日本は、世界は、今大きく変わろうとしています。皆さんもそう感じている方が多いのではないでしょうか。今は何でこんなに暗いことが多いんだろう、何で世界中で争いが絶えないんだろう、何で何をやっても今一つ楽しいと感じないんだろう、何で周囲ばかり気にして本音で生きられないんだろう、何をやっても上手くいかないのは何故なんだろう、この社会全体を包み込む暗く重い閉鎖感は一体何なんだろう…。
しかし僕はあまり心配していません。夜明け前は一番暗いのです。星と月が覇権を争う闇夜も太陽、そう、日の本が天に上がれば全て消え去ります。そうです。日の本の国、日本が眞の大和心に目覚めれば世界はどんどん明るくなっていきます。灯台もと暗しと言いますが答えは世界ではなく、日本人の心の中にあったのです。
我々日本人は戦後、競争一辺倒の社会の中、その最も大切なことに気付かないような、素晴らしい日本古来の和と助け合いの心「大和心」をともすれば忘れてしまうような環境にあったとも言えます。
奪い合う社会に終止符を打つ
実際、欧米諸国が提唱する資本主義、貨幣経済、自由競争、そして、その世界均一化標準を示すグローバルスタンダードですが、その通りにやっても上手くいったのは最初だけ、バブルがはじけて不景気になってからは何をやっても上手くいかない。これは何か違うんじゃないだろうか?少なくとも日本人にはどこか合わないんじゃないのかな?そんな風に感じてきた方も多いはずです。
実は、僕も色々と悩んだり、今までに経験してきたことから僕なりに考えてみると、自由競争や合理主義、資本主義は一見素晴らしい考えに見えるのですが、それだけでは世界は決して良くならない。良くなるどころか、やればやるほど、世の中は争いと奪い合い、強い者勝ちの世の中になってしまう。
まるで、日本の湖にブラックバスを放つと、湖に元々生息していた色々な魚が全てブラックバスに食べられて、湖はブラックバスだらけになってしまう。中には強いブラックバスも弱いブラックバスもいるけれど、いずれにしても弱肉強食の世界であり、そこで生き残る為には自分もブラックバスになるしかない。色々な個性のある魚達が共存共栄していたはずの湖が、ブラックバスだらけの均一化された弱肉強食化された世界になってしまうのです。
そんな世界は実に殺伐としていてつまらないと思われませんか。ブラックバスだらけになった世界ではいずれブラックバス同士が共食いを始めます。最後は全て滅んでしまうでしょう。そんな湖にセーフティネットを張って仮に弱い魚達を保護したとしても、保護された魚達はもはや生きる希望もやる気も無くしてしまい、網の中から出る気になりません。セーフティネットから出るには自分もブラックバスになって、自分より弱い魚を食べねばならないからです。そんな勇気も自信もありません。
今のはたとえ話ですが、世界が今まさにそんな風になってきていると感じている方も多いのではないでしょうか。いつまで、ブラックバスのふりをして生きねばならないのか、なぜ共存共栄の、争いや奪い合いの無い、そう、強いものも弱いものも、大きいものも小さいものも、どんな個性のものも、みんな仲良く楽しく共存共栄できないのだろうかと、実は日本人の多くの方がそう思われているのではないでしょうか。
このように、残念ながら、資本主義、自由競争、合理主義だけでは、実際はその通りにやっていくと、意外なことに他の人々を、周囲の誰かを、他の企業を、他の国を踏み台にしない限り、いずれ立ち行かなくなるものなのです。
許し合い、感謝し合い
助け合う心の復活
では、どうすれは良いかと言うと、実は日本人の心の奥底にその答えがあるのです。
日本人ってとてもいいなぁっていつも思うのは、何よりも許せる心、悪い事を忘れることが出来る心、他人や他国からされた悪い事もいつの間にか水に流して忘れてあげることができる心があるところです。
原爆を2発も民間人の生活しているど真ん中に落とされても、あまり他国を恨んでいない、とても辛くて悲しい事だけれど、そのことで他国の人をそんなに恨んだりしない。そんな民族は世界広しと言えど、そうそういるものじゃありません。つまり元々日本人は懐がとっても広いんです。
たとえ、外から悪いものや悪い考えが日本に入ってきても、長く日本にいるうちにいつの間にかそれが良いものに変わってしまう。悪いものを叩き潰したり、否定したりせずに良い部分をどんどん引き出して、いつの間にか悪いものを良いものに変えてしまう。つまり、悪いものも生かしてしまうような力が元々日本には、日本人にはあるのです。
これはとても大切な事で、たとえ悪いものであったとしても、それを真っ向から叩き潰したり、力にものを言わせて無理やり良いものに変えようとすると、意外なことに、物事は良くなるどころか、どんどん悪くなってくることが多いのです。これは叩き潰された方が、それを恨みに思ってやり返すことにより憎しみの連鎖となるからです。つまり、悪いものは叩き潰すのではなく、抱きかかえ、抱き参らせ、自ら改心させないと決して無くなることはありません。叩き潰すこと自体が悪と言えるものだからです。
日本古来のこの心は分かりやすく言えば、「おもてなしの心」であり、「和と助け合いの心」であり、「おかげさま」の心であり、すなわち日本古来の「大和心」と言えるものなのです。このように、なんの目に見える得があるわけではないのに、人につい親切に「おもてなし」してしまう、人に「おかげさま」と感謝してしまう、困った人がいるとつい助けたくなってしまう、ごく自然に決して建前ではなく本音でそうできてしまうのです。この天から与えられたとも言える素晴らしい才能「大和心」を、もし、各々の日本人が各々の個性に合わせた天職の分野で、自由自在に思う存分に発揮できたら、世の中の様々な争いや、あらゆる不幸な出来事などほとんど無くなってしまうのではないかと思える程です。少し日本人をほめすぎたかもしれませんが、この素晴らしい才能「大和心」を今こそ日本のために世界のために役立てるべきです。
欧米諸国がリードしてきた資本主義、貨幣経済、自由競争により、とても速やかに効率よく物質文明を発展させることができました。しかし、ここにきて明らかに行き詰まってきています。弱肉強食の物質偏重のこれらの考え方だけでは世の中の中心はブラックバスだらけになってしまい、後はもう共食いか奪い合いしかないような状態に近付いてきていると言っても過言ではないでしょう。
その理由は、そこに「大和心」が抜けているからです。だからこそ、今こそ日本古来の「大和心」が大切になってきているのです。
つまり、欧米諸国が中心になってお金の力で作り上げてくれた、発展させてくれた物質文明を決して否定することなく、無駄にすることなく、その素晴らしいシステムをそのままに、その素晴らしい恩恵に感謝しつつ、逆に今までの物質偏重や弱肉強食的考え方によって世界に生み出された歴史上の全ての悪い事件や酷い仕打ち、悲惨な出来事には各々充分反省した上で出来るだけ許してやり、お互いにもう全て水に流して、そこに日本古来の「大和心」を合体させる。
欧米が中心になって作り上げた物質文明に日本古来の「大和心」という魂を入れることによって、これから世界は素晴らしいものになっていくのです。
傾きかけた病院を
再生させた大和心
当院は僕が病院長として就任した当時は岩手県宮古と言う土地柄の為に医師不足、看護師不足などで倒産寸前の経営状態でした。
それを短期間で立て直すことができたのは、6年間の貿易商社勤務時代のノウハウを最大限に活用したこともあったのですが、何よりも職員全体のモラル(職業的道徳心)の高揚でした。派閥を作るのではなく、各々の立場の職員の各々異なる意見をできる限り生かすようにして、日本古来の和と助け合いの心「大和心」を中心に据えてやっていったのです。自分で言うのもなんですが、こんなに職員全員が明るくて、毎日働くのが楽しくて仕方がないような病院も企業もそうそう無いと思います。最初はパッとしなかったのですが、末広がりに良くなり、今では職員の1人1人がまさに社長になったつもりで一騎当千の働きで患者さんの為に尽くしてくれています。日本中がうちの病院みたいになったら、争いも派閥も無くなり、毎日明るくて楽しくなるのになぁといつも思っています。
医療資格者も医師、看護師に加え、全国から理学療法士、作業療法士、言語聴覚士など国家資格を持ったリハビリスタッフが50名以上集まって来てくれたおかげで、今ではリハビリテーションを主軸にした病院運営を行っています。
リハビリテーションと言うと、失った機能を取り戻す辛く苦しい作業という後ろ向きなイメージも一般にはあるのですが、そうではなく当院では青春というテーマのもと、患者様に夢と希望を持っていただく明るく前向きなリハビリテーションを常に心がけています。青春時代も辛く悲しい時はあったと思いますが、常に前向きな気持ちで取り組むことで素晴らしい経験となります。そんな「青春」の力をリハビリに生かせないかと考えました。そんな中で生まれた「青春リハビリテーション」と言う明るく前向きな言葉は当院のリハビリを大きく変えてくれました。リハビリの治療を行うスタッフも、リハビリを受ける患者さんも、明るく前向きにリハビリに取り組むことで治療効果が大きく上がったのです。
青春リハビリテーション
そこで、この「青春リハビリテーション」を岩手県中に東北中に、いや全国に広めたらどうだろうかと思いました。最初は皆さんにすごく違和感がある言葉でした。
「青春」は一般に前向きで明るいイメージがありますが、それがリハビリテーションの一般的なイメージとかけ離れていることが多いからだと思います。そこで、この「青春リハビリテーション」と言う言葉を岩手県中に、あらゆるメディアを使って広めていったらどうだろうと思い立ち、早速県内のテレビ、ラジオ、生活情報誌、スポーツ専門紙、新聞、雑誌、盛岡市内の看板7台、盛岡市内のバスの看板70台などで岩手県を中心に青森、秋田など北東北にどんどん露出していったのです。
ちなみに僕は良いと思ったことはすぐにやることにしています。はじめは違和感のあった「青春リハビリテーション」という言葉でしたが毎日のように見ることによって、だんだん県民の皆さんにまるでメガネが顔に馴染むように馴染んでいったのです。もう4年になりますが、今では岩手県の子供から大人までほとんどの方々が、この「青春リハビリテーション」という言葉を認知して下さったと思います。そうなると、不思議なことに「青春」と言う力の強いイメージでリハビリテーションのイメージがどんどん明るく前向きになっていったのです。「青春リハビリテーションという言葉で岩手県のリハビリのイメージが大分明るくなったなぁ」と県内の皆様に時々言われると、とても嬉しくなります。
「青春リハビリテーション」と共に、当院のモットーである「明るく、爽やか、慈愛、そして懐の深さと大きさ」と、日本古来の和と助け合いの心「大和心」の大切さを強く県内のあらゆるメディアを使って訴え続けています。
このモットーは、実は数年前に島根県の出雲大社に御参拝に行った時に、たまたま心に浮かんだイメージです。勝手に出雲大社の御神徳なのではと解釈しております。
出雲大社に列車が近付くにつれて、「明るく、爽やか、慈愛、そして懐の深さと大きさ」というイメージが頭の中にどんどん膨らんできたのです。当院では上の立場になればなる程、このモットー通りにやろうと職員みんなで励まし合っています。
神社と言えば、やはり、数年前に神奈川県の箱根神社で偶然知り合ったノソラという音楽グループの「優しく強く」と言う曲を、現在「青春リハビリテーション」のテーマソングとして、テレビやラジオのコマーシャルで使わせて頂いております。全国的に有名な箱根神社で、土曜日であったにもかかわらず、なんとその時は参拝客が僕等とノソラの代表、青伊眞さんとその御家族だけだったのです。まことに不思議な出逢いでしたが、家族への感謝の気持ちを込めて作ったというその曲「優しく強く」を聞いて、すぐにこれこそ「青春リハビリテーション」のイメージにぴったりだと思いました。
日本古来の大和心で誰もが
楽しい共存共栄の世界を
現在、日本の政界は揺れに揺れておりますが、残念ながら、どなたが首相になられても、どの党が与党になろうとも、政治だけでは日本は決して良くなりません。昨今の投票率の低さは国民が何となくそのことに気付いてきたからでしょう。いつまでも性懲り無くお互いの政敵をお互いに非難し合うようでは、どなたが首相になられても和と助け合いの心「大和心」を生かせないと思われるからです。
この様な現在の政治の体質は、もちろん他国からの圧力や支配、マスコミの誘導、利権の絡んだ問題などもありますが、第一は我々国民のモラルが反映されたものであるとも言えます。
もし各々の国民が国が良くなることよりも「今だけ、金だけ、自分だけ」といった我よしの考えだけで政治家を選ぶようになれば、当然選ばれた政治家も我よしの考えになります。現在の官僚や政治家のレベルそのものは、良くも悪くも我々国民のモラルが反映されたものに他なりません。
我々もマスコミに誘導されて政治家や官僚を責める前に、まず我々自身のモラル(徳)を上げましょう。そうすれば最初はパッとしなくても末広がりに良くなり、いずれ共存共栄の弥栄(いやさか)の状態に至ります。
そのためには、何よりもまず各々の国民の皆様が日本古来の和と助け合いの心「大和心」に眞に目覚めることが大切です。
その際に気を付けることは、自分を決して犠牲にしないことです。まず自分自身が「大和心」で幸せになりましょう。次に自分から溢れ出る幸せで家族や恋人を幸せにしましょう。そうしたら、そこから溢れ出る幸せで周囲の友人や会社の同僚を幸せに。こんな風にして自分から溢れ出る幸せを日本国中に広げて行けば良いのです。そうすれば我欲は大欲(全てを幸せにする欲)に変わっていきます。最後はアメリカもイギリスもドイツもフランスも中国もロシアもイランも北朝鮮も韓国も台湾も世界中の国々をみんな幸せにしてしまえば良いのです。「大和心」に目覚めれば決して不可能ではありません。
世界の夜明けが近づいて来ています。その鍵を握るのはまさに日本古来の和と助け合いの心「大和心」だと確信しています。
もうそろそろ、憎しみの連鎖や奪い合いの世界は終わりにしましょう。
みんなで手を取り合って、肩を組み合って、誰もが楽しい共存共栄の弥栄(いやさか)の世の中を実現しましょう。国民の皆様が「大和心」に眞に目覚めれば決して不可能ではありません。
(ライター/朝霞瑞穂)