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▲第16回公演ダンスドラマ『邪馬台国女王卑弥呼』
▲K.M.J.ダンスドラマスタジオ 第15回公演ダンスドラマ『ドロシーが来たぞ!』
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全員が主役、ジャンルを超えた『ダンスドラマ』
舞台で大きく成長します
2年に一度の公演を目標に、幼児から社会人まで共にレッスンに励んでいる「K.M.J.ダンスドラマスタジオ」。こちらでは、モダンバレエをはじめジャズダンス、タップダンス、ヒップホップなど様々な舞踊形式を取り入れているオリジナルダンスだ。公演では他で見られない新しいジャンルの舞台『ダンスドラマ』を展開する。これは歌や台詞のないミュージカルのようなもの。約2時間の物語となっており、最後まで観客を飽きさせないストーリーが魅力的。同スタジオ主宰の金澤芳子先生が創作した物語をダンスや音楽、照明で構成し演出している。繊細かつ壮大な世界観を表し、観る人の心に直接訴えかける情感を湛えている舞台となっている。『ダンスドラマ』とは一曲ずつの踊りがドラマ性を帯び、そのドラマ性を帯びた一曲を鎖の一環として、ほぼ50曲程の鎖の輪で全体のドラマを創り上げていくという新しい芸術のひとつなのだ。その世界では、何ら、ハンディキャップの有無を問わない。実際、聴覚に障害のある生徒も公演で活躍している。
公演ではスタジオの全員に役が割り当てられ、1年半の成果を大舞台で発表する。この舞台の主役は出演者全員。一人ひとりが自分の役を全うしないとドラマは完結しない。だから生徒一人ひとりが『ダンスドラマ』の登場人物になりきり、自分のダンスを作り上げて練習で培ってきた技術を最大限に発揮。全員が一丸となって創り上げる舞台は観客はもちろん、生徒自身も大きな感動と達成感を得られ、なお仲間との「絆」が生まれるのだ。こうして長い時間をかけたレッスンで作り上げた舞台公演を経て、生徒は人間的にもダンサーとしても大きく成長を遂げるのだ。
この感動的な『ダンスドラマ』はどのように作られてきたのか。金澤先生は小学校1年のとき結核を患っていたことから母親が身体のためにとモダンバレエの教室に通わせてくれたのが、ダンス人生の始まりだったという。以来ダンスに夢中となり、創作ダンスは先生の人生の基礎になった。子育てが一段落して金澤先生は「K.M.J.ダンスドラマスタジオ」を設立、生徒に教えながら、ジャズダンスの第一人者に師事する。スタジオが大きくなるにつれて習ったジャズダンスをもとにした、先生自身のオリジナルダンスを模索するようになる。1982年に初めてのオリジナルダンスドラマ『夢』を公演し、以来30年にわたり反省と工夫を繰り返し、作品の創作を続けてきた。そして2011年、第16作目のダンスドラマ『邪馬台国女王卑弥呼』の公演で金澤先生は納得するものができたという。
この前例のない『ダンスドラマ』を金澤先生はどのように指導しているのか。たとえば先生は稽古の時、「役になりきって真剣に演じ、踊らないとお客様には感動は伝えられないよ」。「振り付けが終わったときからが、あなたたちの挑戦。自我を捨てて、全幕通して自分のキャラクターを創りあげ、その上で自分の踊りを作り上げなさい。天井から照らされる一条の光の中で無になって踊りなさい」と厳しく指導する。スタジオには5歳から68歳まで幅広い年齢層の生徒がいるが、全員が次の公演に向かって真剣に稽古に打ち込んでいる。随時、生徒を募集。
その舞台でまた新たな感動を届けてくれるだろう。
(ライター/本名広男) |
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