代表取締役
千田明 さん
「株式会社ミライト」退職後、2011年5月に電気工事業、電気通信工事業を業務とする『株式会社GNR』を設立し、事業を牽引している。
上:法隆寺境内図1西院伽藍
2段:法隆寺参道。法隆寺南大門。法隆寺南大門と土塀。法隆寺南大門。
3段:南大門より中門を見る。護摩堂。経蔵。回廊と経蔵
下:法隆寺中門(聖徳太子の怨霊が出られないようにしている真ん中の柱)。中門エンタシスの柱。中門のエンタシスの柱。
千田明 さん
「株式会社ミライト」退職後、2011年5月に電気工事業、電気通信工事業を業務とする『株式会社GNR』を設立し、事業を牽引している。
上:法隆寺境内図1西院伽藍
2段:法隆寺参道。法隆寺南大門。法隆寺南大門と土塀。法隆寺南大門。
3段:南大門より中門を見る。護摩堂。経蔵。回廊と経蔵
下:法隆寺中門(聖徳太子の怨霊が出られないようにしている真ん中の柱)。中門エンタシスの柱。中門のエンタシスの柱。
上左:五重塔の東面には維摩居士(ゆいま)と文殊菩薩の問答場面の塑像がある。五重の塔北面は釈迦涅槃像。
上右:夢殿の鐘堂。大講堂(平安時代に落雷に遭遇し、再建、薬師如来・四天王を安置)。鐘堂(平安時代の建立ですが、白鳳時代の梵鐘が現在も当時の音色を響かせている)。
中:夢殿
下左:法隆寺東院伽藍
下右:夢殿前の四脚門
上右:夢殿の鐘堂。大講堂(平安時代に落雷に遭遇し、再建、薬師如来・四天王を安置)。鐘堂(平安時代の建立ですが、白鳳時代の梵鐘が現在も当時の音色を響かせている)。
中:夢殿
下左:法隆寺東院伽藍
下右:夢殿前の四脚門
右:薬師如来像(飛鳥時代)。釈迦三尊(飛鳥)。 四脚門より夢殿を見る。絵殿・舎利殿。東院鐘楼(中宮寺と陰刻された梵鐘がある)。
上:玉虫厨子(飛鳥)。橘夫人念持仏(白鳳)。百済観音像(飛鳥)。九面観音像(唐)。
2段:回廊と金堂。金堂と五重塔。金堂(南面と礼拝石)。
3段:金堂(北面)金銅釈迦三尊・金銅薬師如来・金銅阿弥陀如来・四天王像を安置。 中門より五重塔・講堂・金堂の伽藍を見る。妻室。
4段: 聖霊院(聖徳太子の尊像安置)と妻室。綱封蔵(平安時代の高倉式の宝物倉庫)。食堂。
5段:大宝蔵院。大宝蔵院中門。
6段:救世観音像(飛鳥)。東大門(奈良時代の珍しい三棟造りの門)。伝法堂(聖武天皇夫人の橘古那可智の住居を仏堂に改造阿弥陀三尊を安置)。中宮寺本堂。中宮寺。
上:玉虫厨子(飛鳥)。橘夫人念持仏(白鳳)。百済観音像(飛鳥)。九面観音像(唐)。
2段:回廊と金堂。金堂と五重塔。金堂(南面と礼拝石)。
3段:金堂(北面)金銅釈迦三尊・金銅薬師如来・金銅阿弥陀如来・四天王像を安置。 中門より五重塔・講堂・金堂の伽藍を見る。妻室。
4段: 聖霊院(聖徳太子の尊像安置)と妻室。綱封蔵(平安時代の高倉式の宝物倉庫)。食堂。
5段:大宝蔵院。大宝蔵院中門。
6段:救世観音像(飛鳥)。東大門(奈良時代の珍しい三棟造りの門)。伝法堂(聖武天皇夫人の橘古那可智の住居を仏堂に改造阿弥陀三尊を安置)。中宮寺本堂。中宮寺。
法隆寺 —世界最古の木造建築物が放つ
歴史、宝物、神秘に魅了されて—
歴史、宝物、神秘に魅了されて—
奈良の法隆寺を訪ねて 第10話
今回は、奈良聖徳太子ゆかりの斑鳩の里、法隆寺・中宮寺を訪れることとしました。
JR天王寺駅より大和路快速に乗って約25分、竹内街道(浪速より堺・羽曳野・太子町経由、古代明日香への物資輸送街道)と並行して走り、蛇行する大和川(古代水路による輸送路)を何度か渡り、法隆寺駅に着きました。法隆寺までの幹線道路は、歩行者に優しい段差のない歩道となっており、感心しました。私の近隣では、入口がある度に傾斜になり、老齢化の進む中で非常に歩行しにくく危険に感じておりましたが、平面を歩け、且つ段差をなくしているのには見習わなくてはならないと思いました。
約15分程度で法隆寺参道に着き、松林を潜ると日本国世界遺産第一号となった法隆寺の南大門に着きます。南大門は室町時代のもので、寺域拡張の際、現在の位置になったようですが、土塀とのコントラストは素晴らしいものです。南大門を潜ると、正面に中門、左手に護摩堂があります。中門は、阿吽の仁王像が守っておられます。聖徳太子の時代は、まだまだ天皇(天武天皇の時代より呼称された)は往時、大王として、王(強い豪族)の上に立っており、隋の統一国家を学んだ太子は、いち早く中央集権的な国造りを目指したと思われます。十七条憲法・冠位十二階制度・遣隋使の派遣など、大陸文化を取り入れ、広く人材を集めるため、四天王寺や法隆寺は仏の教えを学ぶのはもちろん、教育・病院・施薬・図書館・文化ホール的な庶民・国際交流的な場として、内外に対しても国の威信をかけて作られ、もちろん父である用明天皇(初の女帝推古天皇の兄)の遺願を継いで建立されました。
この前後の時代は、欽明天皇期に仏教が伝来し、敏達天皇期に仏教の排斥・崇拝を巡り、軍事氏族である大連の物部守屋と渡来系の氏族(武内宿禰を祖とする)大臣の蘇我馬子との対立がはじまり、曽我氏の血族を引く用明天皇が崩御されると、聖徳太子を含め、次期天皇を巡り戦いが始まり、有名な聖徳太子が不利な戦況を打破するため、四天王を彫り、勝利すれば四天王寺を建立すると祈願し、戦況を一転させ、曽我氏の勝利となり以後、曽我の馬子(崇峻天皇を暗殺)・蝦夷・入鹿(聖徳太子の子である山背大兄王一族を滅ぼす)が王家を凌ぐ全盛期を迎えますが、そのような困難な時期に推古天皇の摂政として三頭政治を上手く乗越えられました。最後は、政争に敗れ、天皇記・国記の編纂に注がれたと思われます。
時代背景はこの位にして、推古15年(607年)に薬師如来を本尊として法隆寺(斑鳩寺)が建立されました。中門を入ると鳳の羽のような回廊に囲まれ、西に五重塔、東に金堂、正面に講堂と左右に経蔵と鐘楼が配置されて世に言う法隆寺式といわれる伽藍配置になっています。1400年余りの歳月を経て、世界最古の木造建築には目を見張るものがあります。発掘結果、法隆寺再建説が現在有利ですが、五重塔の心柱はエックス線撮影結果、往時に伐採された木材で、670年に全焼したと日本書紀に書かれているようです。塔のみ残り、その後、移設されたのかなとも思われますが、法隆寺には「七つの謎」があり、エンタシスの柱が中門の真ん中にあり、通常どの寺社に行ってもありません。
また、夢殿の秘仏救世観音はぐるぐる巻きにされ、二重の厨子に入れられ、絶対に開けてはならないと伝えられ、1000年以上も封印されていたが、岡倉天心とフェノロサにより、明治の初期に調査として無理やり鍵を開けたところ、人間らしい多分、聖徳太子に似せたと思われるお像が出現しました。光背を頭部に大きな釘で打ち付けていたそうで、他に見られない恐ろしいことであり、哲学者の梅原猛氏は太子や一族を滅ぼした事件の当事者が聖徳太子の怨霊を封印するために夢殿(聖徳太子や一族の斑鳩の宮の住居跡)を建て、中門の真中に柱を建てたのではないかといわれています。
また、「三伏蔵」といわれ、未発掘の地下宝物庫があるそうですが「仏法が滅びるまで開けてはならない」とされているものや、聖徳太子が未来予知したとされる「未来記」という書物もミステリアスの世界に誘ってくれます。
伝説的なことはさておき、五重塔・金堂・中門・回廊は、飛鳥時代の建築様式で世界最古の木造建築物群であり、聖徳太子が崩御されてから再建されたと思われます。1400年の歳月に耐えられたのも政治に関わらなかったため存続し、明治の廃仏毀釈のおり、経済的に困窮しましたが、天皇家に宝物を献上して難を逃れ現在に至っております。
中門の柱はエンタシスで触れられ、往時の技術を感じられます。五重塔は、30mを超える建物で落雷も受けずに(四天王寺は何度も落雷・火災に遭っている)現在に至っているのは摩訶不思議でもあります。塔は、ストゥ―バ(転じて卒塔婆)といわれ、お釈迦様の遺骨を奉安するためのもので、西面の柱内に瑠璃・金・銀の壺に納められているそうです。また、東側は奈良時代の塑像、聖徳太子が著した三経義疏(法華経・維摩経(ゆいま)・勝鬘教(しょうまん)の注釈書)の維摩居士と文殊菩薩の問答の画面、南側は弥勒菩薩の説法、北面はお釈迦様の入滅場面があります。金堂には、聖徳太子のために作られた釈迦三尊・用明天皇のため、薬師如来など飛鳥時代の仏像が安置されています。
大宝蔵院は、平成10年に落成し、百済観音像を中心に夢違観音像・推古天皇所持と伝わる玉虫厨子・橘夫人厨子(光明皇后の母)・九面観音像等数々の国宝が安置されています。
次に東大門を潜ると、聖徳太子の遺徳を偲んで739年に斑鳩宮跡に建てられた八角の夢殿があります。観音様の化身といわれる聖徳太子等身の秘仏救世観音を安置しています(春・秋季に特別開扉される)。次に聖徳太子の母、穴穂部間人皇后の御願により、四天王寺伽藍の中宮寺が尼寺として建立されましたが、寺運が衰退、現在の位置で昭和43年、高松宮妃殿下の発願により本堂が完成し、永遠の微笑(アルカイックスマイル)といわれる本尊菩薩半跏思惟像(如意輪観世音菩薩)に手を合わせ、天寿国曼荼羅繡帳(聖徳太子の妃橘大郎女が太子がおられる理想浄土の天寿国の有様を刺繍)のレプリカを拝顔し、筆を置きます。
あまりにも聖徳太子の偉大さ、国宝の数の多さに思ったように書くことができず、反省している次第です。また、機会があれば詳細に書ければと思っています。
今回は、奈良聖徳太子ゆかりの斑鳩の里、法隆寺・中宮寺を訪れることとしました。
JR天王寺駅より大和路快速に乗って約25分、竹内街道(浪速より堺・羽曳野・太子町経由、古代明日香への物資輸送街道)と並行して走り、蛇行する大和川(古代水路による輸送路)を何度か渡り、法隆寺駅に着きました。法隆寺までの幹線道路は、歩行者に優しい段差のない歩道となっており、感心しました。私の近隣では、入口がある度に傾斜になり、老齢化の進む中で非常に歩行しにくく危険に感じておりましたが、平面を歩け、且つ段差をなくしているのには見習わなくてはならないと思いました。
約15分程度で法隆寺参道に着き、松林を潜ると日本国世界遺産第一号となった法隆寺の南大門に着きます。南大門は室町時代のもので、寺域拡張の際、現在の位置になったようですが、土塀とのコントラストは素晴らしいものです。南大門を潜ると、正面に中門、左手に護摩堂があります。中門は、阿吽の仁王像が守っておられます。聖徳太子の時代は、まだまだ天皇(天武天皇の時代より呼称された)は往時、大王として、王(強い豪族)の上に立っており、隋の統一国家を学んだ太子は、いち早く中央集権的な国造りを目指したと思われます。十七条憲法・冠位十二階制度・遣隋使の派遣など、大陸文化を取り入れ、広く人材を集めるため、四天王寺や法隆寺は仏の教えを学ぶのはもちろん、教育・病院・施薬・図書館・文化ホール的な庶民・国際交流的な場として、内外に対しても国の威信をかけて作られ、もちろん父である用明天皇(初の女帝推古天皇の兄)の遺願を継いで建立されました。
この前後の時代は、欽明天皇期に仏教が伝来し、敏達天皇期に仏教の排斥・崇拝を巡り、軍事氏族である大連の物部守屋と渡来系の氏族(武内宿禰を祖とする)大臣の蘇我馬子との対立がはじまり、曽我氏の血族を引く用明天皇が崩御されると、聖徳太子を含め、次期天皇を巡り戦いが始まり、有名な聖徳太子が不利な戦況を打破するため、四天王を彫り、勝利すれば四天王寺を建立すると祈願し、戦況を一転させ、曽我氏の勝利となり以後、曽我の馬子(崇峻天皇を暗殺)・蝦夷・入鹿(聖徳太子の子である山背大兄王一族を滅ぼす)が王家を凌ぐ全盛期を迎えますが、そのような困難な時期に推古天皇の摂政として三頭政治を上手く乗越えられました。最後は、政争に敗れ、天皇記・国記の編纂に注がれたと思われます。
時代背景はこの位にして、推古15年(607年)に薬師如来を本尊として法隆寺(斑鳩寺)が建立されました。中門を入ると鳳の羽のような回廊に囲まれ、西に五重塔、東に金堂、正面に講堂と左右に経蔵と鐘楼が配置されて世に言う法隆寺式といわれる伽藍配置になっています。1400年余りの歳月を経て、世界最古の木造建築には目を見張るものがあります。発掘結果、法隆寺再建説が現在有利ですが、五重塔の心柱はエックス線撮影結果、往時に伐採された木材で、670年に全焼したと日本書紀に書かれているようです。塔のみ残り、その後、移設されたのかなとも思われますが、法隆寺には「七つの謎」があり、エンタシスの柱が中門の真ん中にあり、通常どの寺社に行ってもありません。
また、夢殿の秘仏救世観音はぐるぐる巻きにされ、二重の厨子に入れられ、絶対に開けてはならないと伝えられ、1000年以上も封印されていたが、岡倉天心とフェノロサにより、明治の初期に調査として無理やり鍵を開けたところ、人間らしい多分、聖徳太子に似せたと思われるお像が出現しました。光背を頭部に大きな釘で打ち付けていたそうで、他に見られない恐ろしいことであり、哲学者の梅原猛氏は太子や一族を滅ぼした事件の当事者が聖徳太子の怨霊を封印するために夢殿(聖徳太子や一族の斑鳩の宮の住居跡)を建て、中門の真中に柱を建てたのではないかといわれています。
また、「三伏蔵」といわれ、未発掘の地下宝物庫があるそうですが「仏法が滅びるまで開けてはならない」とされているものや、聖徳太子が未来予知したとされる「未来記」という書物もミステリアスの世界に誘ってくれます。
伝説的なことはさておき、五重塔・金堂・中門・回廊は、飛鳥時代の建築様式で世界最古の木造建築物群であり、聖徳太子が崩御されてから再建されたと思われます。1400年の歳月に耐えられたのも政治に関わらなかったため存続し、明治の廃仏毀釈のおり、経済的に困窮しましたが、天皇家に宝物を献上して難を逃れ現在に至っております。
中門の柱はエンタシスで触れられ、往時の技術を感じられます。五重塔は、30mを超える建物で落雷も受けずに(四天王寺は何度も落雷・火災に遭っている)現在に至っているのは摩訶不思議でもあります。塔は、ストゥ―バ(転じて卒塔婆)といわれ、お釈迦様の遺骨を奉安するためのもので、西面の柱内に瑠璃・金・銀の壺に納められているそうです。また、東側は奈良時代の塑像、聖徳太子が著した三経義疏(法華経・維摩経(ゆいま)・勝鬘教(しょうまん)の注釈書)の維摩居士と文殊菩薩の問答の画面、南側は弥勒菩薩の説法、北面はお釈迦様の入滅場面があります。金堂には、聖徳太子のために作られた釈迦三尊・用明天皇のため、薬師如来など飛鳥時代の仏像が安置されています。
大宝蔵院は、平成10年に落成し、百済観音像を中心に夢違観音像・推古天皇所持と伝わる玉虫厨子・橘夫人厨子(光明皇后の母)・九面観音像等数々の国宝が安置されています。
次に東大門を潜ると、聖徳太子の遺徳を偲んで739年に斑鳩宮跡に建てられた八角の夢殿があります。観音様の化身といわれる聖徳太子等身の秘仏救世観音を安置しています(春・秋季に特別開扉される)。次に聖徳太子の母、穴穂部間人皇后の御願により、四天王寺伽藍の中宮寺が尼寺として建立されましたが、寺運が衰退、現在の位置で昭和43年、高松宮妃殿下の発願により本堂が完成し、永遠の微笑(アルカイックスマイル)といわれる本尊菩薩半跏思惟像(如意輪観世音菩薩)に手を合わせ、天寿国曼荼羅繡帳(聖徳太子の妃橘大郎女が太子がおられる理想浄土の天寿国の有様を刺繍)のレプリカを拝顔し、筆を置きます。
あまりにも聖徳太子の偉大さ、国宝の数の多さに思ったように書くことができず、反省している次第です。また、機会があれば詳細に書ければと思っています。
株式会社 GNR
TEL/06-6910-0600
ホームページ http://www.gnr-a.co.jp/
代表取締役
渡部功治 さん
2005年、専務取締役として『中央建設株式会社』入社。2008年、代表取締役就任。2010年3月に東京進出を決め、2012年、東京本社を開設。2019年には宮城県岩沼市に東北支店開設。「敵は己にあり」が座右の銘。
上左:「新豊洲 Brillia ランニングスタジアム」
渡部功治 さん
2005年、専務取締役として『中央建設株式会社』入社。2008年、代表取締役就任。2010年3月に東京進出を決め、2012年、東京本社を開設。2019年には宮城県岩沼市に東北支店開設。「敵は己にあり」が座右の銘。
上左:「新豊洲 Brillia ランニングスタジアム」
「なぜ、この会社には人材が集まるのか?」
(ダイヤモンド社発行)
(ダイヤモンド社発行)
未来切り拓く揺るがぬビジョン
東京進出のサクセスストーリー
東京進出のサクセスストーリー
零細土建会社が大変身
独自の人事戦略が奏功
『中央建設株式会社』の四代目社長渡部功治さんは、地方の零細土建会社をスーパーゼネコンからも信頼される東京の中小規模の建設会社に成長させた立志伝中の人物ともいえる経営者だ。その実力を示したのが2020東京オリンピック・パラリンピックに向けた世界で初めての施設、「新豊洲 Brillia ランニングスタジアム」。そのすばらしい出来に関心を寄せた出版社の編集長が『中央建設』が施工したことを知り、取材を進めていく過程で渡部さんが独自の経営哲学で同社を牽引してきたことをつかみ、その成長の秘密に迫ったビジネス書を2019年8月に出版した。「なぜ、あの会社には人材が集まるのか? 人材が集まり利益を生む会社の条件」だ。
『中央建設』は、戦後間もなく愛媛県今治市で創業した土建会社が前身。二代目社長の没後夫人が社長を務めていたが、周囲に家業を継ぐ者はいなかった。10年ほど東京の建設会社で働いた経験がある渡部さんが請われて事業を引き継ぐことになり、入社後、四代目社長に就任したのはリーマンショック直後の2008年。土木工事一本から港湾土木工事、建築にも業容を広げ、売上を伸ばしていったが、地縁、血縁が幅を利かせるムラ社会の慣習が根強く残る業界に疑問を持ち、公共工事の先細りや不況で先が見通せない地方の経済状況に危機感を抱いた渡部さんは、「いつか必ず金魚鉢から飛び出して大海原を泳いでみせる」と東京進出を決心する。
東京進出といっても当初は一人で出向き、人脈もなく、人と会うことすらままならない状況下で、スーパーゼネコンを訪ね歩いて顔と名前を憶えてもらう日々の連続。2012年に東京支店を開設するまでの間の苦労は第二章「東京という暗闇で彷徨う二年間」に詳しい。東京支店は、15坪の事務所に社員3人という規模。渡部さんが足を棒にして築いてきたコネクションが生きて受注した第一号案件が、スーパーゼネコンの下請けの仕事で、大手水産会社の施設のエントランスホールにモニュメントを設置する工事。これを機に仕事が入り始め、大物俳優の自宅リフォーム工事などで弾みがつき、成長軌道に乗り始める。
その推進力になったのが人事戦略だ。増える業務量に合わせて陣容を拡充、若手技術者だけでなく、逸早く70歳定年制を導入してシニア世代の建設技能者も積極的に登用、さらにスーパーゼネコンやゼネコン準大手で活躍し、定年を迎えた営業のプロや技術者を三顧の礼をもって迎え、重役に据えて建築実務を委ねた。今は158坪の働き易さを追求した近代的なオフィスに多様な世代の100人近い社員が働く。この人事戦略についての渡部さんの言葉が本で紹介されている。
「今世の中の流れは、大転職時代に突入しており、ざっくりいうと人材の争奪戦だと思っています。会社によっては、せっかく入社したのにすぐ辞めていくという、まるでドラマのような人間模様が繰り返されていますが、それも逆にチャンスだと捉えています。土日でも、面接のためだけに出社します。うちの今の強みは採用にあり、です」
「この会社のいちばんいいところは、スーパーゼネコン出身、中堅ゼネコン出身、中小規模の工務店出身とかいろいろなキャリアの持ち主が大勢集まってきていることだと思っています」
「皆には、社長の代理として現場を任せているんです。私が全部の現場をチェックすることは物理的に不可能です。だからこそ、現場は現場に任せる。そのために、現場で社長の代理人になる人を増員する。それが私の仕事なのです」
渡部さんは一方で、会社の規模について明確な考えも持つ。
「世の中には『会社を大きくしない』ということを謳っている経営者もいます。私もそれと同じ考えです。青天井ではなく、ある程度のところで、我われが活動しやすい規模感というものがあります。あまり大きくなりすぎると動きづらくなりスピードも鈍る、それは私の望むところではないと考えています。経営的に言いますと、しっかりした技術者を会社全体で120人以上を常に抱える企業にすること。総従業員数で言えば180~200人程度です」
こうして構築した経営体制で成し遂げた金字塔ともいうべき仕事が東京・江東区に創り上げた「新豊洲 Brillia ランニングスタジアム」だ。全天候型60m陸上競技トラックとパラアスリートを支援する義足開発ラボラトリーが併設された施設。国内の優秀な建築作品を表彰する日本建設業連合会主催のBCS賞を2018年に受賞した。
東京に進出して3年で社員数を12倍に、1億円規模以下だった年間売上を10年で約50倍に拡大させた渡部さんの頭の中には、揺るぎない信念に基づき、さらなる未来を見据える経営者像が描かれていた。本で紹介された言葉がそれを裏付ける。
「常にビジョンを持ってやっていますから、途中で失敗やトラブルなどがあっても、それは単なる通過点であり、学びの機会だと思っています。一日一日の努力をしっかり積み重ねることが大切で悔いなく生きる、そういう信念というか、気持ちを持つことが大事で、それが弱いと基軸がぶれます。私は、しっかりビジョンを持っていますから、途中で方向転換したり、微調整したりすることはあっても、その基軸だけは絶対にぶれません」
「計算や理屈ではない。社長というのは、人として『底知れぬ』が必要なんですよ。どこまで行っても底が見えない。そういう人間にならないと社長業は務まらないと思います。底が知れたら、皆にこんなもんだと見透かされて、それで終わりです」
「何かを新しく始めるときには、最初の一歩は社長がふみだすべきだと思っています。損得勘定や、あれこれ理屈をこねる前に、まず何をやりたいか、それを明確にし、後は腹を決めて実行する、たったそれだけのことです」
『中央建設』の未来を明確なビジョンを持った経営者が切り拓いていく。
(ライター/斎藤紘)
独自の人事戦略が奏功
『中央建設株式会社』の四代目社長渡部功治さんは、地方の零細土建会社をスーパーゼネコンからも信頼される東京の中小規模の建設会社に成長させた立志伝中の人物ともいえる経営者だ。その実力を示したのが2020東京オリンピック・パラリンピックに向けた世界で初めての施設、「新豊洲 Brillia ランニングスタジアム」。そのすばらしい出来に関心を寄せた出版社の編集長が『中央建設』が施工したことを知り、取材を進めていく過程で渡部さんが独自の経営哲学で同社を牽引してきたことをつかみ、その成長の秘密に迫ったビジネス書を2019年8月に出版した。「なぜ、あの会社には人材が集まるのか? 人材が集まり利益を生む会社の条件」だ。
『中央建設』は、戦後間もなく愛媛県今治市で創業した土建会社が前身。二代目社長の没後夫人が社長を務めていたが、周囲に家業を継ぐ者はいなかった。10年ほど東京の建設会社で働いた経験がある渡部さんが請われて事業を引き継ぐことになり、入社後、四代目社長に就任したのはリーマンショック直後の2008年。土木工事一本から港湾土木工事、建築にも業容を広げ、売上を伸ばしていったが、地縁、血縁が幅を利かせるムラ社会の慣習が根強く残る業界に疑問を持ち、公共工事の先細りや不況で先が見通せない地方の経済状況に危機感を抱いた渡部さんは、「いつか必ず金魚鉢から飛び出して大海原を泳いでみせる」と東京進出を決心する。
東京進出といっても当初は一人で出向き、人脈もなく、人と会うことすらままならない状況下で、スーパーゼネコンを訪ね歩いて顔と名前を憶えてもらう日々の連続。2012年に東京支店を開設するまでの間の苦労は第二章「東京という暗闇で彷徨う二年間」に詳しい。東京支店は、15坪の事務所に社員3人という規模。渡部さんが足を棒にして築いてきたコネクションが生きて受注した第一号案件が、スーパーゼネコンの下請けの仕事で、大手水産会社の施設のエントランスホールにモニュメントを設置する工事。これを機に仕事が入り始め、大物俳優の自宅リフォーム工事などで弾みがつき、成長軌道に乗り始める。
その推進力になったのが人事戦略だ。増える業務量に合わせて陣容を拡充、若手技術者だけでなく、逸早く70歳定年制を導入してシニア世代の建設技能者も積極的に登用、さらにスーパーゼネコンやゼネコン準大手で活躍し、定年を迎えた営業のプロや技術者を三顧の礼をもって迎え、重役に据えて建築実務を委ねた。今は158坪の働き易さを追求した近代的なオフィスに多様な世代の100人近い社員が働く。この人事戦略についての渡部さんの言葉が本で紹介されている。
「今世の中の流れは、大転職時代に突入しており、ざっくりいうと人材の争奪戦だと思っています。会社によっては、せっかく入社したのにすぐ辞めていくという、まるでドラマのような人間模様が繰り返されていますが、それも逆にチャンスだと捉えています。土日でも、面接のためだけに出社します。うちの今の強みは採用にあり、です」
「この会社のいちばんいいところは、スーパーゼネコン出身、中堅ゼネコン出身、中小規模の工務店出身とかいろいろなキャリアの持ち主が大勢集まってきていることだと思っています」
「皆には、社長の代理として現場を任せているんです。私が全部の現場をチェックすることは物理的に不可能です。だからこそ、現場は現場に任せる。そのために、現場で社長の代理人になる人を増員する。それが私の仕事なのです」
渡部さんは一方で、会社の規模について明確な考えも持つ。
「世の中には『会社を大きくしない』ということを謳っている経営者もいます。私もそれと同じ考えです。青天井ではなく、ある程度のところで、我われが活動しやすい規模感というものがあります。あまり大きくなりすぎると動きづらくなりスピードも鈍る、それは私の望むところではないと考えています。経営的に言いますと、しっかりした技術者を会社全体で120人以上を常に抱える企業にすること。総従業員数で言えば180~200人程度です」
こうして構築した経営体制で成し遂げた金字塔ともいうべき仕事が東京・江東区に創り上げた「新豊洲 Brillia ランニングスタジアム」だ。全天候型60m陸上競技トラックとパラアスリートを支援する義足開発ラボラトリーが併設された施設。国内の優秀な建築作品を表彰する日本建設業連合会主催のBCS賞を2018年に受賞した。
東京に進出して3年で社員数を12倍に、1億円規模以下だった年間売上を10年で約50倍に拡大させた渡部さんの頭の中には、揺るぎない信念に基づき、さらなる未来を見据える経営者像が描かれていた。本で紹介された言葉がそれを裏付ける。
「常にビジョンを持ってやっていますから、途中で失敗やトラブルなどがあっても、それは単なる通過点であり、学びの機会だと思っています。一日一日の努力をしっかり積み重ねることが大切で悔いなく生きる、そういう信念というか、気持ちを持つことが大事で、それが弱いと基軸がぶれます。私は、しっかりビジョンを持っていますから、途中で方向転換したり、微調整したりすることはあっても、その基軸だけは絶対にぶれません」
「計算や理屈ではない。社長というのは、人として『底知れぬ』が必要なんですよ。どこまで行っても底が見えない。そういう人間にならないと社長業は務まらないと思います。底が知れたら、皆にこんなもんだと見透かされて、それで終わりです」
「何かを新しく始めるときには、最初の一歩は社長がふみだすべきだと思っています。損得勘定や、あれこれ理屈をこねる前に、まず何をやりたいか、それを明確にし、後は腹を決めて実行する、たったそれだけのことです」
『中央建設』の未来を明確なビジョンを持った経営者が切り拓いていく。
(ライター/斎藤紘)
中央建設 株式会社
TEL/03-3457-8181 Eメール/ chuo88@chuokensetsu.com
ホームページ http://www.chuokensetsu.com/
上右:代表取締役
宍戸信照 さん
神奈川県出身。『有限会社信和土建』を創建した父親の「仕事は見て覚えろ。ワザは盗むもの」という教えを胸に経験を積み、27歳のとき事業を継承。個人事業主の職人たちと協力し合い施工。基礎工事の配筋マイスター、転圧マイスター。
宍戸信照 さん
神奈川県出身。『有限会社信和土建』を創建した父親の「仕事は見て覚えろ。ワザは盗むもの」という教えを胸に経験を積み、27歳のとき事業を継承。個人事業主の職人たちと協力し合い施工。基礎工事の配筋マイスター、転圧マイスター。
上左:宍戸直美さん
音大(短大)卒業後、エレクトーン講師に。8年間勤務ののち、結婚。その後23年間『信和土建』の女将さんとして支える。
音大(短大)卒業後、エレクトーン講師に。8年間勤務ののち、結婚。その後23年間『信和土建』の女将さんとして支える。
基礎工事の匠の技を支える強い信念
妻のひた向きな下支えも前進の力に
妻のひた向きな下支えも前進の力に
妥協許さぬ細緻な作業
仕事ぶりに惹かれた妻
「余所では決してやっていないような、丁寧で良質な仕事を徹底してやろう」
20代の時に病に倒れた父親より継いだ『有限会社信和土建』の代表取締役宍戸信照さんが30年超の経験を重ねた今も持ち付続けている信念だ。建築土木工事の最重要工程ともいわれる基礎工事。妥協を許さぬ精緻な仕事ぶりで建築家や建設会社、不動産会社などから高い評価を受け、その評判が口伝てに広がり、基礎工事以外の土木工事の依頼も舞い込む。その宍戸さんを妻直美さんが舞台裏でしっかり下支えし、文字通り二人三脚で前進してきた。
工事は厳格だ。基礎工事のゆらぎは、その上に建てる構造物のゆらぎに直結するので、宍戸さんはどの工程にも精緻さを求める。その象徴がコンクリート打設。コンクリートは、押しつぶそうとする力に対しては強いが、引っ張る力や曲げる力に対しては弱い素材。宍戸さんは、その弱点を補うために引っ張りに対して強い鉄筋を組み合わせる配筋で強度を確保する。コンクリートを流し込んで均す作業では、気温や湿度の高低によって乾燥したり、伸び縮みしたりしてひび割れることがないよう、外気温に応じて打設強度を変える強度補正をしながら設計強度になるように作業を進めていく。タンパーという道具でコンクリートを叩いて不要な水や空気を除去して密度を高めるタンピングやコテを使って表面を均す作業は時間との勝負だ。
宍戸さんのこうした工事手法を支えているのが、コンクリート打ちの時に生コンを圧送する「株式会社KCP」。宍戸さんは、その日の作業の流れを予測して、何処からコンクリートを流していくかを判断するが、長年付き合いのあるこの会社は、宍戸さんのこだわりを理解し、対応してくれるという。
現場での厳格な仕事ぶりは、これに止まらない。建物の正確な位置を出す丁張り作業は昔ながらの水糸を使って誤差を最小化する。穴掘りは、建物の型に根気よくスコップで土を切ってから機械で掘削。その後の砂利引きもコンクリートの厚さが変わらないように土質を見極め、砂利の大小を判断しながら引いてゆく。砂利を固めた後、水蒸気の流入を防ぐ防湿フィルムを全面に敷き込むが、それも同じ大きさにそろえる。コンクリートの上にたるみなく綺麗にビニールシートを張る。
さらに、作業効率や仕上がりの美しさの観点から、鉄筋も既製品を使わず、自社加工場で加工する。鋼材メーカーから鉄筋用棒鋼を仕入れ、住宅の構造から必要数を割り出し、配置場所や形状を図面に落とし、構造に合うよう加工していく。その数、大小数千本。継ぎ足しが必要ない7・5mの鉄筋も使用している。
「基礎工事は、水平垂直の施工をすることが基本ですが、現場は平坦な土地だけではありません。急傾斜や崖に面した土地など標準的な工法では対応できず、現場の状況に見合った工法を考えなくてはならないケースが少なくありません。また、現場ごとに土の硬さが異なり、思うように施工できなかったり、気温や湿度によってコンクリートの固まり方が変わってヒビが入ったり、苦労することも多々あります。ですが、お客様からお金を頂いて仕事をする以上、妥協を許さず、困難をクリアしなければなりません」
基礎工事の後には、保証会社の検査が入るが、検査員は「スペーサーブロックの沈み込みは見受けられず、均一で良好な転圧状態」「マーキングも細かくされ、規則正しい配筋状態」「立ち上がり部分も整然とした規則正しい施工状態」「アンカーボルトの設置状況も埋め込み寸法に誤差が殆ど見受けられず」「基礎外周部へも養生がされ、汚れへの配慮が窺える」などと高い評価を与えた。
宍戸さんの基礎工事の匠の技ともいえるこうした仕事ぶりが評価され、建物の欠陥や手抜きを確認する住宅検査専門会社ホームリサーチ社が優れた建築職人を顕彰するマイスター制度で、最高レベルの三ツ星の配筋マイスターと転圧マイスターに認定された。
◇
信念と努力、技術力で基礎工事の匠の域まで上り詰めた宍戸さんだが、他人の借金を負って窮状にあった父親の仕事を少年期から手伝い、経営を継いだ苦労人だ。それを支えてきたのは、中学の同級生で約23年前に結婚した妻の直美さん。ごく普通の家庭で育ち、音楽の短大を出て念願の音楽教室のエレクトーンの講師になった。その仕事を8年間務める中で、いろいろな相談に乗ってもらっていた宍戸さんと結婚した。宍戸さんからは求められなかったが、自らエレクトーンの仕事を辞め、職人の妻に徹する道を選んだ。結婚当初は、慣れぬ職人の世界で精神的に追い詰められたこともあったという。
「結婚してすぐの頃は、先生と呼ばれる職業から職人の嫁になってわからないことばかりで精神的にもおかしかったかもしれません。しかし、夫から行動をとがめられたこともなく、すぐに現場を手伝うようになってニッカをはいている自分も大好きになり、周りの大工さんや設備屋さん、生コンの運転手さんと仲良していただいて克服できました。なぜこの人と結婚したのだろうと考えたとき、仕事に対する考えが素晴らしいし、時代にも流されない自分というのをしっかり持っていることに惹かれたこと、加えてこの人が良い仕事ができるように縁の下の力持ちになりたいと思って結婚したことを思い返し、夫が仕事に打ち込めるように下支えで頑張りました」
事務を担当し、時に資材を現場に運んで仕事を後押しする直美さんが言うとおり、仕事に対して厳格な考えを持つ宍戸さんはまた、職人の共存共栄も常に考え、職人仲間からも信頼される存在。現在、葬祭場の建設が計画されている広大な敷地の基礎工事を請け負い、鉄筋の技術を持つ職人の協力も得て、施主の期待に応える仕事を進めている。
(ライター/斎藤紘)
仕事ぶりに惹かれた妻
「余所では決してやっていないような、丁寧で良質な仕事を徹底してやろう」
20代の時に病に倒れた父親より継いだ『有限会社信和土建』の代表取締役宍戸信照さんが30年超の経験を重ねた今も持ち付続けている信念だ。建築土木工事の最重要工程ともいわれる基礎工事。妥協を許さぬ精緻な仕事ぶりで建築家や建設会社、不動産会社などから高い評価を受け、その評判が口伝てに広がり、基礎工事以外の土木工事の依頼も舞い込む。その宍戸さんを妻直美さんが舞台裏でしっかり下支えし、文字通り二人三脚で前進してきた。
工事は厳格だ。基礎工事のゆらぎは、その上に建てる構造物のゆらぎに直結するので、宍戸さんはどの工程にも精緻さを求める。その象徴がコンクリート打設。コンクリートは、押しつぶそうとする力に対しては強いが、引っ張る力や曲げる力に対しては弱い素材。宍戸さんは、その弱点を補うために引っ張りに対して強い鉄筋を組み合わせる配筋で強度を確保する。コンクリートを流し込んで均す作業では、気温や湿度の高低によって乾燥したり、伸び縮みしたりしてひび割れることがないよう、外気温に応じて打設強度を変える強度補正をしながら設計強度になるように作業を進めていく。タンパーという道具でコンクリートを叩いて不要な水や空気を除去して密度を高めるタンピングやコテを使って表面を均す作業は時間との勝負だ。
宍戸さんのこうした工事手法を支えているのが、コンクリート打ちの時に生コンを圧送する「株式会社KCP」。宍戸さんは、その日の作業の流れを予測して、何処からコンクリートを流していくかを判断するが、長年付き合いのあるこの会社は、宍戸さんのこだわりを理解し、対応してくれるという。
現場での厳格な仕事ぶりは、これに止まらない。建物の正確な位置を出す丁張り作業は昔ながらの水糸を使って誤差を最小化する。穴掘りは、建物の型に根気よくスコップで土を切ってから機械で掘削。その後の砂利引きもコンクリートの厚さが変わらないように土質を見極め、砂利の大小を判断しながら引いてゆく。砂利を固めた後、水蒸気の流入を防ぐ防湿フィルムを全面に敷き込むが、それも同じ大きさにそろえる。コンクリートの上にたるみなく綺麗にビニールシートを張る。
さらに、作業効率や仕上がりの美しさの観点から、鉄筋も既製品を使わず、自社加工場で加工する。鋼材メーカーから鉄筋用棒鋼を仕入れ、住宅の構造から必要数を割り出し、配置場所や形状を図面に落とし、構造に合うよう加工していく。その数、大小数千本。継ぎ足しが必要ない7・5mの鉄筋も使用している。
「基礎工事は、水平垂直の施工をすることが基本ですが、現場は平坦な土地だけではありません。急傾斜や崖に面した土地など標準的な工法では対応できず、現場の状況に見合った工法を考えなくてはならないケースが少なくありません。また、現場ごとに土の硬さが異なり、思うように施工できなかったり、気温や湿度によってコンクリートの固まり方が変わってヒビが入ったり、苦労することも多々あります。ですが、お客様からお金を頂いて仕事をする以上、妥協を許さず、困難をクリアしなければなりません」
基礎工事の後には、保証会社の検査が入るが、検査員は「スペーサーブロックの沈み込みは見受けられず、均一で良好な転圧状態」「マーキングも細かくされ、規則正しい配筋状態」「立ち上がり部分も整然とした規則正しい施工状態」「アンカーボルトの設置状況も埋め込み寸法に誤差が殆ど見受けられず」「基礎外周部へも養生がされ、汚れへの配慮が窺える」などと高い評価を与えた。
宍戸さんの基礎工事の匠の技ともいえるこうした仕事ぶりが評価され、建物の欠陥や手抜きを確認する住宅検査専門会社ホームリサーチ社が優れた建築職人を顕彰するマイスター制度で、最高レベルの三ツ星の配筋マイスターと転圧マイスターに認定された。
◇
信念と努力、技術力で基礎工事の匠の域まで上り詰めた宍戸さんだが、他人の借金を負って窮状にあった父親の仕事を少年期から手伝い、経営を継いだ苦労人だ。それを支えてきたのは、中学の同級生で約23年前に結婚した妻の直美さん。ごく普通の家庭で育ち、音楽の短大を出て念願の音楽教室のエレクトーンの講師になった。その仕事を8年間務める中で、いろいろな相談に乗ってもらっていた宍戸さんと結婚した。宍戸さんからは求められなかったが、自らエレクトーンの仕事を辞め、職人の妻に徹する道を選んだ。結婚当初は、慣れぬ職人の世界で精神的に追い詰められたこともあったという。
「結婚してすぐの頃は、先生と呼ばれる職業から職人の嫁になってわからないことばかりで精神的にもおかしかったかもしれません。しかし、夫から行動をとがめられたこともなく、すぐに現場を手伝うようになってニッカをはいている自分も大好きになり、周りの大工さんや設備屋さん、生コンの運転手さんと仲良していただいて克服できました。なぜこの人と結婚したのだろうと考えたとき、仕事に対する考えが素晴らしいし、時代にも流されない自分というのをしっかり持っていることに惹かれたこと、加えてこの人が良い仕事ができるように縁の下の力持ちになりたいと思って結婚したことを思い返し、夫が仕事に打ち込めるように下支えで頑張りました」
事務を担当し、時に資材を現場に運んで仕事を後押しする直美さんが言うとおり、仕事に対して厳格な考えを持つ宍戸さんはまた、職人の共存共栄も常に考え、職人仲間からも信頼される存在。現在、葬祭場の建設が計画されている広大な敷地の基礎工事を請け負い、鉄筋の技術を持つ職人の協力も得て、施主の期待に応える仕事を進めている。
(ライター/斎藤紘)
有限会社 信和土建
TEL/042-763-4443
右上:代表取締役
上村允郎 さん
大学卒業後、大阪の建築事務所に就職、転職を経て大規模修繕工事に出会う。2012年『建築設計事務所』設立。NPO法人集合住宅改善センター設計監理事業部長。耐震総合安全機構会員。
右下:大規模完成マンション
左上:「タイル面コーティング滑り止め工法」
2段:「タイル面コーティング材料」「タイル面コーティング施工」
3段:「タイル色合わせシステム工法」現タイルと色合わせタイル見本 。
下:マンションの大規模修繕
業務提携会社
◎株式会社 非破壊調査SST研究所
大阪 TEL: 06-6944-7177
福岡 TEL:092-526-3255
◎株式会社 ピュアレックス・テクノロジーズ
TEL:0725-22-5361
◎株式会社 あつまり暮らすと
TEL:0798-35-5075
◎株式会社 ナカノセラミック
TEL:06-6368-3030
上村允郎 さん
大学卒業後、大阪の建築事務所に就職、転職を経て大規模修繕工事に出会う。2012年『建築設計事務所』設立。NPO法人集合住宅改善センター設計監理事業部長。耐震総合安全機構会員。
右下:大規模完成マンション
左上:「タイル面コーティング滑り止め工法」
2段:「タイル面コーティング材料」「タイル面コーティング施工」
3段:「タイル色合わせシステム工法」現タイルと色合わせタイル見本 。
下:マンションの大規模修繕
業務提携会社
◎株式会社 非破壊調査SST研究所
大阪 TEL: 06-6944-7177
福岡 TEL:092-526-3255
◎株式会社 ピュアレックス・テクノロジーズ
TEL:0725-22-5361
◎株式会社 あつまり暮らすと
TEL:0798-35-5075
◎株式会社 ナカノセラミック
TEL:06-6368-3030
上右:K10DESIGN FARM
代表取締役 上村昂平さん
神戸芸術工科大学環境建築デザイン科卒。デザイン事務所LANDMARKのデザイナーなど経て2019年2月、『株式会社K10DESIGN FARM』の代表取締役に就任。
『Magazine rack』『Slippers rack』『Shelf』
代表取締役 上村昂平さん
神戸芸術工科大学環境建築デザイン科卒。デザイン事務所LANDMARKのデザイナーなど経て2019年2月、『株式会社K10DESIGN FARM』の代表取締役に就任。
『Magazine rack』『Slippers rack』『Shelf』
建築設計の新たな可能性を追求
父子のコラボでウイング広げる
父子のコラボでウイング広げる
老朽集合住宅再生で実績
デザイン力で価値を創出
数々の実績を重ねてきた父親と感性豊かな建築デザイナーとして社会に踏み出したばかりの息子のコラボレーションで設計事務所のウイングを広げ、新たな可能性を追求する。大阪市の『K15建築設計事務所』の代表取締役上村允郎さんが2019年2月にデザイン事務所『K10 DESIGN FARM(ケイイチマル デザインファーム)』を併設した動機だ。それぞれの得意分野で実力を発揮しながら、独創的な価値の創出にもチャレンジし、競争が激しくなる一方の業界で存在感を高める。
「建築設計事務所を立ち上げて8年目。新築工事やマンションなどの大規模修繕工事、耐震診断、非破壊調査などの専門的な分野に事業を特化して業績を重ねてきました。業界では過当競争、値下げ圧力が増していますが、今まで育んできたノウハウ、スキルを値を下げずに買って頂くと言う信念から、デザイン部門を強化し、今まで以上の高度なスキルを追求し、提供していきたいと思っています」
◇老朽集合住宅再生◇
上村さんが実力を示してきたのが集合住宅を対象にした「大規模修繕工事コンサルタント事業」。劣化診断から修繕方法の選定、施工監理まで隙間なくカバーする体制を構築しただけでなく、修繕技術の開発でも先進性を示し、数多くのマンション管理組合から信頼を得てきた。
「国内のマンションストック644万戸のうち、2018年時点で築30年超が112万戸、40年超が68万戸、50年超が5万戸もあり、20年先には5倍になるという推計もあります。1981年以前の旧耐震基準で建てられたマンションの6割は耐震性不足が指摘され、また塗装や防水面で深刻な問題を抱えたマンションが少なくありません。そうしたマンションの資産価値の維持向上を図ることを使命と考えています」
上村さんの事業の特長は業務提携会社と連携して集合住宅の課題を解決する姿勢だ。劣化診断で連携するのが1984年創業の「非破壊調査SST研究所」。多くの人が集まる建築物の定期調査で義務付けられた外壁タイル調査で用いる赤外線サーモグラフィや鉄筋コンクリート造の建物などの深部の鉄筋などの状態を調べる電磁波レーダーなど最新鋭の探査器機を用いて、マンションの劣化状況を精査する。
修繕工法では、機能性コーティング材メーカー「ピアレックス・テクノロジーズ」とタイル張りマンションを対象にした「タイル色合わせシステム工法」を共同開発。タイル表面に弱溶剤フッ素樹脂系の着色剤を塗布して既存タイルの色合いに極力近づけ、フッ素樹脂系光触媒コーティング材料「ピュアコートⓇ」で仕上げ、高耐候性を付与して変色、剥離などを防止する。
また、降雨時や湿気が多くなると滑りやすくなる土間タイルや石面について、石工事や防水工事を手掛ける「ナカノセラミック」と共同で実施する滑り止め工法でも実績を重ねる。透明硬質骨材と特殊アクリルシリコン樹脂などを混合した液剤を表面にコーティングするだけで仕上がり感は変わらず、5年間滑り止め効果が持続する。
さらに、修繕の対象を共用部だけでなく、専有部分にも拡大し、水回りの「TOTO」、建材の「大建工業」、窓やエクステリアの「YKK AP」、住設システムの「ノーリツ」の4社と連携して、リフォームをプロデュースする。このほか団地再生のノウハウを持つ「あつまり暮らすと」などと連携し、1960年代に旧耐震基準で開発された団地の再生プロジェクトも先導、熊本地震の際は、被災した新耐震基準の10階建てマンションの改修コンサルティングも担った。行動範囲が広がる一方の上村さんだが、「集合住宅で暮らす人々の将来設計も考えながら、安全で快適な居住空間の維持のために最善策を提案していきたい」との思いで仕事に向き合っている。
◇建築デザイン◇
『K10 DESIGN FARM』の代表取締役で建築デザインを担当するのが子息の上村昂平さんだ。神戸芸術工科大学環境建築デザイン科でガラスの家で知られるフランスのインテリアデザイナー、ピエール・シャローのデザイン感覚を学んだ若き建築デザイナーだ。
その実力の一端を示したのが大学の卒展で奨励賞を得た「ーkaamー可愛い椅子には旅させよ~家具と建築の関係性ーピエール・シャローのガラスの家における金属フレームについて」。その独自性は「椅子に対するこれからの新しい価値観や所有の仕方を示すことで、建築や都市の在り方にまで変化を及ぼしていく。椅子と建築の関係性は空間的な美しさのみが重視されてきた。しかし椅子を都市スケールで見ることで椅子が広告の媒体となり、椅子が人と都市を繋いでいく」という作品のコンセプトに表出した。
前職のデザイン事務所LANDMARKのデザイナー時代には、大阪・北摂のおでかけ情報WEBサイト「LIVING北摂」の人生100年時代の幸せのヒントを発信する「HOKUSETSU しあわせ2・0」のロゴマークを制作し、注目を集めた。
昂平さんは、『K10 DESIGN FARM』では、建物の特殊なデザインに止まらず、パッケージデザインや新規商品の開発・デザイン、販売支援、パンフ作成、ホームページ作成、店舗設計・デザイン、メニュー支援、ユニホームなどの総合的なデザインも担い、『K15建築設計事務所』の業容拡大を牽引する。
(ライター/斎藤紘)
デザイン力で価値を創出
数々の実績を重ねてきた父親と感性豊かな建築デザイナーとして社会に踏み出したばかりの息子のコラボレーションで設計事務所のウイングを広げ、新たな可能性を追求する。大阪市の『K15建築設計事務所』の代表取締役上村允郎さんが2019年2月にデザイン事務所『K10 DESIGN FARM(ケイイチマル デザインファーム)』を併設した動機だ。それぞれの得意分野で実力を発揮しながら、独創的な価値の創出にもチャレンジし、競争が激しくなる一方の業界で存在感を高める。
「建築設計事務所を立ち上げて8年目。新築工事やマンションなどの大規模修繕工事、耐震診断、非破壊調査などの専門的な分野に事業を特化して業績を重ねてきました。業界では過当競争、値下げ圧力が増していますが、今まで育んできたノウハウ、スキルを値を下げずに買って頂くと言う信念から、デザイン部門を強化し、今まで以上の高度なスキルを追求し、提供していきたいと思っています」
◇老朽集合住宅再生◇
上村さんが実力を示してきたのが集合住宅を対象にした「大規模修繕工事コンサルタント事業」。劣化診断から修繕方法の選定、施工監理まで隙間なくカバーする体制を構築しただけでなく、修繕技術の開発でも先進性を示し、数多くのマンション管理組合から信頼を得てきた。
「国内のマンションストック644万戸のうち、2018年時点で築30年超が112万戸、40年超が68万戸、50年超が5万戸もあり、20年先には5倍になるという推計もあります。1981年以前の旧耐震基準で建てられたマンションの6割は耐震性不足が指摘され、また塗装や防水面で深刻な問題を抱えたマンションが少なくありません。そうしたマンションの資産価値の維持向上を図ることを使命と考えています」
上村さんの事業の特長は業務提携会社と連携して集合住宅の課題を解決する姿勢だ。劣化診断で連携するのが1984年創業の「非破壊調査SST研究所」。多くの人が集まる建築物の定期調査で義務付けられた外壁タイル調査で用いる赤外線サーモグラフィや鉄筋コンクリート造の建物などの深部の鉄筋などの状態を調べる電磁波レーダーなど最新鋭の探査器機を用いて、マンションの劣化状況を精査する。
修繕工法では、機能性コーティング材メーカー「ピアレックス・テクノロジーズ」とタイル張りマンションを対象にした「タイル色合わせシステム工法」を共同開発。タイル表面に弱溶剤フッ素樹脂系の着色剤を塗布して既存タイルの色合いに極力近づけ、フッ素樹脂系光触媒コーティング材料「ピュアコートⓇ」で仕上げ、高耐候性を付与して変色、剥離などを防止する。
また、降雨時や湿気が多くなると滑りやすくなる土間タイルや石面について、石工事や防水工事を手掛ける「ナカノセラミック」と共同で実施する滑り止め工法でも実績を重ねる。透明硬質骨材と特殊アクリルシリコン樹脂などを混合した液剤を表面にコーティングするだけで仕上がり感は変わらず、5年間滑り止め効果が持続する。
さらに、修繕の対象を共用部だけでなく、専有部分にも拡大し、水回りの「TOTO」、建材の「大建工業」、窓やエクステリアの「YKK AP」、住設システムの「ノーリツ」の4社と連携して、リフォームをプロデュースする。このほか団地再生のノウハウを持つ「あつまり暮らすと」などと連携し、1960年代に旧耐震基準で開発された団地の再生プロジェクトも先導、熊本地震の際は、被災した新耐震基準の10階建てマンションの改修コンサルティングも担った。行動範囲が広がる一方の上村さんだが、「集合住宅で暮らす人々の将来設計も考えながら、安全で快適な居住空間の維持のために最善策を提案していきたい」との思いで仕事に向き合っている。
◇建築デザイン◇
『K10 DESIGN FARM』の代表取締役で建築デザインを担当するのが子息の上村昂平さんだ。神戸芸術工科大学環境建築デザイン科でガラスの家で知られるフランスのインテリアデザイナー、ピエール・シャローのデザイン感覚を学んだ若き建築デザイナーだ。
その実力の一端を示したのが大学の卒展で奨励賞を得た「ーkaamー可愛い椅子には旅させよ~家具と建築の関係性ーピエール・シャローのガラスの家における金属フレームについて」。その独自性は「椅子に対するこれからの新しい価値観や所有の仕方を示すことで、建築や都市の在り方にまで変化を及ぼしていく。椅子と建築の関係性は空間的な美しさのみが重視されてきた。しかし椅子を都市スケールで見ることで椅子が広告の媒体となり、椅子が人と都市を繋いでいく」という作品のコンセプトに表出した。
前職のデザイン事務所LANDMARKのデザイナー時代には、大阪・北摂のおでかけ情報WEBサイト「LIVING北摂」の人生100年時代の幸せのヒントを発信する「HOKUSETSU しあわせ2・0」のロゴマークを制作し、注目を集めた。
昂平さんは、『K10 DESIGN FARM』では、建物の特殊なデザインに止まらず、パッケージデザインや新規商品の開発・デザイン、販売支援、パンフ作成、ホームページ作成、店舗設計・デザイン、メニュー支援、ユニホームなどの総合的なデザインも担い、『K15建築設計事務所』の業容拡大を牽引する。
(ライター/斎藤紘)
創造と技術のちいさな不思議な会社
株式会社 K15建築設計事務所
株式会社 K15建築設計事務所
TEL/06-6809-4303 Eメール/ k15-kamimura@yahoo.co.jp
ホームページ http://www.kei-ichigo.com/
株式会社 K10DESIGN FARM
TEL/06-6809-4303
ホームページ http://www.k15.co.jp/
上右:代表取締役
福岡航介 さん
学業修了後さまざまな職を経験、知人から誘われる形で飲食業界へ進み、30代で最大18店舗の経営に携わる。2017年『株式会社O.S.one』を設立。経営コンサルティングとトラックを使った広告代理店業、不動産仲介業を展開。
福岡航介 さん
学業修了後さまざまな職を経験、知人から誘われる形で飲食業界へ進み、30代で最大18店舗の経営に携わる。2017年『株式会社O.S.one』を設立。経営コンサルティングとトラックを使った広告代理店業、不動産仲介業を展開。
左上:「カラコン専門リアルショップサンシティ熊本店」
TEL:096-326-6001
「PEAK HOURS」
下左:株式会社Next Dream・住まいる7
TEL: 06-6467-4223 FAX:06-6467-4224
https://smile7.work/
下右:代表表取締役 佐々木新一朗(左)
太成学院大学人間学部卒。幼稚園から大学までサッカー選手。社会に出て1年間、クラブチームFCB2のコーチ。不動産会社北都ゼロ賃貸に就職、主任、本部長の役職を経験後、『株式会社Next Dream』を設立、『住まいる7』を運営。
TEL:096-326-6001
「PEAK HOURS」
下左:株式会社Next Dream・住まいる7
TEL: 06-6467-4223 FAX:06-6467-4224
https://smile7.work/
下右:代表表取締役 佐々木新一朗(左)
太成学院大学人間学部卒。幼稚園から大学までサッカー選手。社会に出て1年間、クラブチームFCB2のコーチ。不動産会社北都ゼロ賃貸に就職、主任、本部長の役職を経験後、『株式会社Next Dream』を設立、『住まいる7』を運営。
経営支援で潜在的な力を顕在化
「トラック広告」など業容広げ躍進
「トラック広告」など業容広げ躍進
40超の飲食店を再建
カラコン販売も開始
大阪でナンバーワンになるとの決意を社名に込めた『株式会社O.S.one』の代表取締役福岡航介さんは、中小企業や小規模事業所、商店などを対象にした経営コンサルティングを主力業務に、「トラック広告」や実店舗の経営まで業容を広げながら躍進してきた経営者だ。とりわけ飲食店を対象にしたコンサルティングではクライアントの持つ潜在的な力を顕在化させ、最大化させる手法でこれまでに40店超の飲食店を元気にする実績を重ねてきた実力ぶりだ。
福岡さんは30歳で飲食店を出店、それから半年も経たぬうちに5店舗まで拡大し、さらに店舗展開を進め、多いときには18店舗もの経営に携わった経験を持つ。この中で「自分が全て指示してしまっては店長やスタッフたちの成長につながらない」との思いが強まり、各店舗の経営は店長に任せて自分は一歩退き、みんなが楽しく働ける職場づくりをサポートしようと考えたのが経営コンサルタントへの転進のきっかけになったという。
「徹底したヒアリングで組織、個人が抱える課題の本質を明確にし、お客様に合わせた最適で、新しい価値を創造する解決手法を提案する」
福岡さんが経営コンサルティングで大事にしているスタイルだ。解決手法で特に重視するのが職場の人間関係。
「飲食店からのご相談の9割は、経営に行き詰ったようなケースですが、お金は稼げているけど仕事は楽しくない、従業員との人間関係がうまくいっていないためモチベーションが上がらない、そんな状況に陥っているケースが多く、働きやすい環境、楽しい雰囲気をつくることを重点的に指導しています。仕事そのものを楽しめなければ長くは続けられませんし、特に飲食店だとスタッフが嫌々働いている様子はお客様にも伝わってしまいます。私が手掛けた店舗では、雰囲気の良さを大切にしていたのですが、そのノウハウを相談に来られる飲食店に生かしている形で、業績回復に寄与できていると思っています」
こうした実績と「何としても結果を出す」という強い気持ちが評価され、今では飲食業界以外にも中小企業や小規模事業所、商店などからコンサルティングの依頼が舞い込む。
『O.S.one』が運営する事業で可能性が広がっているのが、屋外広告の中でも注目度の高い「トラック広告」。トラックの荷台スペースを利用して広告面を設置し、音を流しながら街中を走るダイナミックな広告宣伝車で、アドトラックともいう。同社は現在、スーパーロング4t車と4t車2台のトラックで運用、1ヵ月、3ヵ月、半年と期間契約し、最長は年間契約。クライアントが持ち込んだ写真をデータ化し、専門業者でフィルム化して広告面に貼る。音はクライアントが編集したものを使う。
「トラック広告は、商品の宣伝や新店オープンの告知、イベント会場告知、アーティストの宣伝などで効果を発揮します。昼は音声で、夜は内照式によるライトアップ効果でインパクトがあり、街行く人々の耳目を惹きつけます。走るエリアもご要望に沿って細かく設定でき、広域からピンポイントエリアまで対応可能です」
福岡さんは、2019年10月には同社としては初の実店舗となるカラ―コンタクトレンズ専門店「サンシティ」をリアルショップのフランチャイズ「熊本店」としてオープンさせた。茶や青などの色彩やデザインを施したおしゃれ用カラーコンタクトレンズを販売する。
「おしゃれ用カラーコンタクトレンズは10代、20代の若い女性を中心に主婦層にも愛用者が増えています。その魅力は、さまざまな色やデザインを楽しみながら自分好みのお洒落な目元を演出できることにあり、色やデザインのバリエーションも充実しています。一般のコンタクトレンズと同じように材質やレンズ面のカーブの度合いなどについて国が定める安全基準を満たした商品ですので、安心して装着いただけます」
福岡さんは、この店舗の空きスペースを利用してブランド
『PEAK HOURS』の立ち上げにも関わり、子供服を販売。若いお母さんたちにカラーコンタクトにも目を向けてもらう相乗効果を考えている。もう一つ、実店舗として12月には、美味しいお酒と酒肴が楽しめる寛ぎの場として「居酒屋」も開店させた。福岡さんが飲食店経営、コンサルティングで重視した働きやすい環境、楽しい雰囲気が確保されているのはいうまでもない。
人脈を大切に不動産事業拡大
大阪拠点に東京沖縄もカバー
大阪市の繁華街京橋で不動産店『住まいる7(スマイルセブン)』を営む『株式会社Next Dream』の社長佐々木新一朗さんは、ビジネス展開で人脈を大切にし、生かすことの重要さを実践で示している若き経営者だ。賃貸や売買の仲介、賃貸物件の管理が業務だが、営業範囲は東京、沖縄、北海道にまで及ぶ。それを可能にしているのが人脈の活用だ。
東京では、父親がかつて勤めていた調理師専門学校と交流し、同校の入学生や卒業生を対象に賃貸物件を仲介したり、沖縄では前職の不動産会社勤務時代に関係ができたホテルの関係者に物件を紹介したりといった具合。また、自社のクライアントも人脈として親身にフォローし、そこから口コミで新たなクライアントが広がっていく構図だ。「わが社の強みは人脈を大切にしていること」。この言葉を実績が裏付ける。
不動産会社時代、短期間で主任、本部長とスピード出世したが、「自分の力でどこまでできるか試してみたい」と起業。『O.S.one』の福岡航介さんとの関係も大切に、双方の強みを生かした連携も模索している。
(ライター/斎藤紘)
カラコン販売も開始
大阪でナンバーワンになるとの決意を社名に込めた『株式会社O.S.one』の代表取締役福岡航介さんは、中小企業や小規模事業所、商店などを対象にした経営コンサルティングを主力業務に、「トラック広告」や実店舗の経営まで業容を広げながら躍進してきた経営者だ。とりわけ飲食店を対象にしたコンサルティングではクライアントの持つ潜在的な力を顕在化させ、最大化させる手法でこれまでに40店超の飲食店を元気にする実績を重ねてきた実力ぶりだ。
福岡さんは30歳で飲食店を出店、それから半年も経たぬうちに5店舗まで拡大し、さらに店舗展開を進め、多いときには18店舗もの経営に携わった経験を持つ。この中で「自分が全て指示してしまっては店長やスタッフたちの成長につながらない」との思いが強まり、各店舗の経営は店長に任せて自分は一歩退き、みんなが楽しく働ける職場づくりをサポートしようと考えたのが経営コンサルタントへの転進のきっかけになったという。
「徹底したヒアリングで組織、個人が抱える課題の本質を明確にし、お客様に合わせた最適で、新しい価値を創造する解決手法を提案する」
福岡さんが経営コンサルティングで大事にしているスタイルだ。解決手法で特に重視するのが職場の人間関係。
「飲食店からのご相談の9割は、経営に行き詰ったようなケースですが、お金は稼げているけど仕事は楽しくない、従業員との人間関係がうまくいっていないためモチベーションが上がらない、そんな状況に陥っているケースが多く、働きやすい環境、楽しい雰囲気をつくることを重点的に指導しています。仕事そのものを楽しめなければ長くは続けられませんし、特に飲食店だとスタッフが嫌々働いている様子はお客様にも伝わってしまいます。私が手掛けた店舗では、雰囲気の良さを大切にしていたのですが、そのノウハウを相談に来られる飲食店に生かしている形で、業績回復に寄与できていると思っています」
こうした実績と「何としても結果を出す」という強い気持ちが評価され、今では飲食業界以外にも中小企業や小規模事業所、商店などからコンサルティングの依頼が舞い込む。
『O.S.one』が運営する事業で可能性が広がっているのが、屋外広告の中でも注目度の高い「トラック広告」。トラックの荷台スペースを利用して広告面を設置し、音を流しながら街中を走るダイナミックな広告宣伝車で、アドトラックともいう。同社は現在、スーパーロング4t車と4t車2台のトラックで運用、1ヵ月、3ヵ月、半年と期間契約し、最長は年間契約。クライアントが持ち込んだ写真をデータ化し、専門業者でフィルム化して広告面に貼る。音はクライアントが編集したものを使う。
「トラック広告は、商品の宣伝や新店オープンの告知、イベント会場告知、アーティストの宣伝などで効果を発揮します。昼は音声で、夜は内照式によるライトアップ効果でインパクトがあり、街行く人々の耳目を惹きつけます。走るエリアもご要望に沿って細かく設定でき、広域からピンポイントエリアまで対応可能です」
福岡さんは、2019年10月には同社としては初の実店舗となるカラ―コンタクトレンズ専門店「サンシティ」をリアルショップのフランチャイズ「熊本店」としてオープンさせた。茶や青などの色彩やデザインを施したおしゃれ用カラーコンタクトレンズを販売する。
「おしゃれ用カラーコンタクトレンズは10代、20代の若い女性を中心に主婦層にも愛用者が増えています。その魅力は、さまざまな色やデザインを楽しみながら自分好みのお洒落な目元を演出できることにあり、色やデザインのバリエーションも充実しています。一般のコンタクトレンズと同じように材質やレンズ面のカーブの度合いなどについて国が定める安全基準を満たした商品ですので、安心して装着いただけます」
福岡さんは、この店舗の空きスペースを利用してブランド
『PEAK HOURS』の立ち上げにも関わり、子供服を販売。若いお母さんたちにカラーコンタクトにも目を向けてもらう相乗効果を考えている。もう一つ、実店舗として12月には、美味しいお酒と酒肴が楽しめる寛ぎの場として「居酒屋」も開店させた。福岡さんが飲食店経営、コンサルティングで重視した働きやすい環境、楽しい雰囲気が確保されているのはいうまでもない。
人脈を大切に不動産事業拡大
大阪拠点に東京沖縄もカバー
大阪市の繁華街京橋で不動産店『住まいる7(スマイルセブン)』を営む『株式会社Next Dream』の社長佐々木新一朗さんは、ビジネス展開で人脈を大切にし、生かすことの重要さを実践で示している若き経営者だ。賃貸や売買の仲介、賃貸物件の管理が業務だが、営業範囲は東京、沖縄、北海道にまで及ぶ。それを可能にしているのが人脈の活用だ。
東京では、父親がかつて勤めていた調理師専門学校と交流し、同校の入学生や卒業生を対象に賃貸物件を仲介したり、沖縄では前職の不動産会社勤務時代に関係ができたホテルの関係者に物件を紹介したりといった具合。また、自社のクライアントも人脈として親身にフォローし、そこから口コミで新たなクライアントが広がっていく構図だ。「わが社の強みは人脈を大切にしていること」。この言葉を実績が裏付ける。
不動産会社時代、短期間で主任、本部長とスピード出世したが、「自分の力でどこまでできるか試してみたい」と起業。『O.S.one』の福岡航介さんとの関係も大切に、双方の強みを生かした連携も模索している。
(ライター/斎藤紘)
株式会社 O.S.one
TEL/06-6836-9787 Eメール/ k.o.s.one@sweet.ocn.jp
ホームページ https://os-one.net/
理事長 兼 園長
山本良一 さん
関西学院大社会学部社会福祉・社会学コース卒。大阪市中央児童相談所で児童福祉司として活躍。1976年、「社会福祉法人弘法会」理事長、「大東わかば保育園」園長。大東市児童福祉審議会委員、花園大学非常勤講師などを歴任。
山本良一 さん
関西学院大社会学部社会福祉・社会学コース卒。大阪市中央児童相談所で児童福祉司として活躍。1976年、「社会福祉法人弘法会」理事長、「大東わかば保育園」園長。大東市児童福祉審議会委員、花園大学非常勤講師などを歴任。
左中:新刊
『明るい保育は未来を明るくする—「積極的保育」のススメ—』幻冬舎刊800円+税
左下:「大切なことはみんな保育園で学ぶ~よい保育の場を求めPart Ⅱ~」(DVD付)フォーラム・A刊 1,852円+税
「よい保育の場を求めて~大切なことはみんな保育園で学ぶ~」
出版文化社刊 1,429円+税
「子どもたちの輝く未来のために子どもの力を伸ばす積極的保育のすすめ」現代書林刊 1,200円+税
『明るい保育は未来を明るくする—「積極的保育」のススメ—』幻冬舎刊800円+税
左下:「大切なことはみんな保育園で学ぶ~よい保育の場を求めPart Ⅱ~」(DVD付)フォーラム・A刊 1,852円+税
「よい保育の場を求めて~大切なことはみんな保育園で学ぶ~」
出版文化社刊 1,429円+税
「子どもたちの輝く未来のために子どもの力を伸ばす積極的保育のすすめ」現代書林刊 1,200円+税
幼児教育の質の向上の道しるべ
40年超貫いた独自の保育理論
40年超貫いた独自の保育理論
成長育む自由遊びの時間
思索の末に到達した理論
幼児教育・保育の無償化が2019年10月から始まり、幼児教育・保育の経済的側面に目が向けられる一方で、子どもたちを取り巻く環境の変化を視野に入れた幼児教育の実践の質向上に関する検討も文科省で進められている。待機児童問題も含め、幼児教育・保育をめぐって様々な動きが顕在化する時代にあって、凛として動ぜぬ山のように、40年超にわたり独自の保育理論を貫いて保育園を運営してきた教育者がいる。幼保連携型認定こども園『大東わかば保育園』の園長山本良一さん。その保育理論や言葉は保育に携わり、あるいは携わろうとしている人たちの一つの道しるべとなるものだ。
『大東わかば保育園』では、現在、約100人の子どもを預かり、保育士、教諭など合わせて約20人のスタッフが保育する。「安心」をもたらす見守り、「信頼」を喚起する子どもへの配慮、あそびから生まれる「感動」など日々保育園で展開される活動の様子から独自の保育理論を浮かび上がらせたのが、山本さんが2019年6月に上梓した著書「明るい保育は未来を明るくする『積極的保育』のススメ」だ。
ここにある「積極的保育」が山本さんの保育理論だ。これについて山本さんは、「現実的な諸問題にとらわれずに、子どもの力を信じて伸ばしていくことを第一に考えて、保育に取り組む姿勢」と定義する。
「日本の保育現場は、日々、保護者対応や行政への書類提出、各種審議会や保育団体などからの文書、研修会の案内、研究機関などからのアンケートなどへの対応などの事務作業に加え、不審者対策、感染症対策、虐待問題、情報公開、職員の待遇改善、業務の記録化など多くの問題が押し寄せ、保育や教育を積極的にできない条件がたくさんあります。しかし、園長が強い心を持ち、職員と強い信頼関係を築いて積極的保育を進めれば、現実条件を乗り越えて積極的な保育を実現することが可能であり、その中で子どもたちは大きく成長していくのです」
「積極的保育」で山本さんが重視してきたのが、「大切なことはみんな保育園で学ぶ」ことができるハード、ソフト面の整備だ。その象徴が、木製遊具、砂場、うんてい、アルプスが配置された約350㎡の園庭で毎日繰り広げられる「自由遊びの時間」だ。年齢ごとにクラス分けした保育とは別に、午前8時半~9時半、午後4時前~4時半の2回、1歳児から5歳児までが一緒に遊ぶ。昼食後も1〜2歳児、3~5歳児の順に園庭に出て思い思いに遊び回る。
「核家族化、少子化、働く母親の増加、テレビゲームの普及、遊び場の不足など、子どもを取り巻く環境は大きく変わり、子どもだけで自由に遊ぶことが少なくなってしまったうえに、子どもが巻き込まれる事故や事件もあり、子どもだけで家の外で遊ばせることに社会全体が消極的になっています。こうした傾向は、子どもの成長にいいはずはなく、子どもたちが気持ちの向くままに遊ぶ時間を持つことは大切だと考え、導入したのが自由遊び時間です。友達との遊び方を学んだり、危険を察知して避ける力を身に付けたりして、自分を伸ばすことに意欲的な子どもが育っていきます。1歳児、2歳児が給食後に園庭に出て遊ぶ保育園は公立、民間ともほとんどありません」
「積極的保育」ではまた、感動する心を育むことも大切にする。様々な行事がその役目を果たす。生活発表会、いもほり、星まつり、うんどう会、 お泊まり保育、焼きいも大会、作品展、もちつき、クリスマス会、ししまい、節分、登山など四季を通じて開催される行事が感動をもたらす。中でも運動会として披露する合同あそびは子どもたちを大きく成長させる。全体の主軸となるストーリーを決め、それに沿ってクラスごとに遊びを考え、子どもたちと先生が協力しながら7ヵ月間かけて準備する。そのプロセスが成長の糧になる。
もう一点、山本さんが重視するのが安心と信頼だ。
「自分自身のこれまでの人生体験や宗教、哲学、心理学などの分野から得たものから、健全な自己実現を現実のものにするには安心は大切なことであると知りました。当園では、園長が登園してくる子どもたち一人ひとり、保護者の方と挨拶を交わし、自由に遊んでいる間も子どもたちの命のリズムと共鳴するような姿勢で気持ちを込めて見守ります。ひとりの人間によって見守られるということは、子どもたちも無意識のうちに感じて、安心感を与えているように思います。また、子どもの周囲の大人に対する信頼は、毎日の小さな具体的な事実の積み重ねによって強くなっていきます。安全や清潔、秩序などに重点が偏りすぎて、一人ひとりの子どもの状態や気持ちに配慮が不十分にしかされていないと、子どもは信頼を強めていくことが困難になります。職員全てが子どもの気持ちをできるだけ配慮することをいつも忘れないようにするという姿勢が大切なのです。よい人間とはどのような人間であるかを具体的に体験させたいと考えています」
山本さんは、高校卒業後に2年4ヵ月銀行に勤めたが、福祉の道に進みたいと思うようになって関西学院大学社会学部に入学。卒業後、大阪市の児童相談所で児童福祉司として約8年間働いた。保育園運営に携わるようになったのは、この業務の中で「長く子どもたちに接して成長を見守り、地域社会の発展に寄与したい」と考えたのがきっかけだった。1976年に『大東わかば保育園』を開設したが、公務員生活の感覚が尾を引き、職員の労働条件などに気が向き、保育が消極的になってしまったという。この状況下で新しく園に入ってきた主任保育士の「もっと保育を中心に考えてください」という一言がきっかけで保育のあり方の考察の旅が始まった。
大学で学んだ岡村重夫氏の社会福祉理論や教育家和田重正氏の著書「葦かびの萌えいずるごとく-若き日の自己発見」中の「生きるとは選択である」などの言葉、思想家中村天風氏の講演集の中の「観念要素の更改」「積極観念の養成」などの言葉などの中に進むべき指針を見出し、自ら思索を重ねて到達したのが保育理論「積極的保育」だ。幼児教育の実践の質向上の手がかりがここにはある。
(ライター/斎藤紘)
思索の末に到達した理論
幼児教育・保育の無償化が2019年10月から始まり、幼児教育・保育の経済的側面に目が向けられる一方で、子どもたちを取り巻く環境の変化を視野に入れた幼児教育の実践の質向上に関する検討も文科省で進められている。待機児童問題も含め、幼児教育・保育をめぐって様々な動きが顕在化する時代にあって、凛として動ぜぬ山のように、40年超にわたり独自の保育理論を貫いて保育園を運営してきた教育者がいる。幼保連携型認定こども園『大東わかば保育園』の園長山本良一さん。その保育理論や言葉は保育に携わり、あるいは携わろうとしている人たちの一つの道しるべとなるものだ。
『大東わかば保育園』では、現在、約100人の子どもを預かり、保育士、教諭など合わせて約20人のスタッフが保育する。「安心」をもたらす見守り、「信頼」を喚起する子どもへの配慮、あそびから生まれる「感動」など日々保育園で展開される活動の様子から独自の保育理論を浮かび上がらせたのが、山本さんが2019年6月に上梓した著書「明るい保育は未来を明るくする『積極的保育』のススメ」だ。
ここにある「積極的保育」が山本さんの保育理論だ。これについて山本さんは、「現実的な諸問題にとらわれずに、子どもの力を信じて伸ばしていくことを第一に考えて、保育に取り組む姿勢」と定義する。
「日本の保育現場は、日々、保護者対応や行政への書類提出、各種審議会や保育団体などからの文書、研修会の案内、研究機関などからのアンケートなどへの対応などの事務作業に加え、不審者対策、感染症対策、虐待問題、情報公開、職員の待遇改善、業務の記録化など多くの問題が押し寄せ、保育や教育を積極的にできない条件がたくさんあります。しかし、園長が強い心を持ち、職員と強い信頼関係を築いて積極的保育を進めれば、現実条件を乗り越えて積極的な保育を実現することが可能であり、その中で子どもたちは大きく成長していくのです」
「積極的保育」で山本さんが重視してきたのが、「大切なことはみんな保育園で学ぶ」ことができるハード、ソフト面の整備だ。その象徴が、木製遊具、砂場、うんてい、アルプスが配置された約350㎡の園庭で毎日繰り広げられる「自由遊びの時間」だ。年齢ごとにクラス分けした保育とは別に、午前8時半~9時半、午後4時前~4時半の2回、1歳児から5歳児までが一緒に遊ぶ。昼食後も1〜2歳児、3~5歳児の順に園庭に出て思い思いに遊び回る。
「核家族化、少子化、働く母親の増加、テレビゲームの普及、遊び場の不足など、子どもを取り巻く環境は大きく変わり、子どもだけで自由に遊ぶことが少なくなってしまったうえに、子どもが巻き込まれる事故や事件もあり、子どもだけで家の外で遊ばせることに社会全体が消極的になっています。こうした傾向は、子どもの成長にいいはずはなく、子どもたちが気持ちの向くままに遊ぶ時間を持つことは大切だと考え、導入したのが自由遊び時間です。友達との遊び方を学んだり、危険を察知して避ける力を身に付けたりして、自分を伸ばすことに意欲的な子どもが育っていきます。1歳児、2歳児が給食後に園庭に出て遊ぶ保育園は公立、民間ともほとんどありません」
「積極的保育」ではまた、感動する心を育むことも大切にする。様々な行事がその役目を果たす。生活発表会、いもほり、星まつり、うんどう会、 お泊まり保育、焼きいも大会、作品展、もちつき、クリスマス会、ししまい、節分、登山など四季を通じて開催される行事が感動をもたらす。中でも運動会として披露する合同あそびは子どもたちを大きく成長させる。全体の主軸となるストーリーを決め、それに沿ってクラスごとに遊びを考え、子どもたちと先生が協力しながら7ヵ月間かけて準備する。そのプロセスが成長の糧になる。
もう一点、山本さんが重視するのが安心と信頼だ。
「自分自身のこれまでの人生体験や宗教、哲学、心理学などの分野から得たものから、健全な自己実現を現実のものにするには安心は大切なことであると知りました。当園では、園長が登園してくる子どもたち一人ひとり、保護者の方と挨拶を交わし、自由に遊んでいる間も子どもたちの命のリズムと共鳴するような姿勢で気持ちを込めて見守ります。ひとりの人間によって見守られるということは、子どもたちも無意識のうちに感じて、安心感を与えているように思います。また、子どもの周囲の大人に対する信頼は、毎日の小さな具体的な事実の積み重ねによって強くなっていきます。安全や清潔、秩序などに重点が偏りすぎて、一人ひとりの子どもの状態や気持ちに配慮が不十分にしかされていないと、子どもは信頼を強めていくことが困難になります。職員全てが子どもの気持ちをできるだけ配慮することをいつも忘れないようにするという姿勢が大切なのです。よい人間とはどのような人間であるかを具体的に体験させたいと考えています」
山本さんは、高校卒業後に2年4ヵ月銀行に勤めたが、福祉の道に進みたいと思うようになって関西学院大学社会学部に入学。卒業後、大阪市の児童相談所で児童福祉司として約8年間働いた。保育園運営に携わるようになったのは、この業務の中で「長く子どもたちに接して成長を見守り、地域社会の発展に寄与したい」と考えたのがきっかけだった。1976年に『大東わかば保育園』を開設したが、公務員生活の感覚が尾を引き、職員の労働条件などに気が向き、保育が消極的になってしまったという。この状況下で新しく園に入ってきた主任保育士の「もっと保育を中心に考えてください」という一言がきっかけで保育のあり方の考察の旅が始まった。
大学で学んだ岡村重夫氏の社会福祉理論や教育家和田重正氏の著書「葦かびの萌えいずるごとく-若き日の自己発見」中の「生きるとは選択である」などの言葉、思想家中村天風氏の講演集の中の「観念要素の更改」「積極観念の養成」などの言葉などの中に進むべき指針を見出し、自ら思索を重ねて到達したのが保育理論「積極的保育」だ。幼児教育の実践の質向上の手がかりがここにはある。
(ライター/斎藤紘)
社会福祉法人 弘法会 認定こども園 大東わかば保育園
TEL/072-878-4121
院長
前山和宏 さん
日本大学医学部卒。国立東京第二病院、民間病院を経て、2004年「前山クリニック虎ノ門」、2010年『メディアートクリニック』開院。2012年「医療法人社団鳳龍会」設立。
前山和宏 さん
日本大学医学部卒。国立東京第二病院、民間病院を経て、2004年「前山クリニック虎ノ門」、2010年『メディアートクリニック』開院。2012年「医療法人社団鳳龍会」設立。
上:『ヨード点滴』『コロイドヨード内服液』
『メディアートクリニックオリジナルヨードクリーム』
『ヨード点眼』
左下:「末期がん 逆転の治療法」 幻冬舎刊
右中:『ヨード分析試験成績表』
「治る希望を見いだせない医療なんて、医療じゃありません。患者さんにできる限りの治療をさせていただきたいと考えています
『メディアートクリニックオリジナルヨードクリーム』
『ヨード点眼』
左下:「末期がん 逆転の治療法」 幻冬舎刊
右中:『ヨード分析試験成績表』
「治る希望を見いだせない医療なんて、医療じゃありません。患者さんにできる限りの治療をさせていただきたいと考えています
医療界のアウト・ロー
異端で過激で孤高の医師が末期がんに挑む!
異端で過激で孤高の医師が末期がんに挑む!
進化する
コロイドヨードの世界
日本人における、がん患者は増加する一方で、現在2人にひとりが、がんに罹り三人に一人が、がんで死亡している。これだけ医療が発達している中で、人類はがんに対して無力なのだろうか?
『メディアートクリニック』の前山院長は、がんを専門とする医師である。とはいっても、病院の第一線で、手術・抗がん剤・放射線等を扱う医師とは趣が全く異なる。がんの代替医療に取り組んでいる。その中で『コロイドヨード療法』といえば、前山医師はかなり有名だ。彼は独自にヨード製剤を開発し、患者治療に当たってきた。
「 ヨードは元素ですが、がんを叩く力があるとはいえ、元々毒性のある元素です。それゆえ、扱いが難しいのです」
厚生労働省の見解がある。
一.ヨード製剤は、医師しか取り扱うことができない。
二.医師がヨード製剤をつくり、自分のクリニックに来院する患者に、十分な説明をして患者が納得した上で使用するのは問題ない。
三.対面したことがない人への販売は違法である。(インターネット販売などは許可しない)
四.ヨード製剤をつくった医師は、他の医師に販売してはならない。
これをクリアするために、前山医師は努力を重ねた。『メディアートクリニック』のヨード製剤は、前山医師の完全オリジナルである。そして日々改良を重ねている。
現在、『メディアートクリニック』のヨード製剤は、
1,内服(飲用) 2、点滴 3、吸入 4、点眼 5、軟膏などがある。製造に手間がかかるのが難点だそうだ。
『メディアートクリニック』に来院する患者は、ほとんど末期がんであり、余命宣告をされた人も多い。そのような患者に対して、ヨード製剤をどのように使うかを、前山医師は考えている。
「どの患者さんでも、同じように使えばよいというものではありません。その患者さんと相談の上、ベストな方法を選んでいます」
『メデイアートクリニック』のがん治療は、患者中心であり、患者の都合を優先するという特徴がある。
「一番重要なのは、患者さんの体力です。また、地方在住の方も多いので、在宅での治療をしっかりやるという方法もとります」
さらに前山医師は、コロイドヨード以外の療法も数多く取り入れている。自家血オゾン療法、オゾンナノバブル水療法、フコイダン療法、温熱療法、水素吸入療法、ラドン吸入療法などである。聞きなれないような、治療法もあるが、前山医師は可能性がある治療法を積極的に取り入れている。患者の選択肢を多くしたいという思いがあるという。
いずれも、他の医療機関の治療法と併用が可能である。
「病院で抗がん剤をやりながら、当院でヨード、温熱などを併用される患者さんも多いのです。当院の治療は、他院の治療の邪魔をすることが目的ではありません。自分で受けたい治療を受けることが、患者さんにとってベストなのではないでしょうか?」
『メデイアートクリニック』には、治療のコンセプトがある。それは「楽で楽しいがん治療」である。三大療法で苦しんできた患者に対し、なるべく身体に負担のかからない治療は理想といえるだろう。
日本は超高齢社会である。高齢者に胃がんが発見されたとする。今、 手術すれば治癒率は高いと考えられた。しかし、体力的に手術に耐えられない、あるいは、本人に手術を受ける自信がない|このような事例は増加している。
前山医師は、そんな例でもヨードを用い、なんと内服(飲用)のみで、胃がんの消失に成功したという。
現代の医療は、「がんは早期に発見して、手術で切り取ってしまわない限り、治ることは絶対にない」という前提に立っている。この例は奇蹟なのだろうか? 前山医師の見解を聴いた。
「がんの自然治癒は、以前から知られていました。しかしそれは、ごくごく稀にしか起こらないことだと考えられてきました。がんの自然治癒は、ある条件が揃ったときに、簡単に起こり得ることなのかもしれません。もしかしたら、医療は人間に手をかけ過ぎているのではないでしょうか? もっと単純な発想が求められているのかもしれません」
『メデイアートクリニック』は、抗がん剤の副作用で苦しむ患者のための治療も実施している。そのひとつが水素である。水素水の飲用は、効果に対して否定的であるが、吸入は各研究機関でよい結果が出ている。吸入もよいが、さらに一歩進んで、水素の点滴は、抗がん剤の副作用に高い効果を発揮する。その水素点滴がこの度、ヴァージョンアップするという。点滴液を高圧下に置くことで、より多くの水素の溶解が可能となった。
「どの程度の効果があるかわかりませんが、トライは必要だと考えています」
前山医師のトライに、目が離せない思いがした。
前山医師は、最近話題の「エビデンス中心の医療」にも、疑問を投げかけている。エビデンスとは、「証拠・根拠に基づく医療」という意味だ。前山医師は、がん治療に関してのエビデンスを語る。
「エビデンスのない医療は〝ニセ医療〟と糾弾されていますが、本当にそうでしょうか? がん治療は〝標準治療〟の存在が弊害ともなり得るのです」
標準治療は、日本全国のがん患者に同質の治療を実施する目的で学会等が中心となって定められたが、「標準治療さえやっておけばよい」という、医師の免罪符になってしまった。
「だから、標準治療でよい結果が得られなければ、医師は患者に〝もう治療法がない〟と平気で言えるのです。そして〝緩和ケア〟を勧める。それを受け入れられる人はそれでよいのでしょうが、〝何とか助かりたい、治りたい〟と思うのが人間ではないでしょうか?」
前山医師は医師の価値に言及する。
「自分の目の前にいる患者さんのことを、精一杯考える。そして何とか新しい治療を模索するのが医者ってもんじゃないでしょうか?」 新しく考案された治療は、もちろんエビデンスは存在しない。しかし、それだけで、末期のがん患者は拒否するのか?
エビデンスは、多数の患者から得られた膨大なデータではあるものの、一人ひとりの患者の治療効果を保証するものではない。人間は、みな独立した存在であり、異なる遺伝子を持つ。だから、すべての患者を同一に扱う、標準治療はマイナス面も多い。
さらに問題となるのは、代替医療の医師達は、「手のついていない患者」を診ることはほとんどない。つまり診断がついた時点から、治療することはできないのである。様々な治療で効果がなかった患者や、転移・再発を繰り返す患者、大病院に諦められた患者ばかりが対象となる。これでは、エビデンスなど確立しようがないのである。
「エビデンス信者には、この視点が欠落しています」
標準治療を信じ、患者に一方的な物言いしかしない心無い医師が多い反面、患者のことを必死に考える心温かい医師がいることも事実である。そんな医師達が、医療の歯車を上手に廻してくれることを祈るばかりである。
(ライター/渡辺唯)
コロイドヨードの世界
日本人における、がん患者は増加する一方で、現在2人にひとりが、がんに罹り三人に一人が、がんで死亡している。これだけ医療が発達している中で、人類はがんに対して無力なのだろうか?
『メディアートクリニック』の前山院長は、がんを専門とする医師である。とはいっても、病院の第一線で、手術・抗がん剤・放射線等を扱う医師とは趣が全く異なる。がんの代替医療に取り組んでいる。その中で『コロイドヨード療法』といえば、前山医師はかなり有名だ。彼は独自にヨード製剤を開発し、患者治療に当たってきた。
「 ヨードは元素ですが、がんを叩く力があるとはいえ、元々毒性のある元素です。それゆえ、扱いが難しいのです」
厚生労働省の見解がある。
一.ヨード製剤は、医師しか取り扱うことができない。
二.医師がヨード製剤をつくり、自分のクリニックに来院する患者に、十分な説明をして患者が納得した上で使用するのは問題ない。
三.対面したことがない人への販売は違法である。(インターネット販売などは許可しない)
四.ヨード製剤をつくった医師は、他の医師に販売してはならない。
これをクリアするために、前山医師は努力を重ねた。『メディアートクリニック』のヨード製剤は、前山医師の完全オリジナルである。そして日々改良を重ねている。
現在、『メディアートクリニック』のヨード製剤は、
1,内服(飲用) 2、点滴 3、吸入 4、点眼 5、軟膏などがある。製造に手間がかかるのが難点だそうだ。
『メディアートクリニック』に来院する患者は、ほとんど末期がんであり、余命宣告をされた人も多い。そのような患者に対して、ヨード製剤をどのように使うかを、前山医師は考えている。
「どの患者さんでも、同じように使えばよいというものではありません。その患者さんと相談の上、ベストな方法を選んでいます」
『メデイアートクリニック』のがん治療は、患者中心であり、患者の都合を優先するという特徴がある。
「一番重要なのは、患者さんの体力です。また、地方在住の方も多いので、在宅での治療をしっかりやるという方法もとります」
さらに前山医師は、コロイドヨード以外の療法も数多く取り入れている。自家血オゾン療法、オゾンナノバブル水療法、フコイダン療法、温熱療法、水素吸入療法、ラドン吸入療法などである。聞きなれないような、治療法もあるが、前山医師は可能性がある治療法を積極的に取り入れている。患者の選択肢を多くしたいという思いがあるという。
いずれも、他の医療機関の治療法と併用が可能である。
「病院で抗がん剤をやりながら、当院でヨード、温熱などを併用される患者さんも多いのです。当院の治療は、他院の治療の邪魔をすることが目的ではありません。自分で受けたい治療を受けることが、患者さんにとってベストなのではないでしょうか?」
『メデイアートクリニック』には、治療のコンセプトがある。それは「楽で楽しいがん治療」である。三大療法で苦しんできた患者に対し、なるべく身体に負担のかからない治療は理想といえるだろう。
日本は超高齢社会である。高齢者に胃がんが発見されたとする。今、 手術すれば治癒率は高いと考えられた。しかし、体力的に手術に耐えられない、あるいは、本人に手術を受ける自信がない|このような事例は増加している。
前山医師は、そんな例でもヨードを用い、なんと内服(飲用)のみで、胃がんの消失に成功したという。
現代の医療は、「がんは早期に発見して、手術で切り取ってしまわない限り、治ることは絶対にない」という前提に立っている。この例は奇蹟なのだろうか? 前山医師の見解を聴いた。
「がんの自然治癒は、以前から知られていました。しかしそれは、ごくごく稀にしか起こらないことだと考えられてきました。がんの自然治癒は、ある条件が揃ったときに、簡単に起こり得ることなのかもしれません。もしかしたら、医療は人間に手をかけ過ぎているのではないでしょうか? もっと単純な発想が求められているのかもしれません」
『メデイアートクリニック』は、抗がん剤の副作用で苦しむ患者のための治療も実施している。そのひとつが水素である。水素水の飲用は、効果に対して否定的であるが、吸入は各研究機関でよい結果が出ている。吸入もよいが、さらに一歩進んで、水素の点滴は、抗がん剤の副作用に高い効果を発揮する。その水素点滴がこの度、ヴァージョンアップするという。点滴液を高圧下に置くことで、より多くの水素の溶解が可能となった。
「どの程度の効果があるかわかりませんが、トライは必要だと考えています」
前山医師のトライに、目が離せない思いがした。
前山医師は、最近話題の「エビデンス中心の医療」にも、疑問を投げかけている。エビデンスとは、「証拠・根拠に基づく医療」という意味だ。前山医師は、がん治療に関してのエビデンスを語る。
「エビデンスのない医療は〝ニセ医療〟と糾弾されていますが、本当にそうでしょうか? がん治療は〝標準治療〟の存在が弊害ともなり得るのです」
標準治療は、日本全国のがん患者に同質の治療を実施する目的で学会等が中心となって定められたが、「標準治療さえやっておけばよい」という、医師の免罪符になってしまった。
「だから、標準治療でよい結果が得られなければ、医師は患者に〝もう治療法がない〟と平気で言えるのです。そして〝緩和ケア〟を勧める。それを受け入れられる人はそれでよいのでしょうが、〝何とか助かりたい、治りたい〟と思うのが人間ではないでしょうか?」
前山医師は医師の価値に言及する。
「自分の目の前にいる患者さんのことを、精一杯考える。そして何とか新しい治療を模索するのが医者ってもんじゃないでしょうか?」 新しく考案された治療は、もちろんエビデンスは存在しない。しかし、それだけで、末期のがん患者は拒否するのか?
エビデンスは、多数の患者から得られた膨大なデータではあるものの、一人ひとりの患者の治療効果を保証するものではない。人間は、みな独立した存在であり、異なる遺伝子を持つ。だから、すべての患者を同一に扱う、標準治療はマイナス面も多い。
さらに問題となるのは、代替医療の医師達は、「手のついていない患者」を診ることはほとんどない。つまり診断がついた時点から、治療することはできないのである。様々な治療で効果がなかった患者や、転移・再発を繰り返す患者、大病院に諦められた患者ばかりが対象となる。これでは、エビデンスなど確立しようがないのである。
「エビデンス信者には、この視点が欠落しています」
標準治療を信じ、患者に一方的な物言いしかしない心無い医師が多い反面、患者のことを必死に考える心温かい医師がいることも事実である。そんな医師達が、医療の歯車を上手に廻してくれることを祈るばかりである。
(ライター/渡辺唯)
医療法人社団 鳳龍会 メディアートクリニック
TEL/03-6225-2165
店主
西口一志 さん
和漢薬の大学として知られる富山医科薬科大学(現富山大)薬学部卒。薬剤師の国家資格を取得し、漢方専門の会社、薬局に勤める。その間、中国人医師の下で漢方(中医学)を学ぶ。2003年『相談薬局太海堂漢方』開局。
西口一志 さん
和漢薬の大学として知られる富山医科薬科大学(現富山大)薬学部卒。薬剤師の国家資格を取得し、漢方専門の会社、薬局に勤める。その間、中国人医師の下で漢方(中医学)を学ぶ。2003年『相談薬局太海堂漢方』開局。
『のむトマト』
『りんごジュース』
『インカインチプロテイン』
インカに由来する「ケチュア語」からで、「インチ」は命で「インカの命」という意。
『インカインチオイル』
『りんごジュース』
『インカインチプロテイン』
インカに由来する「ケチュア語」からで、「インチ」は命で「インカの命」という意。
『インカインチオイル』
食事の視点からがんと向き合う
腸管の免疫細胞の正常化を促す
腸管の免疫細胞の正常化を促す
短鎖脂肪酸の働き重視
有用な地場商品も紹介
秋田市で『相談薬局太海堂漢方』を営む西口一志さんは、日本人の死因の一位で、日本人の2人に1人が生涯に一度はかかるといわれるがんに特化した相談窓口を開設した薬剤師だ。ホームページでもがんの様々な側面に着目して膨大な情報を発信し、がんに苦しむ人やその家族、がんを恐れる人たちにがんと向き合うヒントを与えてきた。その西口さんが今、注意を喚起しているテーマの一つが食事だ。
「最終的に自身の免疫ががん細胞をコントロールして治っていくには、細胞どうしの正常なメッセージのやりとりを取り戻し、免疫を立て直すしかありません。そのためには、正しい食事や適度な運動がなくして考えられません」
こう指摘する西口さんに、現在発信している食事に関連した情報についてお聞きした。
◇
―がん克服の食事として短鎖脂肪酸に言及されています。
「ストレスや肝臓の疲れ、また、内臓脂肪、強い薬の副作用で、体内で炎症系サイトカインが放出され全身の体内は慢性炎症状態になります。サイトカインとは細胞から分泌される低分子のタンパク質で生理活性物質のことです。この慢性炎症こそが、がん細胞の増殖、転移、再発の原動力です。特に再発、転移に関わるがん幹細胞の脅威です。抗ガン剤を投与すると、がん細胞は次々と死んでいきます。一旦、がん細胞は消えてしまったように見えますが、しかし、がん幹細胞は生き残ります。抗ガン剤が効きにくいのです。この体内に残ったがん幹細胞が体内の慢性炎症状態を利用して、DNAなどを含んだ顆粒状物質エクソソームなどを細胞外に放出して、自分自身が転移し増殖する環境を作り、栄養を引き込む血管を作り、免疫細胞を操っています。ここを断ち切るためには、腸内を短鎖脂肪酸で満たし、腸管の免疫細胞の正常化を促すことで、慢性炎症を改善し、正常なエクソソームの分泌を取り戻せます。がん克服の一番の力になります」
―腸内を短鎖脂肪酸で満たす方法は。
「短鎖脂肪酸はヒトの大腸内で腸内細菌によって作ら、健康にとってさまざまな良い働きをしてくれる有機酸の一種です。がん患者さんの便には、短鎖脂肪酸がほとんどなく、健康な方の便には短鎖脂肪酸が多く含まれていることが解かっています。免疫細胞が大集合している腸内を短鎖脂肪酸で満すには、毎日、毎食、水溶性食物繊維を摂ることです。食物繊維は大きく、不溶性と水溶性の2種類に分けられます。どちらも腸内環境を整える働きがありますが、善玉菌が特に好み、免疫の正常化に影響が大きいのが水溶性食物繊維です。具体的には、海藻類、きのこ類、根菜類やネバネバした食品です。最近の研究で、欧米など世界11ヵ国と日本の健康な人の腸内細菌を詳しく比較したところ、驚くべきことがわかりました。日本人の腸内細菌は、食物繊維などを食べて短鎖脂肪酸など免疫をコントロールするような物質を出す能力が、他の国の人の腸内細菌よりずば抜けて高かったのです。このことも頭に置いて食事を考えていただきたいと思います」
―がん闘病中の方にお勧めしている商品も、紹介していますね。
「手間がかからず、しかも保存料や添加物無しの安全で効果のあるものを紹介しています。がんになった時、特に抗ガン剤治療中に何が一番大変か。食欲もなく、簡単な食事を準備する気力、体力もないくらいに身体もだるい状態で、身体に良い食事やがんに効果のある食事が解かっていたとしても、毎日、毎食、長く続けていくことはとても負担がかかりストレスになりかねません。そこで、知人に教えてもらったものを含め、安心して続けられるものを取り上げました」
―秋田県産『のむトマト』と『りんごジュース』ですね。
「『のむトマト』は、食品添加物は使用しておらず、トマトを搾ってパックしたものです。とにかく美味しくトマト嫌いな方でも大丈夫だと思います。秋田の大自然の肥えた大地ではぐくまれたトマトには、抗酸化力の強いリコピンをはじめ様々な微量成分が免疫力を正し、がんの微小環境を改善する効果に優れています。『りんごジュース』は、厳選された秋田県産の良質なりんごを皮ごとそのままジュースにし、添加物は一切入っておりません。りんごは、抗酸化力に優れ、体内をアルカリ性にする働きに優れています。がんの微小環境の酸性による悪化を防ぐのに抜群です。また、腸内フローラを整え、抗炎症菌を育てます。がん細胞の増殖の原動力である慢性炎症を防ぐ効果も期待できます。これらは、JA秋田が地元の特産品として製造・販売しています」
―『インカインチプロテインパウダー』も推奨していますね。
「アマゾン育ちの植物で、インカのピーナッツともいわれるサチャインチの果実から抽出した純植物性プロテインです。甘味料や香料等添加物不使用で、必須アミノ酸が豊富でかつバランスが良く、アミノ酸組成に優れた植物性のタンパク質を約60%含んでいます。さらにカルシウム、マグネシウム、亜鉛、鉄分などのミネラル、ビタミンB群、ω(オメガ)3脂肪酸、食物繊維などのマルチな栄養素も摂取できます。こちらの商品は当店でも販売しています」
―がんと闘っている人たちに激励の言葉を発信しています。
「抗がん剤などは、目に見えてがん細胞を小さくしますが、一時的にどんなにがん細胞を小さくし、消したとしても、それだけになってしまうと必ずまた再発します。がん細胞の親玉のがん幹細胞は、体内から消してしまうことは絶対にできません。このがん幹細胞は、生き残るためにエクソソームなどの微量物質を放出し、転移場所、再発環境を整えようとします。体内の免疫網もサイトカインなどの微量物質を放出し、これに対応しようとします。ここには、自律神経、ホルモン、炎症物質などあらゆるものが複雑に絡んでいます。これらのバランスを正常に戻していく工夫が大切です。そこには毎日、毎食の食事は大きく影響します。正しい食事や運動など日常のあたりまえのことを続けても、がんに対しては何の効果もないと思われがちですが、すぐには効果がないことを毎日・毎日、1ヵ月、3ヵ月、半年、1年と続けるうちに必ずがん細胞が発生・増殖しやすい体内土壌が改善し、正常化していくことを知ってください。すぐには効果として現れなくても、毎日続けることで、がんの根治や転移・再発の芽を断ち切る、勝機があるのです。毎日、毎日、根気強く信じて続けてください」
(ライター/斎藤紘)
有用な地場商品も紹介
秋田市で『相談薬局太海堂漢方』を営む西口一志さんは、日本人の死因の一位で、日本人の2人に1人が生涯に一度はかかるといわれるがんに特化した相談窓口を開設した薬剤師だ。ホームページでもがんの様々な側面に着目して膨大な情報を発信し、がんに苦しむ人やその家族、がんを恐れる人たちにがんと向き合うヒントを与えてきた。その西口さんが今、注意を喚起しているテーマの一つが食事だ。
「最終的に自身の免疫ががん細胞をコントロールして治っていくには、細胞どうしの正常なメッセージのやりとりを取り戻し、免疫を立て直すしかありません。そのためには、正しい食事や適度な運動がなくして考えられません」
こう指摘する西口さんに、現在発信している食事に関連した情報についてお聞きした。
◇
―がん克服の食事として短鎖脂肪酸に言及されています。
「ストレスや肝臓の疲れ、また、内臓脂肪、強い薬の副作用で、体内で炎症系サイトカインが放出され全身の体内は慢性炎症状態になります。サイトカインとは細胞から分泌される低分子のタンパク質で生理活性物質のことです。この慢性炎症こそが、がん細胞の増殖、転移、再発の原動力です。特に再発、転移に関わるがん幹細胞の脅威です。抗ガン剤を投与すると、がん細胞は次々と死んでいきます。一旦、がん細胞は消えてしまったように見えますが、しかし、がん幹細胞は生き残ります。抗ガン剤が効きにくいのです。この体内に残ったがん幹細胞が体内の慢性炎症状態を利用して、DNAなどを含んだ顆粒状物質エクソソームなどを細胞外に放出して、自分自身が転移し増殖する環境を作り、栄養を引き込む血管を作り、免疫細胞を操っています。ここを断ち切るためには、腸内を短鎖脂肪酸で満たし、腸管の免疫細胞の正常化を促すことで、慢性炎症を改善し、正常なエクソソームの分泌を取り戻せます。がん克服の一番の力になります」
―腸内を短鎖脂肪酸で満たす方法は。
「短鎖脂肪酸はヒトの大腸内で腸内細菌によって作ら、健康にとってさまざまな良い働きをしてくれる有機酸の一種です。がん患者さんの便には、短鎖脂肪酸がほとんどなく、健康な方の便には短鎖脂肪酸が多く含まれていることが解かっています。免疫細胞が大集合している腸内を短鎖脂肪酸で満すには、毎日、毎食、水溶性食物繊維を摂ることです。食物繊維は大きく、不溶性と水溶性の2種類に分けられます。どちらも腸内環境を整える働きがありますが、善玉菌が特に好み、免疫の正常化に影響が大きいのが水溶性食物繊維です。具体的には、海藻類、きのこ類、根菜類やネバネバした食品です。最近の研究で、欧米など世界11ヵ国と日本の健康な人の腸内細菌を詳しく比較したところ、驚くべきことがわかりました。日本人の腸内細菌は、食物繊維などを食べて短鎖脂肪酸など免疫をコントロールするような物質を出す能力が、他の国の人の腸内細菌よりずば抜けて高かったのです。このことも頭に置いて食事を考えていただきたいと思います」
―がん闘病中の方にお勧めしている商品も、紹介していますね。
「手間がかからず、しかも保存料や添加物無しの安全で効果のあるものを紹介しています。がんになった時、特に抗ガン剤治療中に何が一番大変か。食欲もなく、簡単な食事を準備する気力、体力もないくらいに身体もだるい状態で、身体に良い食事やがんに効果のある食事が解かっていたとしても、毎日、毎食、長く続けていくことはとても負担がかかりストレスになりかねません。そこで、知人に教えてもらったものを含め、安心して続けられるものを取り上げました」
―秋田県産『のむトマト』と『りんごジュース』ですね。
「『のむトマト』は、食品添加物は使用しておらず、トマトを搾ってパックしたものです。とにかく美味しくトマト嫌いな方でも大丈夫だと思います。秋田の大自然の肥えた大地ではぐくまれたトマトには、抗酸化力の強いリコピンをはじめ様々な微量成分が免疫力を正し、がんの微小環境を改善する効果に優れています。『りんごジュース』は、厳選された秋田県産の良質なりんごを皮ごとそのままジュースにし、添加物は一切入っておりません。りんごは、抗酸化力に優れ、体内をアルカリ性にする働きに優れています。がんの微小環境の酸性による悪化を防ぐのに抜群です。また、腸内フローラを整え、抗炎症菌を育てます。がん細胞の増殖の原動力である慢性炎症を防ぐ効果も期待できます。これらは、JA秋田が地元の特産品として製造・販売しています」
―『インカインチプロテインパウダー』も推奨していますね。
「アマゾン育ちの植物で、インカのピーナッツともいわれるサチャインチの果実から抽出した純植物性プロテインです。甘味料や香料等添加物不使用で、必須アミノ酸が豊富でかつバランスが良く、アミノ酸組成に優れた植物性のタンパク質を約60%含んでいます。さらにカルシウム、マグネシウム、亜鉛、鉄分などのミネラル、ビタミンB群、ω(オメガ)3脂肪酸、食物繊維などのマルチな栄養素も摂取できます。こちらの商品は当店でも販売しています」
―がんと闘っている人たちに激励の言葉を発信しています。
「抗がん剤などは、目に見えてがん細胞を小さくしますが、一時的にどんなにがん細胞を小さくし、消したとしても、それだけになってしまうと必ずまた再発します。がん細胞の親玉のがん幹細胞は、体内から消してしまうことは絶対にできません。このがん幹細胞は、生き残るためにエクソソームなどの微量物質を放出し、転移場所、再発環境を整えようとします。体内の免疫網もサイトカインなどの微量物質を放出し、これに対応しようとします。ここには、自律神経、ホルモン、炎症物質などあらゆるものが複雑に絡んでいます。これらのバランスを正常に戻していく工夫が大切です。そこには毎日、毎食の食事は大きく影響します。正しい食事や運動など日常のあたりまえのことを続けても、がんに対しては何の効果もないと思われがちですが、すぐには効果がないことを毎日・毎日、1ヵ月、3ヵ月、半年、1年と続けるうちに必ずがん細胞が発生・増殖しやすい体内土壌が改善し、正常化していくことを知ってください。すぐには効果として現れなくても、毎日続けることで、がんの根治や転移・再発の芽を断ち切る、勝機があるのです。毎日、毎日、根気強く信じて続けてください」
(ライター/斎藤紘)
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TEL/018-836-4970 Eメール/ info@taikaidou.com
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