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イギリス生活情報誌 
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髙橋正二さんは神奈川県出身。高校を卒業後、山梨県庁で林業改良指導員や林道の測量・設計、県有林の管理や整備事業等に30年間従事した後に帰郷し、森林組合の参事を2年間務める。49歳の時に独立し、「高橋林業」を設立。同社では経営基盤の強化に努めると同時に、手厚い福利厚生を整えて人材育成に注力。国土の7割以上を森林が占めるこの日本で、現在林業に抱かれている、危険、きついなどのイメージを刷新するため山や森林の素晴らしさ、楽しさを発信するなど、様々な試みを行っている髙橋さんに話を伺った。


山と共にあった人生。そしてこれからも



亡父正男と建山で下刈作業中。13歳の頃。
─もともとこちら(神奈川県相模原市)のご出身と伺いましたが、子ども時代の思い出など、まずはお聞かせ下さい。
髙橋 昔このあたりは、公園なんかないところでしたからねえ。山が遊び場でした。裏山とか、あとは近くの川。子どもの時から、山のあぶない面、楽しい面、また自然の怖さなど学んだと思ってます。自然に親しんで、などと言うと格好良いですが、実のところは、遊びに行くといっても、他に遊ぶところがないというだけの話で。

─地元の小中学校卒業後は?
髙橋 いや、私は三人兄弟の長男でして……私は神奈川県立の愛林青少年訓練所の専門学校に進学しました。全寮制で箱根の畑宿にありました。そこは林業実習中心なのですが、並行して神奈川県立湘南高校の通信制も修了するシステムだったわけです。本来4年制なのですが、4年目は厚木市七沢に新しくできた、神奈川県の林業研究機関と同じ敷地内で名称も新しく改称された林業研修所を卒業後、そこから山梨県庁に入庁したわけですが、ま、書類上は高卒ということになってました。さっき言った湘南高校を卒業したもので山梨県に採用後、東京農業大学の通信制の農業学科を修了してますから、最終学歴は農大卒ということになりますね。

─神奈川県から山梨県に移られた時の印象は?
髙橋 甲府なんて行ったこともなかったので、印象もなにも、いかにも自分は「よそ者」だな、という感じですかねえ。現在は観光客も増えて県外の人達も多いですけど……。当時は相模ナンバーの車なんて乗ってるの、私一人でね。父が遠くに行くのだからと、飼っていた牛を売って車を買ってくれました。道路事情も今ほどよくなかったので、もちろん通勤はせずに甲府市内に住んでましたが、実家まで車で2時間かかりましたね。(現在は高速を使用すれば45分)色々な意味で、遠いところへ来たな、と思ったのが第一印象ですかね。それもそのはず。知人が一人もいなかったわけですから。

─山梨県庁には30年お勤めだったわけですが、一番の思い出は?
髙橋 それがおかしなもので、仕事で甲府市にいた時のことより、その間に父親が事故で亡くなった時のことをよく覚えてますねえ。朝、元気で出かけていった父親が、死んで帰ってくる。私22歳の時ですから……実家の家族、そりゃあ私を含め大変なショックでした。当時は父親が家を新築してる途中でして、建前が終わって4ヶ月後くらいかな、とにかく未完成のまま他界したんですよ。その後は上司の計らいで実家から通勤できる大月林務事務所に転勤させて下さいました。


山梨県大月林務事務所管内ヘリでパトロール。35歳の頃。
─たしか50歳で退職なさった。
髙橋 48歳です。4年制の学校終えて19歳になる年に山梨県庁に入りしまして、ちょうど30年の節目でした。上司に退職したいと申し出た時は、そりゃあ同僚を含め全員に反対されましたね。でも、8月末に退職しまして、その後3ヶ月くらいはね、朝6時くらいには目がさめて、さあ、仕事に行くぞ、なんて、ズボンまではいて支度してから、あ、俺はもう辞めたんだよな、なんてことが、よくありましたっけ(笑)。やっぱりね、30年間の習慣というのは恐ろしいもんですよ。定年退職した人と、私のように思うところがあって辞めた人間とでは、また違うのかも知れませんが。

─思うところ、と言いますと?
髙橋 町会議員になりたかったんです。公務員のままではなれませんから。やっぱり現場で頑張っているだけでは、日本の林業をよくしたい、という夢は叶わないので、いえ、夢は叶わない、と言い切ってしまっては語弊もありますけど、議員の立場になった方が色々な可能性を探って行けることは事実ですからね。森林の大切さを広く訴えて行く仕事もできるようななるわけで。

─当選されたのですか?
髙橋 しましたよ。議員になると同時に高橋林業を設立。そして数ヶ月後は森林組合の参事と多忙でした。たしかに林業行政を30年間やってきて、知識と経験は誰にも負けないくらいだと自負してました。でも、森林組合にかかわって、あらためて林業の実際について学んだことも多かったですねえ。

─そして起業を決意された、と。
髙橋 町会議員になることと、高橋林業を立ち上げることは、どちらも目標でしたから二足のわらじで頑張りました。高橋林業はたった3人で起業したのですが、当時の年収は150万円くらいで一人分の年収にも足りないくらいでした。営業をがんばったおかげで右肩上がりに売り上げも伸び、15年後は年商1億5000万円を超えて、同業者間ではトップクラスの会社になることができましてね。我ながら、すごいなと思う(笑)、9年目にはれっきとした株式会社にして、社員も13名になりました。

─林業以外の仕事に、興味はなかったのですか?
髙橋 いろいろ周りを見ますとね、私みたいな農家の息子で役所勤めしてたような者は、たいてい定年後に農業を継ぎます。脱サラとかいうことじゃなくて、規定のコース。実はうちにも畑はあるんですよ。でも私は、畑に出ない。母親に、畑をやればいいじゃないか、みたいなことを言われたこともあるんですが、私は頑として聞き入れなかった。山一筋、山の仕事だけを続けて、もう60年以上になるんですねえ。


牧郷小学校(となりの先生)に認定され、地域の子ども達と野生キノコの指導勉強会。45歳の頃。
─山で具体的にどういう仕事をしているのか、お教えいただけませんか?
髙橋 除代工 枝打工、間伐工、丸太筋工、径路工、鹿柵工……簡単に聞こえるかも知れませんが、作業量は多いですよ。間伐と一口に言いますけれど、毎日100本から150本の木を切るわけですし、毎年3万2000メートルくらい道(径路)を作らないといけませんから。それも、平地での工事と違って、重機でどんどん進める、というわけにも行かないので、作業員の負担はそれだけ大きい。そこをなんとか改善しようと、最新の林業用機械を導入したり、色々な取り組みをしているようなわけです。従業員全員にパソコンを持たせたり、ITを活用した作業の効率化にも取り組んでます。効率化は、作業員の負担軽減にもつながることですから。

─山で危険なこともあるわけですか?
髙橋 たまにはね。私自身28歳の時、上司と森林調査に行く途中で山道を踏みはずし斜面を10メートルほど滑落した偶然、横に伸びてた木があって、それにつかまりすぐ下は絶壁で命拾いしたことがあります。這い上がっていったら、上司から「髙橋さん、もうだめだ、大変なことになったと一瞬思った」なんて言われましたっけ。今こうして無事だから笑ってますけどねえ。岩を横切る……と言っても分かりませんか。遠回りしないために、岸壁みたいなところにしがみついて、反対側まで行くとか、これは割とよくありますね。さっきも言ったでしょう。自然を相手の仕事である以上、死ぬか生きるか、みたいなのはありますよ。

─おっしゃることは分かりますが、そんな危険な仕事だとなり手もいなくなるんじゃないでしょうか。
髙橋 それもちょっと違う。建築現場や運転手の仕事だって、危険は伴うわけでしょう。資格のない人や何の知識も無い者が山で作業するから事故が起きる率が高くなるわけです。

─その、資格の話を、もう少し具体的にうかがえますか。
髙橋 森林の仕事に関わる資格というのは、30種類以上あるんですよ。あまり知られていませんが、チェーンソー(電気のこぎり)だって、あれ、実は資格がないと仕事で使ってはいけないですし、林の中にワイヤーを張るには、専門であるとのお墨付きの国家資格ですね。それが必要になってくる。ちょっと自慢させてもらいますと、私の会社では30種類以上ある資格を全て持っている従業員が6名いますね。同じ業者間でもこれだけの資格を持っている従業員がいる会社は全国でも数少ないですよ。


株式会社高橋林業オフィスにて。林業復権に多忙な日々を送っている。
─なるほど。資格があれば、自信を持って仕事が出来る。
髙橋 それもちょっと、誤解されては困るところでしてね。資格はあくまで資格で、仕事の経験値とは異なるものです。もう少し具体的に言いましょうか。たとえばあなたが、講習を受けてチェーンソーを扱う資格を、今日とってきたとしましょう。それで、明日から山に入って木が切れますか? やっぱり、仕事はベテランの作業員から手順を教わり、またその技術を盗んで覚えて行く、というのが王道。畳屋の修行は10年、林業は15年とよく言われてます。それだけの経験が必要になると言うことです。一人でやらせておいては大事故になりますよ。もちろん、自分は有資格者だという自覚があれば、仕事の上でも決してマイナスには働きませんが。さっきも言いましたように、資格のない者にそういう仕事をさせるということは、無免許運転と一緒でしょう? 許されることではないのですよ。(参考までに私の経験からして7年間くらいはベテラン者がそばで付き添い、アドバイスしながら一緒に仕事することにより、事故も減るし仕事も早く覚えることができますよ)林業は長い目で新人を愛情を持って育てることがとても大事なことなのです。

─会社にとっても、利益になるからこそ、従業員に資格を取らせるわけですね。
髙橋 長い目で見れば、そういうことでしょうかね。現実問題としましては、会社の負担はもはや「痛い」というレベルに達しているんですよ。資格を取得するには、講習を受けに行かねばなりませんが、その、講習を受けに行く日は現場を離れるわけでしょう。それも仕事ですから、現場に出なくとも人件費は発生する。そのことをひとまず別にしても、資格取得のための直接の経費だけで、ここ10年間で従業員すべてにかけた金額は7000万円くらいかかってますからね。もちろん林野庁等の補助金や助成金なども活用させてもらっています。すべてが会社の負担になってるわけではありませんが、やはり企業努力だけでは限界がありますので、もっと助成金を出してくれるように、各方面に働きかけを続けています。若い人が積極的に資格を取って現場に入ってくれるようにならないと、世界有数の森林国である日本の林業に、未来が無くなってしまいますから。

─やはりお金の問題が、大変なのですね。
髙橋 いや、お金の問題は一部分ですよ。もともと会社を経営して行くということは、たとえば1億円の仕事をちゃんとこなすためには、自己資金や借り入れ金を含め、1億円のお金を用意できないと駄目だ、という世界ですからねぇ。

─そういうものなのですか?
髙橋 そりゃあ、そうですよ。経費はまず、先に払わないといけない。さっきも言ったように、現場に出られない日があっても人件費は発生する。そういった経費を毎月支払い、また工事が完成するまで数ヶ月かかり、運転資金を借り入れして、その間給料を支払い続け、仕事を完成させます。完成してお金が入金されても、借り入れた運転資金を返済すれば、お金は残らないですよ(笑)。

─林業に従事する人が増えないのはどういう理由なのですか。
髙橋 現実には、増えないどころか激減してるのですよ。日本の林業従事者は、1980年をピークに減少を続け、今や全盛期の3分の1ほどになってしまっています。理由は色々で、たとえば建築用木材の需要が減って、つまり輸入材や新建材に押されて、ということですが、ビジネスとして成り立たなくなってきた。産業構造自体も変わってきて、さっきも言ったように15年も修行してようやく1人前、という仕事なんかしなくても、食べて行く道はいくらもある。ただね、森林の大切さというのは、単なる建築用木材の供給源にはとどまらないのです。水害を防ぐ機能もあれば、薬草ならぬ「薬用樹」というものもある。そもそも私たちの祖先は、国土の70パーセントが森林という国に生き、山の恵みに感謝して祈りを捧げつつ、絶やすことなく森林を利用して、自然と共生してきたではありませんか。資源としての側面だけ見ても、森林は再生可能な資源ですしね。もう一度、若い活力を森林に注いで、再生し、日本の国土の保全を守り抜いて欲しい。雨が降るたびに土砂災害に注意して下さいと、ラジオやテレビで放送されるたびに不安に陥ります。安心、安全で快適な生活環境で暮らせる日々が来るといいですね。




株式会社 高橋林業
TEL/042-689-2848 Eメール/takahashi-forestry@honey.ocn.ne.jp


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