私は、不細工でしたけど(大阪人は、この言葉大好きです。不細工やけど、愛してる、とか、好きやわあ、なんて、最高級の褒め言葉)、なかなか才気煥発な私に期待していたようです。幼少期に一緒に住んでいた祖母なども、「出世して、おばあちゃん養うてな。」なんて、女の子に平気で言うような家風でした。叔父や従兄のお兄ちゃんが可愛がってくれて、むしろ、女の子としての楽しいことはあっても、決して男性の方が偉い、偉そうな人がいるなどとは、分からないような家風でした。それが、引っ越した先での担任の男性の先生の影響で、男性恐怖症になってしまいました。

─男性恐怖症? 櫻井さんが?
櫻井 小学校五、六年の担任の先生とそりが合わなかったことが大きな要因だったと思いますね。モラハラ、パワハラなどの言葉は当時まだ知りませんでしたが、その先生は、ことあるごとに女性を見下し、何か自分の思い通りにならないと大声を出したりしていました。また、女生徒に対し、暴力もありました。目立ったら怒られる、という想いから、絶対目につくことはしないようにしよう、また、叱られる材料をなくす、という、非常に軽薄な動機から、一生懸命に勉強するようになりました。大人になった今、その先生からの影響が、必ずしもマイナスの面ばかりではなかったように思います。その先生がいらっしゃらなかったら、学問の面白さと出会うことも、夢で終わらせずに、教員、あるいは教師にはなっていなかったと思います。今では、大学にまで呼んででもらって、授業させていただいている不思議さを思います。学部卒の私が。しかも、専門の国文学ではない分野で。

─専門ではない分野?
櫻井 はい。文学は、素晴らしい世界ですが……。かつて、法学部出身の夫から、「趣味の学部」などと揶揄されておりましたが、それは、ある意味当たっている部分もあるわけで、負けてはいられないわ……、と少しは世間の皆様に役立てるよう、数年前から社会科学系の分野の勉強を進めてきました。実現できるかどうかわからないけれど、もし、何らかの形で、お役に立てるようになれば、と、ゆっくりじっくり勉強を進めていきたいと思っております。

─ご結婚は早かったんですね。
櫻井 はい。大学の先輩とです。就職して三年して、結婚しました。夫が転勤族だったため、いろいろな場所で、いろいろな方々と出会うことができました。新婚のときに、金沢で、市民大学に応募し、抽選で当たり、初回の授業のお昼に妊娠がわかり、そこで、泣く泣く学問としばらくお別れすることになりました。(笑)

─では、しばらくは専業主婦を?
櫻井 それが私の不思議なところで、目の前にあるのは私の仕事よ! と思うようなところがあって、結婚して三か月で、夫の転勤で、両親と同居することになったのですが、それは、それはびっくりすることの連続でした。


高校生の時。公園で妹さんと。
─たとえば?
櫻井 お醤油が違うんです。大阪は、付け醤油は濃い口、煮物には薄口。婚家は、付け醤油も煮物も全部お醤油が一緒。お味噌の柔らかさも違います。家風としては当たり前ではあるけれど、毎朝食べる卵焼きからして、目指す味が違う。一生懸命作った卵焼きを、お父さんがじーっとにらみつけて、お箸でそーっとあちらにやられるのを見たとき、卵焼きに対する憎しみまで感じました。とにかく娘が生まれるまで、心を揺らしてはいけない、と思って過ごしていました。お母さんが、「あんたがドーンとしといてくれるから私ら助かるがいちゃ」などと言ってくださって嬉しかった。おかげで、まるまる太った子豚のような、ドーンとした娘が生まれました。その後、彼女の芯の強さに、何度舌を巻いたことか……。あのときの私の努力のおかげよ! と自画自賛しております。(笑)

─少々お聞きしにくいことではありますが、夫婦関係は?
櫻井 たしかに夫はやりにくい面がある人だと思います。ただ、私の方からだけすると、お料理にせよ、その他いろいろなことがあるにせよ、厳しくしてくれたおかげで、たくさんのことができるようになったとは思います。自分は仕事、妻は家庭、と割り切っていたようですが、のちのち、その当時の話が出たとき、「あんた、それは奥さんの話、聴いてやらんなんわ」と言われて反省していたようです。ただ、女性の結婚は、仮に違う地方、あるいは転勤族、まあ、私の場合は、そのどちらにも当てはまるわけですが、今までのすべてを、つまりは仕事も、友人も、生まれ育った家も捨てて、一からの出発となります。一般的に言えば、win-winの結婚ではなかったと思います。

─win-win?
櫻井 結婚、というのは、ある意味、殺伐とした考え方かもしれませんが、契約的な意味合いもあると思います。双方が、この人と、あるいはこのお家と、ご縁があってよかった、と思えるものでないと、なかなかスムーズにはいかない面があると思います。こちらに来たのだから、一方的に合わせてください、あるいは、私の実家はこういう家でしたから、私はできませんというのもおかしいと思います。相手を思いやり、そうして、相手を最大限に活かせるだけの努力をしたいものです。ただ、自画自賛のようですが、夫が、「あんたがここまで来れたんは、奥さんのおかげかもしれんなあ。」と上司に言われたと言ってくれたときは、努力の方向は間違っていなかったと思えました。だから、夫の会社は、異業種で、最初は違和感もあったのですが、今では、その発展を願うようにもなりました。また、娘は、身内から私の悪口を言われたら、幼いなりに、二、三日も、その言った人に口も利かないほど、私を大切に思ってくれましたし、息子も、姉である娘が、よそのお母さまにちょっとした嫌な言葉を掛けられた時に、私と娘の前で、抗議してくれたこともありました。今思い出すと、二人とも、それぞれが、四歳の時のことでした。家族思いで、大好きな人のことは、自分が守ります、みたいな気持ちを持ってくれたことが、とても嬉しかったのを思い出します。もしも二人の子どもが、結婚することを選択するのであれば、どうか、相手の方が、この人と結婚してしあわせだった、お互いに成長できた、と思える相手になってほしいと心から願っております。私自身は、十二年前に、お父さんをなんとかお見送りさせていただいて、そのとき、親戚の方々がよくしていただいたことで、ああ、なんとかこの土地に馴染めることができたのかなあ、まあ、なんとかやってきたと思うことにしようと、ある意味それまで細々と続けてきた仕事へと本格的に進出する出発点になったように思います。自分への許可が出たと言いますか……。それから何より子どもたちが生まれたときからずっと思ってきたことですが、自分が一生懸命生きることが、最大の教育ですし、また、一方、それしか親の出来ることはないと思っています。家庭生活にしましても、仕事にしましても、やはり、子どもたちが健全に、しあわせな人生を送ってほしい、という想いが原点になって、私なりに一生懸命取り組んできたように思います。どこまで行っても、私は母親を貫き通したいのです。

─その考えが仕事にも生きているのですね。

大学生の頃。友人と。
櫻井 もちろんそれもあります。ただ、私は教員としては中高一貫校から予備校、塾まで19年の経験を積んできてまして、自信も持っておりましたが、経営者としては素人でしたから、保護者や業者さんたちの支えがあったおかげで、ここまでやってこられたというのが偽らざるところです。それよりもむしろ、さっきも言った、母親を貫きたい、という精神が生きているのかも知れませんね。

─具体的にどういうことでしょうか。
櫻井 たとえば今、難関大に入ろうと必死で頑張っている子がいます。もちろん応援したい。是非、合格してもらいたい。けれども、受験に勝ち残ることが勉強の真の目的なのかと言うと、それはちょっと違うと思うんですね。単に勉強を教える立場であれば、受験の結果がすなわち教育の成果と割り切ることもできるのかも知れません。けれども、受験生の親御さんにしてみれば、勉強のしすぎで体を壊したりしてはなんにもならない、という考え方も、当たり前にありますでしょう。それよりなにより、受験の結果がどうであれ、若い時に難関大学合格を目指して必死で勉強したという経験の中から、なにかしら人生のプラスになるものを得てもらいたい。それが本当の意味での勉強の目的であり、勉強するモチベーションにもしてもらいたい。だから私は、学生との接し方だけでなく、保護者との話し合いを非常に重視しています。

─たしかに、勉強の成果とか進学は、家庭環境に大きく左右される、ということが、よく言われますね。
櫻井 その通りです。同時に、親の世代がもっと色々なことを知りたいとか、いくつになっても学ぶ意欲を持ち続けるようでないと、子どもの教育環境も真の意味でよくなっては行かないと思うのです。そのまた一方では、うちの卒業生の中には、必死でアルバイトをしながら勉強を続けている子もいます。そういった学生に対しては、私と保護者だけでなく、行政も含めて地域全体で包括的に支援して行く道がないものか。結婚や子育てはそれぞれの家の問題でしょうけれども、教育の機会、教育を受ける権利は平等でなくてはなりません。

─今のお話しの前半部分が、大人のための勉強会を主宰している動機になっているのですね。
櫻井 それが全てではなく、私自身が、もっと学びたい、保護者たちと一緒に勉強したい、という思いがあったのです。もちろん、料理を教えたりとか、私から伝えられることはなんでも伝えたい。そういうことを通じて、高岡から孤独なお年寄りがいなくなる、というのが夢なのです。学んで知識が増えますと、さらに面白く学べるようになってくるんですね。親がいくつになっても学ぶ姿勢をなくさないのは、子どもにも必ずよい影響をもたらすと信じています。何度も言いますが、私はどこまで行っても母親を貫きたいのです。


この場所から羽ばたいていこうとする生徒達を見守る櫻井さんの眼差しは、とても優しかった。
─他に、保護者や地域の大人たちにどのようなことを教えていらっしゃるのか、もう少しお聞かせ下さい。
櫻井 とにかくなんでも、というのが答えになりますか。「源氏の会」と称して読書会のようなサークルを立ち上げましたが、ここでは『源氏物語』だけではなく、広く世界の文学作品に親しもうとしていますし、2017年からは「しあわせる〜む」というのを始めています。これはなんでも相談室と言いましょうか、学校の保健室みたいな……

─保健室?
櫻井 ええ。保健室というのは、健康診断とか、転んでケガをした子の手当だけではなくて、多くの学校で、クラスになじめない子の避難場所になったりしてるんです。実は私の娘も学校で結構ひどいいじめに遭い、親子でいじめと闘った経験がありますので、学校の保健室みたいな空間が塾にあってもいいじゃないか、と。たわいのないおしゃべりでストレスが発散されることだってありますし、身内にはかえって相談しづらいようなことだって、あるじゃないですか。なんでもいいから、ここへ話しに来て下さい、という場所ですね。

─それは、さぞや大変でしょうけど、素晴らしい試みですね。ところで、このあたりでもう一度、塾での勉強の話に戻らせて下さい。チェリーブロッサムでは国語と英語に特に力を入れていると聞きましたが。
櫻井 そうですね。ただ、誤解の無いように付け加えておきますと、文系の勉強ばかり重視する、というわけでは決してないのです。それでもあえて国語重視を正面に打ち出しているのは、やはり読解力がついてくると他の教科の成績も上がるというのが、私の教師経験からも確かだということがひとつ。もうひとつは、これは面白い問題だ、ということに気づくようになると、受験のためのテクニカルな勉強を超えた、学ぶことの楽しさ、深さを知るようになるからです。また、高校生が小学生に勉強を教えたりしていますが、これは教室がアットホームな雰囲気になると同時に、問題を出す側、勉強を教える側の考え方が分かるようになるという一石二鳥の効果があるのです。

─うちで勉強すれば一流大学に入れます、ということだけではなく、勉強の楽しさを分かって欲しい、ということでしょうか。
櫻井 受験は人生の一大事ですから、みんな目標を立てて頑張ります。結果よりも、その頑張った経験を大事に生かしてもらいたい、ということはたしかに考えています。もうひとつ、学生時代に人生の基礎が築かれるのも事実ですが、人生、学校を出てからの時間の方がずっと長いのも事実。受験が終わった途端に学ぶ意欲をなくしてしまったり、逆に受験にたとえ失敗したって、なにもかも無駄だったとは思わないこと。だからこそ、保護者との面談にも力を入れて、授業も個別指導を重視し、精神面を含めた総合的なサポートができる場所でありたいと思い続けているわけですね。ですから、高岡から旗を揚げていつか全国展開する大きな予備校チェーンにしてやる、なんて考えたこともない。今まで送り出した卒業生はたったの40人ですが、その子たち一人一人の人生に少しでも良い関わり方ができたのであれば、それだけでこの塾を開いた意味があったと思ってますし、幸いなことに〈奇跡的勝利〉をおさめる子も次々に出て、保護者たちも高い評価を与えて下さっています。今後、塾を大きくすることはもちろん望んでいますが、それも単なる拡大路線ではなく、多くの女性スタッフが生き生きと活躍できる場になったらいいな、と。いえ、なったらいいな、ではなく是非ともそうしたい。

─もっと早く、最初の方で質問したかったのですが、ここ富山県の高岡という町を活動の場所に選んだのは、なにか特別の理由と言いますか、きっかけでも?
櫻井 まあ、縁があったということなのだと思います。転勤などで北陸の各地、また札幌でも暮らしたことがあるのですけど、この町が一番だと思えるようになったんですね。大都市では失われてしまった落ち着きとか人情、そういったものが残っていますよ、とか、言葉で伝えることももちろん可能ですけれども、みなさん、観光旅行でも構わないから一度来てみて下さい、と言いたいです。大阪を振り出しにあちこち流れ歩いてきた私たちに、高岡の人たちは本当によくしてくれました。だから、私のこれからの人生、高岡の町をよくするためにどうぞ使って下さい、という思いですね。




チェリー・ブロッサム
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[イギリス生活情報誌]月刊 ミスター・パートナー 〒160-0022 東京都新宿区新宿2-15-2 岩本和裁ビル5F TEL.03-3352-8107 FAX.03-3352-8605