代表 蔵屋憲治 さん
会社員としてのスタートは大手写真スタジオで、「ザ・リッツ・カールトン大阪」にて活躍。16年にわたり、結婚式やホテル内のレストランの撮影をこなす。副業としてFXと不動産投資を始め、脱サラして起業。経験に基づく副業や資産運用セミナー、プロフィール・商品撮影にも定評がある。
資産運用、自己実現をサポート
起業したい人を応援
大手企業で副業が認められ始めた2018年、副業解禁ビッグバンが起きた2019年、さらにその波が広がる今年と副業解禁の流れはもはや当たり前となってきた。『株式会社KP Life』はそんな波をとらえ、副業・起業で成功するためのコツを伝授するセミナーを開催し、自己実現をサポートする企業だ。副業で収入を増やしたくても実現するのはなかなか難しい。起業はしたものの、思うように稼げないという声も多い。成功するには、まずお金を知ることだと代表蔵屋憲治さんは語る。
「会社員のかたわら株式投資を始めた頃は、すぐにはうまくいきませんでした。でも、お金自体をよく知り、理解したうえで投資を実践することで人生が変わりました」
また、蔵屋さんはカメラマンの経験で人の強みや魅力を発見する能力を磨いた。投資や副業を取り入れたライフプランニングをサポートするにあたり、その能力をもとに、各自の強みをどう活かすかをアドバイスしている。「副業に興味があるが何から始めたらいいか」という方は、まずはセミナーに参加してみては。
(ライター/ナガノリョウ)
行政書士歴30年。難易度の高い許認可を得意とする特定行政書士でもあり、その専門性を一般社団法人の活動に活かしている。個人事業者や中小企業の支援も行っており、現在「もっと楽しく!簡単に」をコンセプトに食品衛生法改正に伴う小規模飲食事業者のHACCP義務化について、課題解決と啓蒙活動に取り組んでいる。
持続可能な飲食店の実現を後押し!
経済活動促進を目指す
『一般社団法人特化エキスパートⓇ推進協議会』は、個人や企業の価値の創造や人財育成、知的財産の向上、売上向上、組織改善といったファシリテーターとしての経験豊富な特定行政書士でもある神宮司道宏さんが代表を務める法人だ。
SDGs(持続可能な開発目標)という世界の共通言語と出会い、正にこれまでの活動とリンクし、日本全体の生きがい、働きがい、やりがいの向上を目指すべく、各分野に特化したエキスパート『特化エキスパートⓇ』という分野を世に広めたい! という想いから一般社団法人を設立。自己肯定感の高い大人や子どもがたくさん存在する社会を築き、経済を豊かにしていくことを目標に掲げた。そのような中、食品衛生法の15年ぶりの改正が、2018年6月に公布され、2020年6月に施行。ほとんどの飲食事業者がHACCP(ハサップ)の考え方を取り入れた衛生管理(=リテールHACCP)の義務化が対象となった。しかし、今回の義務化(法改正)は、飲食店にとってはチャンスだと神宮司さんはいう。それはひと言でいえば「ウィズ・コロナ変革」。一段上の衛生管理が消費者の心を掴み、持続可能な領域を生むのだと。
そもそもHACCPとは、原材料の受入れから最終製品までの各工程ごとに、微生物、化学物質、金属の混入などの 潜在的な危害要因を分析・特定(危害要因の分析:Hazard Analysis)した上で、 危害の発生防止につながる特に重要な工程(重要管理点:Critical Control Point)を継続的に監視・記録する工程管理のシステムのことである。これに対してリテールHACCPは、HACCPを簡易化したものではあるが、小規模飲食事業者にとっては、ハードルは高い。しかし、実施を怠たり行政の指導に従わない状態を継続するなど悪質な場合、行政罰や刑事罰、民事的責任、信用失墜など社会的・道義的責任に繋がる可能性がある。
「今後の飲食業は、食生活が多様化し、外食には、食事の提供だけではなく、体験の価値化や一層の衛生管理やトレーサビリティが間違いなく重視されていく。また、新型コロナウイルス感染拡大の影響で多くの飲食店が参入しはじめたテイクアウトフードには、より安心・安全が問われていくことがマストな事項であり、世界的な食糧危機と共に、安全でない食品やフードロスなど、飲食業者は食に関する課題の解決が期待されるはずだ」と神宮司さんはいう。
そのような状況を考えると、保健所との信頼関係の強化、衛生管理体制の見直しによる食中毒対策の強化、従業員の意識の変化をもたらすHACCPの義務化は時代の潮流として必然ともいえる。しかし、前述のとおり、その実行には手間がかかり、手続き面など、小規模の飲食店にとってハードルはそれなりに高い。そこで神宮司さんは、HACCPの啓蒙活動を決意。HACCPの導入をきっかけに、持続可能なお店創りとのかけ算で、SDGsの様々な目標を達成していけると直感したという。
神宮司さんのコンセプトは、「ワオー!(斬新×創造)」「ワクワク!(楽しい×熱中)」「サプライズ!(感動×驚き)」「サティスファイ!(満足×結果)」「価値と感動の探求と共有を二人三脚で! という世界観で成り立っている。単にリテールHACCPの仕組みを伝えるのではなく、高齢のご夫婦の経営するお店でも簡単で、しかも習慣化や見える化も可能で、かつ、保健所への提出可能な仕組みはないだろうか?と考案したのが、実用新案取得の『日めくり管理記録カレンダー』である。その他、業務のゲーム化の提案や業務遂行の中で人間力をアップを図るメソッドなど、独自のプログラムの提案を行っている。
そのプログラムは以下の7段階構成で、再現性が高く、しっかり実行へと移せば持続可能なお店を実現できるという。
【持続可能飲食店を実現する7つのステップ】
◎第1段階
小規模飲食事業者向けの「リテールHACCP」を簡単に実行できるようにする。
◎第2段階
お客さまにワンランク上の安心感を提供する衛生管理を修得する。
◎第3段階 スタッフの人間力アップを図る。
◎第4段階
単価アップ&リピーター増加の仕組みを修得する。
◎第5段階
お店独自のキラーメニューの考案などお店のブランディングなどさらにワンランク上げる。
◎第6段階
新規集客&固定客化の仕組みを修得する。
◎第7段階
持続可能な地域オンリーワン店を確立していく。
さらに上がSDGsとのリンクの段階だという。
最後に神宮司さんの想いとメッセージを。
「今後は、持続可能飲食店構築の仕組みを修得したリテールHACCPの特化エキスパートが全国に存在するようになってほしいと思っています。そして、その伝播により飲食店が地域活性化の中心になっている…。そんな未来を描きたい。さらにその仕組みは別の業界や海外でも活用され、〝生きがい〟と〝経済成長〟のかけ算が加速していく。そんな未来と仲間を築きたいです。社会の課題を解決しながら持続可能なお店創り・会社創りをしていきませんか?」
(ライター/山根由佳)
「大切なことはみんな保育園で学ぶ~よい保育の場を求めPart Ⅱ~」(DVD付)フォーラム・A刊 1,852円+税
「よい保育の場を求めて~大切なことはみんな保育園で学ぶ~」
出版文化社刊 1,429円+税
「子どもたちの輝く未来のために子どもの力を伸ばす積極的保育のすすめ」現代書林刊 1,200円+税
理事長 兼 園長 山本良一 さん
関西学院大社会学部社会福祉・社会学コース卒。大阪市中央児童相談所で児童福祉司として活躍。1976年、「社会福祉法人弘法会」理事長、「大東わかば保育園」園長。大東市児童福祉審議会委員、花園大学非常勤講師などを歴任。
独自の保育理論を実践し成果実感
安心・信頼・感動を重視
大阪府大東市の幼保連携型認定こども園『大東わかば保育園』に子どもを通わせている保護者が子どもの成長ぶりに目を細めるイベントがある。約350㎡の園庭で9月に運動会として披露する「合同遊び」。子どもたちと先生が協力しながら全体の主軸となるストーリーを決め、それに沿ってクラスごとに遊びと役柄を考え、7ヶ月間かけて準備する行事だ。「準備するプロセスそのものが子どもたちを大きく成長させるのです」。園長山本良一さんの説明に保護者たちが信頼を寄せるのはこの行事に止まらない。「積極的保育」という山本さん独自の保育理論に支えられた保育全体に及ぶ。
山本さんが同保育園を設立したのは、1976年。その前後から教育家や思想家などの著書を渉猟し、保育のあるべき姿を模索、辿り着いたのが「現実的な諸問題にとらわれずに、子どもの力を信じて伸ばしていくことを第一に考えて、保育に取り組む姿勢」と山本さんが定義する「積極的保育」だ。「現実的な諸問題」とは、行政への書類提出、各種審議会や保育団体などからの文書、研修会の案内、研究機関などからのアンケートなどへの対応、不審者対策、感染症対策、虐待問題、情報公開、業務の記録化など保育の第一線が直面する事務上の様々な問題を指す。こうした状況の中で、園長が強い心を持って保育士などスタッフと力を合わせ、保護者や地域の住民の理解とバックアップを得ながら保育に全力で取り組む覚悟を示したものだ。
この保育理論を基盤にした保育で重視するのが「大切なことはみんな保育園で学ぶ」という運営スタイルと、「安心」「信頼」「感動」の3つのキーワードだ。
「安心してすごせること、身近なところにいる大人を信頼できること、そして、楽しさやよろこびを感じること、これらを経験することが、子どもとして人間としてよく育つためには大切だと考えています。また、ひとりの人間として尊重され、不安な感情などが理解されるとともに能力が認められ、伸ばすことができたという体験をすることによって、生きることを喜び、自分を伸ばすことに意欲的に取り組む人間になることができると考えています」
『大東わかば保育園』では現在、約110人の子どもが在籍し、保育教諭・看護師・栄養士など合わせて約25人のスタッフが保育しているが、こうした理念を投影させたのが「自由遊びの時間」だ。木製遊具、砂場、うんてい、アルプスが配置された園庭で、年齢ごとにクラス分けした保育とは別に、午前8時半~9時半、午後4時前~4時半の2回、1歳児から5歳児までが一緒に遊ぶ。昼食後も1、2歳児、3~5歳児の順に園庭に出て思い思いに遊び回る。
「少子化、核家族化、働く母親の増加、テレビゲームの普及、遊び場の不足など子どもを取り巻く環境は大きく変わり、子どもだけで自由に遊ぶことが少なくなってしまったうえに、子どもが巻き込まれる事故や事件もあり、子どもだけで家の外で遊ばせることに社会全体が消極的になっています。こうした傾向は子どもの成長にいいはずはなく、子どもたちが気持ちの向くままに遊ぶ時間を持つことは大切だと考え、導入したのが自由遊び時間です。友達との遊び方を学んだり、危険を察知して避ける力を身に付けたりして、自分を伸ばすことに意欲的な子どもが育っていきます」
1歳児、2歳児が給食後に園庭に出て遊ぶ保育園は公立、民間ともほとんどないという。獅子舞や凧揚げ、星まつり、夏まつり、ハロウィン、クリスマス会、お泊り保育、運動会、親子遠足、芋ほり、プラネタリウム見学、生活発表会など、園長、職員、保護者が子どもたちと一丸となって楽しく取り組む行事は、感動する心を育む。
また、山本さんは、登園してくる子どもたち一人ひとり、保護者の方と挨拶を交わし、自由に遊んでいる間も「子どもたちの命のリズムと共鳴するような姿勢」で気持ちを込めて見守ってきたという。この姿勢が安心と信頼を与えてきた。
「自分自身のこれまでの人生体験や宗教、哲学、心理学などの分野から得たものから、健全な自己実現を現実のものにするには安心は大切なことであると知りました。ひとりの人間によって見守られるということは、子どもたちも無意識のうちに感じて、安心感を与えているように思います。また、子どもの周囲の大人に対する信頼は、毎日の小さな具体的な事実の積み重ねによって強くなっていきます。安全や清潔、秩序などに重点が偏りすぎて、一人ひとりの子どもの状態や気持ちに配慮が不十分にしかされていないと、子どもは信頼を強めていくことが困難になります。職員すべてが子どもの気持ちをできるだけ配慮することをいつも忘れないようにするという姿勢が大切なのです」
保育園運営を通して地域に貢献してきた山本さんだが、保育園前の一軒家を「みどり つどいの広場」として開放、月~金の 10時~12時と13時~15時に0歳~就学前の乳幼児と保護者を対象に子育てのヒントを得たり、親子で楽しく過ごせたりすることができる支援活動も行い、地域に根差す保育園として信頼を集めてきた。
2020年5月、開園44年を迎えた山本さん、関西学院大学社会学部を卒業後、大阪市の児童相談所で児童福祉司として約8年間働く中で「長く子供たちに接して成長を見守れる仕事がしたい」との思いを強め、保育の世界に進路を定め、「積極的保育」を実践してきた。その足跡はこれまで出版した著書「明るい保育は未来を明るくする 『積極的保育』のススメ」や「よい保育の場を求めて 大切なことはみんな保育園で学ぶ」 など4冊の著書に克明に記録されている。
「明るい保育園は地域社会を明るくします。保育園を卒園して何十年経っていても、街や電車の中で子どもと顔を合わしたときには、ほとんどの卒園児や保護者の方が笑顔になって、なつかしそうな表情をしてくださいます。そのようなとき、よい保育、よい保育園は明るい未来をつくる上で、大きな寄与をしていることを実感できるのです」
(ライター/斎藤紘)
高麗橋(江戸時代東海道57次の起点であり、明治には里程元標となっていた)。
問屋役人木南家。うだつのある家。伏見船船番所付近。
本陣跡。願生坊。浄念寺。
枚方橋。宋左の辻。問屋役人小野家。
鏡伝池(平安貴族が月を鑑賞したと伝わる)。
樟葉の宮伝承地の自然林。
樟葉の宮(継体天皇即位の伝承地)。
樟葉より対岸の山崎の遠望。 東見附跡。
千田明 さん
「株式会社ミライト」退職後、2011年5月に電気工事業、電気通信工事業を業務とする『株式会社GNR』を設立し、事業を牽引している。
樟葉の交野神社を訪ねて
京都へ
現在、新型コロナウィルスの関係で不要不急の外出を控えていますので、今回は地元を訪ねて見る事としました。京都・大阪間を結ぶ京阪電車に乗車して、昭和の時代に菊人形展で有名であった枚方公園駅(ひらかた・他府県の方は多分、まいかたと読まれると思いますが)で下車し東海道57次(通常、江戸から京都間の53次と思われますが、江戸時代大名は参勤交代時、京都に立ち寄ることを禁じられていたので、難波(なにわ・大坂)の高麗橋(里程元標、現在でいう道路元標)を起点とし、守口・枚方・淀・伏見宿の4宿をプラスして57次)の56番目の枚方宿から京都に向かって案内したいと思います。
枚方公園駅を下車し、北に向かって250m程進むと淀川の堤防の手前に枚方宿(ひらかたしゅく)西の入り口、西見附(どの街道でも本陣があるような宿場町の出入口の要所に設けられた見張り所)に出ますので、街道に沿って進むと「鍵屋の浦には掟はいらぬ、三味や太鼓で船止める」と唄われた鍵屋(現在は市立枚方宿鍵屋資料館)に出ます。鍵屋は江戸時代、宿屋を営み三十石船の船待ち宿として繁盛していたそうで、京の伏見と大坂の八軒家を結ぶ三十石船に小舟(通称くらわんか舟)を出して「ごんぼ汁くらわんか、餅くらわんか、酒くらわんか」と河内弁で柄悪く飲食物を売っていたようです。
近年まで料理屋旅館で、2階に上がると堤防越えに淀川・高槻の遠望を望むことができます。鍵屋を出て街道より少し逸れ、堤防沿いに行くと伏見船・過書船の番所跡があります(過書とは通行許可証のことで、通行許可を受けている船のことなのです)。船番所は、船の取り締まりが役目のお役所で伏見、淀、橋本、枚方、大坂に置かれていました。伏見船は、大坂側の過書船に対し、後に許可が出た京都伏見側の船のことです。三十石船は、大坂八軒屋浜(現在、京阪電車天満橋付近)と京都伏見間を朝と夕方の二回定期運行していました。また、三十石船は、大坂八軒屋浜と伏見間を朝と夕方の二回定期運行しており、船頭4人、乗客定員28人の旅客船でした。上りは人力にて一日、下りは半日で下ったようです。
再び街道に戻り、左折すると浄念寺に当りますが、すぐに鍵曲がりになります。いずれも、本陣を守るための工夫だと思います。すぐに問屋場跡・うだつ(防火壁、出世するとうだつがあがるとの語源)のある問屋役人宅等、街道に相応した古い建物が風情を保っています。街道から右にそれ、京阪電車の踏切を渡ると浄土真宗願生坊・臺鏡寺がありますが、枚方寺内町を形成していたため、織田信長により石山本願寺攻めの折、焼き討ちにあった場所です。
元の街道に戻り、参勤交代の大名や紀州御三家の徳川吉宗公も宿泊されたと思われる本陣跡の三矢公園に出ます。さらに行くと高札場跡に出ます。右折して階段を登っていくと、万年寺山にあった豊臣秀吉の乙御前を住まわせたという「お茶屋御殿」跡があり、高槻方面の遠望が素晴らしいです。秀吉も淀川堤防(東海道)の整備工事の進捗状況を見分していたと思われます。
街道に戻り、常夜灯などを見ながら、枚方宿の遊女たちが「送りましょうか、送られましょうか、せめて宗左の辻までも」といわれた精油業の角野宗左の屋敷跡である東海道と奈良方面の磐船街道の合流点である宗左の辻の碑を右に見ながら左折し今は暗渠になっている枚方橋を渡り、右折して道なりに行くと東見附に当たりますが、少し手前に江戸中期より村年寄と問屋役人を兼ね、醤油屋の八幡屋を営んでいた小野家があります。忘れてはならないのは、本家改修の時、明治18年6月淀川洪水のおり、天井を超えて冠水し、天井裏に当時の魚のミイラが出てきたそうです。自然災害の備えの必要性を考えされます。東見附(天野川)には軍事目的のため、橋は架かって居りませんでしたが、紀州候参勤交代の折のみ架けられたそうですが、本陣の主人が裃姿で行列をここまでお送りしたようです。
さて、枚方・交野・御殿場・牧野などを案内したいですが、紙面の都合上、割愛して樟葉を案内したいと思いいます。「くずは」の地名の由来はあまり良いイメージでなく、昔、天皇家の相続争いで反乱した方が戦に負け、兵士は追いかけられ恐怖で褌(ふんどし)から屎を垂れ流して、逃げたところから「屎褌」(くそばかま)という地名がついたそうですが、後世あまり良くないので、淀川沿いに葛の葉が茂っていたので転じて樟葉(楠)としたと思われます。現在は、タワーマンションも聳える高級住宅地に変身しています。
街道を外れ、東の方に進み突き当たると交野神社(かたの)に出ます。ここは、周りを住宅街に囲まれた閑静な人の手の加わっていない自然林の中に後から神社が建てられたようで、ほの暗い中小鳥がさえずり、一人では少し怖いような神を感ずる古代の自然環境があります。交野神社は、桓武天皇の父、弘仁天皇を祀ったのが始まりとされ、本殿は重要文化財であり、その右手の森の中を行くと右手に小高い丘に貴船神社が鎮座します。やはり、この付近も水に悩まされた人々の祈願により勧請されたと思いますが、ここは506年に現在の天皇家の始祖である継体天皇が即位した「樟葉の宮跡」の伝承の地でもあります。応神・仁徳の河内王朝の武烈天皇の時、後継者を次々と殺害したため、皇位継承者が居らず皇位継承権があるのは天皇五世の孫までなのでギリギリ応神天皇の五代の孫、出身は近江の三尾(父方)・越、現在の福井県丸岡 (母方)で成長した男大迹(おほど)が大伴金村に迎えられ、最終的に手白香(タシラカノイツラメ:武烈天皇の姉、欽明天皇の母)の婿入りのような形で20年程かけて奈良に入いることがました。
また、交野の杜の南には、平安貴族が月を映して鑑賞したと思われる鏡伝池があり、今も時代を超え鑑賞してみたいような気になったところで、筆を終わらせて頂きます。
上右:2019年、台風15号の被害を受けた鋸南町で消防隊と一緒にシート掛け作業を行う代表取締役の中村幸一さん。(写真:上・下ともに水色のシャツが中村さん)。
宮大工だった祖父の代から続く創業79年の工務店『株式会社東京住宅リフォーム』の代表取締役。2級建築士、2級建築施工管理技士、測量士の国家資格保有。木材加工、型枠支保工、アーク溶接、建築鉄骨組立など多様な技能を持つ。
建築家の知見と経験を事業に投影
ボランティアでも進言
平安時代の創建と伝わる東京・杉並の須賀神社の雨漏りを火災保険の保険金を使って修理し、喜ばれた建築家がいる。『株式会社東京住宅リフォーム』の三代目社長中村幸一さん。火事だけでなく、自然災害による被害まで火災保険が適用される仕組みを利用したもので、この手法で修理した施工例は増える一方。「タダで戸建、アパート、ビルの修理ができる」と謳う同社のホームページのインパクトは大きく、住宅リフォーム分野のアクセスランキングで上位を占め続けている。
「須賀神社は地域の大事な氏神様。子どものころから境内を掃除したり、神輿の会に参加したりしてきました。その神社から雨漏りがひどいが資金に余裕がないとの相談を受け、火災保険が使えないか調べ、社務所・本殿・神楽殿の3ヵ所の保険金が下りたので、それを使って修理しました」
何故このようなことが可能になるのか、中村さんは解説する。
「火災保険は、火事による被害でしか保険金が下りないと思っている方が少なくありません。火災保険を修理に使える範囲は非常に広く、建物が老朽化したことによって雨漏りした場合などを除き、自然災害による被害も対象になるのです。補償される被害の種類は火災保険商品によって異なりますが、住宅を対象とする一般的な火災保険では、台風や竜巻で瓦が飛んでしまった場合などの風災による損害、ひょうや雪による損害、雷が屋根に落ちて瓦が吹き飛んだり、穴があいてしまったりする落雷による損害、洪水で床上浸水して建物が損傷してしまうなどの水災による損害なども補償対象になります」
中村さんが火災保険を使った修理に乗り出したのは、約7年前。当時、知り合いの建築業者の依頼で損害保険の鑑定の仕事を引き受け、被害状況の申告や見積もりが正しいか否か査定する中で、保険の仕組みに通じるようになり、幼なじみの母親から依頼された家屋の修理を火災保険を活用して170万円の保険金のみで施工して喜ばれたことがきっかけ。その後、「古い家の雨漏りを直したいがお金がない」といった相談もあり、困っているケースの一助になればと、建物診断の知識も生かして本格的に取り組み出した。
火災保険の対象になる自然災害による損害と判断された場合、申請を促し、保険金が下りたらそれで対象箇所を修理するというステップを踏むが、保険金は戸建で平均120万円、アパートで平均220万円、ビルで平均1050万円にのぼり、経済的負担の軽減に寄与するという。
中村さんは、東日本大震災をはじめとする大規模災害で被害を受けた被災地の復旧にボランティアとして参加し、被災状況に調査などを行っている。関東地方に上陸したものとしては観測史上最強クラスの勢力で千葉県を襲った2019年9月の台風15号では、大きな被害を受けた千葉県鋸南町に駆け付け、自衛隊や消防隊と共に補修活動をした。その際、ボランティア活動の窓口となったリーダーに火災保険を活用して修理する方法があることを伝え、感謝されたという。
◇
発想力豊かなリフォーム
忍者屋敷風民泊デザイン
『東京住宅リフォーム』は、中村さんの祖父が1940年に創業し、宮大工の仕事を始めた工務店が起点。その後、一般住宅の建築などへと業容を広げ、約15年前、リフォームがブームになった時に事業の前面にリフォームを掲げた。その際、情報通信技術に通じた友人が専用サイトの作成で協力、Yahooのサイトに掲載したところアクセスが急増、リフォーム事業は上昇軌道を昇り始めた。現在は、鉄筋、鉄骨、木造の住宅新築や改築、耐震補強工事、キッチンやトイレ、お風呂、洗面所などのリフォーム、マンションリフォーム、外壁塗装、屋根・瓦屋根修理まで自社一貫体制で設計施工に対応する。
そのリフォームで、技術力と発想力が伝わる事例がある。東京・大久保の築40年の老朽化した3階建てマンションのリフォーム。15戸のうち空き家になっていた13戸を民泊用にリフォームする仕事だが、中村さんが提案したのは、忍者屋敷風のデザイン。
「かつてテレビの対談番組のセット用に古民家を修復したことがあり、それを見たハワイの人からハワイにも造ってもらえないかと打診されたこともあったのです。それは断りましたが、今回、民泊用のリフォームを依頼されたとき、あの経験を思い出し、外国人観光客は古い和風の建物に関心があることや、忍者も外国人に根強い人気があることを考え、古風な忍者屋敷風のデザインを提案しました。マンションの借り手がなく困っていたオーナーの方も、ドアを開けた瞬間のインパクトの大きさから賛同され、着工しました」
当初の予定では、2020年7月の完成だったが、コロナ禍の影響で9月に延びそうだという。中村さんは、リフォームだけでなく、インバウンド戦略となる宣伝法も考え、演奏活動をしている子息の協力も得て、テーマパークの日光江戸村で演じる役者たちを出演者にしたプロモーションビデオを製作し、YouTubeにアップロードすることも計画、オーナーの民泊事業をバックアップする考えだ。
リフォーム事業でもう一つ、想定される大地震を視野に中村さんが力を入れているのが、地震に強い改修工事、耐震リフォームだ。
「東日本大震災や熊本地震など大地震の怖さを目の当たりにし、これからも発生が想定される時代、安心した生活をお守りするためにも耐震リフォームは必要不可欠です。建物の種類、築年数、間取りや形、壁の位置、基礎の種類、屋根材の種類と屋根の形、地盤の種類などのデータから建物の強度を計算し、 どの程度の耐震リフォームが必要かを判断して耐震補強費用の概算を出します。納得いただければ、お客様の心配や不安を取り除くことができるよう、地震に対して安心できるお住まいにリフォームします」
建物診断に精通した建築家の知見と技術、経験が事業の信頼度を支える。
(ライター/斎藤紘)
代表取締役 宍戸信照 さん
神奈川県出身。『有限会社信和土建』を創建した父親の「仕事は見て覚えろ。ワザは盗むもの」という教えを胸に経験を積み、27歳のとき事業を継承。個人事業主の職人たちと協力し合い施工。基礎工事の配筋マイスター、転圧マイスター。
宍戸直美さん
音大(短大)卒業後、エレクトーン講師に。8年間勤務ののち、結婚。その後23年間『信和土建』の女将さんとして支える。
流儀を貫く基礎工事のマイスター
人間味が伝わる験担ぎ
弘法筆を選ばず、という諺は、マイスターの称号を持つこの基礎工事の匠には当てはまらないようだ。『有限会社信和土建』の代表取締役宍戸信照さんのことである。30年超にわたる工事経験の中で工事の品質を維持するために形成された流儀を守り、施主や建築士、建設会社などの依頼主からの信頼が層のように積み重なってきた。数ある流儀の一つが、左官鏝(コテ)に代表される道具へのこだわりだ。
基礎工事は、建築現場に穴を掘り、敷き詰めた砂利を機械で固めて下地をつくり、その上に鉄筋を組み、コンクリートを流して土台を形成する作業。工程に手抜きや歪みがあれば、建物自身の重量や地震などの外的な力で建造物が傾いたり、倒壊したりする恐れがあり、建築土木工事の最重要工程ともいわれる。
左官鏝は打設したコンクリートを均す作業に欠かせない道具だが、宍戸さんは、「道具は職人の命。道具に金をかけないのは職人じゃない」と、左官鏝作りで約100年の歴史を刻む兵庫県三木市の梶原鏝製作所の古式鏝製造技術を知り尽くした名工の手になる鏝を使い続けている。
中塗鏝や仕上鏝、角鏝、先丸鏝、目地鏝など用途や素材、サイズの異なる鏝を多数揃え、現場の形状やタイミング、季節、気温によって使い分ける。素材も鋼、ステンレス、アルミ、カーボンなど多様。会社には少年期に初めて買った鏝や使い古して刃先が小さくなった鏝、木柄に握った跡が残る鏝などが宍戸さんの足跡が伝わる記念品のように保存されている。
また、作業に使うドリルや削岩機など建設用電動工具もリヒテンシュタイン公国の世界的な企業ヒルティ社製の高級工具を多数保有している。
コンクリートは押しつぶそうとする力に対しては強いが、引っ張る力や曲げる力に対しては弱い素材。その弱点を補うために引っ張りに対して強い鉄筋を組み合わせる配筋で強度を確保するが、この工程で使う鉄筋にもこだわりがある。作業効率や仕上がりの美しさの観点から、既製品を使わず、自社加工場で加工する。鋼材メーカーから鉄筋用棒鋼を仕入れ、住宅の構造から必要数を割り出し、配置場所や形状を図面に落とし、構造に合うよう加工していく。その数、大小数千本。継ぎ足しが必要ない7.5mの鉄筋も作っている。
コンクリートを流し込んで均す作業では、気温や湿度の高低によって乾燥したり、伸び縮みしたりしてひび割れることがないよう、外気温に応じて打設強度を変える強度補正をしながら設計強度になるように作業を進めていくが、コンクリートを叩いて不要な水や空気を除去して密度を高めるタンピングに使うタンパーという道具も知り合いの鉄骨会社に製作を依頼したオーダー品だ。
宍戸さんはコンクリートにもこだわり、基本的に地元の現場では、1996年に首都圏の宇部興産直系生コン6社が合併して設立された関東宇部コンクリート工業製の強度試験など様々な試験をクリアした高品質の生コンを使う。その生コンを「株式会社KCP」の圧送車がその日の作業の流れを予測して、現場の何処からコンクリートを流していくかなど宍戸さんの流儀を理解し、対応してくれるという。
こだわりは作業方法にも及ぶ。建物の正確な位置を出す丁張り作業は昔ながらの水糸を使って誤差を最小化する。穴掘りは原則として機械を使わず、スコップで根気よく掘り進めるので雨が降っても崩れない。その後の砂利引きもコンクリートの厚さが変わらないように土質を見極め、砂利の大小を判断しながら引いてゆく。砂利を固めた後、水蒸気の流入を防ぐ防湿フィルムを全面に敷き込むが、それも同じ大きさにそろえる。コンクリートの上にたるみなく綺麗にビニールシートを張る。雨が降ってシートが汚れれば、雑巾で拭くことまでする。
こうした妥協を許さぬ仕事ぶりが評価され、建物の欠陥や手抜きを確認する住宅検査専門会社ホームリサーチ社が優れた建築職人を顕彰するマイスター制度で、宍戸さんは最高レベルの三ツ星の配筋マイスターと転圧マイスターに認定された。その際、作業現場を確認した検査員は「スペーサーブロックの沈み込みは見受けられず、均一で良好な転圧状態」「マーキングも細かくされ、規則正しい配筋状態」「立ち上がり部分も整然とした規則正しい施工状態」「アンカーボルトの設置状況も埋め込み寸法に誤差が殆ど見受けられず」「基礎外周部へも養生がされ、汚れへの配慮が窺える」などと高い評価を与えた。
「基礎工事は図面通り、水平垂直の施工をすることが最も重要です。現場によっては土の硬さが異なって思うように施工できなかったり、気温や湿度によってコンクリートの固まり方が変わってヒビが入ったり、苦労することは少なくありませんが、お客様は家を建てるために総額何千万円という費用をかけていらっしゃいますから、丁寧に作業を進め、寸分の狂いもない、美しく頑丈な基礎に仕上げるよう努力を尽くさなければならないと思っています」
宍戸さんの精緻な土木工事技術はさざ波のように口コミで広がり、基礎工事以外にも傾斜地の土留め工事や階段設置、擁壁構築工事、外構工事などの依頼も舞い込む。1567年開山の東京都町田市の鶏足山智光院養運寺の境内の土留めと擁壁構築工事も請け負った。
基礎工事の匠の域まで上り詰めた宍戸さんが土木工事業界に足を踏み入れたのは、他人の借金を負って窮状にあった父親の仕事を手伝った少年期。信念と努力、技術力で着実に地歩を築いてきたが、中学の同級生で約23年前に結婚した妻の直美さんが事務を担当したり、時に資材を現場に運んだりして宍戸さんを支えてきた。
厳格な職人のイメージが強い宍戸さんだが、人間味が伝わるのが験担ぎだ。知り合いの鉄筋工事会社製の縁起カレンダーを兼ねた日めくりカレンダーを見て、大安や仏滅などの六曜から吉兆を判断し、その日の行動や作業をどうするかを決めるという。そんな宍戸さんを直美さんが笑顔で見守る。
(ライター/斎藤紘)
左上:今回、司会を務めた親友であるKuan-Mingchiu先生と講演後に。(写真2)
左中:Barto Lomeo先生(左)。(写真3)
(図1)弓部+下行大動脈手術の変遷
『オープンステントグラフト』図
上左:(写真5)t
中左:手術時に招待した台湾Dr.たちと。
中右:「Taichung Veterans General Hospital」での講演後に表彰。
副院長 兼 心臓血管外科主任部長 中尾達也 さん
広島大学医学部卒。2014年『新東京病院』副院長兼心臓血管外科主任部長。三学会構成心臓血管外科専門医。三学会構成心臓血管外科専門医認定機構修練指導医。日本冠疾患学会評議員。腹部、胸部ステントグラフト実施医。
海外への普及に力注ぐ国際派医師
坂の上の雲を目指し前進
新型コロナウイルスの脅威に世界がさらされる中、様々な疾患の手術を担う外科では、日本心臓血管外科学会など13の外科学会の提言に沿い、医療従事者の感染リスク、手術の医学的必要性、手術の延期がもたらす医学的危険性、術後の回復期に新型コロナウイルス肺炎を発症するリスクなどを考慮しながら、手術の可否を判断している――。『医療法人社団誠馨会新東京病院』の副院長で心臓血管外科主任部長の中尾達也さんは、外科医療の現状をこう説明する一方、社会がこの惨禍を乗り越える上で、神道の視点から心の持ちかたの大切さも説く。
「日本人に一番なじみがある神道は自然信仰で、神様の姿も戒律や経典もなく、ただ鏡を拝むのです。それは鏡に映る自分自身の良心を振り返り、豊かな自然が与えてくれた健康という大いなる恵みに対して感謝することなのです。今、コロナ禍の中で日本国民ならず世界の人々が困窮しています。神道の原点は、利己主義でなく利他主義だと思います。今こそ恨みやねたみ、憎しみや私欲を取り払い、健康で生きていることのありがたみをかみしめ、正直に1日1日を過ごしていくことが孫の世代に残すべき素晴らしい日本人の遺伝子かと思います。日本人は強いのです」
歴代部長を国内外屈指の名医が務めた名門診療科である同心臓血管外科を2014年から牽引する中尾さんは、心臓血管外科領域の疾患に対する手術治療で国内屈指の実績を重ねる三学会構成心臓血管外科専門医。心臓血管外科が2019年に実施した心臓を切開して行う心臓胸部大血管手術は、人工心肺症例、非人工心肺症例、オフポンプ冠動脈バイパス手術、胸部大動脈ステントグラフト術など合わせ375例にのぼる。中でも胸部真性、急性、慢性解離性大動脈瘤などあらゆる形態の動脈瘤に対して中尾さんが開始した『オープンステントグラフト手術』は、2014年から2019年の間、184例と国内トップクラスの症例数で、中尾さんは『オープンステントグラフト手術』のスペシャリストと評される。
「大動脈瘤は、心臓から全身に血液を送る大動脈にコブができ、破裂すると激痛を伴うショック状態から心停止、呼吸停止に至り、生命の危機につながる病気です。『オープンステントグラフト法』は、患部の血管にステントグラフトという金属製の骨組みに支えられた人工血管を挿入する方法です。胸を開けて行うのが特長で、患部を直視出来るのでステントグラフトを確実に留置できるだけでなく、コブができた血管を人工血管に換える人工血管置換術よりも傷口が小さく済み、身体への負担が少ない低侵襲の手術法です。高齢者や他の心疾患合併で同時手術を要す症例にも行えます(図1)」
中尾さんは、アメリカやオーストラリアの心臓血管外科の著名な病院で世界各国の医師たちと共に研鑽を重ねた経験から、国境を越えた医療技術の共有を重視する国際派医師としても活動、台湾(台北や台中)をはじめとする海外に先端技術である『オープンステントグラフト法』を広めることにも情熱を傾けてきた(写真1)。2018年には、海外プロクターとしてオープンステントグラフトの保険償還が決まったばかりの台湾に足を運び、台北市の国立台湾大学で『オープンステントグラフト法』による初症例となる手術に立会い、指導したり、台湾の医師を病院での中尾さん執刀の手術の見学に招待したりして普及活動に努めてきた。2019年には、台北の国際会議場で開催された第29回アジア胸部外科学会のランチョンセミナーで自身が施行した171例の『オープンステントグラフト手術』について講演(写真2)。この講演に触発され、中尾さんの手術の視察を希望した台湾や香港、マレーシアの医師を2020年10月に招いてライブ手術と研究会を行うことも計画している。
このほかにも中尾さんは、柏市の国立がん研究センター東病院呼吸器外科や東京・築地の国立がん研究センター中央病院食道外科と連携して心臓や頚部血管、大血管にまで浸潤した肺がん、縦隔腫瘍、食道がんなどの手術も積極的に行っている。
中尾さんは、心臓血管外科の世界的な権威、イタリアボローニャ大学のバルトロメオ教授とも親交があり(写真3)、誘いを受けて世界的心臓外科医など約400人が集った2019年のボローニャ大学主催の大動脈外科研究会に参加した(写真4)。同大学は、ガリレオガリレイやコペルニクスらも在籍したキリスト教圏最古の大学。世界最古の人体解剖が行われたという白い石のテーブルも見学、医者冥利と述懐する(写真5)。
また、大動脈瘤に対する『オープンステントグラフト手術』に関してイタリアで発表したプレゼンテーションが最優秀賞の「Top 10 of the 10th Postgraduate Course - Surgery of the Thoracic Aorta Best video Presentation Prize」に選ばれことが評価され、世界的に権威のあるイタリアのオンライン医学雑誌に世界中から寄せられる心臓血管外科関係の論文を事前に査読し、掲載に値するかどうか判断するレビューアー(批評家)に任命された。
中尾さんは、広島県の漁師町で、被爆経験のある両親のもとで育ち、広島大学医学部を卒業して医学の道に進んだ。司馬遼太郎の歴史小説「坂の上の雲」に因み、自身の登るべき坂を医療人としてScience(科学)、Art(技術)、Humanity(人間性)の3つを追求することと定め、一歩一歩、理想に向かって登ってきた。その精神は「理不尽に打ち勝って養ってきた生きる力を直に見せて教えてくれた」母親に源流がある。その母親が2019年12月26日、86歳で永眠した。61歳で他界した父親との別れのときと同じように、中尾さんは病院で手術していて看取ることができなかった。「私をこの世に出してくれてありがとう」。火葬場での最後のお別れの時に中尾さんが遺影に語りかけた言葉だ。
(ライター/斎藤紘)
奈良県立医科大学で医学博士の学位取得。同大学付属病院、香川医科大学付属病院、富田林病院、国立奈良病院、高井病院などを経て、『亀井整形外科医院』開院。日本整形外科学会専門医、日本リウマチ学会認定医、日本体育協会認定スポーツドクター。
整形外科を中心に地域の健康づくりに注力
利用者の生活の質を向上
兵庫県尼崎市の『医療法人社団亀井整形外科医院』理事長の亀井滋院長は、骨結合性に関する組織学的、力学的研究で医学博士の学位を取得した日本整形外科学会専門医。整形外科分野の多様な疾患に対応する的確な診療で実績を重ねるだけでなく、受診者や介護が必要な高齢者などの生活の質を向上させるための地域の健康づくりに注力し、同医院を核に、リハビリテーション専門の「デイケアセンター」、訪問看護や訪問介護、訪問リハビリを行う「居宅介護事業所」、認知症の改善を目指す「認知症対応通所介護施設」、リハビリに特化した通所介護施設「デイサービスセンター」、中国医学系伝統医学に依拠する「鍼灸・マッサージ院」で構成する他に類を見ない一大リハビリ拠点を形成した。
「整形外科の医師として、機能改善における運動療法に注目し、2000年に当院を開院した後、整形外科診療と並行してリハビリテーションに積極的に取り組んできました。当院で治療を終えた患者さんがスムーズにリハビリに移行できるようにデイケアセンターを併設したのが2011年。理学療法士を中心に患者さんの運動機能回復に努めてきましたが、高齢化が加速する状況の中で介護が必要な高齢者や認知症を患った高齢者の方たちの身体機能の改善も重要な課題であると判断し、それを実践する施設を医院に併設する形で順次展開し、通っていただく通所型、こちらから居宅などに出向く訪問型の両方の介護・リハビリサービス事業を始めました」
「デイケアセンター」「居宅介護事業所」「認知症対応通所介護施設」は医院直轄で運営、「デイサービスセンター」「鍼灸・マッサージ院」は医院内に本社を置く「有限会社MSコーポレーション」が運営。亀井院長のほか、看護師、理学療法士、柔道整復師、はり師、きゅう師、介護福祉士、介護士、トレーナーなどの資格保有者が連携しながら取り組む。
「デイケアセンター ファーストリハ」は、利用者や家族、ケアマネージャーなどの要望を聞き、利用者の介護度や生活状態などから介護プランにリハビリを組み込み、理学療法士が個別のプログラムを設定して目標に応じてリハビリを実施、一人ひとりの生活の質の向上を目指す。利用時間によって、準備体操、集団体操、個別リハビリ、個別トレーニング、脳トレーニング、物理療法、レクリエーションなどを適宜組み合わせる。
「居宅介護事業所」は、住み慣れた自宅での療養を希望する高齢者向けの在宅医療介護サービスを行う施設。亀井院長の指示の下、看護師が健康状態の観察、治療継続のための看護、日常生活の看護、ターミナルケアなどに当たる訪問看護、介護専門スタッフが日常生活動作能力や意欲の向上など自立を支援する訪問介護、理学療法士が安定した生活が確立できるようにリハビリを行う訪問リハビリから成る。
「サービス付き高齢者向け住宅心笑」は、2018年9月にオープンし、その人らしい生活が安全に行える住まいの提供を理念として、サービスを提供している。医療法人のグループ事業として、看護師、介護士をはじめ、理学療法士など多くの職種が連携をとりながら、在宅で生活をすることが難しい、重度の方を中心に入居されている。特にグループとして力を入れている「リハビリ」をしっかり行える環境ということで、鍼灸師による訪問施術や訪問リハビリ、状態に応じて通所系のサービスを入れながら、入居様の身体機能の向上を常に考えながらサービスを行っている。地域のニーズを考えながら2020年11月末に2店舗目の「サ高住」を尼崎市東園田に開設を予定している。
「地域密着型の認知症対応通所介護施設 十人十色」は、理学療法士やトレーナーの支援の下、利用者の症状に応じて、筋力・持久力のトレーニング、平行棒を利用した歩行練習、機能訓練、グループレッスンなどを行う。
「デイサービスセンターすみれ」は、様々なプログラムを用いて利用者の身体機能の向上を図るリハビリ特化型施設。亀井院長と看護師、理学療法士、トレーナーによる合同カンファレンスを定期的に開催し、利用者個々人に対応、地域のリハビリイベントへの参加にも積極的に取り組む。
「LEBEN鍼灸マッサージ院」は、はり師、きゅう師の国家資格を持つスタッフが利用者の動作分析、評価に基づき、鍼によってツボを刺激して治癒を促す鍼治療やツボに温熱刺激を与えて自然治癒力を促進させる灸治療、マッサージで不調を改善させる。自宅でもできるストレッチなどのリハビリ方法も指導する。
こうした施設は、医院に併設もしくは隣接して存在するが、亀井院長はそのメリットも指摘する。
「医院のそばにあることによって、利用者の心身機能を医療情報に基づいて詳しく把握できる利点があります。リハビリテーション中に気分が悪くなった場合にも、適宜医師が状況を確認しますし、緊急時の素早い対応も可能です。また、多くのスタッフが医院と施設の両方に携わっているので、職場や職種の枠を超えてスタッフ同士が互いに連携し合い、利用者の状況などの情報交換を行うこともできます」
「MSコーポレーション」では、医院から離れた尼崎市のメディカルヘルススタジオ内で、理学療法士や作業療法士、鍼灸師などの国家資格を持つリハビリの専門家がマンツーマンで機能改善、維持をサポートする完全予約制の自費リハビリ施設「脳梗塞リハビリステーションPROGRESS」も運営、脳卒中を患った人で医療保険でのリハビリが終了し、介護保険でのリハビリも受けられない、いわゆるリハビリ難民といわれる人たちに喜ばれている。
また、地域の方々の健康と美を追究する目的で、理学療法士がピラティスマシンの「リフォーマー」を使用してメディカルピラティススタジオでの健康づくり及び美容機器を用いた鍼灸美容サロン『Classical』の運営も行っている。
(ライター/斎藤紘)
向き不向きより前向きが大切!
何かを始める時は誰もが初心です。僕もそうでした。
もう大丈夫! 私があなたを全力でサポートします。
https://kotarou-school.com/
整体師、鎮痛療法士、保育士、心理カウンセラーなどの資格多数。オリジナルの『整健術』により、延べ2万人以上の患者を診療。高い改善効果で県外からの来院者も多い。「整健術養成塾」では、性別や年齢、学歴などを問わず、人のために役立てるよう丁寧にサポートしている。
諦めていた痛みを解消へ
最後の駆け込み寺
「また通院してください」とはいわない治療院がある。それは、可能な限り一度の施術で治るように力を注ぐから。「痛いところは触らない」という治療院がある。それは、痛い場所が必ずしも痛みの原因であるとは限らないから。それでいて顧客満足度98%、他県の三重や岐阜のみならず、遠く香川県からも患者さんが訪れるのが、愛知県名古屋市守山区の関節専門院カイロプラティック『こたろう』だ。
カイロプラティックと謳ってはいるが、その施術方法は「整健術」というオリジナルの技術。骨盤をはじめ骨格や筋肉のゆがみを手技で整える施術法である。編み出したのは、院長である畔栁美貴弥さん。カイロプラクティックの知識、人体の根本メカニズムを熟知したうえで、約10年、のべ2万人以上の患者さんを治療してきた経験をもとに、実際の患者さんのさまざまな症状をフィードバックして編み出した。これにより、従来の整体では治らなかった痛みでも改善へと導くことができるのだ。前述の「痛いところは触らない」という手法も「整健術」の一つの特長で、触診することで痛みの原因を見極められる技術があるからこそできる手法である。初診の人は驚くことも多いらしい。しかし結果的に治ってしまうのだから、患者さんは二度驚くことになるのだ。
治療に関して、畔栁さんは決して特別なことをしているのではないとも語る。
「たとえば身体を花や植物とすれば、そこに必要な水が注がれるよう、ねじれていたホースを元に戻しているだけ」
身体の血液や神経の流れ、筋肉や骨の状態を本来の姿に戻すことで、誰もが持っている治癒力が正常に働き、痛みの原因が取り除かれ、快方へと向かう。治癒力は、免疫力とも関係が深い。たとえば、今後私たちが共存せざるを得ないウィルスなどに対しても免疫力が有効と言われている。もちろん、それがすべてとは決して言えないが、せめて身体の状態を良好に、正常に保つことができていれば、病気などとも闘える基礎となるのではないだろうか。
畔栁さんは、「とにかく人の助けになれば」と語る。2年間も首の痛みで悩まされていた患者さんがいたという。病院をはじめ、どこの治療院に行っても治らない。それどころか「年齢のせいですね」としかいわれなかった。これでは解決方法がないと宣告されているのも同然。身体の痛みはやがて心の不安を呼び、生きていくのさえ辛くなるのは当たり前だ。そんな患者さんにも、畔栁さんは「解決方法は必ずあります」と寄り添った。痛みの原因を明確にし、それを解決するための方法を提示したという。その真摯な対応に、患者さんは涙した。同院が〝最後の駆け込み寺〟と称される理由でもある。
助けたいという思いは、『整健術養成塾』にも表れている。畔栁さん自らが「人助けの技術」と呼ぶ施術法のすべてを「本当に誰かのためにと思う方に伝えたい」という考えで開設したスクールだ。スクールでは、技術の習得から独立開業までをマンツーマン対応でサポートしている。多くの専門学校と異なるのは、資格を取る治療方法ではなく、人を治すことができる治療技術の伝授であること。そのため、座学よりも実践に重きを置く。実際の患者さんに触れながら力の入れ具合などまで肌で実感しながら施術を学ぶことができる。卒業後、開業したい方には、運営のノウハウも教示してくれるというから至れり尽くせりである。スクールには、開業後の治療家も超実践的なスキルを学びに訪れることがあるということからも、技術の確かさがうかがえる。
また、畔栁さんは地域の子育て貢献にも取り組んでいる。例えば近隣に引きこもりや登校拒否の子どもがあれば、訪ねて行って子どもたちの心の声に耳を傾ける(もちろん学校関係者の依頼を受け、保護者の了解を得たうえで)。整体師で鎮痛療法士であると同時に、心理カウンセラーであり、保育士の免許を有する畔栁さんならではのサポートでもある。
畔栁さんは、「名もなき治療家という花」になりたいと願う。その花は、『こたろう』で育てた生徒たちを、タンポポの綿毛のように世に放つ。綿毛たちは、やがて新しい地に根付き、また新しい花を咲かせる。きっと今日も畔栁さんをはじめとする「名もなき治療家の花」たちが、陽光のもとで人助けを行なっているに違いない。
(ライター/ナガノリョウ)
営業時間/9:00〜20:00 定休日/月・木曜日