ご存じのとおり、日本は今、少子化の一途をたどっている。しかも女性の初産年齢も30歳近くと出産は先延ばし傾向にある。それは、女性も仕事を持つのが当たり前になり、結婚後も仕事を続ける女性が増えたからだとか、晩婚化傾向にあるからだとかいわれるが、現在の日本が、安心して子どもを産める環境にないことも理由の一つと考えられている。それは、さまざまな制度が整っていないからではない。現実問題として、産科が激減しているから。そ産婦人科はリスクが高い任務であること、そして分娩には朝も昼も夜もないという不規則な勤務体制が大きな理由として掲げられ、産科を目指す医師自体が減少しているという事情がある。
そんな実情を見て見ぬ振りが出来なかったのが、山口県防府市に2010年4月に開業した『手山産婦人科』院長の手山知行医師だ。防府市で育ち、福岡大学医学部を卒業後は山口県内に戻り4か所の病院で産婦人科医として勤務。立ち会った出産は2000件を超えるという大ベテラン。「真に必要とされる医療は何か、真にやりがいのある仕事とは何か」を突き詰めて考えた結果、出した答えが産婦人科医院の開業だったという。かつての産婦人科医院を改装し、新たな医療機器を導入した医院は、小ぢんまりとしてアットホームな優しい雰囲気。高齢での出産が珍しくない現在、いつ何が起きてもきちんと対応するため、また、変わりやすい妊婦の容体の急変に備えるため、現在は住み込みで対応している。そんな、プロフェッショナルとしての技術と責任を持って社会に貢献する手山医師の姿勢には、頭が下がる思いだ。
「命の重さに向き合い、自らの責務を全うするのが私の勤め」という手山院長は、父親の手で取り上げられ、院長自身も自分の子ども二人を取り上げた。そんな命を預かる医師の家系に生まれた院長。産婦人科医師としての責任と恐怖は計り知れないものがるが、その先にある感動を知っているから、あえてリスクの多い産婦人科を開業する決断ができたのだろう。
さて、『手山産婦人科』が開業する以前の山口県防府市内には、分娩可能な医療機関はといえば、県立総合医療センターと民間の産婦人科医院の二か所だけだったという。2008年の出生数からみると、1040人のうち市内二か所での分娩は5割強。残りの約500人は、山口市や周南市など近隣の医療機関で生まれている。数字を見ると、最近話題になっているお産難民という言葉が頭をよぎる。住んでいる街で産むことができず、遠くの町まで行かなければ受け入れてもらえない…そんなお産難民も、『手山産婦人科』のおかげで、今までの半数近くまで減るのではないか、と予測されている。
皆に期待されて開業した『手山産婦人科』。院長の父親の活動の場となり、自分の成長を支えてくれた防府の地に恩返しをするべく立ち上がった院長。リスクは恐れるのでなく、プロフェッショナルとして長年培った経験や技術、人間らしい情や温かな心で立ち向かっていくのだという。開業から数カ月たった手山産婦人科に対する期待も信頼も厚く、年末までに約100件の出産が予定されているという。
(ライター/深井みさわ)