神奈川県相模原市で生まれ、父親の興した会社「有限会社信和土建」を受け継ぐ代表取締役の宍戸信照さん。職人としても順調に会社を経営する父親の背中を見て育った信照さんだったが、ある日父親が他人の借金を背負って会社存続の窮状を目の当たりにすることに。決して恵まれたわけではない青年時代だったが、「仕事は見て覚えろ。ワザは盗むもの」という父親の教えを胸に精進。27歳で事業を継承。現在は建築職人を顕彰するマイスター制度で最高レベルの三ツ星を戴く現代の名工。その波乱の半生と職人としての矜持を奥様の直美さんと共に語ってくれた。
世の中の機微を見た少年時代
既製品の鉄筋を使わず、現場に合わせて自社で加工をする。
宍戸 幼少時代……人生の前半については、あまり自慢できたもんじゃないですねえ。幼稚園の頃から、みんなが教室でなにかしてる時、一人で砂場で遊んでたり、園児バス(送迎バス)が来る場所まで今日は一人で行くから、と言って家を出て、乗らずに遊びに行っちゃったりとか
─みんなといるのが苦手だった?
宍戸 必ずしもそういうことじゃない。親父がこういう商売してて、職人も結構何人も抱えてたし、家に帰れば必ず誰かしら客が来てる、みたいな環境だったからね。職人の車に乗せてもらって、わらび取りができる場所まで連れてってもらったり……今思えば、親父のやってた会社も結構大きかったんだなあ、って。
─でも、順調に2代目を継げたわけではなかった?
宍戸 むしろ、その正反対。ある日突然、会社がなくなっちゃう、という経験をしたんですよ。取引先の工務店が、代金を約束手形で払ってたんだけど……工事は先にやって、その代金を手形でもらうと、3ヶ月後とかに、100万なら100万の現金がもらえるんだけど、その期日の直前に工務店から連絡が来てね。今、銀行にお金(預金残高)がないから、手形を持ち込まないでくれ、と。手形を持ち込まれると銀行はその金額を支払わないといけないんだけど、残高がないと払えないでしょう。そうなると、手形が不渡りということになってね。会社が倒産しちゃうわけ。
─でも、持ち込まなかったのでしょう?
宍戸 親父はね。ところが別の業者が手形を割り引いてたんだ。3ヶ月後に100万になる手形があっても、逆に言うと3ヶ月間はお金にならない。なので、保証人とかつけて金融屋に持ってくと、70万円とかで手形を買い取ってくれるんだよ。これを「割引」とか「手形を割る」とか言うんだけど、それをやった業者がいて、その手形を振り出した工務店は倒産。親父は手形を取りっぱぐれた上に、人がいいもんで、他人の保証人とかにもなってたんだ。まあ、当時はまだ小学生の身で、手形とか倒産とか分からなかったけどさ、なんかおっかない人が家に来たり、差し押さえの赤い紙がテレビとかに張られちゃったり。なにより、毎日あれだけ出入りしてた客が、ぴたっと誰も寄りつかなくなった。金の切れ目が縁の切れ目とは、ほんとによく言ったもんだよね。あげくに親父は失踪。
基礎は建物の要。信和土建の仕上げは同業者も一目置いている。
宍戸 1年ほどで戻って来たのだけど、俺はお姉ちゃんの家で育てられた。お姉ちゃんと言っても、種違いのお姉ちゃんだった。それが小学6年生から中学1年にかけての話。それで帰ってきた親父は、会ったこともない女性を連れてきた。
─なかなか、すごい話ですね。
宍戸 まだあるんだよ(笑)母親が、スナックを経営してる女性でね。ある日、家に帰ったら知らないオヤジがいたり。頭に来て追い出したけど。
─家族の絆というものもなかった?
宍戸 まあ、今話したような家庭環境でさ。一家団欒とか、家族で海に行ったとか、そういう思い出はないなあ。自分にも家族がいたんだと、あらためて気づいたのは16の時、バイクで大きな事故にあってね。病院から家に連絡が行ったんだけど、誰もいない。結局、妹に連絡ついて。あ、この妹というのは、ちゃんと血が繋がった妹。そんなこんなで、妹も一時期は荒れてね。もともとは真面目で頭もいい子だったんだけど家庭環境がそんなで、高校生の時には拒食症になったり。
─宍戸さんご自身の高校時代は?
宍戸 高校行ってない。中学の時から、何度も家出するような状態だったし。やんちゃ坊主と言うか……いや、そんな風に言われるのは、もっと小さいときの話でね。中学生ともなると、働いて金を稼ぐこともあれば、仲間と江ノ島に行って防空壕で何日か暮らしたこともあったっけ。自分で稼いでるんだから、好きなことやっていいだろうと思って、実際に好き勝手やってた。今だから言えるけど、最終的にはヤクザの道に入ろうと思って。新横浜で新幹線に乗る直前までいったけど行くのをやめたんだ。乗ってたら全然違う人生だったね。
─やめた理由は?
宍戸 悪いことは悪いんで、一生続ける自信がなかった。だからその時、新幹線に乗る直前で方向転換してからは、昔からの仲間とは全て手を切ったよ。祭りにも行かないくらいだった。テキ屋とかになった知り合いもいるから、祭りで「おお」なんて声かけられるのもなあ、って気分だったから。
信和土建の縁の下の力持ち、奥様の直美さんと。
宍戸 自慢にはならないが……ずいぶん久しぶりで同級生に会ったのが、昔の仲間の通夜だった、なんてこともあった。そいつはヤクザの金庫番みたいになっててね。警察は自殺だって。そんな馬鹿な話があるか、って文句言ったんだよ。組のカネに手を出した形跡があって、自宅でもないアパートで首吊った状態で見つかったのが自殺かよ、って。だけど警察は、自殺じゃ調べようがない(捜査はできない)の一点張り。世の中にいらない人間だと見なされたら、死んでからもそういう扱いを受けないといけないんだな。
─そういう経験が生きたという思いは?
宍戸 全然ないと言ったら嘘になるかも知れないけど……もともと建設業界とか不動産の業界は、裏社会とのつながりがあったりね。職人になろうっていう若い子も、まともじゃない子が結構いる。中卒の自分が言うのもなんだけど、高校も卒業できない、学歴社会からはみ出してしまったようなのがね。だからこそまともな仕事をして、そういう子でもちゃんと一家の主になれるんだというところを示してやりたいし、自分の子ども時代からの色々な経験から、一家の主になれるのも悪い仲間から抜け出せなくなるのも、紙一重だとよく知ってるからね。ヤクザ関係の会社の仕事なんか引き受けたら、ろくなことにならないこともよく知ってるから。クリーンな人としか仕事で組まない。これは徹底してるよ。
─ご結婚も平坦な道のりではなかった?
宍戸 まあ、結婚する前の段階と言うか(苦笑)。
直美 あの、実は他に婚約してる女性がいたのですけど、取りやめて私と一緒になってくれたんです。(笑)
宍戸 そう。婚約破棄したんですよ。(笑)
─それはまた、なんと言っていいか。
宍戸 今さら隠し立てもしないけど、結納済ませて、仲人まで決まってる状態で、やっぱりやめたと。本当に、私の前半生は色々な人に迷惑もかけてきたし、恥ずかしい話が多いと言うか……。
─結婚されてからも、一度なくなりかけた会社を立て直していったわけですから、さぞや苦労が多かったのでしょうね。
直美 いえ、そちらの方は、結婚してからバブルの真っ只中だったので、会社の経営で苦労したという思いは、正直なところ、あまりないです。
宍戸 そう。27で結婚して世代交代したのだけど、その直後位にバブルがはじけた。でも、今もって借入金で会社をでかくしよう、なんてことだけは考えない。人に迷惑をかけたことはないけど、借入金だの約束手形だのでは、ずいぶんと迷惑かけられてきたからねえ。仕事もそうだけど、商売はいたって手堅く続けてるよ。バブルがはじけて、借入金のせいでつぶれた会社をいくつも見たけど、うちはまったく違う行き方をしてた。
年末恒例の餅つき大会。職人さんとの
交流をとても大事にしている。
交流をとても大事にしている。
宍戸 いや、それもなかなか。業界には業界の序列とか色々あるから。俺の場合、27歳で世代交代したわけだけど、中学時代から働いてるから、40、50の親方連中より仕事のことは分かってたりする。そういうことが、ついつい態度に出ちゃったんだろうな。(あんた、偉そうに色々言うけど自分はできないじゃないか)みたいな。あちこちで嫌われたこともあって、やっぱり世の中は厳しいと思ったねえ。早く年取りたい、なんて思った時期もあったけど、本当はそういうことじゃなくて、仕事をやって行く上では他人との関わり方とか、色々な意味での人間性が大事なんだと、学んできたんですよ。
─職人の世界でも、やはり人柄とかが大事なのですね。
宍戸 そりゃそうですよ。たとえばラーメン屋でもさ、あまり流行っていない普通のラーメンみたいなのしか出てこなくてもだよ。マスターの人柄がいい。毎度、話し相手をしてくれる。そして「いつもありがとうございます」とか元気よく言ってくれると、こっちもいい気分になれて、そういう店には通うじゃない。職人の仕事をちゃんと管理するのは現場の責任で、そもそも経験を積んで行けば仕事の腕は上がるからね。出入りの業者や職人は人柄で選ぶ。さっきのクリーンな人としか組んで仕事はしない、というのも同じ事で、一緒に働ける人間というのは、おのずから限られてくると思うよ。
─宍戸さんは、仕事(基礎工事)において一切の妥協は許さないと聞きましたが
宍戸 もちろんです。基礎の上に建物がたてば見えなくなるものですが、その上に家が建って、今度はそこに住む人がいるわけでしょ?その方々の事を考えたら、一切手抜きなんてできない。これでいいとか、もう楽な仕事をしたいなら、この仕事しなきゃいいと思う。私たち職人は、限られた時間の中で、効率よく正確に起こされた図面通りに、依頼に答えないといけないの。ゆっくりで丁寧なのは当たり前で、それ以上に効率よく正確なものを提供しないと。
─現場は誰が見ても、いつも綺麗に見える状態に保っていると聞いてます
宍戸 そうだよ。穴を掘るにしても、機械だけに頼らず手掘りで土をきったり時間がかかるのだが、不純物や、泥割れなどを防ぐ為スコップなどを使い掘っていくの。砂利を固めた上には、全面水蒸気を防ぐための「防湿フィルム」をピンと綺麗に貼る。表面をならす時も、京都の伝統工芸師のつくるコテがとても良いのでそれを使って綺麗にならす。もし雨が降ったならば、その上を布などで綺麗に拭いて、いつ誰が見ても現場はキレイにする。見えなくなる箇所だからこそ、全ての工程を丁寧に図面通りにいくように施工してますよ。
─機材や材料にもこだわっているとうかがいましたが。
宍戸 それもこれも、いい仕事をするため。鉄筋ひとつとっても、うちは既製品を使わない。建物の構造や広さを図面に起こした段階で、どういう形の鉄筋が何本必要か分かるわけだから、それに合わせて自社工場で加工する。他社の現場は、たいてい既製品の鉄筋が届くから、さてこれをどうしようか、と考える。無駄でしょう。現場は仕事をするところで、頭を使うところじゃない。機材にしてもね、やはり最先端の機材を導入して行かないと、古い機械は同じような性能でも重いし、体の負担がきつい。体がきついと、仕事がずさんになりがちだからね。使えるうちは(古い機械を)使おう、というのは駄目だと思う。ドイツの、ヒルティという工具メーカー知ってる?
─いえ、初めて聞きます。
宍戸 そうだよね。業界じゃ有名なんだけど。ドイツのメーカーだけど、店を持たずに営業マンが車で走り回って、注文取ったり商品届けたり……その分、担当が年中変わる。ノルマを達成できないと即、配置換えになるみたい。うちも一時期、ウマが合わない担当者になってつきあいが途絶えてた。
─でも、その工具がよいわけですね。
宍戸 値段は高いが、それだけにヒルティを使ってるというだけでステータスになるんだよ。
直美 その機械の価値が高いのか安いのかわからないけど、他のメーカーから比べると高いみたいですねぇ。
─その工具を使うのがステータス、というのは、やはり値段の関係ですか?
宍戸 それだけじゃないんだな。割と最近の話なんだけど、基礎の高さを測るレーザーの機械があって、それ、20万円くらいするんだ。うちに一台、あと、若いのが独立することになったんで、一台プレゼントしようと。ところが営業マンは、実績のない会社には売れませんって言われちゃったんだよ(笑)。だから、信和土建がどういう会社か、会社の上の方に聞いてみなよ、と言い返してやった。そしたら、色々調べまして信和土建さんはVIP待遇です、と(笑)。
─業界でもトップレベルと認められたわけですね。
宍戸 そういった認定は、幸いなことに各方面からいただいてる。配筋マイスター、転圧マイスターとか。その分、社会的責任も重くなったので、数年前に経理も税理士さんに見てもらうようにしたのだけど、これがまた、税務署より厳しい人でねえ。
直美 その先生が来ると思っただけで、胃が痛くなる(笑)
宍戸 だけどその税理士さんは、自分が見た会社に税務署からダメ出しされたら、自分が見ている会社が全部(税務調査の)対象になる、と。そのくらいの自信と責任があって、いかなる意味でも社長に迷惑はかけませんよ、と言い切ってくれる。しかも実際に、決算書を銀行に見て貰ったら、これは素晴らしい、と。どんな仕事でも、プロというものがあって、自分の事で言えば中卒という学歴でも、生き方一つで引け目なく、誰でもやっていけることを伝えたいですね。
有限会社 信和土建
TEL/ 042-763-4443